外す男と外さない男
「マディちゃんが帰ってるってよ」
母親の言葉にデイビッドは昔の記憶がぶわりと蘇った。
黒歴史と言ってもいい。
可愛がっていた二つ年下の女の子──マディソンと付き合ったその日に、別の女に心変わりしたことを思い出したのだ。
家族ぐるみで付き合いのあった妹分の女の子を傷付けてまで恋人になった女は、『何でも欲しがるコリンナ』と同性に綽名される女だった。
そして気持ちが飽きやすいコリンナとの恋人期間は二月と持たなかった。
謝りたい、いや、あわよくばもう一度やり直したいと思っていたが、マディソンは帝都へ向かった後で、それは叶わなかった。
それから今までずっと会う機会には恵まれていない。
「今回は長い滞在みたいでねえ。何かあったのかしら……。母さん、あとで挨拶行くけど、あんたも行って来たら?」
昔からデイビッドの母親はマディソンの母親と仲が良く、お互いの子供がくっ付くことを望んでいる節があった。
これをデイビッド自身、迷惑な話とは思っていなかった。
昔も。そして今も。
都会に行って帰って来る者は少なくない。
デイビッドの友人も夢破れ、去年実家に戻り同級生の妹と結婚している。
これは珍しい話ではない。
きっと、マディソンもただの長期滞在なんかではなく、都会での激務に疲れ果て、地元に帰ってきた口だろう。
辛いことがあって打ちのめされて傷付いたマディソン。そんな彼女を慰めてやりたいという想いが胸の中を支配し、気分が盛り上がる。
デイビッドもそろそろ結婚を考えてもいい年だし、親孝行もしたい。
マディソンなら、自分の家族と上手くやれるだろうし、自分も彼女の家族と上手くやっていける自信がある。
デイビッドは、根拠のないきらきらした期待で心が浮き立ってきた。
「じゃあ、ちょっと挨拶してこようかな」
母親にそう返し、デイビッドは家を出た。
感動の再会に心を躍らせて。
「やあ、マディ」
マディソンの家に行くと、庭先で姪のルーシー(マディソンの妹の子供)と遊ぶ彼女がいた。
「あら? …………デイビット?」
「君が帰ってるって聞いてね。顔を見に来たんだ。おかえり」
「ふふ、わざわざありがとう。久しぶりね。ただいま」
「本当に久しぶりだな。もしかしてあまり帰省してなかったのか?」
「二年に一・二回くらいのペースで帰って来てたんだけどね。最近は帝都が楽しくて間を空けちゃったの」
「ん?」──楽しくて? いや、忙しくて、の聞き間違いだろう。
「そっかあ。帝都は大変な感じ?」
「ええ、毎日てんてこ舞いよ」
「……よく頑張ったな、ほんと」
「? そうね?」
綺麗になった。凄く。眩しいくらいだ。
それに、当時はなかった色気まで香っている。そして何より、彼女との会話は楽しい。
しかも、彼女の表情は明るく、声は弾んでいて満更でもない様子。
これは、脈ありではなかろうか?
彼女は都会で洗練されていい女になって自分の元へ帰ってきた。
おかえりとただいまを言い合って、そう確信した。
だって、デイビットの勘は昔からおおむね外れない。
来年、いや今年の年末でも式を挙げることは、二人にとって早過ぎることはないはずだ。なんてったって、幼い頃からお互いを知っているのだから。
デイビットの脳裏に明るい未来予想図が駆け巡った、そんな時だった──「マディ、ルーシー、パイが焼き上がったって……どちら様?」
彼女の実家の扉から、なんとも上等な男が現れた。
見た目のスペック全てにおいて、デイビットが勝てる要素は一つも見つからない。男が纏っている雰囲気にも気圧される。体格や佇まいからして絶対に一般人ではない。
きっと今奇襲があったとしても、対応できるだろう。いや、そんなことはあり得ないのだが……。
「ええ、幼馴染のデイビットよ。デイビット、彼はね、」
「初めまして。マディの夫のフロイド・ヴァルコンです」
マディソンの言葉を遮り、男がデイビットに握手を求めるように手を差し出す。
「あ、はい、あの……夫? え? ……ああ、いや、よろしく……です、はい、あはは」
何とも情けない挨拶をするデイビットにフロイドは嫌味のない完璧な笑顔を返す。
この笑顔一つで何人もの女を落とせそうな、そんな笑顔を自分に向けないで欲しい。
そして、ぎゅううううっと握られた手の厚さと硬さに、やはりこの男──フロイドは普通の男ではないと知る。
「結婚してたんだな……知らなかったよ」
デイビットの母親もおそらく知らない。
だって、知っていたらあのお喋りな母親はデイビットに言うはずだから。……マディソンとの明るい未来を想像していたことが恥ずかしくなって、心の中で母親に毒づく。
「いえ、まだ結婚はしてないのよ。その、子供を授かって……それで……これからっていうのが正しいの」
できちゃった婚、だと?
「でも許しは貰えたんだから、マディの夫と名乗ってもいいだろ?」
「そうね、あなたがそれでいいなら……」
照れて笑うマディソンが姪のルーシーの小さな手を握る。
そしてそんな彼女を愛おしそうに見つめるフロイド。
いったい自分は何を見せられているのだろうか?
「……」
いやいやいやいやちょっと、待て。待つんだ、マディソン。
こんなモテそうな男でいいのか? 愛人二号三号四号いたりしないか? すぐにほかの女に目移りしちゃうのではないか?
しかも、できちゃった婚なんて『責任を取る』みたいな気持ちからであって、正当な感じがしない。愛からではない。そうだろう?
デイビットは昔の自分のやらかしを棚に上げてそんなことを思った。
しかし、そんな考えも所詮は負け惜しみ故。
ああ、あの時の活発な女の子が、あんな顔をするようになるなんて。
その顔は自分がさせてみたかった。されど、そのチャンスを潰したのは他でもない自分。
逃がした魚のデカさを感じ、後悔が一気に押し寄せてくる。
「やっぱ、女の子だよなあ。可愛い」
ルーシーの頭を撫でながらフロイドが目を細める。
……どんな表情でも美形であるのに、優し気に笑う顔の美麗さよ……やめてくれ、死にそうだ……。
「あらそう? 女の子も可愛いけど、この子は男の子の気がするのよね」
そして、こんなとんでもない美形な男に見とれることもなく、自身の薄い腹を撫でて『この子』と言うマディソンに、デイビットは本日何度目かの打撃を喰らった。いや、大、大、大、大、大打撃を喰らった。
「えー、俺ミニマディ見たいんだけど」
「私だってミニフロイドが見たいわ」
「ねえねえ、おにいちゃん。ルーはミニ?」
「ああ。ルーシーはミニ・レディだね。大人になったら素敵なレディになるんだろうな」
「ルー、しゅてきなレディになる~!」
「なれるよ、きっと」
デイビットの目の前でいちゃつきやがって……しかし、ルーシーのフロイドへの懐きようはどういうことだろう?
デイビットにはにこりともしないくせに、幼くても女ということか??
というか、もはやデイビットの存在は忘れ去られている???
「え、えっと、じゃあ、俺、そろそろ帰るよ」
いたたまれなくなったデイビットの言葉に、はっとした顔をしないでほしい。
「あらそう? おばさまによろしくね」
そして、引き止められないことが寂しい。
「あ、うん……あの、フロイドさん……マディのことよろしくお願いしますね」
最後の最後に言った言葉の中に、いろんな感情が混じって妙な言い回しになってしまったデイビットに、フロイドは「言われなくても」とでも言いたげに、先の笑顔とは系統の違う笑みを見せた。
その顔は、知っている顔だった。
デイビットはくるっと踵を返し、すたこらと退散を決めた。
……完敗である。
──あれが、例の男か。
男の後ろ姿に背を向けたフロイドは、マディソンの姪を抱き上げて、彼女と共に家の中に戻りながら思った。
デイビットの話は、カレンから詳しく聞いていた。
成人するまでの可愛いマディソンを知っている男、そして、マディソンの初めての恋人。
その日数がたったの一日だろうが、マディソンが告白した男であることに変わりはない……ムカつく。すっげえムカつく。
しかも、あの男のマディソンを見る目。
ああいう目に、フロイドは敏感だ。
外に出てきて良かった。自分の勘は、やはり外れない。
これで牽制になっただろう。
自信過剰と取られても構わない。
自分よりイイオトコは、この町にはいない──帝都にはいるが、ここは帝都ではない。
それでも。
「マディなんて呼びやがって」
自分より彼女の名前を呼ぶ回数が多かった男に、思わず悪態が漏れる。
「フロイド、どうしたの?」
「いや、何でもない」
フロイドは、しばらく会うことはないであろう男のことなんて頭の隅に追いやり、マディソンの母親の焼いたパイを頬張った。
この五日後、書類が受理された二人は晴れて夫婦となった。




