オフィリア5
オフィリアは異母弟の許へ通うようになった。そうして、わかったことがいくつかある。
異母弟は「人喰い」ではない。一目見ればわかることだ。人喰いとは輝殻を纏った異形の怪物である。異母弟は人並み外れた美貌の持ち主ではあるけれど、血肉を持つ人の子だ。そんな異母弟が何故「人喰い王子」などと蔑まれるのか。原因は異母弟の頚窩にある珍しい「腫瘍」にあった。
その腫瘍は紅玉のように硬く、透き通り、美しい。人喰いがもつ「輝石の心臓」のように。
妊婦が分娩時に亡くなった場合、遺体の腹部を切開して胎児を取り出す。「切り取られた子」を母親の腕に抱かせてから埋葬することが弔いであるとされている。
しかし極稀に、亡くなった母親の胎内から、生きた赤子が救い出されることがある。そうして誕生した子は「梟の子」であるとされた。梟の雛は成長すると母鳥を食べるという言い伝えがあるのだ。かつては遺児が「梟の子」にならないよう、母親の遺体の腹部を刺し貫いた後に、腹部を切開したと言う。
恐らく、異母弟は「梟の子」なのだろう。異母弟は「梟の子」として産まれ、尚且つ「輝石の心臓」のような腫瘍をもって産まれたから「人喰い」であるとされ、王子でありながら罪人であるかのような境遇に置かれているのだ。
父王と王妃は、異母弟を獣同然と見做しているようだ。異母弟には身を清める道具一式と着替えが与えられ、彼自身と身の回りは清潔に保たれている。飢えない程度に食事も与えられる。それだけだった。
異母弟は口が利けない。話しかけるとこちらに目を向けるので、耳は聞こえているのだろうけれど。ならば筆談はどうかと試みるが、どうやら字を識らないようだ。
これでは異母弟と意思疎通が出来ない。オフィリアは異母弟に字を教えることにした。
オフィリアは頻繁に異母弟の部屋を訪ねた。童話や教本を書庫の奥から引っ張り出しては、異母弟の部屋へ持ち込み、異母弟に読み聞かせた。書き取りをする時は手本を見せたり、小さな異母弟を膝に乗せて背後から抱えるようにしてその手をとり、一緒に書いてみたりもした。
熱心な教育の成果は捗捗しくないけれど、オフィリアの努力は無為では無かった。何をされてもされるがままだった異母弟が、徐々に変わっていったのだ。
オフィリアが姿を見せると、寝ていても、食事中でも、寝台に腰掛けて、オフィリアが隣に腰をおろすのを待つようになった。
オフィリアが頭を撫でると、心地よさそうに目を細めるようになった。
異母弟は少しずつ、しかし、着実に、オフィリアに心を開いている。慕われるという未知の体験に、オフィリアはすっかり舞い上がった。
--この子は、私の弟。
気分が高揚して、見るもの聞くもの、全てが美しい。眠り込んでいた世界が目覚め、歌い、踊り出したかのようだった。
「ねぇ、あなたのこと、ミトラシュと呼びたいの。どう?」
自主的に膝に乗ってきた異母弟の頭を撫でながら、オフィリアは提案した。不思議そうに瞬きを繰り返す異母弟に、オフィリアは微笑みかけて、説明する。
「弟を名前で呼べないなんて、さびしいわ。だからね、私が名付けようと思って。ミトラシュと言う名は、遠い遠い異国の、太陽の神様からいただいたのよ。すてきじゃない?」
オフィリアは目の前で揺れるふわふわの髪に鼻先を埋めた。やわらかく、あたたかい。
オフィリアは異母弟の名前を知らない。異母弟の生母が生前に考えた名前なのかもしれないし、異母弟が産まれる前に、父王が考えた名前なのかもしれない。しかし、今、異母弟をその名前で呼ぶ人は誰もいないのだ。
--かわいそうな子。せめて私だけは、仲良くしてあげたいわ。
「ねぇ、ミトラシュ。どう?」
オフィリアは異母弟の名を呼び、異母弟に額を寄せる。すると、目の前で奇跡が起こった。異母弟が微笑んだのだ。奇跡のような、素晴らしい笑顔だった。
オフィリアは異母弟--ミトラシュを抱きしめた。
「笑ってくれたわね、うれしい! ミトラシュの笑顔、とてもすてき。姉様、ミトラシュの笑顔が大好き!」
オフィリアは愛くるしいミトラシュをぎゅうぎゅうと抱きしめる。抱きしめられたミトラシュが硬直していることに気付いて、慌てて抱擁を解こうとしたとき、背に温もりを感じた。
ミトラシュの小さな手が、おずおずと、オフィリアの背を抱いていた。
オフィリアの胸にすり寄る小さな体を、オフィリアは抱きしめた。
--ミトラシュ、私の大切な弟。
嬉しい。それなのに、胸が締め付けられて、無性に泣きたくなった。