オフィリア4
父王の御前を辞したオフィリアは、真夜中、こっそりと寝室を抜け出した。幼い好奇心をおさえきれなかったのである。父王に教わった、異母弟が幽閉されているという部屋へ赴き、父王に授かった真鍮の鍵で扉を開けた。
そこにいたのは、床に座り込み、手掴みで生肉を貪る、小さな男の子。血腥い食事を目の当たりにし、オフィリアは腰を抜かしてしまった。そうでなければ、悲鳴を上げて、脱兎の如くその場から逃げ出しただろう。
扉の隙間から覗き見るオフィリアの存在に気付いているのかいないのか。小さな男の子はあっという間に、餌皿に盛られた肉塊を平らげた。
--この子が、私の異母弟……?
父王から聞いた話では、異母弟はオフィリアより一つ年下ということだった。ところが、この異母弟、どこからどう見ても、八歳には見えない。どこもかしこも小さい、四、五歳の幼子のようだ。
汚れた手指と口許をぺろぺろとなめる仕草は、猫が顔を洗うそれによく似ていた。
王妃の庭園には、オフィリアが生まれる前から、老いた白猫がいた。鼠取りをさせる為、庭師が庭園で飼っていたのだ。老齢の為か、おっとり、のんびりとしており、幼いオフィリアの拙い愛撫を嫌がらず、受け入れてくれた。
親しい友人のいないオフィリアにとって、その白猫は気心の知れた唯一の遊び相手だった。
オフィリアと白猫の交友は、オフィリアが六歳になった年、冬の訪れと共に終わった。寄る年波には勝てず、ついに鼠をとることが出来なくなった老猫は、庭師に抱かれて王妃の庭園を去ったのだ。
オフィリアは白猫を見送り、別れを惜しんだ。しかし、引き留めることは出来なかった。
オフィリアは、女王になるべき王女である。公平無私でなければならず、好悪に偏るべきではない。万事について、惑溺して度を過ごすことがあってはならないのだ。
そもそも、白猫の飼い主は庭師である。白猫はオフィリアを嫌わないでいてくれたけれど、庭師の姿を見つけると、オフィリアの手を擦り抜けて、庭師の足にすり寄った。オフィリアが抱き上げようとすると身を捩って嫌がるのに、庭師には大人しく抱かれていた。
オフィリアと離れ離れになっても、白猫には庭師がいる。ちっとも寂しくないだろう。
嫌われ者のオフィリアの慰めになってくれた、優しい猫だった。勤めを終えたこれからは、のんびりと、心安らかな余生を過ごして欲しいと、オフィリアは心から願った。
白猫と離れ離れになると、オフィリアはひとりぼっちになるから、寂しくなる。でも、我慢できるから平気だ。オフィリアには、オフィリアに大きな期待を寄せる母がいるから。
この異母弟には、誰かいるのだろうか。こんなところに閉じ込められた小さな男の子に、愛情をかけてくれる人、期待をかけてくれる人、一緒にいてくれる人。誰か一人でもいるのだろうか。もしも、誰もいないのだとしたら。
「……かわいそうな子」
思わず知らず、ぽつりと呟いていた。オフィリアは、はっとして両手で口を覆う。
異母弟と目が合った。紅玉の瞳がオフィリアを見詰めている。虚ろな目だった。その目を見て、オフィリアはこの子には誰もいない、何もないのだと悟った。
異母弟が小首を傾げると、首枷に繋げられた鎖がぴんと張り、軋るような音をたてた。鎖の片端は寝台の面した石壁に繋がれている。この長さだと、寝台をおりたらそこから一歩も動けないだろう。
血を分けた息子を「あれは母親の腹を食い破って生まれた人喰い王子だ」と言い捨てた父王の、鋭く冷たい横顔を思い出す。
考えるより先に、オフィリアは異母弟の前に跪いていた。その瞳を覗きこみ、問い掛ける。
「はじめまして。私はオフィリア。あなたの姉様よ。あなたのお名前も教えて?」
異母弟は首を傾げたまま、オフィリアを見上げている。僅かな隙間から、首枷に触れる皮膚が爛れているのが見えた。
--この子には、誰もいない。何もない。なんて、かわいそうな子なのかしら。