オフィリア10
王妃に呼び出されたオフィリアは、真夜中の負傷について、すぐに筋道のたった説明をしなければならなかった。オフィリアとミトラシュが秘密の交際を結んでいたことは最早隠しきれない。
オフィリアはやむを得ず、父王の思し召しに背いて『人喰い王子』の許へ足繁く通っていた事実を告白した。
王妃は仮借するところなくオフィリアを叱責した。オフィリアの恐れる言葉がいくつも投げ掛けられた。昨日までのオフィリアならば、悲しみにうちひしがれただろう。けれど、王妃の懐妊と本心を知り、失意のどん底に陥ったオフィリアには、これ以上絶望の余地がない。
父王の寛大な心に訴える手紙をしたためるよう、王妃はオフィリアに命じた。王の寛大な心など、王妃自身も認めていないだろうに。
オフィリアは自身の居室に戻り、父王に宛てた懺悔の手紙を書いた。丁寧に綴る文字列は結局、思わせ振りな、空疎な文字の羅列に過ぎない。なにか感動的な文句で、心にもない謝罪の手紙を結ばなければと考えたとき、オフィリアはふと手を止めた。
巡る継の月、王妃とオフィリアは国使としてブレンネン王国に派遣される。実際に国使としてオフィリアと同行するのは、身重の王妃ではなく、王妃の身代わりをつとめるカミラになるだろう。或いは王妃が懐妊せずとも、王妃本人が国使としてブレンネン王国に赴くことはなかったのかもしれない。
カミラは特別な教育を受けており、王妃の身代わりとして、完璧に振る舞うことが出来る。王妃に代わり、国使としての使命を全うするだろう。そもそも、オフィリアと隣国の王太子との縁談を纏めるのに、王妃が身命を賭して付き合う道理は無いのだ。オフィリアは失敗作の王女である。政略結婚の道具として差し出す他にあまり使い道がない。万一、それまでの道中で落命しても、オフィリアのかわりはいくらでもいるのだ。
ーーもう、馬鹿馬鹿しくて、やってられない
オフィリアは書きかけの手紙を破り捨てた。
それからのオフィリアは、日がな一日、ぼんやりとした虚しさに心身を沈めていた。何事にも集中出来ず、すべてに上の空になり、王妃のお叱りも教師たちの諫言も、異母兄たちの罵詈雑言も、耳に入らなかった。オフィリアに存在を無視されたと腹を立てたレティアズに暴力をふるわれたときも、オフィリアは抵抗しなかったし、反撃もしなかった。生きながら死んでしまったかのように、活力が枯渇していた。
そうして巡る継の月、オフィリアはブレンネン王国へ国使として派遣された。同行するのは案の定、王妃ではなく、その身代わりのカミラだった。旅立ちの朝、王妃はオフィリアを呼び寄せた。
「ベンシィグースの誇りを胸に、高貴なる義務を果たしなさい」
王妃はオフィリアにそう言い聞かせながら、御子を宿す腹部を愛おしそうに撫でさすっていた。もしかしたら、オフィリアを身籠っていた頃もこうして愛撫していたのかもしれないけれど、そうだとしても、オフィリアは母のぬくもりを知らなかった。
思い出すのは、小さなミトラシュの優しいぬくもり。
もし、二度と祖国に帰れないとしたら。そう考えたら、急に可哀想なミトラシュが恋しくなった。
ーーあの子は、私の小さなお日さまだったのね
オフィリアは孤独で、寒さに凍えていた。
ミトラシュのぬくもりを抱きしめたい。ミトラシュの笑顔を見たい。これが最後になるかもしれないなら、せめて、一目会いたい。でも、会えない。二度と会わないと決めたのは、オフィリア自身だから。
クッションを山積みにした馬車の中にいると言っても、断崖を越える過酷な旅路である。オフィリアの内には、心身の疲れが蓄積されていた。侍女たちはしきりにオフィリアの体調を気遣ったけれど、オフィリアは大丈夫と繰り返した。オフィリアはこの期に及んで、何か弱味を見せて面目を失うことを恐れていた。
ヴァロワを発って三日後、国使一行はブレンネン王国に到着した。クローネ王は、カミラ扮する王妃とオフィリアを国賓として歓迎し、丁重にもてなした。
ブレンネンの男は、女性を家畜のように扱い虐げる野蛮人であると、オフィリアは認識していた。クローネ王はきっと、脂の滴る下卑た笑いを浮かべた、羆のような大男で、憐れな女性の首に縄をかけて引き摺りながらのしのしと現れ、玉座にふんぞり返って座るのだろう。などと、おぞましい想像をしていた。
だから、はじめてクローネ王に謁見した際、オフィリアは驚愕したのだった。
ブレンネン国王が銀髪碧眼の男性であることは歴然たる事実である。ブレンネンの教義によると、銀髪碧眼の色彩は『予言者の子孫』であるブレンネン王族のなかでも、銀の神の寵児にのみ授けられる『銀の祝福』であり、ブレンネンが神の加護を賜る証なのだそうだ。
オフィリアはクローネ王の稀に見る美貌と、丈高く肉のしまった身体をじっと見据えた。クローネ王の微笑は上品で、所作は洗練されており、物腰は丁寧だ。女性であるカミラとオフィリアを侮り蔑むことなく、敬意を払っているように思う。
クローネ王はヴァロワ王妃と王女を歓待する宴を催した。ミシェル王妃はおでましにならなかった。クローネ王によると、長いこと臥せっているのだとか。
その宴席で、クローネ王がオフィリアをニーダー王太子と引き合わせた。




