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眠れる理想の怪物  作者: 銀ねも
目覚め
10/27

怪物1(2021.2.26改稿)

 


「生きる」ことは「喰らう」ことだ。


 この身体が初めて喰らったのは、母親だった。


 腹が空いていた。喉が渇いていた。臨月を迎える頃には、我慢の限界にきていた。心臓の鼓動が、阿婆擦れを八つ裂きにしろと囁いた。


 臍の緒を喰いちぎり、柔らかな胎の肉に唇を寄せ、牙を突き立てた。甘やかな血潮が迸る。母の恐怖と苦痛が、胎に抱かれる彼に伝わる。


『痛い苦しいやめてお願い助けて怖い怖い怖い嫌嫌嫌死にたくない死にたくない死にたくない嫌嫌嫌痛い痛い痛い違うこんなの私の赤ちゃんじゃないこんな筈じゃなかった私は陛下に見初められて陛下の寵愛を賜って子宝に恵まれて幸せになれる筈だったのにそうよ私はクロディアス王の宝石を賜る程に愛されていたのにどうしてこんな目に合わなければいけないの死ね死ね死ね死んでしまえ助けてお願い死にたくない私は死にたくないこの化け物を殺して嫌嫌嫌もう嫌ごめんなさいお願い許してもう殺して!!』


 しきりに腹を撫で、猫撫で声を出して我が子に語りかけていた母は、この時になってようやく、胎の子の正体に気が付いたようだった。


 その狂乱は芳しく、その絶望は甘やかだった。恐怖と苦痛の滋味が口腔を満たす。


 肉を齧る。血を啜る。飢えと渇きが満たされる。悦楽は舌から総身を突き抜け、魂を揺さぶる。彼は恍惚とした。


 母の断末魔は、彼の産声をかき消した。


 母は美味だった。


 母を喰い殺して生まれた彼は、四方を白銀の壁に囲まれた、限られた世界を生きることになった。「喰らう」他に為すべきことがない。


 自由ではないが、不自由ではなかった。


 この身体は未だ小さく、脆く、弱い。幼い彼が、単身で狩りをすることは難しい。縦しんば首尾良く獲物を仕留めたとしても「『人喰い王子』は人喰いだ。本当に人を喰らうのだ」と知れたなら、処刑を免れないだろう。母親を喰い殺した『怪物』を飼い殺しにする酔狂な父親と言えども、二度目を看過するとは考えにくい。父親が許しても、父親の取り巻き達が許すまい。


 恐怖も苦痛も感じない屍肉を喰らったところで砂を噛みしめるように味気ない。それでも空腹は満たされる。母の血肉と恐怖の美味は忘れ難いが、それ無しでは生きられないという程ではない。

 雛鳥のように、口を開けて待っているだけで、命を繋ぐ糧を得られる。この世界に囚われていれば「生きる」ことは容易い。


 彼を幽閉した人々は、彼を恐れ、極力接触を避けていた。誰も彼に語りかけないし、教えない。


 彼に語りかけ、教えたのは、彼自身の心臓だった。幼い彼は鼓動に耳を傾けることで、知性と知恵を獲得した。誰に教わることもなく、与えられる物を正しく利用して食事を取り、身体を清潔に保つ赤子を、人々はますます恐れたが、彼は気にしなかった。彼は喰らうことにのみ執着し、他の物事に無頓着だった。


 彼は寝ても覚めても、母の味を反芻していた。追憶を何度も繰り返し手繰り寄せ、残滓を一滴残らず味わい尽くした。


 成長するにつれて、生きる人を喰らいたいという欲求は膨れ上がる。肉塊を投げ入れる手に喰らいつきたいという衝動に駆られる。


 その都度、鼓動は囁く。今は雌伏の時なのだと。


 雌伏の時を経て、彼は真の怪物となる。しかし、欲望の儘、悉く喰らい尽くしたとして、それで彼の飢えと渇きは満たされるのか。


 ーー(かつ)て、暴食、暴力、暴虐を極め、そうして得られる快楽に酔いしれた。しかし、それも久しく続くと食傷してしまう。もっと激しい愉悦が欲しい。獣のように、只管、快楽に耽っていたい。


 彼は屍肉を貪り喰らった。どれだけ喰らおうと、母の味を忘れられない。今一度、生きる人を喰らいたくて堪らなかった。


 やがて来る飽食の時が、あの感動を跡形もなく消し去るとしても。


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