20.湖畔の天使
いつもならば大嫌いな暑さも、今日かぎりは大歓迎である。
「……ごめんね。おそく、なった」
「いやいや。ぜんぜん待ってないから大丈夫だ」
今回は、貧民街の入口での待ち合わせだった。太陽が昇りきり、暑くなってきたところでハクアはやってくる。
純白のワンピースに、つばの広い麦わら帽子を被ったハクアは暑い夏に舞い降りた一人の天使であろう。
「やっぱりハクアは可愛いな」
「そう? ありがとう……」
顔を赤らめたハクアは、もう行こうと俺の手を握る。
「よし。走って……三十分ぐらいかな?」
「余裕。行こ」
俺達は少し準備運動をしてから、湖へと向かった。
前回の様に何ごともなく、という訳にもいかず、道中に二度ほど魔獣と遭遇した。しかし実力差を感じ取ったのか、二体とも逃げて行ったのでそれは良かっただろう。
「ふう。よっし。到着」
「結構、早かったね」
湖に到着した。しかしながら、俺は息を切らしているのにハクアは呼吸が欠片も乱れていない。ハクアとの実力差を感じ取るも、とりあえず忘れる事にする。
「やっぱり。人、いないね」
「周りに魔獣がいるからな。まあそれが好都合だけど」
「うん」
ごはんを食べられるスペースを作り、そこに荷物を置いておく。こんな無防備、貧民街ならば五分後にはなくなっているのだがここには荷物を盗む者はいない。
「じゃあ……着替えて、くるね」
「あ、ああ。ごゆっくり」
荷物を持ったハクアは、木々の陰に移動する。俺は男なのでちゃっちゃと水着に着替えてハクアを待つ。
しかし、仁王立ちでハクアを待っているとソワソワしてしまう。考えるのはハクアの事だ。多分、水着に着替えているのだろう。ハクアはどんな水着なんだろう。気になる。気になってしかたがない。
「グレイ……?」
背後から聞こえてきたハクアの声に、一瞬で振り向く。
そこには、大木から顔だけのぞかせたハクアが遠慮がちにこちらを見つめてくる。
「……恥ずかしい、な。……変じゃない?」
おずおずと木陰から出てきたハクアを見て、……ついに世界に女神が降臨したかと祈りをささげてしまう。
「グレイ……?」
「似合っている。……女神かと思った」
「ん。それは……恥ずかしい」
ハクアが着ている水着は、ビキニタイプのシンプルな物だった。白銀の髪、白い肌を持つハクアとは対照的に大人っぽい黒いビキニ。まだ子どもらしさが残る容姿なのに、なぜか妖艶な雰囲気を持っている。
……というか着痩せするタイプだったらしい。なにがとは言わないけど。
「さーて。泳ぐか」
「うん……!」
これ以上ハクアを直視するとどうにかなってしまいそうなので、目線をそらして湖を見つめる。
湖は広大で、冷たそうだ。動物たちにしか知られていないような場所に、俺は飛び込んだ。
「ん~。冷たく、気持ちい」
「ああ。生き返るな」
森林に囲まれた湖の水は冷たく、夏の暑さでおかしくなった体を浄化してくれるようだった。
「……ふんふん、ふ~ん♪」
ハクアが、めずらしく鼻歌を歌いながらバチャバチャと泳ぐ。その泳ぎは素人目に見ても一級で、美しい。
「よく泳ぐのか?」
「ううん。泳がない。……泳ぐのは……七年ぶり、ぐらい?」
「そ、そうか」
ハクアが今十七歳だから、十歳の頃が最後というわけか。
「……十歳からは……剣と魔法の訓練しかしてないから」
「そうか」
俺はそれしか言えなかった。それぐらいの頃の俺は……遊んでいた気がする。ハクアはその頃から、戦い続けていたのだろう。ハクアがどう思って生きてきたのか分からないけど。……訓練漬けの生活って、楽しいものなのかな。
「まっ、今日は訓練も忘れて楽しもうぜ」
「うん。楽しむ」
ハクアにそう言いつつも、俺も楽しむ事にした。
湖は足が付かないほど深いわけではなく、浅いところだと俺の腰ぐらいまでしかない。
十分に泳いで満喫した俺は、浅瀬で休む事にした。
「グレイー……!」
「うおっ!」
しかし、休む暇もなく背後からハクアが抱き着いてくる。
「えへへ。だーれ、だ」
ひんやりとしたハクアの手によって目隠しされ、耳元でささやかれた。
「……ハクアだろ」
「せーかい」
ぱっと手を放してくるが、俺の心境はそれどころではなかった。
柔らかい。そう、柔らかいハクアの胸が俺の背中に当たっている。俺の背中に体重を預けながら目隠しをしてきたので、俺の背中でひしゃげてその感触に俺の中の狼が火を噴きそうだった。
しかも、ハクアの冷たい体も柔らかく心地よい。多分俺がいるのは天国だ。一足先に天界に来てしまったのだろう。
「グレイ……どうしたの? ちょっと、変」
「いやいや。なんでもない」
俺は慌てて何も感じてませんよと振る舞う。ハクアはその様子に不思議そうにするも、体を離すつもりはないようだ。
というか、自分がくっ付くことによって狼が誕生するなんて思ってもいないのだろう。ハクアは純情な天使だから。
「変、なの」
「ははははは。それより、十分泳いだしご飯でもたべるか?」
そろそろお昼時だという事に目をつけて、慌てる様に誤魔化す。
「そうだね。ご飯に、しよっか」
ハクアもそう言って離れる。なんかさびしい様なほっとした様な変な感じだった。
湖から上がり、敷物の上に座る。タオルで体を軽く拭いただけであるが、この天日の下ならばほおっておいても乾きそうだ。
「今日の、お弁当」
「おっ。美味しそうだな」
いつも通りサンドイッチはあるが、今までと違って具材は野菜だけだ。肉などはいっさい入っておらず、ヘルシーなサンドイッチだった。
そのかわり、ローストビーフがおかずとしてある。
「はい。グレイ、あ~ん……」
「えっ?」
いざ食べようとしたところで、ハクアがローストビーフをさしたフォークを俺にさしだしてくる。
「お、おお。いただこう」
「ん……美味しい?」
「……うん! 美味い」
ハクアから食べさせてもらい咀嚼する。
やはり、ハクアの料理技術は日々進歩しているのだろう。俺が今まで食った中で一番美味い料理だ。
「私も食べたい……な」
「……了解。ほら」
俺も自分のフォークにローストビーフを刺して、ハクアに食べさせる。
ローストビーフはハクアの口には大きすぎたようだが、一生懸命食べるその姿は小動物を彷彿させる。
「グレイと食べると、いつもの五倍。ぐらい……美味しい」
「それは言いすぎじゃないか?」
「ぜんぜん。いつもは……一人で冷たいご飯。食べてたから」
ちょっとハクアの闇を垣間見るが、それは追及しないでおき、慰めるように頭を撫でる。
それに気持ちよさそうにするハクアは、撫でられながらローストビーフをもう一度食べた。
「うん。やっぱグレイがいると、美味しい」
「そうか。……それよりそれって」
「ん……?」
「いや、なんでもない」
ハクアは、俺に食べさせてくれたフォークで食べている。つまりそれは、関節キスではないだろうか。と言おうとするも、やっぱり止める。野暮というものだろう。多分言ってもハクアは気にしない。
その後、食事を終わらせた俺達は並んで日向ぼっこをする。
「……そういえばハクア」
「なに……?」
「日焼けとか大丈夫か? 気にしてないなら良いけど……」
ふと、ハクアの事を見ていると何時間も日差しの下にいる事に気づく。俺はどうでもいいが、ハクアは女の子。肌にも気を使ってるかもしれない。
「魔法、で日差しとかカットしてる。だから、大丈夫」
「なるほど。魔法って便利なんだな」
魔法ともなれば貴族や大商人など、しっかりと教育を受けられる者達しか扱えないものだ。俺とって遠いものであり、なんか良く分からないものでしかない。
ハクアが、戦場で見せた空から雷を降り注がせる魔法。日差しをカットする魔法。さまざまな事が出来るのが魔法なのだろう。ちょっと使ってみたい。
「グレイに、可愛い私。見てて欲しいし」
「そ、そうか。うんうん。ハクアはいつも可愛いな」
「んー……」
ただ、イチャイチャしたり、他愛のない会話。それだけで、なぜか幸せで。……こんな日常がずっと続けばなんて思ってしまうのだ。




