2.ごめんなさい
「……朝か」
外は、まだ薄暗い。しかし、一応朝と呼べるんじゃないだろうか。
慣れないベッドだったのもあり、少しボーっとしてしまう。それと同時にこの数日間の事を思い出していた。
俺が屈辱的敗走をしてから早三日。貧民街は徹底的に破壊されて更地になった。もちろん俺の家も瓦礫とかしていた。
家がなくなるというのは死活問題であるが、ツテをたどって寝床を見つけられたのは幸運だった。
他の連中も生き汚さと、しぶとさでは追随を許さない連中だ。何とかしてると思いたい。俺は戦う事以外は出来ないので、手助けも出来ないから。
「よし。起きるか」
俺は姫騎士に負けてから、早起きを自分に課す事にしていた。早朝から、修行をするためだ。
俺の寝床はとあるバーの二階なので、剣を持って下りる。部屋を貸してくれた家主はまだ熟睡中らしいので、そっと下りて庭に出た。
「……ふぅ」
剣を振る。明け方前の貧民街は痛いほど静かであり、辺りは素振りの音のみが響いていた。
ただ、姫騎士をイメージして剣を振る。
必ず倒す。腹の奥からこみ上げる怒りをすべて糧にする。
ただ、剣を振った。
「兄貴ー! お勤めご苦労さまっす」
ふと、隣から聞こえてきたゴーズの声で我に返る。無心で降っていたが、どうやらもう朝も朝、日が昇る時間帯だった。
「ふぅ。……何か用か?」
「ええ。先日壊された場所を見てきました。兄貴のナワバリは八割方壊滅っすね」
「じゃあ残ってんのはここだけか?」
「そうっす」
俺が今生活しているこの地区も俺のナワバリだ。他の場所に比べると寂れていて立地も悪い。だからこそ、残ったのかもしれない。
「とりあえず元の住人は、この地区で受け入れてもらえる様にしといたっす。無理な人たちは自分のツテでどうにかしてもらったっす」
「なるほど。お前が有能なのは分かった」
昨日の今日でここまでやるとは。こいつは天才と呼ばれる人種だろう。
「じゃあ、俺のナワバリの跡継ぎはお前に任せる」
「……なに言ってんすか?」
「俺は守り切れなかった。負けた奴は責任とって辞任するのが世の道理だ」
「……いや、あれはしかたないっすよ。騎士ですよ騎士。騎士ってつまり国って事っすよ。国相手に一人で勝とうなんて馬鹿な事っす」
……騎士を動かすのは国。確かに、俺は一人で国と戦い、守れなかったと言うのは傲慢かもしれない。
「だが、負けた。負けたって事はナメられるのさ。敗者が上に立っても良い事は起きねえ」
「……でも貧民街で兄貴より強い奴なんていないじゃないすか」
「負けたっていう結果が大事なのさ」
「……なるほど。つまり兄貴は凄いんすね」
どう聞いたらそうなるんですか。頭をからっぽにした様な顔でゴーズはうんうんと納得していた。
こいつ、頭は良いが馬鹿なところがたまに傷かもしれない。
「兄貴が凄いと分かったので見回り行ってきます。不安にしてるガキも多いので兄貴後で安心させて上げてください!」
有無を言わさぬ勢いでまくしたてるとゴーズは去って行った。
「……有耶無耶にされたな」
俺は溜息をつく事しか出来なかった。
◇
ゴーズに言われたとおり住人の様子を見る事も重要だが、俺はそれ以前にやる事があった。
「……ここが。貧民街か」
見るも無残に破壊された。貧民街跡。俺のナワバリであった場所も、瓦礫の山だった。
なにも家と言えるほど高等な物が建っていたわけではない。ただ、ここには沢山の思い出があった。それが全て、崩れていた。
「俺が。負けた結果か」
もし俺が。姫騎士ほど強ければ。守れたかもしれい。
いや、それも傲慢か。神に愛された少女ほどの強さなんてそう簡単に手に入るものではない。
この結果もしかたのない――。
「……あなた、は」
――背後から、声がした。十分に警戒はしていたはずだ。それでも、何も感じなかった。俺はさまざまな疑問を押し込めて振り向く。
「お前はっ。……姫騎士」
背後に居たのは姫騎士だった。
今日も眠たそうな無表情。ただ前回とは違って鎧は着なくて、機能性を重視したような白いワンピースを着ていた。
「なにしに来た」
既に王都を広げる為の土地は確保出来たはず。任務が終わった以上姫騎士がここに来る意味はない。
「……様子を見に」
「なぜ様子を見に来た?」
「あやまり……たくて」
「あやまりたくてだぁ!!」
悲しそうな顔をする姫騎士に、思わず怒鳴り声が出た。
「はっ。それで、姫騎士さんはどうやってあやまってくれんだ? お前らのせいで明日死ぬかもしれん奴らが沢山居るんだぞ!」
貧民街なんて今日の生活すらカツカツで、全員が貧乏人だ。弱肉強食な世界であり、弱者はドロを啜っってでも生き抜く。
そんな中、土地を奪われ、家を奪われたら。受け入れてくれる所だって余裕があるわけじゃない。ゴーズや他の奴らが俺のナワバリの住人だけでもと奔走しているがおそらく無理だろう。
『やっておいたっす』と軽く言っていたが、かなり無理をした上だ。いずれ、追い出された住人は王都で犯罪でもしないと生きていけない様になるかもしれない。それが、騎士達の残した結果だ。
「……ごめんなさい」
苛立ちを持って姫騎士を見ていれば、泥だらけの地面に手をついて頭を下げていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。……ごめんなさい」
「……姫騎士」
綺麗な銀髪が汚れる事も構わず、ただ地面に頭をこすりつけてあやまり続けた。
何かに脅える様にあやまる姫騎士はただの少女の様で、とても騎士とは思えない。
「……くそっ。くそがっ」
地べたに膝と手と頭をつく少女を見て、どうにもならない様な感情が湧き出てくる。
仇敵が頭を下げて誤っている。それは非常に気分の良い話のはずだ。頭を踏みつけて、もっと謝らせてもいいかもしれない。
でも、そこに姫騎士はいなかった。罪悪感で押しつぶれている少女しかいなかった。
「死ね。死んで詫びろ」
もうどうすれば良いか分からない。だったら簡単だ。命をもって詫びてもらえばいいんだ。
俺は剣を抜いた。地面にしゃがんだ姫騎士の首に剣を突き付けた。
「このまま首を掻っ切る。それでいいよな」
「はい…………」
「お前は今から死ぬ。罪と恨みを背負って地獄で生きるんだ」
「分かり、ました……」
姫騎士は微動だにしない。姫騎士の実力ならばこの状況から簡単に逆転できるだろうに。
頭を下げて、謝るだけだ。生きようという気概が感じられない。こいつの中に、感情がない。
「怖く、ないのかよ」
「……私は。死にたい」
簡単に吐かれた言葉は、何より重く感じた。
その一言に乗った感情が重すぎるからからか。姫騎士はいったいどんな人生を歩んできたというのだろう。
「……一つ聞きたい。お前は、望んで貧民街を破壊したか?」
「命じられたからやった。望んでやるなんて、ありえない……」
その言葉には強い意志を感じた。
思い返せば、家を壊したのも人に魔法を撃ったのも騎士だ。これを命じたのも国であり、姫騎士は俺と戦った事ぐらいだろうか。
一緒に居たなら同罪、止めなかったのなら同罪なんて言えたら楽だったかもしれない。しかしそれは、男じゃない。
「立て」
「え……?」
「立て。お姫様に地べたは辛いだろ」
「……どういう、こと?」
困惑した様な顔で、俺を見てくる。
「ひとまず、生かしておこう」
「でも。……私がやった事は、」
「そう。許しはしない。だからお前の望みは叶えてやらない。罪と恨みを背負って生きろ」
「そ、っか。分かりました」
「……俺は、お前を許さない」
姫騎士の罪を許すことはしない。だが、この少女の罪は他の騎士に比べて軽いだろう。
だから殺しはしない。生かしておこう。
「俺は、お前に負けた事、忘れてないからな。次は絶対に、勝つ。そしてその時、お前を殺してやろう」
「うん……」
「正々堂々倒して、その時お前の罪を親切丁寧に教えてやる。そうして自分の罪を存分に自覚して、死ね」
「……分かり、ました」
負けた事なんて何度もある。俺はそのたびに雪辱を果たしてきた。今回だってそうだ。
王国最強、果てには世界最強とまで言われている姫騎士に勝つ。もしここで姫騎士の望みのまま殺したとして、俺は俺を一生許さないだろう。
負けを負けのままにはさせない。勝って、その上で殺してやる。
「次会った時はお前の最後だ」
「……うん。――分かった」
「じゃあな。姫騎士! 首を洗って待ってろ」
「まって……」
瓦礫の山を踏み超え、今日あった事を整理しながら帰ろうとすると姫騎士に引きとめられた。
「あなたの、名前を教えて?」
「俺の名前? ……俺の名はグレイ。ただのグレイだ」
「私は……ハクア。グレイに殺される、まで。ずっと罪を背負って生きる」
「そうか。ハクア。その言葉、忘れるなよ」
ハクアの誠意は受け取った。許さない。謝罪もうけとらない。でも罪を償うというならば、いずれ許してやる時がくるのかもしれない。
「だから私を、殺しに来て――」