16.レインクルト・G・クリスタの思案
クリスタ王国第一王子。レインクルト・G・クリスタ。
文武両道、才色兼備。次期王としての期待を背負う男。国中の女子の憧れの存在だ。
家族思いでもあり、グリシャが姉と同じように好きな人だ。そんな人の元に、グリシャは飛び込んだ。
「レイン兄様。ハクア姉様についてご相談が」
「おや。グリシャじゃないか」
執務室で忙しそうに書類に何かを書いているレインクルトは、突如として扉を開けて飛び込んできた妹に微笑みながら歓迎した。
「そこに座って良いよ」
「は、はい」
忙しそうだったのに、突然襲来した妹にソファーを進めて、紅茶を入れてあげる。
「あ、ありがとうございます」
グリシャはレインクルトが淹れてくれた紅茶を一口飲んだ
美味しい。それが最初の感想だ。これは、もはやプロ級なのではないだろうか。兄の才能に驚かされながら、グリシャは息を整える。
「それで、ハクアについてだったっけ?」
「は、はい。ハクア姉様が、最近とある男に会いに行ってるという事をご存知ですか?」
「もちろん知っているよ」
「そうでしょう。知らなかった……知ってるんですか!?」
兄も知らないであろうという前提で話を進めようとすれば、まさか知ってると言われて思わず大声を上げて驚く。
「どういう男かもご存知ですか?」
「そこまでは知らないけど、王都の下町に住んでるような人かな?」
「な、なぜそこまで?」
「ハクアが王都に良く遊びにいくは知っていたから、あとは予想。多分、周りにいない様な男のところに行ってるんだろうなって。多分、この前噂でながれた戦場でハクアと共に戦っていた人だよね」
「そうです……」
兄の予想はほぼ当たっている。訂正するところがあるとすれば下町ではなく、貧民街の住人であるという事だろう。
「知っているなら、なぜ止めないのですか? 相手は姉様ととてもじゃないけど釣り合いません!」
「ハクアがその人を好きならば、止める事ではない」
「姉様に釣り合わないという事が大事なのです!」
姉と釣り合う男なんてそういない。
たとえば、大国の王子。公爵家の跡取り。勇者の家系。最低限あの男ではない。せめてなにか力を示さなければ。
「……僕はハクアを助けてあげられなかったから、恋愛は好きにさせてあげたい」
「助けてあげられなかった……? それより、恋愛ですか?」
「ハクアはその男に惚れてるんだろ?」
「そ、それは……」
グリシャとしては断じて認めたくはないが、たしかにあの姉の目は恋する乙女の目だ。しかし、あんなよく分からん男に姉が恋するはずがない。絶対に騙されている。
「くっ、確かに……ほ、惚れていると思います」
「じゃあ良いじゃないか」
「し、しかし姉様があの男を好きになる理由が」
姉は凄い。世界最強レベルで強く、美しく、孤高だ。そんな姉はなぜ貧民街の男なんて好きになったのだろう。理由が分からない。
「はは。そりゃ……からっぽだったハクアを、人にしてくれたから。じゃないかな」
「からっぽ……?」
姉も先ほど言っていた事だ。しかしグリシャにはピンとこない。
「ハクアは優しい子だ。そんな子が、力を持ったからといって戦う事も人を殺す事も出来るわけがない。三年前。それぐらいからハクアは自分の閉じ込めた。そうしないと、戦えなかったからね」
初めて人を殺してしまった時だろう。その時からハクアは自分の心を奥底に閉じ込めてからっぽになった。
そうしないと戦う事に耐えられずに心を壊していただろうから。
「姉様は……戦う事が出来なかった……?」
「グリシャは。ハクアが好きなようだけど、ハクアの表面しか見ていないんじゃないかな? 本当のハクアももう少し見てあげたら?」
兄の言葉を聞いて、グリシャはかるい混乱に陥る。
今まで、グリシャの中の姉は気高い孤高の戦士だった。たった一人ですべてを守る姉に憧れた。でもそれが……とても無理をして作り出した像だとしたら。
「ハクアは優しい子さ。戦う事は向いてない。でもハクアはたった一人で戦い続けている」
からっぽの兵器。それがハクアだ。何も考えず、何も感じず、ただ戦う少女。ハクアはからっぽなんだ。
「それに、ハクアは終わらない悪夢を見続けているんだ」
「悪夢……ですか?」
「ああ。三年前から。ハクアはずっとね」
王子として、夜遅くまで仕事をしているレインクルトは、たまにハクアの部屋の前を通る事がある。そのたびに、灯りが点いている部屋を見た。うなされている様なハクアの声も聞いたし、永遠に「ごめんなさい」と言い続けるハクアの声だって聞いた。
「人を殺した責任に耐え切れず、悪夢を見ているのさ」
「し、しかし。姉様が殺した者は凶悪な犯罪者や、侵攻してきた敵国の兵です。なにも気に病むことは……」
「その程度で割り切れるほど合理的な子じゃないよ。優しいんだから」
虫も殺せない様な少女だ。人を殺した時の罪の意識はどれほどか。それも何千と殺した。
「からっぽになって戦い続けて、毎晩悪夢を見ていたハクア。でも、最近はよく笑う様になってない?」
「……確かにそうです。姉様が笑うなんて三年ぶりぐらいだと思います」
初戦を華々しい活躍で飾った時から、ハクアは笑わなくなった。
「恋をしたら、人って本当に変わるんだ。本当に、兵器だったハクアが最近は恋に生きているでしょ?」
「……朝早くからお弁当を作ったり、最近だと服のレパートリーが少なくて悩んでいたり、何かを思い出したかのようにとろける様に笑う姉は初めて見ました」
「はは。もうハクアは恋する乙女。僕はハクアの恋を止めない。逆にお礼を言いたいよ。ハクアを助けてくれてありがとうってね」
望まぬ戦いを一人で続けてきた少女を救った男。
からっぽだった少女は恋をして変わった。
「まあ、僕はもっと力をつけて、ハクアを戦わせはしない」
「良いんですか?」
「ハクアは戦う必要はないし、一人で戦わない方が良いんだ」
「……?」
「ハクアが戦っていた方が都合のいい者によって、ハクアは戦わされている」
そもそも、国の防衛を一人に頼るというのは愚策だ。もしハクアがいなくなればあっという間に瓦解する。
「僕はハクアを戦いから救いたい。でも、本当の意味で救えるのはその人なのかもね」
「レイン兄様……」
ハクアに近づく悪い虫を退治してもらおうと来たのに、なぜか心変わりしていた。
姉が望まぬのにたった一人で戦っている事を知った。からっぽになってまで戦っている事を知った。それを、救ったのがあの男であるという事も知った。
「……姉様は、あの男が好きなのですか」
「うん。もし、無理やり引きはがそうとしたら、ハクアは本当に壊れてしまうだろうね」
「なぜですか?」
「からっぽだったハクアは恋をして変わった。からっぽだったから、その中には男でいっぱいだ。もし引き合はそうとすればそれは出来ないし、ハクアが初めて国に牙をむくかもしれない」
言ってしまえば依存しているのだろう。グレイの側でのみ安心できる。グレイは助けてくれる。
ハクアにとって王宮には自分を戦わせ様とする人がたくさんいて、戦場にはハクアを殺そうとしてくる人がたくさんいる。
ハクアにとって、グレイはずっとさまよっていた砂漠で見つけたたった一つのオアシス。そこしか休めないのだ。
「しばらくは、見守ってあげよう」
兄の言葉に、グリシャは頷く事しか出来なかった。