卒業式典
卒業式典当日は、快晴だった。
二部構成の式典は、午前に行われる一部では正式な杖の授与と月神殿出身者である身分証の交付が行われる。
大講堂で神殿生や教官や司祭、職員がただ静かに時を過ごす。
厳粛な雰囲気の中で、式典は執り行われていた。
「この月神殿での数年間、十数年間は、かけがえのない物でした」
壇上に立つ首席の声は、講堂の中央に浮かぶ拡声器から拡散されていく。
「ともに切磋琢磨した兄弟達、温かく、厳しく指導をしてくださった先生方……」
淀みなく言葉を紡ぐ壇上の首席は、サリエルだった。
壇上の彼は、とても毎度いたずらをしては教官に怒られている者と同一人物とは思えない。
その様子を、レイチェとリオウは隣同士で眺めていた。
「内申点で減点されてるはずなのに、首席とは」
「とびぬけてるからねぇ」
ちなみに卒業する神殿生は30名程。
その中で、平均的な成績は二人も上から数えたほうが圧倒的に早い。
「リオウは身体さえアレなら首席も狙えたのになぁ」
体育、体術実技、杖術実技。それらのみで彼女を見れば、下から数えたほうが圧倒的に早い。その代わり、座学や魔術実技など体力筋力に左右されにくい科目では、彼女は常に上位五人の中に入っていた。主席のサリエルを抜いて一番の科目もある。
一方レイチェはまさにその逆というべきか。体育、体術実技、杖術実技の科目ではサリエルを抜いて一番。けれど座学や魔術実技では、下から数えたほうが若干早い程度の実力である。
魔術と体術を合わせた混合武術では、いつも大体レイチェ、サリエル、リオウの三人で一位を取り合っているような状態だった。
「レイチェルは、まじめに勉強すれば狙えたと思うけど」
「いや、俺魔力低いし」
最終的には魔術がものをいう魔術師の世界だ。魔力の低い者はあらゆる面で不利になる。
「月神殿はそもそも魔力高すぎる人間が多いのよ。レイチェルだって一般的な魔術士のもつ魔力くらいはあるんだから」
そういうリオウは、魔力の高いものが多い月神殿内においても高いと言わしめる魔力の持ち主だ。
「でも俺さぁ」
「ん?」
おもむろにレイチェが言った。
「軍だろうが何だろうが、戦いの中で魔術や魔法を使うことを期待されるわけじゃん」
「まぁ、魔術師だからね」
何を当たり前なことを、とリオウが少し呆れたような顔をする。
「俺、そんなややこしいことするより、杖でぶん殴りたいんだよね」
その方が早いし強いと思う。
そう言い切ったレイチェに、思わず噴き出したのは、周囲で黙って話を聞いていた卒業生達だ。
こほん、と誰かの咳払いで皆が姿勢を正す。
「魔術師向いてないわね、それは」
今度こそ呆れた顔で、リオウが言った。
「お前たち、うるさいんだよ」
席に戻ったサリエルは、二人に笑いながら言った。
堅苦しい一部の式典も後半になってきた。
周囲も多少砕けた雰囲気だった。
「え、聞こえてた?」
さすがにそれはマズい、とレイチェが焦った顔をする。
「いや、耳には入ってこなかった」
「あぁ、心の声が」
「お前たちの声は良く聞こえるな」
騒がしい、そんなことをサリエルは言う。
「心外だわ」
リオウが言う。
「あぁ、そうだな。リオウは確かに静かではあるか」
「え、俺一人でうるさくしてるの」
それはそれで……とレイチェが落ち込む。
「お前たちは俺を目の前にしても構えないから、だだ洩れなんだよな」
そう言って低く笑う。
読心のサリエルを前に、平常心でいるものは少ない。多かれ少なかれ警戒してしまうのが常だ。一部の教官や司祭は、どう読もうと試みても読めない者もいた。そういう一部の人間以外は、サリエルを避けがちだった。
サリエルは読心を任意に使いこなすことができる。だから、不用意に人の心を読みはしない。それがわかってもなお、ほかの大勢は無意識に構えてしまうのだ。
この二人は、全くそれがない。
無防備にサリエルに近づき、話しかける。
初めのころは面食らったものだ。
そうして次の驚きはすぐに訪れる。
「レイチェは特に、考えていることをそのまま口に出すんだもんなぁ」
裏表が、ないのだ。
隠し事はする。嘘もつく。
けれど、話す言葉に、態度に悪意も害意もない。
なにより、読まれても構わない、と二人が思っていてくれていた。
それがわかった幼い日。
今でも鮮烈なほど覚えている。
霧が晴れたような、世界が広がったような。
二人につられて、周りの神殿生も距離が近くなっていった。
そして、今ではこの月神殿に残ろうと選択するほど、この場所が居心地のいいものになっている。
「ねぇ、サリエル」
「なんだ、リオウ」
リオウは少し意地悪そうに笑う。彼女の言いたいことなど、すぐに分かった。
「私たちの声がよく聞こえる理由ってさ」
「皆まで言うな」
恥ずかしい理由だ、とても。
彼らの声はまっすぐに心に届く。
裏表がない、なんて、彼らの側の要因だけではない。
望んでいるのだ。
無意識に耳を澄ませてしまう。
彼らの声を聞きたくて。
「言うなよ」
全く、読心などないリオウに見透かされるとは。サリエルは頭を振った。
「ほら、立つぞ」
小さな声での無駄話をしていると、あっという間に時間が過ぎる。
起立、と掛け声がする。
「ただいまより杖の授与と、身分証の交付を行う」
席を立ち、順に並ぶ。
壇上には大司祭が立った。
少しずつ進む列に、皆緊張と期待を胸に抱える。
今までの練習の仮杖とは違う。
自分と一生を共にする杖をもらうのだ。
「リオウだけ二本杖だな」
「うるさいなぁ」
腕力もないリオウは、片手で振るえる短い二本の杖が与えられることになっていた。
50年以上前から一本杖が普及し主流となっている今、非常に物珍しい。リオウは杖を使う度、好奇の目で見られていた。しかしこればかりはどうしようもない。
「レイチェ」
大司祭の口からレイチェの名が呼ばれる。
「君の混合武術や杖術については良く話を聞いていたよ。一度杖術を見たときには、こんなにも素晴らしい術者がいたことに驚いたものだ。……君は、何百人のたくさんの者は守れないかもしれない。けれどきっと、大切に思う誰かを守り抜き慈しむことができるだろう」
一人一人に声をかけながら杖を渡す。
この時ばかりは誰もふざけたりはしない。
レイチェも黙って杖を受け取り、深々と頭を下げた。
今までの杖より少し重たい。
「とても、価値のあることだよ。何百人を守るより、もしかしたら、きっと。誇りなさい。自分にその力があることを」
「――はい」
再度一礼をして、壇上を降りる。
「サリエル」
「はい」
「君は月神殿に残ってくれると聞いた。とてもうれしく思う。君の稀有なその才能をいかんなく発揮できるよう、こちらも頑張らなければならないね」
「もったいないお言葉です」
「在学生に悪いことを教えるのもほどほどにね」
「はい」
少し茶目っ気のある大司祭の言葉に、笑いながら返事をする。
「リオウ」
「はい」
リオウと大司祭の目が合った。
「とても、変わったね。此処へ来たばかりのころとは、別人のようだ。きっとこれからも成長し変わっていくだろう。君にはまだ、たくさんの選択肢がある。忘れないでほしい」
「はい」
少し目を伏せる。
大司祭は少し小声になった。
「お義父さんには振られてしまったよ、慰留をお願いしたけれど」
「すみません」
「彼はあれで危なっかしい。よろしく頼むよ」
静かに、リオウ以外には聞こえない小さな声で、大司祭が言った。小さく笑みをたたえて。
リオウも黙ってうなずいた。二本の白い杖を受け取る。
「この、杖にかけて」
顔を上げた彼女も、小さな笑みを浮かべた。
「大司祭様もお元気で」
「あぁ」
壇上から降りるため、大司祭に背を向ける。
静かに壇上を降りる。振り返りはしない。
皆が、そうだ。
神殿生として守られる時期は、この時をもって終わったのだ。
だから、決意を込めて、彼らは振り返らない。後ろ髪などひかれない。
すべての卒業生に杖が渡され、皆元の席へと戻ってきた。
「これにて卒業式典第一部を終了します」
窓から見える空に、風に乗った花弁が舞う。
空は青く、澄んでいた。