カインの部屋にて
カインが警備の仕事を終え自室へと戻ると、リオウが床に座っていた。
「椅子も寝床もあるのに、なんで床なんだ」
思わず突っ込みを入れる。
「それと、こんな夜更けに忍び込んで。夜這いか何かか?」
義父さんは悲しいぞ、いや、嬉しいかもしれない。
そう一人で盛り上がってみるが、リオウからは良い反応を引き出せない。いつもなら冷たい視線の一つでもくれそうなものだ。
「どうした、リオウ」
膝を抱えて座り込んでいる彼女は、真剣な表情でカインを見つめる。
「本当に、良いの?」
短く、彼女はそう言った。
それが何を指しているのか、カインにはわかる。
「俺は構わない。月神殿に未練はないよ」
彼女もまた、カインが月神殿を離れることに疑問を持っていた。
「場所に未練がなくても」
後ろ髪をひかれるものが別にあるのではないか、と彼女の眼は問いかける。
夜よりも暗い、けれど輝きのある黒曜石のような瞳。
「どのみちもう無理だ。わかっているだろう」
「まぁ、そうだけど」
「大丈夫。魔術を使えばすぐに戻ってこられる」
「そうね」
そう、肯定しながらも不満そうな顔を見せる。
「昔みたいに旅をしよう」
カインが明るく言った。
「君がまだこんなに小さくて、不愛想で、無口だったころ以来の、旅だ」
月神殿に来る前のことだ。
何年前のことだろう。
「お義父さんは――カインは、あまり変わってないわね」
「そうだね」
にこにこと笑みを浮かべるカインは、幼い日の記憶のままだ。
「その髪の色、相変わらず似合わない」
栗色の髪を指さす。
さらさらとした髪は、けして違和感のあるものではないが。
どこか違う、とリオウはいつも思っていた。
彼にはもっと、似合う色がある。
あぁ、とリオウはため息をつく。
体勢を崩す。
「レイチェル達に嫌われるわ」
「なんだ、それで落ち込んでいたのか」
「それも、よ」
カインが心配だった。
けれど、自分のことでも悩んでいた。
「ほかの教官の手前、就職先を偽造したけど」
彼女はここから少し離れた町の研究所で働くと、そう周囲には言ってあった。
実際には、彼女はどこへも就職などしない。
予定として立っているのはしばらくのカインとの旅だけだ。
「リオウが普通の旅なんてできないからな」
そうするしかなかった。でなければ疑われてしまう。
リオウは飛びぬけて魔力が高かった。その魔力量は月神殿でも上に数えるほどしかいない。
けれど。
魔力の高い魔術師は、総じて身体が弱かった。
肉体を必要としない精霊に、より近い存在であるからだともいわれている。
実際は、身体の構成物質の一つである鉄が、魔力と反応しているためらしい。
魔術師は鉄が苦手だ。
個体差はあるが、おおむね魔力が高いものほどそれは顕著に表れる。リオウなどは、鉄に触れれば触れた部分が焼けただれてしまう。
その鉄が、体内に存在する。
知らぬ間に身体は傷つく。魔術師たちは多かれ少なかれその傷を負い、意識下無意識下によらず、その傷を魔力で修復をすることになる。
魔力をうまく扱えない子どもは、命を失うこともあった。
傷つき修復を繰り返す身体は、頑丈には育たない。
リオウもその例にもれず、身体が非常に弱かった。
旅など、本来であれば考えられないほどに。
だからリオウは、カインと旅をする、とは言えなかった。
友人たちに隠し事をしてしまった。嘘を付いてしまった。
それが彼女を悩ませていた。
「リオウがそうやって悩む時が来るなんて、正直思っていなかった」
幼いころの彼女は、人形のような子どもだった。
笑いもせず、怒りもしない。感情などない、人形。
奪われすぎた彼女は、そうでもしなければ自分を保てなかった。
彼女に残った最後のもの。
自分を奪われないために、彼女は一度、感情を捨てた。
その彼女が、今こうして悩んでいる。
友達に嫌われたくない。そんな、誰しもが抱える悩みを持っている。
「ここに来たかいがあったな」
嬉しそうにカインが言う。
「会ったときに謝ればいい。機会はいくらでも作れるだろう」
「でもその時には、また嘘を重ねるわ」
「多かれ少なかれ、皆そうだよ」
慰めるように、カインはリオウの頭をなでる。
「悪意のある嘘じゃない。だから、神様も許してくれるさ」
「私、神様なんて嫌い」
拗ねたようにリオウは言った。
本当に、感情が豊かになったものだ。
「レイチェ達だって、そんなことで友達を辞める奴らじゃない。わかっているだろ」
「……うん」
リオウが頷く。彼らは本当に仲が良かった。
月神殿の者は、皆が皆家族のようなものではあるが。
幼いころから親と離れ、神殿に籍を置く彼らにとって、教官や司祭は親であり、神殿生は兄弟だ。その結束は固い。
「まぁ、あんな悪ガキどもとつるんで欲しくはなかったが」
リオウは特に、サリエルとレイチェと仲がいい。いつも三人で行動していた。
サリエルとレイチェは、優秀な一面もありつつ――優秀がゆえに、規則に縛られない奔放なところがある。
日々おとなしく規則を守りながら生活していたリオウに、良くも悪くも、彼らは多大な影響を与えていた。
「気に入ってるくせに」
毎度怒られても懲りずに楽しいことを探求し続ける彼らは、魔術師の本質を地で表すようで、好ましく思う者は多い。
カインもその一人だ。
「さぁ、もう部屋に帰って寝なさい」
明日の朝は早い。
式典は大忙しだ。
「そうね。これからレイチェ達と約束もあるし」
そう言って、リオウは立ち上がった。
今は、夜中だ。
風に揺れる木々のざわめきと、虫の声しかしない、夜中だ。
その事実に思い至ったカインは、ドアに向かう娘に声をかける。
「待ちなさい、リオ……」
その声が部屋に響いたときには、リオウは扉の向こうにいた。
「就寝時間過ぎてるから……」
いや、言いたいことはそういうことではない。
「みんなと話すだけよ」
そう言い残して、扉は閉められた。
レイチェとサリエルだけではない。
在学生たちも含めて談話室で皆と過ごす。そんな話を小耳に挟んではいた。
「うん、まぁ……そうだわな」
自分を基準に考えてはいけない。
彼らは純粋な子どもなのだ。
そう、本当に。
まだ小さな子どもなのだ。