賭け試合
始まりの合図に、リオウが杖を握る。両の太ももに装着された白い杖を抜くと、高らかに打ち鳴らした。舞台上に白銀の陣が展開される。
「月よ導け」
その声は凛と響いた。白銀の陣が光を増す。
「させるわけないだろ」
魔術詠唱を始めるリオウに、青年が距離を詰める。
魔術を発動させる前に片を付けようという算段なのだろう。
「こっちの台詞だよ、お兄さん」
その間に立ちはだかるのは、茶色の長杖を構えたレイチェだ。
「月よ導け」
黄みの強い金色の陣が、レイチェの杖の周りに展開される。
「炎の民よ。汝の力を我に貸し与えんことを」
短い詠唱を終えるかどうかの瞬間に、レイチェの長杖と青年の膝が交差する。
鈍い振動が杖を通して伝わってくる。
同時に熱風が頬を撫ぜた。
青年は素早く後ろへと距離をとる。
煌々と燃え盛る炎の塊が、杖の先端に灯されていた。
「炎の魔術か」
「効率いいので」
一度灯された炎は、自然に消えることはない。炎の魔術は魔力消費の少ない、効率的な魔術とされていた。
戦いで多用される魔術型の一種だった。
「まぁ、魔術よりこっちに集中したいからなんですけどね」
長杖を振りかぶる。
「近接戦闘型の魔術師か」
振るわれた杖を青年がいなす。
すぐに反撃のための拳を繰り出すが、レイチェも難なくこれをよけた。
「なるほど動きがいい」
「そりゃどうも」
「だが」
「でも」
二人は一瞬動きを止める。
レイチェの脇を銀の光が通る。
「私を忘れるなよ」
女が言った。
レイチェは女と青年に向かって笑う。
後ろの事など見ずともわかる。だからレイチェは、安心してその銀の光を素通りさせた。
リオウの前に展開された無数の陣に、女の投げた短刀が阻まれる。
カラン、と金属の音が響いた。
レイチェと青年は再び距離をとる。
白銀の陣は輝きを増していた。
リオウは左右に二本の短杖を持ち、空中に展開させたままの無数の陣に片方の杖をかざす。
「行け」
無数に放たれる炎の塊に、足元から突き上げる土の棘。風は空を切り裂き、水は弾丸となって青年と女を襲う。
「これは、中々」
顔の見えない二人組が、また笑ったように思えた。
「レイチェ!」
リオウが号令をかける。
嵐のような空間を縫って、レイチェが二人へと迫る。
が。
「っ、戻れ!」
リオウの言葉に、レイチェは素早く後ろへ下がる。
嵐は過ぎた。
逃げ場のない舞台の上。二人がどれだけ強くとも、怪我の一つはしているはずだ。
高等魔術だった。四元素の精霊を一度に呼び出し、精霊同士の力を削がないよう使役する。現役の魔術師でも、こう簡単には出来はしない。
月神殿の神殿生の中でも、この術式が使えるのは最高学年の数人だろう。
そんな、とっておきの技だ。
けれど、目の前の現実に二人は顔をこわばらせた。
「傷つくわー」
対して感情のこもっていない声でリオウが呟いた。現実を受け入れがたかったのかもしれない。
目の前の二人は、先ほどと同じ場所に立っていた。
服が少々汚れてはいるが、顔も隠れたまま、傷一つない。
「いや、驚いた」
女が言った。
「こっちのほうが驚いとるわ」
その言葉に、レイチェは思わず素の口調が出てしまう。
普通、驚くでは済まない魔術なのだ。
明確に人を傷つける意思を持った魔術。
それを驚いたの一言で済ませてしまわれるのは、矜持が傷つけられるというものだ。
「レイチェ」
「油断はしない」
リオウの呼びかけに、前を向いたまま応える。
油断できる相手ではなかった。
身のこなし一つ。短刀の投擲の威力と正確さ。
それらは今まで相手にしてきた者たちとは一線を画していた。
相手がどれだけの力量なのか。今までも短い間で、少ない手数で、レイチェ達は憶測してきた。強い相手もいた。弱い相手もいた。
けれど。
この二人に関しては、その憶測すらもできない。
この男はまだ腰に刀をぶら下げたままで、女の方は弓を舞台の端に置いている。
つまり、本気など全く出してはいないのだ。
そのうえで、実力が図れないと感じることに脅威を覚える。それはつまり、相手が自らとはるかにかけ離れた位置にいることを示しているからだ。本気でない今の状態で、相手との力量差がすでにかけ離れたものであるならば。本気の彼らは一体どれほどのものなのだろう。
「レイチェ、今のうちに叩こう」
「おう」
相手が本気を出していない今、それが唯一の道といえるだろう。
リオウも、レイチェも、それしか道がないことはわかっていた。
その力量にどれだけの差があるとしても、負けてやるつもりはなかった。
「月よ導け」
リオウは陣を再展開する。
「負荷をかけるわ」
「おう」
短いやり取りで、互いのやりたいことがわかる。リオウは展開した陣をレイチェに向ける。背後にいるリオウに応えるように、レイチェも背後に陣を展開した。
リオウの陣からレイチェの陣へ。
光が混ざり、やがて溶ける様にレイチェの身体へと吸収されていく。
炎が灯されたままの杖を強く握った。
レイチェは地面を蹴って距離を詰める。
相対したのは女の方だった。
青年の前に出る。
手にした短刀でレイチェの杖を受けた。瞬間。
「っ!」
女は舞台の端まで飛ばされた。先ほどとは明らかにレイチェの腕力が上がっている。
空で一回転して危なげなく着地する。
そのまま前に駆け、反撃に出る。
「強化魔術ってやつか」
そう話しかけながら、ためらいなく短刀を突き出す。
ためらいなく。けれど正確に急所を外しながらの攻撃だった。
手を抜かれている。
魔術で強化したこの身体でなお、この女の相手足りえない。そういうことだろう。
杖と短刀がふれる。
「ぅえ!?」
その瞬間、はじかれたのはレイチェだった。押し負けたのだ。
レイチェは空に飛ばされる。
「リオウ!」
「あいあい」
その合図にリオウは風を起こす。
無事に着地すると、レイチェは思わず叫んだ。
「化け物だ!」
興奮気味に言葉を並べ立てる。
「リオウに強化された俺が!力で負けた!すごい!」
すごくないか、とリオウを振り返る。
その表情は嬉々としている。改めて女をみるレイチェの眼差しは尊敬のそれだ。
「うん、すごいけど……女性に『化け物』はどうかと思う」
「あ」
リオウの冷静な返しにはっとする。
「……ご、ごめんなさい」
女に向かって頭を下げる。
女は一寸の後、少し戸惑ったような様子を見せる。
「え、あ、あぁ。気にしていないよ」
少し距離のある舞台の端と端で、奇妙な雰囲気が漂う。
穏やかな、どこかほのぼのとした。
「悪いけど」
「他所でやってくれ」
穏やかな雰囲気に、固い声が割って入る。
リオウと青年は、レイチェと女が戦っている間からずっと、傍でにらみ合いを続けていた。
どちらも動かない。否、動けないでいた。
すでにいくつもの陣がリオウの周りには展開されている。あとは杖をふるうだけだ。それだけで強力な魔術が発動できる。
けれど攻撃態勢に入っているのはリオウだけではない。
男もまた、何かをしようとしていた。
リオウと青年の距離はそれなりにある。だから、たとえ刀を抜かれても攻撃は届かない。
けれどリオウは何かを感じ取って、動けずにいた。
「レイチェを助ける隙をどうも」
「……怪我をされれば寝覚めが悪い」
「ここに立っている時点で、多少の怪我はお互い了承の上。それに、月神殿のこと、知らないわけではないでしょう」
戦いの場で気を使われていることに腹が立った。けれど青年にとって、二人などその程度の評価なのだろう。リオウが腹を立てたのは、リオウ自身にだ。
「それより仕掛けてこないのか」
「そちらこそ」
それは、わざと作られた隙。けれど唯一の好機であるのも事実だった。
ためらいなく、リオウは杖をかざした。
男は何も握られていない右手を左の腰へ。そのまま右手で刀を抜くような動作をした。
瞬間。
風が止んだ。
「うそ……」
リオウの放った魔術は、確かに発動し、男を襲った。
水の魔術だ。相手を押し潰さんとする水の塊。単純な魔術ゆえに魔力に物を言わせた強力な魔術だった。
「無効化された……」
青年に水がふれる瞬間。男が腕を動かした瞬間。
水が掻き消えた。
「いや、違う」
リオウは自分の言葉を否定する。
確かに水は、水の精霊たちは彼を襲った。
けれど。
「斬られた……?」
行きついた結論は信じがたいもので、けれど事実に変わりはない。
冷たい、と観客から声が上がる。
一部だけ、雨が降った後のように濡れていた。
「加護持ち……?」
「ご名答」
青年が平坦な声で答えた。
魔力を持たない者が生まれついて、あるいは後天的に精霊に愛され加護を受けることがある。水面を歩く者、火を噴く者。
基本的に一つの属性にのみしか愛されず、加護の形は様々だが利点は多い。
術として使用できるような複雑なことはできないが、通常必要とされる魔術の陣も詠唱も必要ない。鍛錬を積めばこうして戦いの場で使用することも可能だ。
「俺にできるのは斬撃を飛ばすことくらいだ」
「十分な脅威ですよ」
呆れたようにリオウは言った。
そうでなくても十分に強すぎる相手だ。そのうえ、加護持ちとは。
「あちらも加護持ちですね」
そう言って女を指す。女の筋肉量ではありえないほどの怪力。それは彼女も加護を受けている可能性を示していた。
「あぁ、地の加護持ちだ」
「なるほど」
得心が言った、とうなずく。
「さて」
「続きと行きますか」
謎は解けた。ならばすべきことは悠長なお喋りではない。闘いだった。
リオウは上へ飛ぶ。青年に無数の石礫を放つ。
それらを難なく避け、粉砕し、青年は反撃に移ろうとする。すかさずリオウは、小さな火種を青年に落とした。
その火は粉みじんになった塵に引火し、瞬間的に爆発を起こす。
その爆発をかき消し、青年はリオウに向かって斬撃を飛ばす。
上へと意識を向けた青年にレイチェが躍りかかる。阻んだのは女の短刀だった。
誰もがその戦いに魅せられていた。
歓声は止み、固唾を飲んで闘いを食い入るように見つめる。
今までの戦いが遊戯に見えるほど、今行われている戦いは苛烈で、鮮烈で。
何より舞台に立つ四人が楽しんでいるのがわかった。
徐々に押されるレイチェとリオウも、時折笑みをこぼし、笑いあう。
いつまでも続くかと思われた、いつまでも続いてほしいと望まれたその戦いは、唐突に終わりを告げる。
閃光と轟音が舞台に落ちる。
雷だ。
正確には、魔術による人為的な落雷。
リオウとレイチェの顔が強張る。女と青年から距離をとり、次に来るだろう衝撃に備えた。
「お前たち!」
怒気をはらんだその大声に、二人は肩をすくめる。
それは聞きなれた声だった。
リオウもレイチェも、サリエルも。そして観客たちも。
「最後の最後まで何してる!」
舞台中央へ降り立ったのは、杖を持った男だった。年の頃は20代に見えるが、実年齢は40近くだということをその場にいるほとんどが知っている。
背面に月の文様があしらわれたその服は、彼が月神殿の関係者であることを示していた。
「か……カイン先生」
レイチェとリオウは身を寄せ合う。
彼は、月神殿で教官をしている。レイチェ達にとって非常になじみ深い人物である。
カインが口を開く。
「怪我でもしたらどうするんだ!レイチェはいいが、リオウ!こんなことして……義父さんは、義父さんは……」
怒ったと思った次の瞬間には、カインはその目に大粒の涙を浮かべていた。
「心配したじゃないか!怪我でもしたらと思ったら……」
「……お義父さん」
リオウが呆れたような声を出す。
「俺はいいんすね」
レイチェも、いつものことながら突っ込まずにはいられない。
「お前は別にいい」
冷たくカインは言った。
担当教官の言葉とは思えない冷たさだ。
「公私混同は良くないと思いまーす」
レイチェがそう呟くが、そんな言葉などカインは意に介さない。
彼は、リオウという義理の娘「だけ」が大切な、超絶親バカなのだ。
この町では誰もが知っていることだった。
リオウのそばにいるために難関の月神殿の教官の地位を勝ち取り、数々の反対を押し切りリオウの教室の担当教官になったのは有名な話だ。
そして彼は、リオウの卒業と同時に、その職を辞するらしい。
教官として、魔術師として非常に有能な彼は、月神殿側に残って教員を続けるよう強く慰留されたらしい。けれど、彼はそれを断った。
曰く。
「リオウのいない世界など無価値。リオウのいない職場など地獄」
とのことだ。
そんな彼が、賭け試合などという低俗かつ危険なことを、許すはずがなかった。
毎回、見つけ次第試合を中断させては、悪ガキ三人を神殿へと連れ帰るのが恒例となっていた。
そして、神殿で過ごす最後の休日。
卒業式典の来賓を迎えるため、カインは町へと出ていた。
そこで偶然か必然か、賭け試合を目撃してしまったのであった。
「しかし」
対戦相手の二人を見て、カインが呆れたようにため息をつく。
「サリエルのやつ……とんでもない相手を探し出したものだな」
対戦相手の二人に向き直る。
「生徒の遊びに付き合わせて申し訳ありませんでした。ナギ様、ミナト様」
そう言って頭を下げる。
ナギとミナト。
カインは二人を知っているらしい。
「ほら、リオウ、レイチェ。お前たちも」
舞台に上がってきたサリエルと二人も、慌てて頭を下げた。
「す、すみませんでした」
そうは言いながらも、相手の正体がわからない。
問うようにサリエルを見る。
「明日の卒業式典の来賓だ」
「え。じゃあ偉い人じゃん」
「聞き覚えないわよ」
カインの後ろでこそこそと小声で話す。
「最近力をつけてきた冒険者ってとこだ。双頭鷲の騒ぎがあっただろ。あの討伐に多大な貢献をしたとかで……」
月神殿では、卒業式典に功績をあげた冒険者たちを呼ぶ習わしがある。
そこで出会った者たちが一緒に旅をする仲間となることも珍しいことではない。むしろ月神殿では推奨していることだった。
強い冒険者との旅は、魔術師を大きく成長させる。
何より月神殿が輩出した魔術師が偉業を成し遂げる場に居合わせたなら。月神殿の権威は強固なものとなるだろう。
「ちなみに試合前のごめんと全力でやれ、ってのの意味は」
カインと二人が話している間に、サリエルに尋ねる。
あぁ、とサリエルが答える。
「実は、ナギ様とミナト様に声かけたときにさぁ」
後姿のカインを指す。
「カイン先生もいたんだよ」
いやー、まいったよ。
そう、あっけらかんとサリエルが言う。
「じゃあ、カイン先生知ってたのか」
「あぁ、拝み倒して試合はさせてもらったんだが」
最後だから、とサリエルは頭を下げた。そこまでのことは、リオウとレイチェには言わない。
「時間制限を設けられてな。短い時間だ、悔いのないように全力でやってほしかったから」
「……最後だから」
「そ、最後だから」
頷く。
「ちょっと待て。じゃあさ」
はた、とレイチェが気づく。
「俺たち、なんで怒鳴られたの」
制限時間まで設けて、いわば許可が下りていた試合だったはずだ。
なのに、叱られた。
「さぁ。最後だから?」
首をかしげる。
「何でもかんでもそれで済ますな」
サリエルをレイチェが軽く小突いた。
「あ、いて」
お返しとばかりにサリエルもレイチェを小突く。
「うわ、ちょっと」
ふらついたレイチェがリオウにぶつかる。
そこからは、三人がやったりやられたりの応酬だ。
舞台の上で、三人がじゃれあう。
「お前たち」
すぐに、冷たい声が降ってくる。
説教されたばかりだということを、三人はすっかり忘れていた。
観客からは笑い声、ナギとミナトは、顔は隠れているが苦笑いしていそうな雰囲気だ。
そして。
三人に満面の笑みを浮かべるカイン。
いっそすがすがしいほどわざとらしいその笑みに、自らの運命を知り、三人は身を寄せ合った。
「反省しろ!」