後悔
脅威が去った後。
月神殿はにわかに騒がしくなった。
被害状況の確認や国や他神殿への報告、警備体制の見直し。
急いでやるべきことが山積みだった。
大司祭は力を使ったことによる極度の疲労で床に伏している。
負傷者は数多くいたが、死者はノエル一人だけだった。
忙しい最中を縫って、ノエルの追悼が月神殿をあげて執り行われた。
行方不明者も幸いおらず、魔物や竜が襲撃したという割に被害は小さかった。
光の御子たる大司祭の存在もさることながら、新たに名乗り出た東の魔王の存在が大きく影響したことは否めなかった。
東の魔王が魔物を一掃していなかったならば、事態の収拾にはさらなる犠牲が必要だっただろう。
結局のところ、レイチェやミナト、ナギの奮闘など些細なことで、及ぼした影響など微々たるものだった。
「レイチェ、お前はほんと過小評価が好きだな。普段明るいくせに落ち込むときはとことん落ち込む」
思考を巡らせていると、見舞いに来たサリエルが呆れた声でそう言った。
「勝手に聞くなよ」
「駄々洩れなんだって」
レイチェ達三人は、疲労や怪我の治療という名目で、三人で客室の一室を貸し与えられていた。
月神殿中が忙しない空気の中、この一室はいたって静かだった。
「レイチェル、改めて言うが、お前が予知したおかげで初めの犠牲者はいなかった」
サリエルは皮をむいた果物を差し出す。
レイチェは黙って受け取った。
「お二人と一緒に戦ってくれたのも大きい。下級生は助けられたし、一部の魔物の注意がお前たちに逸れた」
サリエルの言葉を聞き流しながら、果物を咀嚼する。
対して味は感じなかった。
「魔王を名乗った有翼亜種が、お前たちの方に気を向けたのも幸いだった。あのままでは、光は闇に侵されていただろう」
聞く話によると、有翼亜種は大司祭の光を壊すそぶりを見せていたのだという。そしてその時、有翼亜種は闇の力を発現させていた。
有翼亜種は、東の森の魔王ではなかったかもしれないが、確かに魔王の資格は持っていたということだ。
そんな有翼亜種の意識がレイチェ達に向いたのは、サリエルの言う通り幸いだった。
「少しでも役に立ててよかったよ」
寝台に腰かけて話を聞いていたナギが言った。
「お二人は本当に……レイチェ達を助けてくれたこと、感謝します」
レイチェが最後まで生き残れたのは、彼らの助けがあったからだ。
「私達だって、レイチェに感謝してる」
彼の予知に助けられた場面など数えきれない。
互いがいなければ、生き延びられなかった。
「リオウと、カイン、と言ったっけ。彼にも」
二人の名が出ると、部屋は静まり返った。
「あの二人は、どうなった」
寝台に横になったままのミナトが尋ねる。
彼は、腕こそつながったものの、多量の失血や治療による体力消耗でろくに動けないでいた。
「あの二人は」
サリエルが、少し言いづらそうに口を開く。
「生存者にも、死者にも、行方不明者にも、名前は上がっていません」
「え」
「どういう、ことだ」
三人は当惑した顔をする。
「彼らは、あの場に居合わせなかった」
サリエルが言った。
「そういうことに、なるようです」
東の森の魔王と名乗ったカインは遠目からは全く別人に見えたことだろう。髪の色も、瞳も違う。見慣れた月神殿の服も着ていなかった。
リオウに至っては姿も確認できたかどうか、というところだ。
一瞬で有翼亜種を細切れにしたとき、光の中からはその姿を見ることはできなかった。
カインの腕の中にいたときには、服に覆われて見えない状態だった。
だから、リオウをはっきりと見たものは少ない。
「レイナたちの記憶はすでに改ざんした」
数少ない目撃者であるレイナたち下級生には、速やかに魔術が施された。忘却の魔術だ。
リオウの存在を完全に消すためと、彼女たちの受けた恐怖を和らげるため、記憶を曖昧なものにしたのだ。月神殿では脳に干渉する魔術も研究が盛んだった。記憶をなくすなど造作もないことだった。
「あなた方は、外の人間だ。他言しないと誓約書に一筆頂けるなら、記憶をいじりはしません。契約書はもちろん魔術的な効力を持つものです」
破れば何らかの不利益が生じる。呪いのようなものだった。
「レイチェも、書いてもらう」
「あぁ」
それは納得している。記憶を消されるくらいなら、何枚だって書くつもりだ。
「書類はここに。中を読んでそれぞれ署名をお願いします」
それだけ言って、サリエルは椅子から立ち上がる。
「仕事が残っているので、これで」
「ありがとな」
忙しい中、見舞いに来てくれたサリエルに、レイチェが声をかける。
「また、来る」
振り返ったサリエルの表情は少し硬い。
「ごめん、レイチェル」
「わけわからん謝罪と感謝の言葉は聞き飽きた。あと、レイチェルって呼ぶな」
「そうか」
リオウやカインにも、何に対してかわからない「ごめん」や「ありがとう」を言われた。
それが、何に対しての言葉かわからずに、レイチェはずっともやもやしたものを抱えていた。
それ以上の言葉を重ねることなく、サリエルは部屋を出ていった。
レイチェはため息をつく。
寝台に力なく倒れこんだ。
――無力だ。
リオウ達が去ってから、ずっとそればかりを考えていた。
ナギの表情も、ミナトの表情も、どこか固い。
あの時、何ができただろう。
立てかけてある自分の長杖の横に、細くて白い短杖があった。リオウの落としていったものだ。
もっと力があれば、あるいは。
リオウを苦しませずに済んだ。
悲しい顔をさせずに済んだ。
――人で、あり続けようと……この期に及んで思うなど。
そう言ったリオウは、ひどく冷たい顔をしていて。ひどく、悲しい顔をしていた。
――愚かだわ。えぇ、とても、愚かだったわ。
そんなことはない、と。
あの時言えたらよかったのに。
「俺が、弱かったせいだ」
そう、口にしたのはレイチェではなく。
「彼女を追い詰めた」
ミナトだった。
彼女の命を守ったミナトは、彼女の何かを守れなかった。
そのことがただ悔やまれる。
「私たちは、万能ではない。できないことだってたくさんある。失敗もする」
ナギが慰める様に言った。
「でも、取り返しのつくことだって、たくさんある。たくさん、ある」
それは自分に向けての言葉だった。
広くはない部屋に、沈黙が落ちる。
三人を包むのは生き延びた喜びでも、達成感や高揚でもない。
胸に穴が開いたような。
柄も知れない虚無感だった。
もう夕暮れが近い。
赤みを帯び始めた太陽に照らされた部屋で、うなだれる三人の姿があった。
しばらく誰も、口を開かなかった。




