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竜騎士詰め所にて

 南ノ国の王太子はその鋼色の瞳をはっきりとアマリーに向けて言った。


「貴女の濡れたドレスをどうにかすることが先決だ。ーー竜に乗って、今すぐ詰め所へ向かう」


 竜にーー?

 アマリーとカーラはぎょっとした顔を見合わせる。こんなものに乗れるとは到底思えない。

 後方でアマリーを見守る西ノ国の兵たちにも、動揺が走り、ざわめきが起きる。アマリーを襲っている恐ろしい事態に、皆同情を禁じ得ないのだろう。


「今度こそ竜に乗っていただこう。リリアナ王女、来てくれ。その侍女もお連れしよう」


 王太子の命を受け、竜騎士の一人がカーラの手を取る。

 だがアマリーは微動だに出来なかった。

 王太子はなかなか竜に近寄ろうとしないアマリーに苛立ちを隠せないらしく、腰に手を当て、かかとを立てて忙しなく地面につま先を打ち付けている。

 彼は鞍の支度を終えてアマリーが乗るのを待っているのだ。

 アマリーは王太子に近寄った。


「竜ならその詰め所まですぐにつけるのよね?」

「その通りだ。どんな騎馬より速く、お連れしよう」


 確かに馬よりは速いのだろうけれど。

 アマリーは少し後ろにいるカーラを見た。

 彼女も分かるか分からないかの小さな頷きを返してくれた。

 竜はアマリーたちを見下ろし、時折呼吸に合わせてグルグルという唸り声を立てている。

 その巨大な生物の与える圧迫感に気圧され、本音を言えばこれ以上近づきたくない。

 でもここから先は南ノ国だ。

 他所の国の王女であるアマリーが、今逆らっても仕方がない。南には南の隊列のやり方があるのだろう。

 郷に入っては郷に従えというではないか。

 アマリーがなかなか動かないでいると、王太子は露骨に不機嫌そうに顔を曇らせた。


「さあ、時間がない」


 アマリーはようやく重い足を上げた。

 竜の背につけられたの鞍は、形だけは馬のそれと似ていた。王太子に手を取られ、竜の背に上って横座りすると、膝から下に竜の脇腹が当たる。それはとても硬く、ゴツゴツとしていて岩のようだった。思わず足を上げて当たらないようにしてしまう。

 アマリーの後に続いて王太子が竜の背に跨ると、アマリーの腰の周りに王太子の手によって無言で素早くベルトが回される。

 アマリーは所在なさげに視線を彷徨わせた。

 カーラもほかの竜騎士によって、竜の背の上に座らされている。

 しっかりしがみついていてくれ、とだけ言うと王太子は服の下から何かを取り出した。

 それはネックレスの先に付けられた、小さな円筒状の物だった。

 王太子はその金色の円筒の端を笛のように咥え、軽く吹いた。

 高い音が辺りに響く。

 するとそれを合図に竜が立ち上がり、鞍が嘘のように揺れた。振り落とされるのではないか、と全身に緊張が走り、必死に鞍にしがみつく。

 竜が立ち上がったこの高さから落ちたら、骨の一本や二本簡単に折れそうだ。

 やがて風を鳴らして竜が両翼を広げた。筋張ったそれは、数回動かすだけで周囲の木々を爆風でしならせる。

 そして竜が二、三歩前進したかと思うと、次の瞬間にはアマリーたちは地面から浮かび上がっていた。


(飛んでいる! 空を飛んでいる……!)


 アマリーたちを乗せた竜はぐんぐんと飛翔し、頭上にあったはずの森の木々は、今や眼下に見下ろせた。

 足の下に地面がないというその感覚に、腰から下の力が抜けてしまう。手の力だけが頼りで、それすら上手く力が入らず、我武者羅に鞍を握っていると、後ろから声がした。


「いかがかな? これが竜の世界だ」

「……は、話せない……」

「リリアナ王女?」

「手に集中したいから、答えられないの!」


 全身に力を入れて、振り落とされないようにすることで精一杯だ。話すどころか聞くゆとりすらない。

 耳のすぐ後ろで、短い笛の音が数回聞こえた。

 王太子があの笛を吹いたのだ。すると、アマリーたちを乗せた竜が突然、羽ばたくのをやめ、滑空を始める。


「いやーーーっ!!」


 上空を滑るようにおりていく。

 お腹の中が持ち上がり、スーっとした感覚に襲われ、身体が更に脱力してしまう。鞍を掴む感覚が徐々に失われていく。

 気が遠くなる。

 まるで死の世界へ飛び込んで行くようだ。


(落ちる! 死ぬ!! もうだめ!)


「危ない!」


 王太子は驚いたようにそう言うと、鞍から離れかけたアマリーの手を握って鞍に戻した。

 危ないなら降ろしてよ! と言いたいがその力もない。

 足元に見下ろす森の木々はぐんぐんと過ぎ去り、波に浮かぶように揺れる竜の背は、空気という川を渡る船のようだった。

 やがて深い森の木々が疎らになり、少しずつ景色が変わっていった。

 細く低い木々が増えると、穏やかな川が見えてきた。川の向こうは緑深い草原になっていた。


「もうすぐジェヴォールの森を出る」


(もう森を抜けたの!?)


 本当に竜は速いのだ。

 アマリーは移り行く景色に目を見張る。

 竜の背に乗ったまま川を越えると、アマリーは見渡す限りの草原と疎らに生える木々を見た。

 草原を抜けて林に入ると、点々と小さな家並みが現れた。

 人が住む所に来れたと、緊張が少し和らぐ。やがて家並の背後に、灰色の石造りの大きな建物が見えてきた。

 こちら側に弧を描いて建ち、窓が少なく一切飾り気のないその形状はまるで要塞のようだった。

 アマリーたちを乗せた竜は、要塞の上で幾度か旋回すると、王太子の笛に合わせて降下した。

 竜が地面に足をつき、お尻を下ろすと、水平だった鞍が突然急な角度になり、アマリーはそこから滑り落ちそうになった。

 王太子は素早く手を回し、アマリーを背後から抱きとめた。

 全身を抱きしめられたアマリーは、内心では叫びそうなほど焦ったが、網にでも引っかかったと思うことにした。

 王太子の手を借りて竜の背から下りると、後に続いてきたカーラと互いに駆け寄り、二人で抱きあった。

 無事で、本当に良かったと心から思える。

 アマリーたちは身を寄せ合ってその建物を見上げた。


 間も無く別の竜騎士とともに、南ノ国の女官も到着すると、アマリーたちは女官の案内で建物の中へと通された。

 女官はアマリーたちを従えて無言のまま、暗い廊下を進んでいく。


「あの、貴女をなんと呼べば良いのかしら?」


 表情筋が存在しないのかと思えるほどニコリともしない女官に話しかけてみる。

 彼女は能面のような無表情さで口を開いた。


「シシィと申します。南ノ国でのリリアナ様のお世話をさせていただきますーー何なりと」

「ここが竜騎士隊の詰め所なのよね? シュノンはまだ遠いの?」

「はい。シュノンはここより更に南にございます。まずはこちらでお召し替え下さいませ」

「ええ。そうね……」


 色々と聞きたかったが、何なりと、と前置きをしてくれた割には、シシィはアマリーたちとの会話を遮断する取っつきにくい雰囲気を醸し出していた。

 歩きながら内装を見渡せば、石造りの建物は内部の壁や床も灰色で、冷たく大変質素に感じられた。

 心細くて目を彷徨わせてしまったが、王女らしく堂々としていなければ、と思い直して背筋を伸ばして視線を下ろさないように気をつけて歩いた。


 シシィはアマリーとカーラが着替えられるよう、新しいドレスを準備し、ふかふかの絨毯が敷かれた小さな部屋に案内してくれた。

 カーラとようやく二人きりになるとアマリーは声を落として急いで話した。


「カーラ、大変なのよ……。リリアナ王女を攫おうとしたのは王女の元恋人の近衛騎士かもしれないのよ!」


 アマリーは部屋の扉を気にする素振りを見せてから、男と二人になってから馬車の中で起きたことをまくし立てた。


「キスまでされたんだから!」


 ポケットから取り出して指輪を見せると、カーラは困惑顔で指輪を摘み上げ、目に近づけて観察した。


「内側に文字が書かれていますね。アーネストよりリリアナへ。ですって。ーーアーネスト……?」


 二人は顔を見合わせた。

 どこかで聞いた名だ。アマリーはあっと声を上げた。


「覚えていないかしら。王女の部屋の本に愛の詩が書いてあったでしょ? その差出人が確かアーネストだったわ」


 カーラは一瞬キョトンとした後で、ギョッとしたように目を見開いた。


「まさか……!」

「あの本は元恋人から貰ったものだったんじゃない? 王女様のとんだ『内緒と秘密』よ……!」

「でも一体なぜ隊列を襲ったのでしょう……」

「彼は王女に振られたようなことを言っていたの。納得していなかったんじゃないかしら」

「王女様を奪おうとしたのでしょうか? なんて怖い男でしょう。ちょっと……信じ難いです」


 アマリーは濡れたドレスを握り締めた。指の隙間から、水が溢れて滑り落ちる。

 王太子が現れなかったらどうなっていたことか。

 窓の外を見やれば、異国の見知らぬ景色だ。

 途端に心細さで心臓が縮こまる。

 リリアナ王女のもとに駆けつけ、色々と問い詰めてやりたい心境でいっぱいになった。



 濡れたドレスを脱ぎ、新しいドレスに袖を通すと心底ホッとした。

 乾いているって素晴らしい。

 部屋にある鏡に自分の姿を映してみると、あることに気づく。


「このドレス、胸回りが随分開放的ね……」


 アマリーの鞠のような胸の膨らみと、深い谷間がバッチリと見えてしまっている。


「あの男爵が喜びそう」

「……それってアマリー様に求婚されてた成金男爵のことですか?」

「勿論よ」

「本物の王女様の体格によっては、結婚後に南の王太子様はガッカリされるでしょうねぇ」

「……そ、そういうものかしら……」

「そういうもんです。ーーそもそも王太子様がお迎えにいらしたのが誤算でしたね」

「そうなのよ。私、王太子の前で既に色々やらかしてしまったの」


 思い起こせばマズイことだらけだ。


「王太子のお腹に足をワザと強く当てちゃったし……」

「それ、お腹を蹴ったっていうんですよね?」

「そういう表現もあるわね。それに、藪にハマって喚いてる醜態も見られたわ」


 すっかりリリアナの印象が悪くなってしまったかもしれない。

 眉をひそめながらカーラは語気を強めた。


「アマリー様がリリたんに成り切らないからですよ。南の人達の前ではよろしくてよ、で押し通せば良かったじゃないですか」

「だって、馬鹿だと思われるじゃない!」

「リリたんは馬鹿なんだから仕方がないじゃありませんか」


 だが王太子は馬鹿だと思う女を妃に選ぶだろうか?


「でも黙っていたら、リリアナ王女が選んでもらえないわ」

「その謎の使命感はどうかと思いますよ」


 最終的に二人の結婚が決まれば、二億バレンが手に入るのだ。一億と二億では、全然違う。

 それにーーサバレル諸島はどうなる?

 リリアナが王太子に気に入られなければ、国防に関わるかもしれないのに。

 リリアナのフリをして祝典に参加するだけのはずだったのに、あまりに早い王太子との遭遇に、どうしたものかとアマリーは頭を抱えて嘆いた。






 乾いたドレスに着替えて部屋を出ると、シシィはアマリーたちを客間に通すと、熱い茶を出してくれた。

 ここへ来て、喉が渇いていたということに初めて気がつく。客間の暖炉には火がくべられ、暖かかった。

 季節は晩春で、肌に柔らかな風が吹く気持ちの良い季節ではあったが、雨に濡れ続けたアマリーには、この暖炉の火が大層ありがたかった。

 リリアナ王女の恐ろしい恋人のせいで、風邪を引くところだった。

 シシィは茶受けとしてなのか、丸い皿のような形状の大きなクラッカーに似た焼き菓子を出してくれた。

 アマリーが手を出すのを躊躇し、観察していると、シシィは淡々と説明をしてくれた。


「南ではどこでも見かける食べ物です。トースといいます。小麦粉とオリーブ油をベースに焼き上げたもので、一日に一枚は食べます」


 手に持つととても軽かった。表面はぼこぼことしており、焼きムラがあったがそれもまた味わいがある。

 試しに一口頂いてみると、ハーブの濃厚な風味が口一杯に広がった。

 生地に数種類のハーブが、ふんだんに練りこまれているようだ。表面にまぶされた粉チーズの塩梅(あんばい)がまた絶妙で、齧り始めると意外にも止まらず、顔ほどの大きさがあるのに一気に食べてしまった。

 所々厚さにも違いがあり、サクサクしたりドッシリしたり、色々な噛みごたえが楽しめるのも一興だった。

 食べ終わると、ハーブの味に代わり、濃厚で新鮮なオリーブ油のとても良い香りが、鼻腔に残る。

 あっという間に平らげたアマリーを見て、ほんの少しシシィは誇らしげだった。


「トースには様々な種類がございます。砂糖をまぶした甘いものや、オレンジを練りこんだもの、アニスを混ぜたものなど……。ご滞在中に、ぜひお気に入りを見つけて下さいませ」


 今までのところ不安しかなかったし、アマリーは南ノ国に長居するつもりは毛頭なかったが、シシィの助言に少しほっこりとした。

 簡素な布張りのソファに腰を下ろしてカーラと二人で喉を潤していると、俄かに外が騒がしくなった。

 続けて廊下をバタバタと数人が走る音が聞こえ、客間の扉が開かれる。

 息を切らせて現れたのは王太子だった。

 アマリーは飲むのをやめて、カップをソーサーに戻す。


「リリアナ王女。西ノ国の外務大臣が見つかった。今我が国の兵たちがこちらに搬送している」


 思わずソファから立ち上がり、ルシアンのそばに駆け寄る。


「オデンは無事なの?」

「足を負傷されてはいるが、軽傷だ。ただ、ひとつ問題がある」

「何かしら?」


 王太子によれば、オデンは足に怪我をしてしまい、竜に乗せることはできなかったのだという。

 その為馬車で国境を越え、近場のこの詰所を目指している最中らしいのだが、アマリーたちがここでオデンの到着を待っていると夜になってしまうのだという。


「ここで外務大臣を待たずに先に我々だけでシュノンに向かうか、それとも大臣の到着を待つかーーその場合は、今夜はこの詰所に一泊することになる……どちらをご希望か?」


 どちらかを選べというのか。ニセモノでしかないのに。

 それは難しい選択だった。


 それに西ノ国の王女を迎えるために、恐らくシュノンでは数多の人々が準備に追われているはずなのだ。その先のエルベでも。

 これ以上遅れて彼らのスケジュールを台無しにするわけにはいかない。たとえニセモノでも、アマリーの遅れは今や、たくさんの人を巻き込むのだ。

 何より、西ノ国側の不手際で南に迷惑をかけたくない。

 けれど正直に言えば、アマリーはここでオデンを待ってあげたかった。

 オデンは彼女を守ろうと隊列を飛び出して森に分け入ったのだ。

 第一、リリアナ王女に置いていかれてしまったら、オデンも外務大臣としての沽券にかかわるのではないか。

 そう考えてアマリーは返事を待つ王太子に言った。


「大臣なしにシュノンへ行くことは出来ないわ。彼は南ノ国について、一番詳しい西の官僚よ。ーーご迷惑をお掛けするけれど、こちらに一晩滞在してもよろしいかしら?」

「勿論、結構だ。それでは、外務大臣どのの到着を待とう」

「……我が国の大臣を捜索してくれたこと、深く感謝します」


 するとここで初めて王太子がそれまでずっと被っていた銀色の兜を外した。

 サラリと薄茶色の柔らかそうな髪が流れる。

 顔全体が露わになると、彼は出会った当初よりも幾らか若く見えた。それに、緩く波打つ短い髪は、優しげな印象を与えた。


(ええっ、予想以上……! 随分綺麗な顔なんじゃないの……)


 兜で隠して、竜に乗って飛んでしまうなんて勿体無い、とアマリーは思ってしまった。

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