南ノ国の迎え
カーラや他の兵たちとは間もなく落ち合えた。
一行は南ノ国の他の竜騎士たちとも既に合流しており、襲撃を受けて負傷した一部の兵たちは竜騎士からその場で手当を受けていた。
全部で四頭の竜が周囲にいて、大人しく木々の陰に座り込んでいる。
竜を見たことがなかった西ノ国の隊員達は一様に、竜を遠巻きにして信じ難いといった表情で見上げていた。
アマリーが皆の元へ戻ったことに気づくと、カーラは一目散に駆け寄って来た。
「ご無事でよかった!!」
西ノ国の兵隊長は震えて真っ青になりながら、警備の不備を詫び、アマリーに頭を下げた。彼は馬車を奪った男たちについて詳しく聞きたがったが、南ノ国の王太子の前でまさかリリアナ王女の元恋人かもしれないなどとはとても言えなかった。
兵隊長が竜騎士たちに礼を言うと、王太子は片手をヒラヒラと振って、聞き流した。
だが外務大臣のオデンが見当たらなかった。
どうやらオデンは足に傷を負った状態で、騎乗して必死にアマリーを追いかけ、はぐれてしまったらしい。
オデンを探しに行こうと西ノ国の兵たちが支度をし始めると、王太子が硬い面持ちで言った。
「ジェヴォールの森に長居は危険だ。なるべくはやく出たい」
王太子は竜の背につけられた革製の鞍のようなものを何やら結び直していた。
彼は顔を上げると竜騎士と西ノ国の兵隊長に矢継ぎ早に指示を出した。この場で指揮をとる資格が己にあると一片も疑わぬその堂々とした態度に、皆は素直に従った。
「竜騎士部隊を二隊に分ける。私は国境を越えて王女をシュノンまでお連れし、残る隊は西ノ国の大臣を探す」
王太子はアマリーを一瞥してから兵隊長に言った。
「この先東南方向に王女を攫おうとした男が瀕死で転がっている。賊の捜査は我々の仕事ではない。お任せする」
竜騎士たちは森の中とは言え、西ノ国側の領土に踏み込んでいるのだ。
一刻も早く出たい、という無言の主張が透けて見えた。
西ノ国の兵隊長は数名に命じてアマリーを連れ去ろうとした男を捜しに行かせた。
残る兵たちと竜騎士たちとともに、仕方なくアマリーたちは国境まで向かうことになった。
襲撃された馬車をどうにか仕立て直すと、アマリーたちは再びそこに乗り込んだ。
だが西ノ国の王宮から連れてきた馬たちは、初めてみる竜の姿に恐れをなし、興奮状態にあった。
馬達はなかなか御者の指示通りに動いてくれず、快適な旅とはとても言えない状況だった。
隊列がほんの少し円滑に進み始めた頃。
アマリーたちを乗せた馬車が林の中で、ガクンと急に上下に揺れ、止まった。
嫌な既視感のある事態だったが、車窓を見ると特に誰かに襲われているわけではなかなかった。
どうやら降りすぎた雨のせいで、道が泥濘み、馬車の車輪がはまってしまったようだ。
兵たちが駆けつけ、アマリーたちを一旦馬車から下ろすと馬車を総掛かりで押し、泥濘みから出そうと汗だくになった。 しばらく押し引きを試みたものの、効果があまりないと判断した王太子は、竜の首と胸に綱をかけ、それを馬車と繋いだ。
西ノ国の兵達は顔色を失ってひたすらその様子を心配げに眺めている。南ノ国の王太子は一体、竜に何をさせる気なのだろうか、と。
竜の首を撫でる王太子の側ににじり寄ると、アマリーは思い切って尋ねた。
「竜に馬車を引かせるの?」
「馬より遥かに力があるので。こんな所でお待たせして申し訳ない」
大きな翼とゴツゴツした大きな身体の竜に馬車を結びつけると、なんだか馬車が小さくてオモチャのように見える。
アマリーはこのまま竜が羽ばたいて、馬車を空へと引いていく光景を思い浮かべた。まるで童話の中の一幕のようだ。
「南ノ国では、もしかしてこうして馬車で空の旅もするのかしら?」
すると王太子は作業の手を止め、アマリーを振り返った。
その鋼色の目が見開かれ、そのすぐあとに怪訝そうに言った。
「まさか。リリアナ様は面白いことを仰る」
「あ、あら、そうかしら。ーーそうね、馬車が着地の時に壊れてしまうわね」
しかし、竜は確かに頼りになる生き物だ。
恐ろしい見た目をしているが、馬よりよほど便利だ。
ジェヴォールの森で木々をなぎ倒した姿を思いだす。もし戦地に竜がいて相手をしなければならないとしたら、生身の人間などひとたまりもないだろう。この竜一頭で一個隊など軽々全滅させてしまいそうだ。
西ノ国は隣国北ノ国との衝突のたび、竜騎士の創設を渇望してきた。今本物の竜を目の当たりにすると、そのことが大いに納得できた。
北と西は長年に亘り領土争いが絶えない。
とりわけ近年、北ノ国は両国から互いに等距離にあるサバレル諸島の領有権を、声高に主張している。
アマリーは目の前の巨体を爪先から、角が生える頭の天辺まで首を仰け反らせて見上げた。
こんな巨体の竜が複数もいれば、島から北の兵たちを追い払うことなど、造作も無いように思える。
そういえばファバンク家の屋敷の中のどこかに、竜を描いたタペストリーがあった。
火を口から噴いて、山を切り開いていた構図だった。
「あの……火を噴く竜も南ノ国にはいるのかしら?」
すると王太子は苦笑した。
「残念ながらいない。……どうも西ノ国では竜についてかなり誤った情報が広まっているらしい」
屋敷にそういうタペストリーがあったの、と言おうとして慌てて口を閉じた。
これはリリアナ王女が見たものではない。
「……耳から光を放つ、とも聞いたことがあるわ。あれもただの伝説なのかしら?」
王太子は少し考えるそぶりを見せてから、答えた。
「それは半分事実だ。ーーこの、竜の耳の付け根をご覧頂きたい」
そう言いながら王太子は竜の耳の付け根付近を指さした。長く大きい耳の根元には、透明な鱗の様に輝く石がまるでピアスのようにハマっていた。
「竜珠だ。生まれた時より、全ての竜が左右の耳に持っている」
アマリーは耳を見ようと少しだけ竜の側に寄った。
竜珠については西ノ国でも有名だった。
竜珠は大変希少な宝石として高値で売買されているのだ。
「竜は己が認めた人間にしか竜珠を触らせない。だから決してそこにだけは触れないでくれ」
「ええ、分かったわ」
そもそも竜に触れる気はない、と心の中で付け加える。
「竜が人に愛着や信頼を示す時は、竜珠を闇に光る猫の目のように輝かせるのだ。その時初めてそこに触れるのを許される」
アマリーは相槌を打ちながら、竜の耳元の竜珠を見つめた。それはツルツルと滑らかな透明で、光を放つようには見えない。
おもむろに王太子がそばにいた竜の竜珠に触れたので、アマリーは驚いて一歩退いてしまった。
王太子は続けた。
「大人になるまでに光ることがなければ、若しくは人に触れて貰えなければ、竜珠は耳から自然に落ちてしまうのだ」
竜珠がついたままの竜は、良く人に懐くのだという。逆に南の森奥深くにいる大人の竜は、みな竜珠が取れているのだろう。
「竜珠を輝かさなかった竜は、取れてしまった竜珠の代わりに人口水晶を埋め込むのだ」
「まあ、そうですの。見分けがつかなそうね」
すると王太子はきっぱりとした声色で言った。
「水晶では竜珠に遥か及ばない。輝きも質も強度も。一見同じように見えるが、実際は似て非なるものだ。その価値と希少性は比べようもない。ーー人口水晶は竜珠のニセモノでしかない」
思わず相槌に困ってしまった。それはまるで、今の自分のことを揶揄されたように思えてしまったのだ。
(私も本物のリリアナ王女のニセモノでしかないわけで……)
人口水晶の話をした王太子の冷めた目つきが怖かった。その鋼色の双眸が、紛い物を断じる鋭い剣に見えた。
王太子の掛け声に合わせて、竜はその太い足を一歩、一歩と前進させた。
アマリーの手と同じくらい大きな爪を、泥濘んだ土の上に食い込ませて、着実に進んだ。
馬車の車輪は回転することはなく、巨大な力によって滑るように引かれていく。
やがて芝の上に乗り上げ、泥濘みから脱するとギシギシと音を立てて車輪が動き始めた。
「良くやった! 良い子だ」
王太子はすぐに竜にくくり付けた綱を解き始めた。
ーー良い子……
その言葉はアマリーには相当な違和感があった。
これほど大きな、馴染みのない生き物に対して使う褒め言葉としては、滑稽な気がしたのだ。
王太子は腰に下げた布袋の中から、何やら橙色の果実を取り出すと、竜の口に放った。
竜は頭を下げると大きく開いた口で受け止め、実に美味しそうにそれを食べ始めた。
咀嚼に合わせて首を振り、低音でグゥルグルと唸っている。味わって食べているようだ。
「そうか。うまいか」
実に嬉しそうにそう言うと、王太子は手を伸ばして竜の頭を撫でた。
その手つきを見る限り、竜の頭の上にたくさんついた角のようなものは、意外にも柔らかそうだった。
鶏のトサカのような物なのかもしれない。
アマリーが竜をじっと観察していると、王太子は言った。
「竜はこう見えても草食で、果物が好きなんだ」
「まあ、そうですの。ーーてっきり人を食べたりするのかと……」
アマリーかそう言いかけると、王太子は竜を撫でる手を止め、こちらを振り返った。その目に幾らかの失望を見た気がする。
(……マズいわ)
王太子の表情から、自分が失言をしたことに気づき、俄かに焦りを感じる。
竜騎士にとってこの生き物は誇りに違いない。相棒のようなものだろう。
しかも西ノ国も欲しいと思っているのに、貶すようなことを言ってしまった。
アマリーは急いで取り繕った。
「そういう伝説が西にはあるの。ーーええ、だって、我が国では竜は殆ど伝説上の生き物なんですもの!」
王太子は果物を食べ終わり、舌舐めずりする竜を見つめながら、竜に言った。
「聞いたか? お言葉に甘えてリリアナ王女様を食べてみるか?」
(どうしたらそうなるのよ!!)
竜はグルグルと喉を低温で鳴らし、アマリーにその緑色の目を向けた。竜の鈍く光る目が怖いが、その隣に立つ王太子の表情もまた、目が笑っていないのが恐ろしい。
アマリーは引きつりながら愛想笑いを浮かべた。
「本物を見て、色々と間違っていたと気がついたわ。そう、ーー良く見れば愛嬌のある生き物だわ」
半ば社交辞令でしかなかったが、付け足しのように竜を褒めてみる。
すると王太子はアマリーに首を巡らすと、布袋から果物をもう一つ取り出し、アマリーに差し出した。
「食べ物を与えると、子供の頃から接していなくても早く懐く」
受け取るとそれは杏だった。
(……もしや、これを私にも竜にあげろと?)
見上げると竜は期待を込めた熱い視線をアマリーに投げている。口が半開きになり、その隙間から食欲という欲望がはぁはぁと漏れている。
(こ、コワっ……!)
このまま大口を開けて、アマリー自身が頭から食べられてもおかしくなさそうに思える。
アマリーの背筋は凍りつき、竜の口元に投げようと差し出したした腕が、情けないことに小刻みに震えてしまう。
止まれと脳が腕にキツく命じるが、言うことをきいてくれない。
すると王太子が顔を背けて肩を揺らした。
訝しく思って顔を覗き込むと、彼は笑っていた。
「な、何か……っ?」
「ーーいえ……。リリアナ様が、あまりに虚勢を張られているので、つい」
「べ、別に強がってなんていないわ!」
だがアマリーの震える腕を見た王太子は、なおも言い募った。
「ですが、震えてらっしゃる」
かぁ〜っ、とアマリーの顔が熱くなっていく。
わざわざ気を遣って褒めたのに、墓穴を掘ってしまった。
アマリーの手の中の杏を待つ竜があまりに物欲しそうな顔をしているので、彼女はさっさとその口元に放った。
竜は器用に杏を受け止めると、バキバキと小気味良い音を立てて咀嚼した。
「まぁ。種ごとたべるのね」
言葉は通じなくても、アマリーの言ったことがなんとなく分かりでもしたのか、竜はその緑色の目を彼女に向け、突然ゲップをした。
ゲエエッ、という音と同時に唾が辺りに飛び散る。
アマリーが呆気に取られていると、王太子は苦笑して竜の頭を小突いた。
「リリアナ様に失礼なことを」
ご主人にそっくりね、という言葉をアマリーはどうにか呑み込んだ。
馬車に再び乗り込むと、アマリーはカーラに不満をぶちまけた。
「ねぇカーラ。南の王太子は失礼な方だわ。リリアナ王女をおちょくっているんじゃないかしら」
「リリアナ様の代わりに怒るなんて、アマリー様も成りきってて凄いじゃないですか!」
「そ、そういうつもりじゃないけれど」
アマリーたちはかなりの時間をかけて、西ノ国と南ノ国の国境に辿り着いた。途中で雨は止んでいたが、かわりに強い風が吹き、さらに日没が近づいた為、やはり森の中は暗かった。
国境はジェヴォールの森の丁度中間地点にあった。
木々が切り開かれたその一画に、南ノ国の迎えが勢ぞろいしていた。
(ここから先は、南ノ国ーー)
本来共にいるべきオデンがいないまま、先に進むのは怖かった。だが南ノ国の迎えまで待たせるわけにはいかない。
捜索隊が見つけ出して、危険なジェヴォールの森を抜けた所で遅れて合流できると信じるしかない。
アマリーは風で乾く目を激しくまばたきし、懸命に彼等を観察した。
今まで暗い森を逃げ回ったのが嘘のように、そこには美しく絢爛な迎えが来ていた。
(やっとここまで来れた……。一時はどうなることかと思った)
もっとも、勝負はこれからだった。
南ノ国側の国境でアマリーたちを迎えてくれたのは、一糸乱れず整列した兵たちと、一台の馬車だった。
馬車は車輪に至るまで黄金の装飾がされた大変立派なもので、その屋根の上には翼を広げた竜の小像が取り付けられていた。
(なんて豪華なのかしら……。目が泳いじゃう)
とりあえず自分は王女のフリを徹底しなければならない。
だが王宮を出る時にめかし込んだ姿は、もう見る影もない。
髪はカーラに結い直して貰ったが、髪飾りは森のいずこへか消え、ドレスは雨と泥で滅茶苦茶だ。攫われた時に馬に乗せられた恐怖を思えば、些細なことかも知れないが、想定をとうに超えた事態に、どうするのが最善か分からない。
西ノ国側の馬車から降りると、王太子に先導されて、南ノ国の馬車の前まで向かう。
西ノ国の兵たちは皆、帽子を外して道なりに二列になり、アマリーが国境を越えるのを見守っている。アマリーが一歩、また一歩と南に進むに合わせて、兵たちは頭を下げていく。
ついにアマリーは迎えの馬車の目の前まで進み出た。
王太子が南ノ国の先頭に立つ初老の男性に何事か話しかけ、二人の視線がアマリーに向く。
南ノ国の隊列の先頭にいたのは、南の外務大臣であり、膝を折ってアマリーに挨拶をした。
「お待ちしておりました。大変心配致しました。我が国にとって大切な日を祝う為にいらして下さり、南ノ国を代表しまして感謝申し上げます。ここから先は、私どもが責任を持ってお守りいたします」
ここで「よろしくてよ」という勇気はアマリーにはなかった。
それはあまりに悲惨な返事に思われた。その代わりにアマリーは控えめな笑顔を作り、言った。
「竜騎士を寄越して下さってありがとう。両国の架け橋となれるよう、頑張りますわ」
外務大臣は低頭した。
南ノ国の馬車の脇には、紫色のドレスを纏った女性が立っていた。彼女はアマリーとカーラが近づくと、こちらへ歩いてきた。
年の頃は三十代後半と思しきその女性は、真っ直ぐにアマリーの元へ歩いてくると、己のドレスの裾を摘み、優雅に膝を折った。
全然濡れていないドレスが羨ましい。
「お待ちしておりました。リリアナ様」
彼女は南に到着したリリアナの世話をするために用意された女官であった。
王太子が南の兵に何事か命じ、間もなく大きな樽が運ばれてきた。見れば樽には水がいっぱいに張られている。
意図がわからず眉根を寄せていると、王太子はアマリーに柄杓を手渡す。
「先に足を洗われた方が良い。傷から悪い物が入るおそれがある」
「……そうさせていただくわ」
受け取った柄杓で樽から水を汲み、カーラの肩につかまりながら、足に付いた泥を洗い流す。
ドレスの裾を膝近くまで捲り上げているので、王太子がそばにいて見られていることが嫌で仕方がない。少し離れるよう視線で訴えてみるが、全く効果はなく、王太子は至近距離からアマリーが足を洗う様子を眺めていた。
アマリーはなるべく手早く足を洗った。
アマリーを見送るために西ノ国の兵たちが整列し、固唾を飲んで見守る中、なぜか南ノ国の用意した馬車の扉は開かれなかった。
その代わりに暗さを増す森を見渡してから、王太子は言った。
「リリアナ様にはシュノンに向かう前に私と竜騎士隊の詰め所にお寄り頂こう。どうかその濡れたドレスのお召し替えを」
南の外務大臣は素晴らしいお考えです、と王太子を支持した。
詰め所はシュノンよりもここから近いのだという。
王太子はアマリーの方を見た。
「このままではお風邪を召される。詰め所はすぐ近くだ。リリアナ様は私の竜にお乗せしよう。怖くて乗れないのならば縛りつけて差し上げるから、ご安心を」
アマリーは幻聴だと信じたかった。