自称・元恋人の襲撃
リリアナ王女は相当な恋愛小説好きだったらしく、彼女の部屋の大きな本棚には大量の本が並べられていた。
その背表紙に目を走らせると、実に分かりやすいタイトルが並んでいた。
アマリーとカーラは本棚を見上げながら、噴き出してしまった。
「アマリー様、この辺の本が一段と濃そうですよ。『騎士と令嬢の炎よりも熱い愛』ですって」
「これも面白そうね。『奔放令嬢リンダと十六人の旦那様たち』」
「十五人じゃダメなんですかね」
「これなんて、王女様が主人公よ。『王女様の秘密と内緒』ですって」
「まあ。秘密と内緒ってどう違うんです?」
「それは多分……読まないと分からないのよ」
そう言いながらアマリーは本を棚から引っ張り出した。パラパラと捲ると、巻末の余白にインクで書かれた文章があることに気がついた。
数行の文章に思わず目をとめる。
そこには詩のようなものが書かれていた。
『私の王女様
貴女は私の光
貴女は私のすべて
私は貴女という枝に止まる小鳥
貴女のアーネストより』
「何コレ? ……リリアナ王女にこの本を贈った人が書いたのかしら?」
「さぁ……。 まさかご自分で書かれたとは思えませんが。寒い愛の詩ですね。ーー貴女という枝ってどういう意味ですかねぇ」
「解釈に苦しむわねぇ。リリアナ王女はこれをお気に召したのかしら?」
「取っておいてあるのですから、そうなのでしょうね」
そうしてついに西ノ国の王女リリアナが南ノ国に旅立たねばならない朝を迎えた。
彼女の心境に呼応したのか、天気は土砂降りの雨だった。
普段は眩しい朝日を浴びて煌めく王宮が、今朝は鈍色の空の下で暗い影を周囲に落としていた。
この国の王女が隣国の祝典に参加するという、目出度い日のために準備された馬車は大変立派なもので、白い車体には惜しげも無く金箔が貼られ、全面に豪奢な彫刻が施されていた。
その前後に同行者や国境までの見送り人が乗る馬車が並び、数多の兵たちが警備のために整列している。
王宮から国境までの長い道のりを、アマリーは一睡もすることができずに過ごした。
異変が起きたのは、ジェヴォールの森に入ってしばらくたった時のことだ。
国境となる深い森の中を走っている最中に、急に馬車が止まった。
「あれっ……こんな所で休憩ですかね?」
カーラが窓のカーテンをサッと開ける。
外を見やると、窓ガラスを叩く雨粒の向こうに太い木の幹や濃く茂る葉が見えた。
どうやら狭い道の先に、巨木が倒れ進路を塞いでしまっていた。
雨音が馬車の屋根を間断なく叩く中、アマリーとカーラはひたすら車内で待ち惚けた。兵たちはその倒木を退けるのに苦慮しているようだった。
狭い空間で待ち惚けをくらい、どうすることもできず、幾度も溜め息をつく。
ちらちらと外の様子を窺うも雨の中、倒木撤去作業の進捗状況は芳しくないようだ。
すると唐突に、兵たちの雄叫びが聞こえた。続けて金属音があちこちから鳴り響く。窓の外からは、叫び声が聞こえた。
「王女様! 何者かに襲われています! お逃げ下さい!」
驚いたアマリーが逆側の窓の方を振り向くと、メキメキと不気味な音がして上空から影が動き、背の高い木々が倒れてくるのが視界に入った。
(なに、何!? 何が起きてるの?)
恐怖に駆られて、馬車の中で立ち上がる。
新たに倒れて来た木々により、隊列は分断されていた。
その時、どこからともなく覆面の集団がわらわらと現れ、一行を取り囲んだのが見えた。
「なんですか、あいつら!?」
カーラの問いに対する答えを持ちようがない。
馬車の周りの兵たちは覆面の集団に襲われ、応戦していた。
唐突に馬車の扉が外から開かれた。
悲鳴をあげるアマリーの目の前に、覆面をした男が現れ、馬車の中に乱入してきた。
「リリアナ様! お迎えに参りました!」
男は乗り込むなりアマリーの腕を掴んだ。顔に巻いた黒い布の隙間から、狂おしいまでに爛々と輝く黒い瞳が覗いている。
恐怖に絶叫するアマリーの前で、男は覆面を颯爽と剥ぎ取った。
「私です。リリアナ様」
どうだとばかりに顔面を突き出されても、全くもって見知らぬ顔だった。
きついカールを描く黒髪も、雨に濡れそぼっている。
全く見覚えのない顔だし、濃い灰色の服装は西ノ国の兵の軍服でもない。
ましてや王女であるはずのアマリーの腕を掴むなど、どういうことか。色々と怖過ぎる。
「ちょっと、貴方だれっ!? 」
カーラが鋭い目つきで乱入者を睨み、アマリーに触れている手を押し退けようとした。だが男は素早く片手でカーラの肩を掴むと、そのまま彼女の身体を馬車の外に押し出した。
勢いよく押されたカーラは、どこかに捕まろうと腕を振り回しながら、車体から落下した。
「カーラ!」
アマリーは驚愕して叫んだ。
侍女の安否を確かめたいが、男が馬車の更に中へと身を滑り込ませて迫ってきたために、出来ない。
男はアマリーを馬車の角に追い詰めると、口を開いた。
「リリアナ様、愛しています」
それは時と場所を一瞬忘れてしまうくらい、熱情の込められた声色だった。
「ーーあの別れの言葉は、嘘なのでしょう?」
(別れの言葉ーー? なんのこと?)
「私をもう愛していないなど……。あれは、 私に貴女を諦めさせる為の、優しい嘘だったのでしょう?」
話が、全く見えないーー!!
アマリーは呼吸すら忘れて硬直した。誰かこの男とこの状況を解説してくれないか。
男は暗い色の瞳を愛しげな光で溢れさせ、甘い口調で言った。
「あれほど愛を誓い合った仲ではありませんか。貴女は私をまだ愛しているはずだ。……私を捨てて、南ノ国の王太子に会いに行くなど、嘘でしょう?」
嘘も何も、これからまさに会いに行くところなのだが、下手に男を刺激したくはない。アマリーは敢えて口を開かなかった。
すると男はアマリーに抱きついた。喉元から悲鳴が上がる。
(誰なの、この男は何なの!? )
アマリーを、いやリリアナ王女を抱きしめる男の腕には一切の迷いがない。
濡れた男の服が冷たく、必死にもがくが、猛烈な力で抱きつかれていて、全く距離を取れない。
「どこか、私たちを誰も知らぬ田舎で、やり直しましょう。この為に、賊を雇ったのです」
この男は何を言っている。
アマリーの頭の中は混乱の極みにあった。
リリアナお得意の「まあ、そうですの」と言えるような状況ではない。「よろしくてよ」なんて論外だ。
「貴女は私を王宮から攫って、といつも仰っていたではないですか」
そんなこと誰がいつ言った。ーーまさか本物のリリアナ王女が?
とても信じられない。
まさかとは思うが、リリアナ王女には恋人がいたのだろうか?
もしや王女を横取りしに来ているのだろうか。
その時、雄叫びをあげながら扉を蹴破ってオデンが現れ、外から男の背中を掴むと、馬車の外へと引きずり出した。男はアマリーを頑として離さず、巻き添えをくらったアマリーまで転がり出される。
膝まである茂みに落下したのだが、男が健気にもアマリーを衝撃から庇おうと必死に抱き締めてくれた。お陰で酷く身体を痛めるような事態だけは免れた。
アマリーを助け出そうと、オデンが駆け寄る。
兵たちもその後につづく。
「お前、何ものだ! その方が王女様と知っての狼藉かっ!?」
兵たちは怒りの形相で怒鳴る。
男はさっと立ち上がると、何のためらいもなく、オデンの太ももを剣で斬りつけた。
「ギャーーッ!」
オデンが腿を抑え、車輪の横に倒れ込む。
思わず目を覆う。
男は俊敏に剣を振るい、馬車のそばにいた兵たちを次々となぎ倒した。
(強い!)
頭はどうかしているが剣の腕は確かなようだった。
兵たちを倒した男が視線を上げ、馬車の扉にしがみついているアマリーと目が合う。
途端に剣呑だったその目は、愛しさに眦を下げる。
「ああ、私のリリアナ様……」
違う、違う。人違いだ、あんたのリリアナじゃない! そう叫ぶ間も無く、アマリーは猛烈な力で男に担ぎ上げられた。
どんなに暴れてもその腕はビクともせず、男の決死の覚悟ぶりが痛いほど伝わる。
男はアマリーを近くにいた馬の背に乗せると、直ぐに後ろへと自分も続き、彼女が降りる間も無く馬を走らせ出した。