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ニセモノ王女、嫁ぐ

 冬の寒空のもと、大砲の爆音が炸裂する。

 沿道に所狭しと詰め掛けた人々は、口々に祝いの言葉を上らせ、西ノ国の旗を振る。


 西ノ国の城から国王に手を引かれ、歓声を上げる人々に見守られながら馬車まで歩いているのは、隣国に嫁ぎに行くこの国の王女だった。

 冬の太陽を眩しく反射する豪華な馬車は、ピカピカに磨き上げられ、この佳き日に相応しい。

 王女が歩く城の正面から馬車までの長い一本道を、王侯貴族たちが両脇に並び、通り過ぎる王女に対して次々に膝を折って挨拶をする。

 列の最後に並んでいたのは、王女の叔母であるファバンク侯爵夫人と、侯爵であった。


「行って参ります」


 目に涙を溜めた王女が、両手を広げて侯爵夫人に抱きつく。侯爵家の一人息子はなぜ王女が自分の母を抱擁するのか良く分からず、不思議そうに見上げる。

 短い抱擁が終わると、王女は美しく仕立てられた二頭の馬が引く馬車に乗り込んだ。


 割れんばかりの歓声と国中の祝いを一身に受け、王女が王宮を出て行く同じ時に、ひっそりとその裏門から駆け去って行く馬車があった。

 簡素な茶色のその馬車の中には、身を寄せ合う一組の男女がいた。

 人知れず去るその馬車の随行員は侍女のアガット一人だけであり、彼らを見送るのも王女の乳母ただ一人であった。乳母はどんよりと暗く沈みそうな気持ちに目を瞑り、万感の思いを込めて馬車の三人に叫んだ。


「お幸せに……!」


 馬車の目的地はファバンク侯爵家に新たに与えられた、田舎にある鄙びた領地。

 侘しいその目立たぬ車内に座るのは、結婚したばかりのリリアナとアーネストだった。

 生活には困らないほどのささやかな領地を経営し、新たな生活を始めるための一歩を今日から踏み出すのだ。


 アマリーとリリアナが乗った馬車は、北と南という正反対の方角を目指し、どんどん互いの距離を広げていった。







「もうすぐかしら?」

「まだかしら?」


 ジェヴォールの森に入るとアマリーはカーラに何度も声を掛けた。

 西に来たジュールと別れてから、三ヶ月が過ぎていた。早いようで、長かった。


 森の中は相変わらず鬱蒼として暗かった。外は晴れているが、冬の弱々しい日光は深く茂る木々が作り出す影には勝てなかった。

 だが、アマリーの心の中は雲ひとつない青空のように晴れやかだった。

 不安がないわけではない。

 だが乗り越えていける自信と希望があった。


 ガタン、と馬車が止まった振動で目がさめる。


「到着しましたよ」


 寝てしまったアマリーを可笑しく思ってカーラが笑いを含んだ声で起こす。

 シャッ、と軽やかな音を立てて馬車の窓のカーテンを開けると、陽の光が射し込んでくる。

 国境にある両者の合流場所は臨時に森の一部が切り開かれ、明るかった。

 静寂な森の中に西ノ国の音楽隊によるトランペットの音が響き渡り、辺りにいた鳥たちが一斉に飛び去っていく。

 扉が開かれると、アマリーはゴクリと喉を鳴らした。

 緊張は一瞬だった。

 車内に森の清澄な空気が吹き込むと、アマリーはにっこりと顔を綻ばせ、勢いよく外へと踏み出した。

 一糸乱れず整列する兵たちの先に、南ノ国が用意した馬車があり、二人の人物がアマリーを待ち受けていた。

 南ノ国の外務大臣と王太子のジュールだ。

 ジュールは薄暗い森の中に溶け込んでしまいそうな、濃紺色の布地の服を纏っていたが、その上に豪華に施された純白の刺繍が目をひきつけるほど美しい。

 目が合うなりジュールは眦を下げ、優しく微笑んでくれた。


 一歩一歩を踏みしめるようにして、ジュールのもとへと歩く。開かれているとはいえ、森の地面は枝や頑固な雑草が密集し、歩きやすくはない。

 高く細いヒールが足を踏み出す度にぐらつき心許ないが、アマリーは顔を決して下げることなく、真っ直ぐに前を見つめた。

 自分を迎えに来てくれた南の人々を。


 ジュールは扉の開かれた馬車の前に立って待っていた。

 ジュールまであと数歩、という所までやって来るとアマリーは駆け出したい逸る気持ちを抑え、彼の正面に立った。

 ドレスの裾をつまみ、優雅に膝を折る。


「お約束通り、参りました」


 ジュールは鋼鉄色の瞳をひたとアマリーにあて、片腕を彼女に差し出す。


「ーー行こうか」


 アマリーがその腕に手を回そうと伸ばすと、二人の手が触れ合う前にジュールはサッと腕を下に下ろした。困惑するアマリーをよそに、彼はその場に屈むとアマリーを抱き上げた。


「ジュール……?」

「出会った時のことを、思い出した」


 アマリーは首を巡らせた。


「あの時は、貴方は竜の上だったわ」

「私を怯えた目で見上げていた」


 二人はほとんど同時に笑い出した。

 馬車に乗るとジュールは隣に腰を下ろし、アマリーをじっと見つめた。

 涼やかな色にもかかわらず、情熱を感じさせるその鋼鉄の瞳にアマリーも見入った。

 ジュールの手がアマリーの頰に伸びる。


「ーー変わらず美しい」

「あの、……頑張ったのよ、ジュール様にお会い出来ると思って。今朝もパックをしたし、腕もスベスベにしようとスクラブをしたり……」


 全身くまなく磨き上げ、少し体重も落とした。その方がドレスを綺麗に着られるからだ。

 すると言い終えないうちにジュールがアマリーの腕を取り、手首から肘まで手を滑らせた。実際に触られたのは短い距離なのに、瞬時に身体中が敏感になり、心臓の煩い鼓動が止まらなくなる。

 ジュールはアマリーの耳元にそっと口元を寄せ、呟いた。


「磨いたのは腕だけか?」


 ぼん、と音を立てたように見事にアマリーの顔が真っ赤になった。

 答えに窮しているとジュールはアマリーのこめかみに優しくキスをしながら言った。


「後で確かめさせてもらおう」


 恥じらってもじもじと身動ぐアマリーが、たまらなく可愛いく思え、ジュールはくつくつと笑いながら彼女を抱き締めた。


 馬車が動き出すとアマリーは気になっていたことを尋ねた。


「ねぇ、マチューはどうしているの?」

「有能そうだからな。一本釣りをしてやった。先月から竜騎士団の見習いをさせている」

「……それって左遷っていうんじゃないかしら?」

「適材適所ともいう」


 そうはいっても、ちっとも適しているように思えない。

 あの線の細いマチューが騎士だなんて。

 ちょっと想像できない。


「あいつは身体を動かした方が良い。余計なことを考えずにすむだろう」

「私、あれからドリモアの本を全部読んだのよ。一部の台詞を暗記してしまったくらい。今度はリリアナだと認めさせてやるわ」

「ややこしいことをしないでくれ」


 ジュールはアマリーを抱き寄せた。そうして彼女の頰に自らの頰で触れ、感触を確かめるように滑らせる。

 アマリーはお腹の辺りに回されたジュールの腕の上に、手を重ねた。


「ジュール様……。ーーあの、本当に私で良いの?」

「貴女が良い」


 ジュールは口元をアマリーの耳元に寄せて囁いた。


「アマリー。私のために来てくれて、ありがとう」


 アマリーは目を見開き、一瞬息を呑んだ。熱い感慨が胸から込み上げ、言葉を失う。

 自分の本当の名を初めてジュールに呼んでもらえたのだ。

 その名で呼んでもらえる日が来るとは思わなかった。


「南に来たことを、貴女に絶対に後悔させないと誓う」


 アマリーとジュールはそうして二人でしばらくの間、手を取り合って静かに再会の喜びを味わった。

 やがてアマリーは少し悪戯っぽく笑って言った。


「そうだわ。私帰国してからトースを焼く練習をしたのよ」


 ジュールは意外そうに眉をひそめた。

 西に帰国すると、オリーブオイルの香りが効いたあの味が、忘れられなくなったのだ。あの味を求めて、屋敷の厨房で格闘したのだ。西にないのなら、作ってやれ、と。


「南ノ国のトースには、ごま味とかハーブ味とか色々な種類があるでしょう? だから、バリエーションを広げようと思って試行錯誤してみたの」


 アマリーはジュールに得意満面で報告した。

 様々な味を焼いてみたから、その中にはきっとジュールが、気にいるものもあるだろう。


「意欲作がたくさんあるの。かぼちゃを混ぜたものとか、平たくしないで丸めたものとか、」

「それはもはやトースではないな」


 まあ、なんですって、とアマリーがむくれるとジュールは笑った。

 その愉快そうな笑い声が実に楽しげで、アマリーまで釣られて笑ってしまった。






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