表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/40

王太子の求婚

 ピッチィは夜空を悠々と飛んだ。

 時折出くわす鳥が、驚いたように方向を転換し、ピッチィを避けていく。

 ジュールはピッチィを王宮から離れさせると、点々と灯る明かりが密集する港の上空へ向かわせた。あてがあるわけではないが、地形を示すように輝く明かりにただ興味を引かれた。

 空の上はとても静かだ。

 昼間よりも一層静寂が際立ち、その音のなさにアマリーは気まずくなる。

 二人きりになるのは自分はリリアナ王女の偽者だと告白して以来なのだ。


「ジュール様。ーーあの、……私を怒ってらっしゃいますよね?」

「怒っている」


 ズキンと胸を痛めながらも尋ねる。


「じゃあ、なぜ西ノ国にいらしたのですか?」

「リリアナ王女を私の妃に迎えるためだ」


 ああ、そうなのか、とアマリーは思った。

 ジュールは祝典で出会ったのがリリアナの本物だろうが偽者だろうが、西の王女を妃に選んだのだ。リリアナが王女だから。

 アマリーを気に入ったからではなく。

 それが政略結婚というものなのだろう。

 そうなのですか、とアマリーが力の入らぬ相槌を打つとジュールは呆れた口調になった。


「まるで他人事のような反応ではないか。リリアナ王女は貴女だ。ーー貴女が、私と結婚するんだ」


 アマリーは眉をひそめた。


「でも、私は王女ではないのよ」


 そうだな、そうかもしれない、とジュールは呟いた。

 子どもの頃から、ジュールは自分自身が不自由な身分であることを十分自覚していた。そのため彼は早くから自分が、将来愛する人と結ばれることなど到底不可能だろうと悟っていた。妃を己の心の赴くまま、自由に選ぶことはできないのだ、と。だからリリアナ王女が話に聞いていた人物とは随分違った時、密かに歓喜した。

 それなのに、その王女が本物ではなかった。

 最初は当惑し、すぐに怒りが湧いた。

 彼女だけではなく、矛先は西ノ国にも向いた。

 だが、それでは別の女性を妃に迎えるのかと考えると、それはそれでもうあり得なかった。

 何より、あの時ーー、自分が偽者だと告白し堂々と、金に目が眩んだのだと言ってのけた彼女の凛とした強さに、心が抉られた。

 リリアナ王女という肩書きが偽りだったとしても、ピッチィが選んだのは彼女だったのと同様に、葡萄酒祭りで葡萄を踏んだのも、共に踊ったのも彼女だった。

 西が王女だと主張するのなら、それを利用してやれば良い。

 ジュールは少し投げやりに笑った。


「断らせない。私が貴女を選んだんだ。何が何でも貴女には南に来て頂く」


 そんな強引な、と呟くとジュールはさも当然だと言わんばかりに答えた。


「西も断れた立場にはないはずだ。手土産をチラつかせたのだ。逃すまいと食いつくだろう」


 ついでに王都に来る途中、ダルタニアンをけしかけて西の出迎え達の前で古城を倒壊させた。目の前で軍事力の違いを見せつけられ、あれはかなりの脅しになったはずだ。


「でも南ノ国では、西の王女よりも中ノ国のエヴァ様の方が慕われているのではないかしら?」

「そんな連中は貴女が子を産めば直ぐに態度を変えるものだ」


 ジュールの子ーー!?

 その言葉だけでも恥ずかしく、アマリーはピッチィの上でモジモジ動いた。

 自分が正式に王女として、南ノ国へ嫁ぐ。

 そんなことが出来るだろうか?

 いつかは結婚すると思っていた。でもまさかよその国に行くことになるとは想像もしていなかった。

 アマリーはかつて自分に求婚していた男爵を思い出した。胸ばかり見ていたせいで、うつむき加減の瞼しか記憶にない。

 続けてもう一人の求婚者だった子爵のことを思い出す。ーー残念のことに、ハゲていたか髪があったかすら記憶に残っていない。


「ねぇジュール様、そうなれば本物の王女様はどうなるの?」


 国王は何と言うか、とアマリーが更に心配ごとをごねるとジュールは後ろからアマリーの頰に片手を回し、彼女を振り向かせた。

 でもでもだって、とまだ話を続けているアマリーの口を、己の口で塞ぐ。

 物理的に黙らされたアマリーの胸の奥が、一瞬にして熱くなる。

 ジュールは押し当てた唇の角度を変え、再びアマリーにグッと押し付けた。頭の奥がクラクラとして、危うく竜の鞍から手を離しそうになる。

 永遠にも感じられた数秒の後、名残惜しそうに唇が離された。


「こっちの王女はよく喋るな」


 少しムッとしたアマリーは、ジュールを注意した。


「ねぇ、ジュール様。……キスは口を塞ぐ手段じゃないわ」

「知っている」

「愛を伝える手段よ」

「だから今、それを伝えている」


 そのほんの一言は強烈な衝撃を与えた。

 カッとアマリーの顔が火照り、指先に至る全神経が研ぎ澄まされたように敏感になる。

 ーー何を言われたのか、もう一度聞きたい。全身が答えを求めて、過敏になる。

 頰を紅潮させ、信じられない、といった風情で目を見張るアマリーをジュールは見つめ返しながら言った。


「貴女が好きだ」


 私もよ、と恥ずかしそうに答えたアマリーに対し、ジュールは大真面目な表情で尋ねた。


「私のために、貴女は自分の名を捨てられるか?」


 アマリーは思わず一瞬黙り込んだ。

 捨てねばならないのは、名だけではないだろう。


「家も……、家族も、国も捨てることになるのかしら?」

「そうだな。私は貴女に全て捨てさせてでも、妃にする。ーー私や我が国を騙した罰だ」


 少し怯えたようにジュールを見上げた青い瞳の目尻に彼は親指でそっと触れた。その瞬き一つすら、堪らなく美しく思える。


「今持てる全てを捨てるんだ。そうすれば、私が全てを与えよう」


 金銀宝石、贅を凝らした生活、女性としての最高の地位、そしてーー。


「生涯、貴女に愛を捧げると誓う」


 アマリーはとろけるように笑った。


「私の妃になってくれるな?」


 今を捨てるのは恐ろしい。

 だが代わりに得られるものは、何より捨てがたい。

 アマリーはゆっくりと答えた。


「……出来るわ」

「なぜ即答しない。今の間はなんだ?」


 言い訳はできなかった。

 ジュールは開きかけたアマリーの口を塞ぐように、再び彼女に口づけたのだ。

 唇はすぐに離され、ジュールはアマリーを覗きこんだ。白い頰を紅潮させたアマリーは、堪らなく可愛かった。


「貴女が南に来ていた間、どれほどこの唇にこうしたかったか」


 本当に? と尋ねてようとしたアマリーはまたしてもそれを妨害された。

 ジュールがあまりに強く唇を押し付けてくるので、顔が仰け反り、後退するアマリーの首筋を彼は片手で押さえた。

 その滑らかで美しいうなじにも唇を降らせ、息が出来ないほど強く抱き締めてやりたいーージュールは次々に溢れる欲望をなんとか理性でねじ伏せ、呆れるほど長い口づけからようやくアマリーを解放した。


「はやく、南ノ国に来てくれ。待ちきれない」


 そう言いながらアマリーを見下ろす鋼鉄の瞳は、酷く熱っぽい。心臓が暴れ、息苦しいが同時にとてつもなく幸せだった。


「来年の葡萄酒祭りでは、また貴女と踊ると決めている」

「……そうなれるかしら?」

「そうなれるかではなく、そうする。だからそれまで、その竜笛は大事に持っていてくれ」


 アマリーは胸元で揺れる金色の笛を、指先でそっと触った。

 湿り気を帯びた強い風が吹き始めた。微かに潮の香りがする。

 見下ろせば海沿いに輝いて地形を示してくれていた港町の明かりは、もうかなり後方に過ぎ去っていた。

 洋上にでたのだと気づき、ジュールは手綱を引いてピッチィを方向転換させる。


「皆が心配しているな。ーー屋敷まで送ろう」






 アマリーの案内でファバンク邸の庭に降り立つと、ジュールは屋敷を見上げて目を白黒させた。


「壁に穴が空いているように見えるのは気のせいか?」

「あれは、ピッチィがやったのよ。窓が小さ過ぎたのね」

「ーーピッチィは躾がなってないな。貴女には主人として、早めに南に来て、きちんと躾けて貰わないといけないな」


 南に自分が行くというのは起こりえないことのように感じていた。けれど今、二人で話していると実現する可能性があるような気がしてくるから不思議だ。

 よその国というのは自分が考えている以上に、実は近いのかもしれない。

 次にいつジュールと会えるだろうか?

 アマリーはピッチィの背から滑り降り、一人残されたジュールを見上げた。


「送ってくれてありがとう。それじゃあ、またね」

「次はローデルで会おう」


 ジュールを乗せたピッチィが飛び立つと、アマリーは思わず駆け出し、その後を追った。

 数歩駆けただけでピッチィに置いていかれ、羽ばたく竜の姿はすぐに夜の闇に呑まれ、見えなくなった。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ