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リリアナの算段

本日二話投稿しています。

二話目になります。ご注意下さい。

「危ないからやめてと言ったはずよ! 竜騎士にも、人をくわえちゃだめだって、注意されなかった!?」


 鼻先に手を当て、押し返しながら叱るとピッチィは不服そうに唸りながらも、アマリーから離れた。

 ピッチィは銀光りする緑の瞳でじっとアマリーを見つめ、その場を動かなかった。

 その物言わぬ顔と見つめ合ううちアマリーの表情が綻び、彼女は笑い出した。

 ジュールに会いたがっている気持ちを、子竜に見透かされている気がしたのだ。

 アマリーは一歩踏み出して自分を待っているピッチィに近づいた。ピッチィが頭をアマリーのすぐ近くまで下げると、彼女は両手を伸ばしてその耳元で煌めく竜珠に指先で触れる。

 するとピッチィはキュウウン、と優しい声で鳴いた。


「会いに来てくれて嬉しかったわ。ーーもうお帰り。きっと王宮は大騒ぎになってるから」


 アマリーの揺れ動く心境を見破ったように、ピッチィが背を向けて腰をおろす。

 外を見れば、先ほどまで赤く空を染め上げていた日はもうほとんど沈んでおり、暗い。

 見上げると灰色の空に黒い雲が浮かんでいる。ここにピッチィが飛んでいたとしても、高く飛べば下からは見えないかもしれない。


(少し飛んでみようか……この時間なら大丈夫かもしれない)


「ピッチィ、やっぱり乗せてもらえる? ーー少しだけ」


 ここで待つよう言い残してから、部屋の前で伸びている侯爵夫人を跨いで廊下へ出た。急いで寝室に向かい、寝台のサイドテーブルの引き出しを開ける。そこにはジュールから貰った竜笛がしまわれていた。

 まさかこんな風に使う時が来るとは、思ってもいなかった。

 アマリーはそれを首からかけるとピッチィのもとに戻ろうと廊下へ飛び出した。駆け足で自分の部屋の前まで戻ると、そこで今度は侯爵に出くわした。


「あ、あれは何だ!? アマリー、これは一体……」


 床に転がる侯爵夫人の頰をペチペチと叩きながら、侯爵は破壊された窓際に佇む竜と廊下のアマリーを交互に見た。


「竜のピッチィよ、お父様。ーー王宮に返して来るから、ちょっと出るわね」


 唖然として言葉を失う侯爵を半ば押し退けるようにして部屋に入り、アマリーはピッチィの背に上った。

 侯爵の口は驚きのあまりだらりと開き、言葉にならなかった。







 自室を飛び出したアマリーは、久しぶりに上から街を見下ろす美しさに目を見張った。見慣れた王都も上空から見ると、初めて訪れる美しい街並みに見える。

 所々から灯る明かりが、暗くなっていく景色を幻想的なものへと変えている。

 竜の背に乗り王宮へと向かって風に吹かれていると、どこかこれは現実ではない気分にさせられた。まるで今自分は夢の中にいるようにさえ感じられた。

 やがで王宮が近づいてきた。距離が縮まり、その石造りの外壁が近くに迫るにつれ、アマリーの心臓の鼓動が緊張で速まっていく。ーーあそこに、南ノ国からジュールが来ているのだ。


(窓越しでも良い。ジュール様をちらりとだけでも見たい……)


 アマリーはこっそり行くつもりだったが、自分が甘かったことにすぐに気がついた。

 王宮は南ノ国から来た竜が突然飛び立って行方をくらましたので、騒然としていたのだ。人員総出で竜を探していた。

 当然アマリーが王宮上空に現れると、警戒していた兵たちに即刻気づかれた。

 竜が戻ったぞ! あそこだ!

 と下から声が上がり、兵たちが湧いた。

 これ以上はないというほど、派手な登場の仕方をしてしまった。


「まずいわ、気づかれた。ねえ、一旦引き返して……」


 上昇の指示を与えようと竜笛を吹こうと思うが、ピッチィが揺れるので手を手綱から離せない。アマリーが胸に下げる竜笛を取れずにいるうちに、ピッチィは大きく鼻から息を吸い込んでジュールの場所を感知した。

 建物のどの辺にいるのか当たりをつけると、脇目も振らず真っしぐらにそこへ向かう。


「待って、ピッチィ、あ、やっぱり、……やっぱり!?」


 窓の外からチラッと見たいわ、などという可愛らしい指示はピッチィに通らなかった。

 ピッチィは勢いそのままに王宮の建物に向かい、そこに並ぶ一つの大きな窓際に狙いを定めると、突進していった。そうして窓の手前で急ブレーキをかけると、窓枠に足をかけてしがみ付いた。硬い爪が外壁を擦る音が響き、続けて窓枠の木が軋む。

 アマリーは呼吸すら忘れて冷や汗をかいていた。恐る恐るピッチィの首越しに窓を覗き込むと、中にいる数人の男性が慌てふためいて席から立ち上がるのが見える。

 その中の一人にアマリーの視線は釘付けになった。

 目を見開いてこちらを見ているのは、ジュールだった。西ノ国の王宮に与えられた部屋の中で寛いでいたところだったらしく、ラフな白いシャツにズボンという格好だった。

 信じられない、といった驚愕の表情でこちらを見ているジュールたちの視線がいたたまれない。

 馬鹿なことをした、と猛烈な後悔に襲われながら、アマリーは手綱を固く握りなおした。

 窓の外の竜とアマリーを少し遠巻きに凝視していた男たちのうち、初めに動き出したのはジュールだった。

 ジュールは窓辺に向かってゆっくりと歩いた。


(このまま王宮の門の前にでもピッチィだけ下ろして、帰ろうか……?)


 引き返そうと思いかけたアマリーだったが、歩いて来るジュールを見て、思いとどまった。

 逃げるのは簡単だが、ジュールと話せる機会はきっと二度とない。なじられようと、罵倒されようと、何を言われようとも今、ジュールと話したかった。彼の声が聞きたい。

 ーー自分を傷つけるだけの言葉だったとしても。

 アマリーは覚悟を決めて手綱から片手を離し、窓を外からノックした。

 困惑と驚愕が混ざった硬い表情でジュールが窓に手を掛け、上方へと押し上げた。

 次に発せられた彼の声は相当掠れていた。


「ーーリリアナ王女?」

「ーー残念ですけれど、違います。アマ……」


 アマリーが言い終える前にジュールがいる部屋の扉が勢いよく開いた。走り込んできたのは側近の文官だった。


「大変です、殿下! 大厩舎にいたピッチィが逃亡したそうです!」


 ジュールは上半身だけ振り向いた。

 そうして少しも動揺した様子なく、言った。


「だろうな。だが今帰ってきたから心配ない」


 部屋にいた男たちが、窓の外のアマリーの顔を見てリリアナ王女ではないかと騒ぎ出した。それを受けてジュールは窓を全開にした。


「ピッチィを呼んだのか?」

「試しに呼んでみただけなの。小さな竜も来ていると聞いて……」


 アマリーはピッチィの背中を撫でながらいった。


「邪魔をしてごめんなさい。ピッチィを置いて行くわね。ーーもう一度会えて、嬉しかったわ」


 アマリーが竜笛を片手に取り吹こうとすると、ジュールは腕を伸ばしてそれを押し下げた。

 待ってくれ、というと彼は全開にした窓の外に首を出して身を乗り出した。そうして、何だろうと目を見張るアマリーに顔を近づけて言う。


「貴女は想像以上に馬鹿で大胆だな」


 言うなりジュールは窓の桟に足を掛け、アマリーが握る手綱を奪った。

 ジュール様、と困惑の声をアマリーが上げたのと室内の他の男たちが騒ついたのはほぼ同時だった。

 まごつくアマリーの目の前でジュールは窓から長い足を踏み出すと、しっかりと手綱を握り締めたまま彼女の後ろに飛び乗った。

 衝撃でピッチィが揺れる。


「殿下!? 一体何を……ど、どちらへ!?」


 慌てふためいて窓辺に駆けつける者たちにジュールは笑顔で答えた。


「ちょっと空中散歩をしてくる。ーー追うなよ」


 ジュールはアマリーが持っていた竜笛を奪うと、それを吹いた。アマリーの胸がどきんと鳴る。

 追いようがないでしょう! と叫ぶ側近の声を置き去りにして、ピッチィは両翼を広げて窓から勢い良く離れた。







 バタン、と乱暴に扉が開いた時、リリアナはアガットに爪の手入れをしてもらっている最中だった。

 開かれた扉の向こうには、目を大きくした国王が立っていた。ゼェゼェと息をし、肩が呼吸に合わせて上下している。よほど急いでここまでやって来たらしい。

 国王が目線だけで退出を促すと、リリアナの前に膝をついて屈んでいたアガットはスッと起立し、しなやかに頭を下げてからすぐに部屋を出ていった。

 国王はまだ荒い呼吸の中、リリアナの前に立った。

 国王は肺の中の空気を吐き出し切るような深い溜め息をついた。


「ーーここにいたのか。やはり()()()のほうか……」

「お父様?」

「ジュール殿下がリリアナ王女と竜で飛び出したなどと、兵たちが騒いでおる。まさかと思ったが……」


 ジュール王太子が共に竜に乗り、それを目撃した側近たちがリリアナだと勘違いしたのなら、ジュールが一緒にいたのはアマリーのほうだろうと国王は気がついた。

 国王は脱力したように手近にあったソファに腰掛けると、疲労とともに吐き出した。


「先ほど南ノ国王からの使者が来た。ーー南ノ国王より、お前を王太子妃に迎えたいと正式に打診があった」

「まあ、そうですの」


 それは自分のことではない、とリリアナにも分かった。

 困り果てる国王の前で、リリアナは立ち上がった。

 両手を胸の前で組み、小さいがはっきりとした声で言った。


「あの子が王女になるのね?」

「リリアナ……」


 もうそうするしかないのだ、と国王は掠れた声を絞り出した。

 リリアナ自身はその地位を捨て、隠居してもらうことになるだろう。王女として生まれ、王女として育った彼女にはそれは自身の尊厳を全否定されるに等しい侮辱的な仕打ちかもしれない、と国王は危惧した。


「すまないが、お前には……」


 言いかけた国王の言葉をリリアナは無表情のまま遮る。


「……それならば、私とアーネストの仲もお認め下さいませ」


 何を言うのだ、と国王は目を剥いた。


「あの子がリリアナならば、わたくしは王女としての人生を捨てて、アーネストと生きますわ」


 その提案を即座に拒絶しようとしたが、国王は一旦その言葉を飲み込み、リリアナの青い瞳を鋭く覗き込んだ。

 そうして、酷く低い声で言った。


「お前は侍女や乳母の助けなく、二人でやっていけると思うのか?」

「彼と結ばれるのなら、それ以上は望みませんわ」

「あの男は一生杖無しには歩けぬ。乗馬も無理だろう。本当にその覚悟があるのか?」


 リリアナは父王の厳しい眼差しから、決して目を逸らさなかった。

 そうして静かに答えた。


「あります」


 呆れたような溜め息をつくと、国王は首を左右に振った。

 やがて眉間に深い皺を作ってリリアナを睨みつけた。娘であるリリアナに対してこれほど嫌悪感を抱いたのは、初めてかもしれない。それはもはや憎悪にすら近かった。

 これほど短期間に、近しく愛しい存在が敵へと豹変することを娘に教えられるとは想像もしていなかった。


「リリアナ。そんなことは、とても認められぬ。父としても、王としても」


 胸の痛みに耐えながら、国王はリリアナの嘆願を却下した。

 だがリリアナは平然と続けた。


「お認め下さいませ。いいえ、お父様はきっと、いいと仰いますわ」


 確信に満ちたその発言が理解できず、国王は訝しげに眉をひそめた。

 その目の前でリリアナは歌うような滑らかさで続けた。


「ーーでなければ私、偽者王女の正体を皆にバラしてしまうかもしれませんわ」

「な、にを……!」


 この半ば脅迫じみた台詞に、国王は言葉を失った。

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