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あなたに、会いたい

 えっ、とリリアナは思わず心の中で問い返す。

 だが彼女がそれを口にする前にジュールは西ノ国王を振り向いた。


「この娘は誰です?」


 国王は言葉を失った。聞き間違いであってほしいと強く思ったが、自身に向けられたジュールの険のある眼差しに、楽観的な考えは吹っ飛んだ。

 他の者たちはジュールの発言の真意が分からず、ただ怪訝な顔をしていた。

 国王は生唾を飲み込むと、咳払いをした。


「ジュール殿下、リリアナはこの二ヶ月、ずっと殿下にまたお会いしたいと申して……」

「西ノ国王陛下。これはどういうことです? 我が国にいらしたリリアナ王女とは、まるで別人のようです」


 ぎこちない間があいた後、途端にイリア王太子が笑い出した。

 国王はギョッとしてイリア王太子の方を見た。王太子はワザとらしい笑いを一旦収めると、急に真剣な顔つきになり、言った。


「よくお分かりになられた! ご指摘の通りなのです」


 イリア王太子が何を言いだすつもりなのか不安を覚えた国王は息子の名を呼び、それ以上話すのを止めさせようとした。だがイリア王太子は続けた。


「ここにおります者は、リリアナではありません」

「イリア!?」

「失礼ながら殿下の我が妹に対するお気持ちを試させていただきたく、本日は偽者を立たせておりました」


 イリア王太子は豪快に笑った。

 リリアナは兄王子が何を言っているのか理解できなかった。

 困惑するリリアナを他所に、イリア王太子は話し続けた。


「この者はリリアナに似ていると評判の、アマリー・ファバンク侯爵令嬢ですーー父上! やはり見事に見破られましたな! 流石は南の大国を継ぐ殿下にあらせられる。このお方になら、リリアナを安心してお預けできるというもの」


 ジュールは蒼白になって立ち尽くす西ノ国王に向き直った。ぎくりと国王の頰が引きつる。


「それではリリアナ王女はどちらに?」


 国王は目だけは戦慄のあまり見開いたまま、笑顔を急ごしらえして答えた。ーー考える間もなく、次の言葉が口から滑りだしていた。


「の、後ほど連れて参ります! 」


 リリアナは一体何が起きているのか分からなかった。


(お兄様は何を仰っているの……?)


 見た目だけは限りなく純粋そうなその澄んだ青い瞳を、不思議そうに瞬く。

 イリヤ王太子が手を伸ばし、リリアナの手首を掴んだ。微かにリリアナは小首を傾げる。


「さぁ、アマリー。もう良いだろう。お役目ご苦労。ファバンク邸に帰りなさい」


 リリアナは困惑したまま謁見の間の出口まで引かれていく。












 シエーナ商会の事務所からの帰り道、アマリーは少しだけ寄ってみようと王宮に足を向けた。

 硬く閉ざされた黒と金の城門の前には、相変わらずしつこく野次馬たちが集っている。

 その様子を遠く離れた大通りの端から見たアマリーは、そこで足を止めた。

 皆、竜を見たいのだ。


(私も、また竜が見たいな……。ちらりとでも良いから)


 南の一行は、どの竜を連れて来たのだろう。

 やはり見栄えするダルタニアンだろうか。

 更に近づこうと一歩踏み出してからはたと気づいた。

 自分が見たいのは竜じゃない。


(ジュール。ーー本当はジュールが見たい……)


 奥歯を噛みしめるとアマリーは何かを振り払うようにさっと踵を返し、ファバンク邸への帰路に着いた。




 その夜のファバンク邸の夕食はちょっぴり豪華だった。

 珍しく侯爵夫人も炊事を手伝ったため、パンは少し表面が焦げ、スライスされたチーズは皆の視線を引きつけて離さないほど分厚かった。

 だが勿論、文句など言うものはいない。

 夕食の席ではシエーナ商会の話で盛り上がった。

 アマリーが帰国後は、侯爵もアマリーも商会の仕事にせいを出すようになっていたため、良く仕事の話を屋敷でもした。

 食事の席では、皆が敢えてジュールたちの訪問の話を避けていた。

 だが竜の話だけは、避けて通れなかった。昼間にその姿を目撃した侯爵は、たまらずその話をした。


「見上げると首が鳴るほど大きくて、圧倒されたよ。もう一匹は少し小さな竜だったな」


 子どもの竜かしら、と侯爵夫人が言うと侯爵は笑った。子どもであの大きさだとすると、本当にたいした生き物だ、と。





 その夜、アマリーは部屋のバルコニーに出て、夜空を見上げた。

 同じ国に、同じ王都にジュールが来ている。

 ーー野原で自分を見下ろしたジュールの鋼鉄の色の冷たい瞳を思い出した。きゅっと胸の奥が痛み、思わず掌を胸に押し当てる。

 アマリーはバルコニーの手すりにそっと手を乗せた。

 そうして、小さな声でこっそりと呟いた。


「ピッチィ、西ノ国に来ているの? 私はここよ」


 囁き声は夜の闇に吸い込まれ、かき消える。しんと静まり返ったバルコニーで、一人アマリーは苦笑した。

 ーー何をしているのか。

 ピッチィにここから呼びかけたとしても、聞こえるはずがない。彼の耳に届いたとしたら、それは奇跡だ。

 しばらく待っても何も起こらなかったので、部屋に入ろうとしたその矢先、空気を切る音を聞いた。

 振り返ったアマリーの視線に飛び込んできたのは、夜空を羽ばたく竜の姿だった。

 眼に映るものが信じられなくて、何度も瞬きをするが、空を飛んでくるのは確かに竜だ。

 それはあっという間に大きくなり、嘘のような奇跡に口を綻ばせていたアマリーは、だが次の瞬間凍りついた。

 おそらくピッチィだと思しきその竜は、凄まじい勢いでファバンク邸の方角目指して飛んできており、どう考えても速度を出しすぎだった。

 急いで窓を開け、バルコニーから部屋の中に入り、更に奥へと走る。

 バギィ!!

 轟音が背中の後ろで上がり、振り返ると窓を破ってピッチィが部屋に飛び込んで来ていた。

 岩のように硬いピッチィの身体はガタがきていたファバンク邸の窓と、その周辺の壁を窓枠ごと破壊して中に入ってきていた。崩れた壁が粉となって霧のように舞い、剥がれかけた壁紙がそよいでいる。

 唖然とするアマリーの前でピッチィが首を振ると、涼しい音を立てて割れたガラスの破片が彼の頭から落ちた。

 しばらく絶句していたアマリーは喘ぐように言った。


「な、な、なんてこと……」


 ああそうか、自分が呼んでしまったからだ、と頭の片隅では分かるのだが、結果が想像を遥かに超えていて、頭を抱えた。

 ピッチィは久しぶりにアマリーと会えて興奮してしまったせいか、グエッ、グエッと鳴きながら大きな尾を振り回してアマリーの部屋の中で飛び跳ねた。

 鞭のようにしなる尾は室内にあった木の椅子にぶつかり、まるで玩具の椅子のように部屋の隅に飛んで脚が割れた。


「いやーっ! これ以上荒らさないで!」


 アマリーがなんとか宥めようとピッチィの名を呼んだり首筋を撫でたりすると、逆効果のようでピッチィは余計に尾を激しく振った。その衝撃で尾が壁にあった絵画の一つに当たり、落下した額縁が真っ二つに折れた。

 

「どうしたの!? アマリー?」


 律儀に素早くノックがされて、バタンと扉が開くと侯爵夫人が現れた。

 部屋の中の様子を目の当たりにするなり、侯爵夫人はふらりと眼球を回し、そのまま床に吸い込まれるように卒倒した。


「お、お母様……」


 アマリーとピッチィは硬直した。

 倒れた侯爵夫人に驚いたのか、ピッチィも動きを止め、興奮して上がっていた尾は力なくだらりと垂れた。

 グーグルルル、とピッチィが小さく唸りながら侯爵夫人に近づいていき、鼻を寄せて床に伸びた侯爵夫人の肩を揺する。


「ピッチィ、有り難いけど起こさないで。……今起きたらまた気絶すると思うの」


 先にピッチィを返した方が良さそうだ。

 アマリーはピッチィの正面に立つと、彼の首の付け根を撫でた。


「急に呼びつけたりして、ごめんなさいね。来てくれるなんて、感無量よ」


 ピッチィが大きな緑色の目尻を下げ、優しくアマリーを見下ろす。


「ーー騒ぎになる前に、お帰り」


 しばらくアマリーを見つめた後、ピッチィはゆっくりと窓に向かった。すっかり開放的になってしまった窓から首を出すとピッチィは風を読もうと目を細めた。

 アマリーはそんなピッチィの背中をそっと撫でた。


「ーージュール様はお元気?」


 ピッチィは窓の外に出していた首を引っ込めると、アマリーを見下ろした。

 そのままくるりと反転してアマリーに背中を見せ、腰を落とした。

 それは竜が誰かに背中に乗って貰う時の姿勢だった。

 思わず苦いものが込み上げる。


「ピッチィちがうのよ。会いに行きたいんじゃないのよ」


 正確に言えば、会いに行きたくて堪らない。でも合わせる顔がないし、会う資格もない。


「ただ、ジュール様がどうされているのか知りたかっただけなの」


 いつまでも背に上ろうとしないアマリーに痺れを切らしたのか、ピッチィは腰を上げると驚くほど大きな口を開けた。


「ちょっと待って。嘘、だめだめ!」


 恐ろしく既視感のある光景だった。ピッチィが奥歯まで見えるくらいに大口を開け、アマリーの腹部にかぶりつこうとしている。



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