貴女は、ニセモノです
本日二話投稿しています。
こちらは二話目です。
ご注意下さい。
帰国を前日に控えたその日。
カーラが荷物の整理をしている間、アマリーはジュールに散歩に誘われた。ローデルに行けないことは、オデンを通じて既に伝えてあった。
アマリーはエルベ城の裏手の小道を歩きながら、ローデルへのお誘いを断ったことについて、ジュールを傷つけぬように語った。
「とても残念だけれど、急に滞在を伸ばすことは出来ないの。荷物のこともあるし」
気落ちした様子のジュールを慰めるように続ける。
「またローデルに招待して頂けたら、必ず来るわ」
きっと、リリアナ本人が来るだろう。
「次は私が貴女を西ノ国にお尋ねしよう。ーーオリーブ好きの国王陛下にもお会いしたい」
アマリーは歩きながら隣を行くジュールを見上げ、頷いた。だが例え西ノ国にジュールが来ても、彼が会えるのは自分ではない。そう思うと胸が少し苦しくなる。痛みを振り切るように、アマリーは笑顔で言った。
「お土産にトースをたくさん頂きましたの。きっと父もトースを気に入りますわ」
ジュールは声を立てて笑った。
トースを恋しく感じるのは自分だ、とアマリーは思った。
小道を行くとその先には、紫色の小花が一面に咲き誇っていた。
木々の根元を隠すように隙間なく絨毯のように広がる花々は、どこか非現実的で心が洗われるようだった。
どこからか、優しい歌声が聞こえてくる。
辺りを見渡すと、揃いの制服を着た城の下働きの女性たちが、花々の間で中腰になり、大きな布袋に花を摘んでいた。
染め物にでも使うのだろう。
女性たちは歌に合わせて花を摘み、その様子は実に楽しそうだ。
そうして優しい歌声を聴きながら二人で手を繋ぎ、ゆっくりと歩く。
やがて小さな噴水の前に辿り着くと、ジュールはそこで立ち止まり、アマリーと向き合った。
「渡したい物がある。受け取って頂けるだろうか?」
何だろう、と驚くアマリーの目の前に、ジュールは小さな木の箱を差し出した。戸惑いつつも受け取り、中を開けるとそこには銀色に輝く小さな筒と、それを首から下げるための鎖が入っていた。
「これは、ーーもしかして竜笛?」
「貴女に差し上げる。リリアナ王女専用の、竜を操る笛だ」
竜笛を貰えるとは、思ってもいなかった。一子相伝の技術で製作する貴重なものだからだ。
アマリーは竜笛からゆっくりと目を上げ、ジュールを見上げた。その嬉しそうな笑顔に引きずられてジュールも満面の笑みを浮かべていた。
二人で見つめ合い、笑みを交わすこの瞬間の胸の熱さを、アマリーは今まで知らなかった。これほど充足感に溢れ、心を焦がす出会いを、彼女は初めて知った。
恋に落ちるとはこういうことを言うのだろう。堪らず切ない思いが込み上げる。
留め金を外して装着してみると、竜笛の表面に刻まれた蔦と花々の模様を、人差し指の腹でそっと撫でる。
(でも、これは私のじゃないわ。帰国したら、リリアナ王女に渡さなきゃ……)
ジュールが腕を伸ばし、アマリーを抱き締めた。一瞬アマリーの息が止まる。
「また必ず我が国に戻って来てくれ。そして、その竜笛でピッチィと飛ぶと良い」
「……きっと、そうします」
「王太子殿下。竜笛を贈られるのはお待ち下さい」
唐突に木々の間に響いた低い声に、アマリーとジュールは身体を離して首を巡らせた。
花の絨毯を踏みしだきながら、二人の元へと歩いてくるのはマチューだった。片手に女物の扇子と、何やら紙の筒を持っている。
ジュールは僅かに眉間に皺を寄せ、棘のある声で問い掛けた。
「マチュー・ガーランド。何と申した?」
「時期尚早というものです。竜笛は我が国の竜騎士か、王族だけに所有が許可されております。ーーそれだけはなりません」
南ノ国では古来より竜笛を贈るのは求婚の印でもあった。そんなことはこの国の王太子であるジュールとて、百も承知だ。
「知った上で贈っている。ーーなぜいけない?」
マチューは薄ら笑いを浮かべつつ、二人の目の前に立った。その目が、大きな秘密を暴露する興奮に爛々と輝く。
片手に持っていた扇子をゆっくりと開くと、描かれた赤い薔薇が咲くように広がっていく。扇子の骨に使われた香木の落ち着いた良い香りが、風に乗ってアマリーのもとにまで漂う。
マチューはアマリーの正面に立つと、扇子を彼女の目の高さまで掲げた。
「これが何だか分かりますか?」
アマリーには分からない。
幾分硬い声でアマリーは答えた。
「ーー何が聞きたいの?」
マチューは乾いた笑いを立てた。
「おやおや。少しも驚かれないのですね。これは元々リリアナ王女様が長く愛用されていた扇子ですよ? しかも希少な香木を材料にしている」
マチューは扇子をジュールに手渡した。受け取ったジュールはそのまま扇子を一旦閉め、そこに刻まれた紋章をじっと見ていた。
そんなジュールの顔を覗き込むようにして、マチューは続けた。
「これはリリアナ王女様がドリモアに下賜した扇子なのですよ。ドリモアに言わせれば家宝とのことですが……」
マチューは値踏みするような視線をアマリーにやった。
「それなのに貴女はまるで覚えていない、とは」
いい加減にしろ、とジュールがマチューを一喝する。もっともマチューは薄ら笑いを浮かべるだけだった。
「これで確信が持てました。ーー貴女はリリアナ王女ではない。西の王が立てた王女の代役です。ーー余程我が国の王太子妃の座が欲しかったらしい」
空白の時間が流れた。
ジュールは隣に立つアマリーの顔を一瞥してから、再び視線をマチューに戻した。
「マチュー。お前は自分が何を言っているのか、分かっているのか? ーーお前こそ、余程中ノ国の王女を私の伴侶に据えたいようだな」
マチューは目を細めて微笑み、首を左右に振った。
「おかしな点は多々あったではありませんか。この王女には淑やかさや気品がない」
アマリーはムッとしたが黙っていた。
「同行した侍女もごく最近西ノ国の王宮に召し上げられたとのこと。おかしいではありませんか」
この男はカーラのことまで調べていたのか、とアマリーはゾッとした。
だがジュールは苛立って声を荒げた。
「無礼なことを言うな。ではここにいるリリアナ王女は、誰だと言うのだ、マチュー!」
「アマリー・ファバンク侯爵令嬢ですよ」
マチューはアマリーを鋭い目つきで睨んだ。
「ここにいるのは、リリアナ王女のフリをした、王女の従姉妹であるアマリー・ファバンク侯爵令嬢なのです」
頰を白くさせたアマリーを視界の端に捉え、マチューはほくそ笑んだ。ーーもっとだ。あの白い頰が、瞳の色のように青くなる様を見たい。そして美しい瞳に澄んだ涙が浮かべば、これ以上美しいものはないだろう。
「ーーアマリー・ファバンク?」
ジュールが発した声は、地を這うほど暗かった。
「リリアナ王女と似ていると以前から西ノ国で噂があった令嬢ですよ。不思議なことにアマリー嬢はリリアナ王女の出国と時を同じくして姿をくらましている」
これはなぜでしょうねぇ、と嫌みたらしくマチューが呟く。
手に持つ筒を開き、次にマチューが引っ張り出したのは丸められた画用紙だった。その上下を持ち、一気に開いた。
そこに描かれていたのは、椅子に座る一人の女性と、彼女を片手で抱き寄せながらカンバスに向かう男性の絵だった。アマリーとジュールは等しく目を見開き、食い入るようにそれを見つめた。
(これ、私……?)
一瞬アマリーはそれが自分かと思った。ゴブラン織りの椅子に横座りになり、自分を抱き寄せる男の方に身体を傾け、しな垂れかかるようにして微笑むその絵は、自分にそっくりだったから。
だが違うと分かったのは、その絵の女性のあられもない格好からだった。彼女はドレスの胸元を大きくはだけさせ、肌を大胆に露出させていた。
次に絵に描かれた男の顔を観ると、アマリーの心臓がどくんと強く打った。その女の肩を抱き寄せ、筆を片手に持つのは誰あろうアーネストだった。
キツくカールを巻いた黒髪に、少し憂いを帯びた暗い色の瞳。その姿は、着ている衣装こそ違うものの、間違いなくアマリーをあの国境の森で連れ去ろうとした人物そのものだ。
強張るジュールの表情に満足してから、マチューは続けた。
「本物のリリアナ王女はこちらです。些か煽動的な格好をなさっていますが……。ーーちなみにこれを描いたのは、この絵にもいる王女の恋人の近衛騎士です」
アマリーの肩がびくりと揺れた。マチューがリリアナ王女の元恋人の存在まで掴んでいたとは、驚愕する他ない。
画用紙を裏返すと、そこには「愛しい我がリリアナ」という達筆が記されていた。
アマリーはその字に腹わたが煮えくり返りそうだった。なぜあの近衛騎士は、こうも足を引っ張るのか。
なぜリリアナはこんな絵を描かせたのか。
(一体どんな状況になれば、淑やかな王女が近衛騎士の前で胸を出すって言うのよ!!)
マチューは予想に反して顔を赤く怒張したアマリーに向かって尋ねた。
「これは貴女ですか?」
ジュールの鋼色の瞳は感情を失ったまま、アマリーに向けられていた。思わず否定の言葉が飛び出す。
「違うわよ! 私の胸はもっと大きいから!」
マチューとジュールの目がはたと見開かれ、絵とアマリーの胸の辺りを往復する。二人はどう見ても両者の胸の大きさを見比べていた。
ややあってから、ジュールが呟く。
「なるほど。よく見れば確かに違うな」
よく見られた事が恥ずかしく、アマリーは胸を隠すように腕を組んだ。さらに谷間が強調されたことに本人は気付いていない。
マチューはどうにかそこから目を離すと、言い放つ。
「似ていないのはご本人ではないからですよ」
ジュールは手を伸ばして画用紙をマチューから受け取った。しばらくの間、そうして無言で絵を見下ろしていた。
自分の絵ではないが、その絵をジュールにじっくりと観られるのは、居心地が悪い。
「ーーそれでこの絵がなんだと言うのだ、マチュー」
「それが肝要なのです。リリアナ王女には愛する恋人がいた」
するとジュールは厭わしげにマチューを睨み、ではお前には一体何人恋人がいるんだ、と吐き捨てる。
マチューは苦笑しつつ、続けた。
「リリアナ王女はこちらへ来る気がなかったのです。そのアーネストという名の想い人がいるために。だからこそ、代役が準備されたのです。本物は恐らくは今頃、その近衛騎士と一緒にいることでしょう」
一緒にーー?
マチューの言葉にアマリーは目を瞬いた。リリアナ王女が今どうしているのかは分からないが、近衛騎士のアーネストと共にいるはずがない。
そもそもアーネストはアマリーが代役をしていることも知らなかった。
マチューは勘違いをしている。
マチューの情報に抜けがあると気付くと、アマリーは気を強く持った。
「酷い侮辱ですわ」
そう言い放つと、アマリーはマチューの目の前に進み出る。
「私がリリアナではないと主張するのなら、斬り捨てるか牢にでもいれて貰って結構よ」
アマリーはマチューの腰からぶら下がる剣の柄に指を巻きつけると、腹を据えた。ーー引き下がったら最後だ。
握り締めた剣を、マチューの正面でサッと引き抜く。
抜刀されたマチューは思わず一歩退いた。アマリーはその隙に手の中の扇子を奪うと、間髪容れずに剣を彼の手に押し付ける。
マチューは剣を手にしたまま、アマリーに憎悪に染まる視線を投げた。
「どうしたの? その覚悟があってこそ、それほど思い切った疑いをこの王女である私にかけているのでしょう?」
堂々と反論するアマリーに対し、マチューは歯ぎしりをした。
「良いでしょうーー斯くなる上は、国王陛下にもこのことをお伝えします」
「ガーランド公爵家を終わらせたいのか? これは完全にお前の誤解だ。彼女がリリアナ王女本人だということは、私が誰より知っている。絵を描いた近衛騎士が彼女を攫おうとした現場に居合わせたのだから」
アマリーは面食らった。ここでジェヴォールの森の話が出てくるとは思ってもいなかったのだ。絶句するアマリーの視線をしっかりと捉えて、ジュールは言った。
「リリアナ王女の隊列はこちらへの道中、賊に襲われている。ーーこの男は、私が森で斬り捨てた男に間違いない」
アマリーは無言で頷いた。
ジュールは感情が見えない鋼色の瞳をマチューに向けた。オデンの報告によれば、王女一行を襲ったのは賊だとのことだったが、近衛騎士の存在は知らされていなかった。だがデッサン画の男が、あの時剣を合わせた人物であるのは間違いない。
歯ぎしりをする勢いでマチューは言った。
「そのようなでまかせを仰らないでください! なぜ偽者を庇われるのです?」
「私が知る事実のみを話している。お前の主張が正しいのなら、なぜその男は隊列を襲ったのだ? 道理がない」
その時、木立の彼方から絶叫が響いた。
「マチュー・ガーランドォォォ!」
芝を蹴散らし、瞬足で杖を駆使して彼らの元へと駆けてくるのは、オデンだった。
そばまでやってくると、オデンは身体全体を揺らして息をしながら、マチューが握る剣を睨みあげた。
「何という無礼者!」
すると間髪容れずにマチューは反論した。
「ここにいるのは、偽者のリリアナ王女です!」
「何を言うかっ! この期に及んで血迷ったか?」
マチューはその冷たく整った容貌を歪め、その顎先でジュールが手に持つデッサン画を示した。
「本物はこちらだ」
あられもないリリアナとアーネストの絵を見とめ、オデンの顔が頭皮に至るまで真っ赤に染まる。
だがそのすぐ後で、彼はマチューを睨みつけた。
「何を言うか、ガーランド家の坊主め! この男は長年リリアナ様に横恋慕していた近衛騎士だ! 一方的な想いを勝手に募らせ、王女の南行きを妨害した罪で、今は王宮に囚われている!」
ここへ来てマチューは顔を引きつらせた。
まさかジュールとオデンが口裏を合わせているとは思えない。
「……だが、ここにいるリリアナ様は、愛用の扇子が分からないなど、」
「リリアナ様は千本を超える扇子を愛用されている。いちいち記憶になどない!」
マチューが次に発すべき言葉を思いつかずにいる一方で、アマリーも内心当惑していた。
オデンは既にアーネストの身元を知っていたらしい。
不意にジュールが動いた。
彼は持っていたデッサン画の上部を指でつまみ、徐にそれを二つに破いた。
今度はマチューが目を見開く番だった。
縦に真ん中で裂かれたその画用紙を、ジュールは纏めて持ち更に半分に破いた。ここへ来てマチューが叫ぶ。
「殿下! 何を……!」
対するジュールは至極平然としていた。ビリビリと更に細かく破いていく。最後は小さな紙片になったそれを、掌を広げて空中にまいた。
「王女に恋した近衛騎士が、王女を手に入れようとして起こした誘拐未遂だったのだろう。ーーお前のお陰で真相が究明できて目出度いことだ」
マチューは勢いを失い、散らばった紙片を拾うべきか迷いながら、声を震わせた。
「そんなはずは……」
「絵が似ていないのは、描き手の妄想に過ぎないからだ」
ジュールはアマリーから目を離し、再びマチューに向き直った。
「騙されたのは私ではないし、騙したのも彼女ではない。ーーマチュー。お前一人が、ガセネタをつかまされたのだ」
マチューの美貌が翳っていく。
そんなはずはない。情報屋に大金を支払ったのだから。それにこの娘とドリモアから聞いていた王女とでは、あまりに個性が違い過ぎる。
ジュールはマチューを瞳に捉えたまま、ドリモアの扇子を顎で指した。
「お前は自分が泥棒だと公言して憚らないのか? 墓穴を掘りたくなければ、その不敬極まりない絵も忘れよ」
マチューは剣をギリリと握り直し、アマリーから扇子を取り返そうと腕を上げた。それをアマリーが遠ざけ、マチューが奪い返そうと乱暴に彼女の右手首を掴む。
だがその時、咲き誇る花々の花弁を揺らすような咆哮が轟いた。
信じ難いものを視界に映している、といった風情で目を大きくするマチューに釣られ、アマリーは後ろを振り返った。
緑深い木々の間に、灰色のものが見え、すぐにそれはこちらに向かって走って来る一頭の竜だと分かる。
ピッチィ、とジュールが声を漏らす。
ピッチィがアマリーたちの方に向かって、走って来ていた。
今やドスンドスンと足音を立て、喉を唸らせてこちらへ向かってくるピッチィの表情は、お世辞にも友好的ではない。彼は明らかに何かに怒っていた。
アマリーが呆然と立ち尽くしているのを、マチューは見逃さなかった。
彼は今だとばかりにアマリーの手から扇子を奪い返そうと手を伸ばす。だがその直後、ピッチィが短く強く吠え、大股で地面を蹴ると四人の方へと飛び出して来た。
「これはどういうことだ!」
ジュールがピッチィの後方に向かって大きな声を出した。ピッチィの後ろから、数人の竜騎士たちが慌てふためいて走って来ているのを、その時アマリーもようやく気がついた。彼らは息を切らしながら答えた。
「申し訳ありません! 急に昼寝から飛び起きて、寝屋から駆け出してしまいまして……!」
ピッチィは昼寝をするのか、とアマリーが別の情報に気を取られていると、目の前に迫ったピッチィは驚くほど大きくその口を開けた。
次に起こったことはアマリーの想像を遥かに超えていた。
危ない!! という叫び声だけは当惑するアマリーの耳に明瞭に届いた。
ピッチィは見たことがないほど大きく口を開けた。
その白く輝く歯ばかりか喉の奥の、赤黒い空洞さえも視界に捉えられた。一歩も動けぬうちに、その口は眼前に迫った。ピッチィは限界いっぱいまで口を開けると、アマリーの腹部にかぶりついた。
オデンが大音量で叫ぶ。




