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ニセモノ王女の誕生

 デューラシア大陸には五つの国がある。

 北と南に巨大な国家である北ノ国と南ノ国があり、その両国に挟まれる格好で東ノ国と中ノ国、そして西ノ国が存在していた。

 北と西は長年仲が悪く、そこに度々漁夫の利を得ようと首を突っ込んでくるのが中ノ国であった。


 北ノ国は大陸西側の海上覇権を得ようと盛んに南下政策を推し進め、大陸西端に位置する西ノ国を常に脅かして来た。

 南に領土を広げようと邁進してやまないこの北の脅威に対抗する為、西ノ国は隣国である南ノ国と縁戚関係を結ぼうとしたのだ。

 すなわち、南ノ国のジュール王太子と、リリアナ王女の結婚を模索し始めた。

 これは歴史的にみても大事件であり、外交政策の一大転換でもあった。

 しかしながら完全なる政略結婚であり、当のリリアナ王女本人は、知らせを聞くなり卒倒した。乳母が彼女の身体を支えようと手を出すのがあと二秒遅ければ、床に頭を打ち付けているところだった。


 侯爵は言葉を失っているアマリーに言い聞かせるように言った。


  「リリアナ様に穏便に嫁いで頂く為にも、今回の顔合わせを成功させねばならないのだ。ーーそれに我が家はこのままでは、……もう売れる領地はほとんど残っていないのだ」


 アマリーは歳の離れた弟のケビンのことを考えた。自分は嫁げばなんとか暮らしていけるかもしれないが、弟は継ぐ財産がなければ、困窮するしかない。


「お父様、……では、約束下さいませ。一億バレンが手に入ったら、馬と手を切って下さい」

「勿論だ! この一億バレンは馬に使うつもりはない」


 侯爵家の今後も不安だったが、この身代わり計画自体にアマリーは身を震わせた。




 





 侯爵との話が終わりアマリーが台所に戻ると、侍女のカーラが料理の続きをしてくれていた。

 アマリーは台所の入り口でカーラを見つけると、足を止めて目を見開いた。


「カーラ。今日はもう帰ったのかと思ったわ。……勤務は五時まででしょう?」


 アマリーの乳姉妹でもあるカーラは、ファバンク家が困窮しても見放さず、しょっちゅう残業していた。


「知っていると思うけど、……残業代は出ないのよ」


 心配して念を押すアマリーに、カーラは苦笑した。


「分かっています。ーーご夕食がまだじゃないですか」

「料理を中断していたのよ。ちょっと、お父様に呼ばれて……」

「アマリー様、どうされたのです? お顔が真っ青ですよ?」


 その言葉に顔を上げると、窓に映った自分と目が合った。

 そこには現実を受け止めきれていない、呆然とした一人の娘が立ち尽くしていた。


(私がリリアナ王女の身代わりを務める……?)


 確かにアマリーの母は王女ではあったが、アマリー自身は王宮にも数えるほどしか行ったことがない。肝心のリリアナ王女には、一度しか会ったことがない。

 それなのに、身代わりなどバレずに果たせるのだろうか?


「カーラ。私ね、一億バレンの為に隣国の王太子様を騙してくることになったの」

「そうでしたかぁ。それは……はいっ!? えっ? 今なんて?」


 パンも、チキンもアマリーの世話を待っていたが、とてもだけど料理の続きをする気になどならない。今夜の食事など、喉を通りそうもない。

 そもそも王宮に行くのすらも、怖いのに。その上リリアナ王女のフリをしなければならないなんて。

 ……だがやらなければ、両親やアマリーは、この屋敷を失うのだ。そうなれば弟のケビンは学院を卒業して寄宿舎を出たら、住む家がなくなってしまう。

 この話自体があまりに突飛過ぎて、頭の中が痺れたような感覚を覚える。

 ただ、一億バレンという文字だけが脳内で異常な存在感を主張していた。

 王女のフリをして祝典に参加するだけで、一億。

 我知らずアマリーは唇を噛み、拳を固く握り締めていた。






 その夜、アマリーは侯爵夫人と抱き合ったり語らったりして、別れを惜しんだ。

 侯爵夫人はメソメソと泣きながら、アマリーに対する謝罪の言葉を繰り返した。


「シエーナ、いつまで泣いているのだ。アマリーが困るだろう」


 対する侯爵は夫人を宥めたが、彼女は一向に泣き止まない。


「アマリー。美しいお前ならば、隣国の王太子も一目で夢中にさせること間違いなしだっ!」


 発破をかける侯爵の顔をきっ、と睨みあげると夫人は言った。


「誰のせいでこうなったと……!?」


 珍しく大きな声を出し、更に夫に意見した侯爵夫人に二人は驚いた。侯爵は目を瞬くと、呆けたように静まった。


 アマリーを王宮から迎えに来たのは、黒塗りの馬車だった。目立たず王宮に入れるようにと選ばれた馬車で、アマリーはひっそりと侯爵家を出発し、人知れず王宮に向かった。


 こうして彼女はアマリー・ファバンクという名を一時的に捨てたのだ。





「これほど似ているとは……!」


 王宮に人目を忍んで潜り込むと、アマリーは国王夫妻に出迎えられた。

 国王はアマリーを見て驚いていたが、アマリーも彼が母に良く似ているので驚いた。

 リリアナ王女の兄殿下であるイリア王太子もアマリーを見て言葉を失っていた。彼自身はアマリーとは似ておらず、縦にも横にも大きな体格に、肉に半ば埋もれた瞳の持ち主であった。加えて彼は美白に並々ならぬこだわりがあるため、とても色の白い男性だった。

 アマリーはその白さに膝を折るのも忘れて、顔の色を見間違えたかと思って二度見してしまった。

 国王はアマリーの手を握り、申し訳無さそうに言った。


「そなたには厄介なことを頼み、本当に済まぬ。だが我が国はこの大事な機会を逃すわけにはいかぬのだ」


 そこへイリア王太子が割り込む。


「ファバンク家にとっても良い話だったであろう?」

「は、はぁ……」

「祝典に参加してくるだけで、巨費を受け取れるのだから」

「イリア!」


 国王は眉を顰めて王太子を叱った後で、悲しげに続けた。


「余の可愛いリリたんは身体が繊細なのだ」


 ーーリリたん……?

 リリアナのことだろうか。

 その繊細な身体で竜が闊歩する異国になど、嫁げるのだろうかという疑問は飲み込んだ。


「お早いご快復をお祈りします」

「そなたは我が国の外務大臣と南へ行ってもらうーーこれはうまく行けば、国を背負う縁談となるのだ。そなたには、大役を任せたぞ」


 お任せ下さいませ、とは到底言えずアマリーは無言で低頭した。





 アマリーの正体は国王夫妻とイリア王太子、それにごく一部の官僚と教育係を除き、誰にも知らされていなかった。

 王女の側近くで働いていた侍女たちは、王女と離宮へ行ってしまっていた。

 その代わりにアマリーの侍女であり乳姉妹であるカーラが侯爵夫人の嘆願により、共に王宮に上がり王女の侍女としてついてきてくれることになった。

 南ノ国に出発するまでは数日あったが、その間アマリーには教育係のレーベンス夫人という女性が付きっ切りで指導にあたることになっていた。


 レーベンス夫人はリリアナ王女が生まれた時から仕えており、リリアナ王女について誰よりも良く分かっているらしい。

 アマリーとカーラは王女の部屋まで案内されると、レーベンス夫人から早速ここでの過ごし方について教えられた。


「ここを出られたら、貴女はリリアナ様として完璧に振る舞わねばなりません」


 本物の王女の評判を落とされては堪らない、とレーベンス夫人の顔には書いてあった。彼女は手始めにリリアナ王女愛用の扇子をアマリーに手渡した。


「リリアナ様は扇子がお好きで、特に殿方の前では不躾な視線を遮るのにご活用されていました。リリアナ様は大層お美しいので、人目を引き過ぎましたから」


 その大層な美人と似ていると言われているので、何と反応すれば良いのか困った。とりあえずアマリーは無言で頷いた。

 レーベンス夫人はゴホンと咳払いをしてアマリーとカーラを見た。


「よろしいですか? リリアナ様は、基本的に二つのお言葉しか話されません」


 どういうことだろう。

 アマリーとカーラは揃って目を激しく瞬いた。

 リリアナ王女には幼児並みの言語力しかないのだろうか。二人は困惑して目を合わせた。


「リリアナ様は大変控え目で大人しい方なのです。余程のことがない限り、『よろしくてよ』と『まあ、そうですの』としかお口にされません」


(ちょっと信じ難い……。それが王女というものなのかしら?)


 動揺のあまり、アマリーは反応に困った。

 なんとか、リリアナ王女の人となりを理解しようと努力する。

 リリアナ王女はこの国の唯一の王女だ。高貴な王女というのは、無駄なことは言わず、ゆったりと万事を周囲に侍らせた者に任せるのかもしれない。


「ですので、お静かにされていれば、寧ろ本物のリリアナ様ではないと疑われることもないでしょう」


 アマリーはレーベンス夫人に対してやっとコクコクと頷いた。


「分かりました。かえってバレにくくて都合が良いかもしれませんね」


 途端にアマリーはレーベンス夫人に睨まれた。

 ……どうやら口を開き過ぎたようだ。

 アマリーは一瞬考えてから、返事をやり直した。


「まあ、そうですの」


 レーベンス夫人は満足気に頷いてくれた。




 昼になると西ノ国の外務大臣が王宮にやって来た。

 外務大臣はアマリーが偽物だとは露ほども思わず、初めて間近で見る王女に扮するアマリーの美しさを、初対面の挨拶がわりに褒めちぎった。

 オデンと言う名のその大臣は、茹で卵を彷彿とさせるツルツルの頭が印象的だった。

 オデンは硬い拳を握り締め、己の胸に当てた。


「南ノ国までは決して近くはありませんが、どうかこのオデンにお任せください」


 オデンはそのふくよかな指を、アマリーたちの間に広げた地図の上に滑らせる。


「ご説明申し上げます。我々は休憩を取りながら、国境に向かいます。一番の難所は我が国と南ノ国の間に横たわるジェヴォールの森です。昼間でも暗く、ならず者が住み着いております」


 人喰いの獣や恐ろしい虫も生息していると耳にしたことがある。そう尋ねようとして、アマリーは素早く言葉を飲み込んだ。

 代わりにただ、鷹揚に頷く。


「そうですの……」


 私はリリアナだ、と自分に言い聞かせる。


「この広大な森の中間線に国境があり、南ノ国の迎えが待機しています。そこで馬車を乗り換え、国境を越えてそのまま南ノ国のシュノンに向かいます」


 シュノンは国境近くにある小さな町だった。

 そして翌朝、シュノンからエルベという南ノ国第二の街へ行き、エルベにて祝典が行われた後、数日ほど現地に滞在し周辺の街を周遊した後、西ノ国に戻るのだという。


(ほんの少し滞在するだけで、一億バレン……。上手くいけば、二億)


 任務は耐え難かったが、報酬も耐え難いほど欲しかった。

 アマリーは地図の上に書かれたエルベという文字を、穴が開くほどジッと見つめた。






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