震える心
本日、三話投稿しています。
三話目です。ご注意下さい。
祝典の翌日、アマリーとエヴァはエルベの街を観光した。
馬車に乗せられ、主要な名所を案内してもらったのだ。
女性同士で丸一日一緒に出掛ければ、交友関係が深まりそうなものだが、二人の関係はそんな温いものではなかった。車内は相当気まずい雰囲気であった。
ジュールがいればまた違ったのかもしれないが、残念ながら彼は同行しなかった。
旅程を終えて馬車が城への帰路につくと、車内の重たい沈黙を破ってエヴァが口を開いた。
侍女たちが話しているのを耳にしたのだ。ジュールがリリアナをローデルに誘ったと。
声をかけられなかったエヴァは、自尊心を傷つけられながらも、尋ねた。
「リリアナ様はローデルに誘われているのですってね」
「ええ」
「ーーわたくし小さい頃からこの国に遊びに来ていましたの」
そのようですわね、とアマリーは返事をした。どうしたのだろう、何が言いたいのか。
確かなのは、狭い車内の空気が更に悪くなった、ということだ。
「……その頃から、六歳の時からジュールお兄さまをお慕いしているの」
アマリーはやや硬くなりながら、エヴァと目を合わせた。エヴァは真剣そうに見開いた緑色の瞳を向け、膝の上の手を握り締めている。
「南ノ国に初めていらしたリリアナ様は、まだ何もジュールお兄様のことを分かってらっしゃはないはずよ」
「エヴァ様。お慕いしている年月の長さが全てではないのではないかしら?」
「わたくしはジュールお兄さまを心からお慕いしているの。心からジュールお兄さまをお幸せにしたいと思う気持ちがないのなら、お妃様になる資格はないわ」
「私もお慕いしてます」
その台詞はリリアナ王女としての芝居のつもりだったが、思った以上に口から滑らかに出た。
だがそれを受けてエヴァは顔を怒張させた。
「嘘よ」
アマリーは何も言い返さなかった。
嘘ではないと反論しても、水掛け論になるだけだと思ったのだ。
アマリーは車内の雰囲気にいたたまれなくなり、窓の外に目をやった。
嘘よ、というエヴァの高い声が、耳の中にこびり付いて離れなかった。
城に戻るとオデンがアマリーに駆け寄って来た。
その表情を見て、何か悪い知らせがあるのだろう、と察する。
「リリアナ様、大変です。先程我が国から使者が来たのですが……北ノ国の軍隊が昨日サバレル諸島に上陸し、西ノ国系の島民たちを追い出し始めたそうです」
アマリーは絶句した。
サバレル諸島を狙っていた北ノ国が、ついに実力行使に出たのだ。
西ノ国は相当舐められているらしかった。
概要を伝えるとオデンは言いにくそうに切り出した。
「……実は、国王陛下からのリリアナ様へのご伝言も預かっております」
なぜかオデンは言うのを躊躇っている。アマリーは続きを促した。するとオデンはアマリーの顔色を窺いながら、声を落とした。
「陛下が、絶対にジュール王太子の妃の座を射止めよ、と」
「……簡単に言ってくれるわね」
アマリーは苦笑したが、すぐに笑みは消え失せた。
眉根を寄せ、厳しい表情で廊下の先を見つめるアマリーの白い顔をオデンは見つめた。彼女が右手に握る銀色に輝く小さなクラッチバッグが、小刻みに震えていることにオデンは気づいた。
「リリアナ様……、どうかあまり気負わずに。ーーそれに、王太子殿下からはローデルにも招待されているではありませんか」
それは素晴らしい兆候だとおずおずとオデンは笑顔を見せたが、アマリーの険しい表情に変化はもたらせなかった。
アマリーの柔らかな金色の髪を伝い、彼女の頰に汗が滲んでいる。
この王女は何やら自分が考えている以上に、困難に直面しているようだとオデンは彼女をじっと見つめた。
気がつくとアマリーは城の裏手をぶらぶらと彷徨っていた。
城の中にいると落ち着かなかった。
常に周囲に人が侍り、アマリーの一挙手一投足を見ているのだ。気が休まらず、とても窮屈に思えた。
外の空気を吸うととても開放的な気持ちになった。
森を歩きながらアマリーは考えた。
王太子に誘われたローデル行きを、どうすれば良いのか。
「はぁぁ、どうしよう……」
ため息混じりに漏らすと、身体から力が抜けた。すぐ横にちょうどゴツゴツした木の幹のようなものが見え、何の気なしにそこに寄りかかる。
だがアマリーが体重を預けた瞬間、木はゆらりと揺れた。
「えっ……?! なに?」
度肝を抜かれて急いで身体を離すと、すぐ後ろからグエエ、と鳴き声がした。木の幹が動いたと思うと、その緑色の目に射抜かれる。
なんとアマリーが寄りかかったのは、木ではなく一頭の竜だった。心臓が縮み上がるかと思った。
自分は相当疲れているらしい。
よく見れば竜はピッチィだった。知った竜だと分かって少しホッとする。
ピッチィ、と呼びかけると竜は嬉しそうに唸った。
「どうしてここに……? さてはどこからか私をつけてきたのね」
ピッチィは頭をやや傾げて、そのままアマリーの前に頭を突き出した。アマリーはほんの少しの恐怖を覚えながらも、手をそろそろと伸ばし、ピッチィの頭の上を撫でた。
「また今度私を背に乗せてね」
ピッチィは頭を撫でられながら、低く甘えるように唸った。
「いつのまにか随分と仲良しになられたようだ」
木々の間から低い声がして、アマリーはあっと驚いた。
ピッチィとアマリーから少し離れた所にジュールがいたのだ。
「ジュール様こそ! いつの間にここに?」
「貴女を追うピッチィを見つけて、つい追いかけてしまった」
「まぁ。私ったら人気者ね」
軽い冗談のつもりでいったのだが、ジュールは穏やかな笑みを浮かべたまま、黙っていた。
ジュールはアマリーに一歩近づくと、言った。
「リリアナ王女。昨日貴女に提案したローデル観光の件だが……。オデンと相談して貰えただろうか?」
ぎくりとアマリーの胸が痛む。返事の内容がまだ決められずにいるのに。
アマリーが躊躇していると、ジュールは彼女の手を取った。
「悩んでいるのなら、貴女に見せたいものがある」
ジュールと手を繋ぎ、彼に先導されるとアマリーの頭の中が頼りなく舞い上がる。考えないといけないことが山積みなのに、歓喜に酔いしれている場合ではないのに。
「ジュール様……。一体何をーーどこに向かっているの?」
彼は城の裏にある、竜騎士たちの訓練場へアマリーを案内した。
竜騎士の訓練を外部の人間に見せることは滅多になかったが、ジュールは今どうしても、その必要があると感じた。
城の裏手にある森を切り開いたその場所には、三十頭近い竜たちが揃い、竜騎士を背に乗せていた。
筋骨隆々とした竜騎士が竜を走らせ、片手で手綱に捕まったまま飛翔する。アマリーは首を仰け反らせてその動きを追った。
竜はその後すぐに急降下してくると、訓練場の中央に設置された敵を想定した木製の模型を、剣でなぎ倒した。
その凄まじい音と迫力に気圧され、肩が震える。
「竜の飛ぶ勢いが加わって、一太刀の威力が格段に上がっているのね」
アマリーが感心してそう呟く。
しばらくそうして竜たちを眺めていると、やがて竜たちは地上に降りて休憩を始めた。そのうちの一頭が背から降りた竜騎士に向かって、長い首を傾けて顔を突き出していた。
アマリーはハッと目を見開いた。
「竜珠が、……竜珠が光っている!」
良く晴れていて明るいので分かりにくいが、竜の耳の付け根辺りが白く輝いていた。
「凄いわ! ああやって光るのね!」
信頼があってこその、訓練なのだろう。
竜騎士の両手が、主人に触れて貰うのを待つ竜の頭に近づいていく。やがて彼が竜珠に触れると、輝きは収束した。
目を凝らしながらもアマリーは小さな溜め息をつく。ーーもう少し、竜珠が光っている様子を眺めていたかった。
この国には、本当に不思議なものがたくさんある。
短い休憩が終わると、今度は飛んでいる二頭の竜の背から背へと、ひとりの竜騎士が飛び移る練習をはじめた。その身体能力の高さに、尊敬を通り越して唖然とする。
「南ノ国では竜だけでなく、騎士達も超人的だわ」
アマリーがため息混じりにそう言うと、ジュールは笑った。豪快な笑い声をひとしきり立てていたが、その後すぐに笑いを収めると、竜騎士を見つめるアマリーに視線を移した。その鋼色の瞳に、珍しく傲慢さを感じさせる強気な表情が宿っていた。
ジュールはアマリーに一歩近づき、ゆっくりと話しかけた。
「リリアナ王女。もうご存知だろうか……?ーー北ノ国がサバレル諸島に軍勢を押し進めたとか」
「え、ええ」
動揺したアマリーは数回瞬きをしながら、円陣を組んで飛ぶ竜騎士を見上げていた。
「我が国の竜と、騎士達をどうご覧になる? 北ノ国と竜騎士が戦えば、必ず勝利するだろう」
びくりとアマリーの頰が引きつる。それこそが、リリアナ王女を輿入れさせたがっている、西ノ国の最終的な目的に他ならない。
西ノ国王は、竜を切望していた。
ジュールはアマリーの横顔を見つめながら、続けた。ーー自分が底意地の悪い笑みを浮かべていることを自覚しながら。
「リリアナ王女。私の妃になれば、我が国の竜騎士をサバレル諸島にすぐにでも送ろう。援軍として」
最早これでは脅迫だ、と自嘲しながらもジュールは発言を撤回しなかった。それどころか不安げに揺れる青い瞳を、無理やり自分に向けさせた。彼女の顎に手をかけることによって。
「貴女は私の妃になるべきだ」
アマリーは目の前に迫るジュールの端正な顔に、平静ではいられなかった。心臓はばくばくと高鳴り、頭の中が焦りのあまり弾けそうであった。
(落ち着いて。落ち着くのよ……!)
ここで舞い上がっても、逃げ腰になってもだめだ。
アマリーは密かに呼吸を整えると、苦心して挑戦的な表情を作り、ジュールに視線を返した。
「サバレル諸島の為だけに、私に嫁げと仰るの?」
ジュールは黙っていた。その表情は酷く読みにくい、とアマリーは思った。
はっきりしているのは、彼は続きを待っているということだろう。
「私が国益の為の繰り人形だと?」
「それは違う」
「ではなぜ、私を脅すの?」
ジュールはやや乱暴にアマリーの二の腕を取り、そのまま力強く自分の方へ引き寄せた。アマリーの顔がジュールの胸板にぶつかる。
「貴女が好きだからだ」
両腕ですっぽりと抱きしめられ、アマリーは一瞬にして頭まで血が上った。
その言葉は待ち望んだものたった。おそらく西ノ国の王城を出た時から。
そしてそれをジュールに言ってもらうことは、想像していたより遥かに大きな喜びをアマリーにもたらした。
胸がはち切れんばかりの嬉しさに、アマリーは狼狽した。
どうしても、自分の手を彼の背に回し、もっとその温もりを感じたくなった。ーーリリアナ王女のフリをしているからでも、勿論サバレル諸島の為などではない。ましてやお金のことなど、もうアマリーは思い出しもしていなかった。
ただ、ジュールとアマリーとして抱き合いたいと強く思ったのだ。
けれど、この一線を越えてはならない、と頭の中でもう一人の自分が警鐘を鳴らしていた。
(この人は王太子よ。ーー強国、南ノ国の次の王になる人よ……)
そんな人と抱き合う資格など、自分にはあるはずもない。そんなことをしてどうするつもりなのか。偽者の王女としての今の自分は、抱き締められれば十分だ……。
けれどダメだと分かっていながらも、両手をそろそろと上げてしまった。
込み上げる愛しさを我慢できないような、深い溜め息をジュールがアマリーの耳元で漏らし、アマリーは思わず釣られたようにジュールの身体に腕を回し、抱きしめ返してしまった。リリアナ王女としてではなく、ただひたすらアマリーとしての行動であった。
ーー嘘よ、と呟くエヴァ王女の声が脳裏に蘇る。だがアマリーはぎゅっと両目をつぶってその声に抵抗した。
(嘘じゃないわ。この気持ちは、……私だけのものよ……)
そう自覚するのは何一つ嬉しいことではなかった。
なぜならアマリーはリリアナ王女ではない。
(妃になるのは、私じゃない。リリアナ王女よ)
リリアナ王女、とジュールが優しい声で耳元に呼びかける。今やその偽りの名が、アマリーには辛かった。
自分の名はアマリーだ。アマリーと呼んでほしい……。
ジュールに抱きつきながら、アマリーは猛烈に切なくなった。
こんなに近くにいるのに、彼が抱き締めているのはアマリーではないのだ。自分には彼に求められる資格など、ありはしない。
自分の気持ちを自覚すればするほど、心がぐちゃぐちゃに震えた。
ついた嘘が大きすぎて、今更どうしようもなかった。
(私ったら、呆れるほど馬鹿だ……)
腕の中のアマリーの混乱になど気づくはずもなく、ジュールは畳み掛けた。
「ローデルに共に来てくれるか?」
「ーー待って。考えさせて」




