離宮のリリアナと王妃
本日、三話投稿しています。
二話目です。ご注意下さい。
自然に囲まれた離宮の静寂な世界を、一台の馬車が打ち破る。
黒塗りの小型の馬車から素早く降り立ったのは、西ノ国の王妃だった。
王妃は顔をヴェールで隠したまま明かりも持たずに廊下を歩き、娘であるリリアナ王女を見舞った。
突然の訪問に驚いたリリアナは、乳母の手を借りて寝間着からドレスに着替えて母親を出迎えた。
「リリアナ、具合はどう? 急に訪ねてごめんなさいね」
王妃は離宮の小振りな客間のソファに腰掛けると、ヴェールを脱いだ。
熱はかなり下がり始め、今は微熱だと伝えると王妃は安堵の溜め息をつき、出された茶を一口飲んでから人払いをした。
王妃はそれでもまだ隅にいた乳母をひと睨みすると、彼女も追い出した。
「あの、お母様……?」
外の暗闇を不安げに一瞥してからリリアナは目の前に座る王妃を見た。
時刻を考えれば、ただ娘の体調を案じてやって来たとは思えない。
王妃はじっとリリアナの顔を観察してから口を開いた。
「南ノ国に向かった我が国の隊列を襲った愚か者がいたのを、知っているかしら?」
リリアナが頷く。
王妃はソファから腰をずらし、少し前に座りなおして距離を詰めた。二人の間に置かれたランプの灯りが揺れる。
そうして、王妃は賊を雇った不届き者は捕らえられ、今は王宮の北の塔に監禁されて取り調べを受けているのだと教えた。
北の塔、と聞いてリリアナは可愛らしく首を傾げた。
王女の隊列を狙ったとはいえ、王宮の敷地内に捕らえているという点に少し違和感があった。
王妃はいつもより低い声で尋ねた。
「貴女はアーネストと別れたのよね? まだ付き合っていたの?」
リリアナはなぜアーネストのことを今聞かれるのか、分かりかねた。息を瞬時に吸いこんだ後、口を固く噤んで首を左右に振った。
「別れました……!」
「ーー貴女の気持ちももう、アーネストにはないのよね?」
暗い部屋の中でさえ、リリアナの顔色が変わったのがはっきりと分かった。
そしてそれ以上王妃の顔を見続けるのは困難だとでもいうように、目を逸らして己の膝を見た。
乳母に助けてほしいが、今この場にはいない。
リリアナの手がぷるぷると震え、青い瞳は動揺して客間の中を彷徨う。
「リリアナ……」
王妃は感情的にリリアナ王女を問い詰めてしまいそうになる自分をどうにか抑えた。
南に向かった隊列を襲った賊の黒幕は、すぐに判明し、あろうことか辞めたばかりの近衛騎士だと分かった。
近衛騎士が王女の南の祝典への参加を妨害しようとしたという、公表するにはあまりに不都合な事実は、外部に漏洩することがないよう徹底された。取り調べは秘密裏に行われたのだ。
そうして発覚したアーネストというその近衛騎士の名に、王妃は聞き覚えがあった。リリアナ王女が隠れて交際していた男の名だった。
だが捕らわれたアーネストは口を噤み、拷問を伴う苛烈な取り調べに対しても、一切動機や背後関係を話さなかった。
王妃は頭痛にでも襲われたかのように、片手で側頭部を押さえた。
「良いですか、リリアナ。ーー北の塔に捕らえられているのは、貴女の秘密の恋人だったアーネストです。ーー隊列を襲ったのは彼なのです。貴女を攫うために」
王妃に告げられたその意味をリリアナが理解するまで、少し時間が必要だった。そして理解するとリリアナはふるふると被りを振った。
嘘だと、王妃は作り話をしていると思いたかった。
王女を襲ったのは身代金欲しさの連中であって、アーネストだったはずがない。彼はただ、姿をくらましているだけだ。
そう信じたかった。
「そんな……」
そんなはずはない……! ーーいや、本当にそうだろうか?
アーネストと過ごした日々が押し寄せる波のように思い出された。リリアナは彼と二人きりになりたくて、王女という不自由な立場を散々嘆いた。
ーー私を攫って自由にして。
ーー貴方と一緒に誰も知らないどこかへ行きたい。
そんな言葉を幾度となく吐いた。
(まさか。本当に、……アーネストが私のために……!?)
胸が苦しくなってリリアナは自分の顔を両手で覆った。
王妃はリリアナの隣までくると、彼女が座るソファに共に腰掛けた。
「泣いている場合ではなくてよ。この国の唯一の王女たる貴女が、近衛騎士などとは結ばれようがないと分かっているわね?」
ましてや今や大罪を犯した男だ。
「貴女は南に嫁ぐのよ。アーネストなどという男など、知らなかった。良いわね?」
リリアナは涙に濡れた顔を上げ、王妃を見つめた。
「お母様。彼に寛大な処置をどうかお願いします」
何を言うのか、と王妃は娘をにらんだ。
ジェヴォールの森で賊と戦い、犠牲になった兵たちの遺体は、皆英雄として讃えられて王宮の教会に運び込まれ、国王列席の上で葬儀が行われた。犠牲者たちはその勇敢な行動を評価され特進をしたが、その棺に縋り付く家族たちの悲痛な顔を思い出すと、王妃は胸が締め付けられた。
彼らは王女を守るために戦い、破れたのだから。
馬車から連れ出され、攫われかけたアマリー・ファバンク侯爵令嬢が味わったであろう恐怖も、察するに余りあった。
それなのにリリアナはアーネストただ一人の身を案じているだけに思えた。
「リリアナ。このことは絶対に知られてはならないのよ。アーネストは秘密裏に処分されるでしょう」
(嫌……そんなのは嫌よ……!)
リリアナは激しく首を左右に振った。
「彼を助けてくれないのなら、私は南の王太子様のもとへ嫁ぐつもりはない、とお父様に伝えて」
リリアナ、と王妃は喘いだ。
アーネストの愛がこんなに深いものだったなんて、とさめざめと泣くリリアナを前に、王妃は己のこめかみに手を当て、うな垂れた。




