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葡萄酒祭り②

 王太子たち一行が中央広場に到着すると、葡萄酒祭りの高揚は頂点に達した。

 二人の隣国の王女たちには南ノ国の外務大臣とエルベの商工会長が付き従い、祭りの由来やエルベ名産の葡萄の説明をした。

 最早ここまでの道すがら集めた注目とは比較にならないほど、アマリーたちは人々の好奇の的になっていた。

 数えきれないほどの瞳が、アマリーを見ている。皆、それだけ西ノ国の王女に興味があるのだろう。


 広場には屋台がひしめき、祭りを楽しむ人々で結構な混雑ぶりであったが、その喧騒に気後れすることなく、エヴァやジュールはにこやかに案内されるまま、場内を練り歩いた。

 広場の中心には舞台が設置され、膝丈くらいの高さの木製の巨大な桶が置かれ、十人ほどの人々が中に入って何やら足踏みをしていた。


「あれは何ですか?」


 気後れして仕方がないアマリーが舞台を指差しながら外務大臣に尋ねる。すると外務大臣は破顔一笑した。


「葡萄の搾汁をしております。あのように足で踏み潰し、果汁を集めるのでございます」


 アマリーは目を見張った。

 どうやら木桶の中には葡萄の果実が詰められているらしかった。その中に人が入り、足の裏で踏むことにより、果汁を出しているのだ。

 なるほど、ひとりの女性が交代の為に桶から出ると、彼女が高く上げた足がアマリーにも見えた。女性の足はくるぶしまで紫色に染まっている。

 足で踏んだ果汁から酒が作られるのは知っていたが、目の前でその作業を目撃するのは初めてだった。

 アマリーの無言の驚きを敏感に察知したのか、ジュールは後ろから声を掛けた。


「希望者は誰でも参加できる。エヴァとリリアナ王女もいかがか?」


 エヴァはぷっと頰を膨らませて首を左右に振った。


「まぁ、ジュールお兄さまったら……。わたくしたちの足を葡萄まみれになさりたいの?ーーそれに膝まで足を見せるなんて出来ませんわ」


 この言動はアマリーの対抗心に火を付けた。


(ーーコレが出来ない、ですって?)


 アマリーはジェヴォールの森を彷徨った後、南の兵たちやジュールの前で、膝まで足を晒していた。

 足を洗うためだ。

 それに木桶の中の女性たちは、一生懸命だし楽しそうですらある。祭りの参加者たちにも人気のイベントらしく、足踏み体験をする為に、女性や子どもたちが列を作って順番を待っている。

 ーーやってみようではないか。


「お言葉に甘えてやってみますわ」


 気がつくとアマリーは高らかにそう宣言していた。

 一瞬聞き間違いかと思ったジュールは、冗談だから忘れてくれとアマリーに言おうと口を開きかけた。だがその前にアマリーは兵たちの間を擦り抜け、舞台下に駆けつけていた。

 慌てて追いついたジュールが、アマリーに詫びる。


「悪戯心で申し上げた。王女様がたにお勧めするものではない」

「あら、なぜ? 楽しそうだからやってみますわ。見ているよりやる方が数倍面白そう」


 舞台周辺にいた人々はこれに大喜びし、競ってアマリーに順番を譲った。そうしてあっという間に木桶の前まで辿り着くと、彼女は舞台の上にいる人々に歓迎され、皆に促されて靴を脱ぎ始めた。ジュールは舞台下で、予想もしないアマリーの行動から目を離せなかった。

 葡萄は紫と緑の二種類があり、木桶も二つあったが、流石に皆王女のドレスを汚すことを危惧したのか、緑色の葡萄の方へアマリーを案内した。

 カーラの手を借りて靴下を外すと、颯爽と足を踏み出して、木桶の中に入っていった。

 ぶしゅっ、と足の下で葡萄の粒が潰れる感触があった。

 片足を上げると、足裏に葡萄の皮が貼り付き、くすぐったい。初めて経験するその奇妙な感触に、自然と笑みが溢れ、笑い声が転がり出て止まらない。

 木桶の中の葡萄は殆どが既に踏み潰されていたが、係りの者は気を遣ったのか、次々に新鮮な葡萄の果実を投入していった。アマリーは律儀にそこへ向かって行き、スカートの裾を両手に絡めて懸命に踏み潰した。

 舞台の周囲はどよめき、沸き立った。

 大人たちは両手を叩いて大喜びし、子どもたちは歓声を上げて舞台周りを走った。


(こんなことで喜んでくれるなら、やって良かった……!)


 ベシャっと音がしてアマリーが顔を上げると、後ろにいた若い女性が葡萄に足を滑らせ、尻餅をついたところだった。


「大丈夫?」


 すかさずアマリーが手を差し出すと、女性は感激に打ち震えたように涙目になり、かえってアマリーを困惑させた。

 女性を助け起すと、舞台下で再びどよめきが起きた。

 何だろう、と振り向くとなんとジュールが舞台の階段を上がって来るではないか。風にマントを靡かせ、口元に笑みを浮かべていかにも堂々とこちらへ向かって来ている。

 目を白黒させるアマリーの近くへ歩いて来ると、ジュールは挑戦的な眼差しを彼女におくった。


「私もやることにした」

「えっ……!?」

「貴女の仰る通り、やる方が楽しいのだろう」


 ジュールは敢えて紫色の葡萄の木桶に向かった。

 裸足になったジュールが葡萄に体重をかけ始めると、舞台下からは王太子の名が連呼された。

 女性たちの黄色い悲鳴じみた歓声も聞こえる。

 アマリーは服が汚れるのも構わず、リズミカルに足を動かすジュールを見て呆気にとられた。


(ーーだって、この人は王太子様なのに?)


 王太子が祭りに興じる民と混ざって果汁まみれになっていく様がとても新鮮で、アマリーの胸を衝撃で満たした。

 西ノ国の白光り王太子ならば、天地がひっくり返ってもやらないだろう。

 我知らずアマリーは呟いた。


「面白い人……」


 葡萄を踏みしだくジュールを驚いて眺めながら、ようやくアマリーが木桶から出ると、カーラが首尾良く濡れたタオルでアマリーの足を拭ってくれた。


「か、カーラ……そのタオルって……」


 赤いそのタオルには見覚えがあった。

 端に葉の刺繍がされたそれは、間違いなく中ノ国の王女が先程往来で配っていたものだ。


「エヴァ様の侍女が、紙袋から幾つか落としてたんです」


 カーラは何食わぬ顔で続けた。


「落し物はちゃんと拾わないと」

「偉いわ、カーラ」





 アマリーたちが舞台から降りると、中央広場には男たちに担がれて大きな樽がたくさん運ばれて来た。男たちは樽の上部を木槌で破り、中身の葡萄酒を腕の太さほどの筒に汲み上げていく。

 時を同じくして、腕まくりをした男たちが荷馬車を回して来て、山と積んだ葡萄を広場に運び込み出した。

 アマリーたちはその邪魔にならないよう、広場の隅の方へ移動した。


「いよいよ、葡萄酒祭りの見せ場だ」


 ジュールがアマリーとエヴァにそう告げた。

 どんどん運び込まれる葡萄と葡萄酒を見つめながら、アマリーは尋ねた。


「あんなにたくさんの葡萄をどうするの?」

「早摘みの葡萄は酸味が高い。食べるにも、酒にするにも適していない」

「じゃあ一体……」


 ジュールは眩しい笑顔を向けた。


「皆で投げ合い、掛け合うのだ」


 きゃー、どうしましょう! と可愛らしく慌てるエヴァをジュールが宥めた。


「広場の真ん中に近寄らなければ、被害を受けることはない。もっとも、まじりたければお止めはしない」


 とんでもない! とエヴァはかぶりを振った。

 やがて老若男女問わず葡萄の山に群がり、腕いっぱいに抱えると互いに投げ合い始めた。それは雪合戦さながらの葡萄合戦だった。

 耳が痛いほどの歓声の中、広場は瞬く間に葡萄まみれになっていく。

 落ちた葡萄の実は群衆に踏み潰され、更にそれが拾い上げられて又投げ合いに使われる。

 そうしていく内に広場にいる人々は上から下まで、葡萄の果汁で汚れていった。終いには汚し合うのが目的となったようで、大の大人が潰れた葡萄を両手に持って、通りすがりの人々に塗りたくり始めた。

 更に驚くべきことに、葡萄酒の水鉄砲が放たれ始めた。大きな筒に細い棒を押し込み、その先から勢い良く紫色の液体が押し出される。人々は黄色い声を上げて逃げ惑い、その中を筒を持つ若者たちが走り回る。

 敢えて葡萄酒鉄砲の前に飛び出し、全身を紫色に染め上げる強者までいる。


「葡萄酒祭りには、捨てても良い服で臨む者が多いのだ」

「そうでしょうね……」


 ジュールはアマリーに尋ねた。


「我が国の祭りに呆れてしまわれたかな?」

「いいえ。でも驚いています」


 するとエヴァが花のように微笑んでジュールを見上げた。


「とても楽しいお祭りですわ!」


 じきにどこからか楽器隊が登場し、軽快な音楽を奏で始めた。その音に乗り、広場の人々はダンスを始めた。

 葡萄を投げ合う人々。

 その間を踊る人々。

 時折飛び散る葡萄酒鉄砲。

 最早混沌としていた。そこにあるのは、ただ盛り上がろうとする人々の全力だった。


 広場の隅から祭りの絶頂を眺めていると、ジュールが踊る人々に視線を投げながら口を開いた。


「リリアナ王女。そう言えば昨夜は靴ズレで足が痛かったとか。思うように踊れなかったのでは?」


 思ってもいなかったことを言われて、アマリーはジュールを見上げた。


「ええ……。そうですけど……」

「では踊り直そうではないか。今、お相手願えるか?」

「えっ……!? 今?」


 つい動揺して広場の光景を凝視してしまう。

 そこで踊る人々はペンキでも被ったように、葡萄まみれで踊っているのだ。


「どうせ貴女のドレスは既にかなり汚れている」


 釣られて視線を落とせば、確かに裾に果汁らしき染みが点々と飛んでいる。


(ーーアマリー。ここで引いたらこの勝負、負けよ……!)


 高級品であるリリアナ王女のドレスが何色に染まろうと、大した問題ではない。どうせ自分のものではない。

 二億バレンが、アマリーの背中を力強く押した。


「ジュール様と踊れるなら、もっと汚れようと構い……」


 アマリーは最後まで言えなかった。

 突然腹のあたりに軽い衝撃を感じた次の瞬間、それは冷たさに変わった。ぎょっとして見下ろせば、自分のドレスに紫色の巨大な模様が出現している。


「な、な、な……」


 何だコレ。

 どこからか葡萄酒鉄砲を掛けられたのだと頭の片隅では理解しているのだが、現実を認めたくない自分がいて言葉に出来ない。ここにいれば安全と言ったのは誰だ。


「なんと。援護射撃があろうとは」


 どこまでが冗談なのか分からぬ口調でジュールはアマリーに言った。

 ジュールはアマリーの手を取ると、大股で広場の中央に向かって行った。警護の兵たちがざわついたが、ジュールは動じることなく進んだ。

 人々の波に飛び込むと、二人は向かい合った。

 ジュールの手がアマリーの背中に回され、もう片方の手を繋がれた。夜会で貴人たちが踊るようなダンスではなく、皆が踊っているのは二人でステップを踏みながらぐるぐると回る、もっと単純なものだった。二人もそれを見よう見まねで、踊り出す。

 足元には潰れた葡萄が散乱し、時折流れ弾のように葡萄酒が飛んでくる。おまけに足元に散乱する葡萄の皮で滑り、何度も転んだ。だが何度目かの転倒をすると、何かが吹っ切れて途端に可笑しくて仕方がなくなった。あとはひたすら、滑る度にアマリーとジュールは大笑いをした。

 何より、皆で葡萄まみれで踊るのがたまらなく愉快だった。

 人口密度の高さのせいで、次々に周りの人にぶつかる。その度にドレスも汚れて行くのだが、そのうち全く気にならなくなった。

 そこに王侯貴族の別はなく、ただ、皆で祭りというイベントを全身で楽しんだ。

 広場の隅から外務大臣や侍女たちが、両手を叩いて二人のダンスを応援しているのが見えた。エヴァはただ、立ち尽くしている。


「実は一度で良いから葡萄酒祭りで踊ってみたかったのだ」


 笑いを含んだ声でジュールにそう言われ、はっと顔を上げる。

 ジュールの鋼鉄色の瞳と目が合うと、ドキンと胸が騒ぐ。

 顔は飛んできた潰れかけた葡萄のせいで、濡れていた。あれだけ入念にやった化粧が水の泡だ。

 ドレスの襞にも、葡萄の皮が貼りついている。

 でも今アマリーにはそんなことはどうでも良く思えた。

 ただ、楽しくて目の前のジュールに微笑み掛けた。

 どうして目が合うだけで、こんなにも楽しいのだろう。こんなにも嬉しいのだろう。

 ジュールと見つめ合っているだけで、気持ちが高揚するのは……、ーー不思議だ、自分は余程二億バレンが欲しいらしい、とアマリーは思った。


「私ったら汚いわ……」


 思わずそんな一言を漏らすと、ジュールは笑った。


「それはお互い様だ。加えて酒臭い」


 たしかにジュールも首から胸の辺りが、葡萄の残骸で汚れている。


「ジュール様、お衣装が酷いことに……」

「貴女こそ、ドレスはとうに見れたものではない」

「まあ、何て言い方……!」

「ーー貴女は美し過ぎるから、これくらいで丁度良いくらいだ」


 褒められたのか、よく分からない。

 アマリーは返事に窮した。

 ジュールは笑顔をおさめると一転して真面目な顔つきになった。


「……貴女は私が今まで会ったどの女性とも違う」

「……ジュール様も、違います」

「出来ればまた来年もここで踊って頂けるだろうか?」

「あら、来年はお妃様とご参加なさるのでは?」


 アマリーが少し皮肉めいた言い方で水を向けてみると、ジュールはアマリーをじっと見つめた。


「ーー妃として、参加する気はないか?」


 アマリーはからかわれているのか、と疑った。だが見上げればジュールの眼差しは非常に真摯なものだった。

 そして、その鋼鉄の色の瞳がとても好きだ、とアマリーは感じた。

 爆発的な喜びが胸の底から溢れてくるのを、なんとか押し隠す。


「私でよろしいのなら、喜んで」

「貴女が、良いのだ」


 もう喜びを隠し切れない。アマリーは滲むように微笑み、ーーけれど心の深い部分だけがギュッと痛むのを感じた。


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