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葡萄酒祭り①

 翌日は、朝からエルベ全体が活気付いていた。

 夕方からエルベの中心部にある中央広場で、葡萄酒祭りが開催されるのだ。エルベ周辺では葡萄の農業が盛んで、丁度収穫が始まるこの季節に、その喜びを皆で共有するための祭りだった。

 エルベの葡萄酒祭りは南ノ国内でも有数の大きな行事の一つで、参加しなければエルベに住む資格は無い、と揶揄されるほど熱の入ったものだった。


 今年はそれに隣国の王女達が参加するとのことで、例年よりも多くの観光客がエルベを訪れ、住民たちも準備に余念がなかった。

 広場の周辺だけでなく、そこから十字に伸びる道路のかなり先の方まで、屋台が設営されていく。

 広場の中心部では、舞台を組み立てる大人達に入り混じり、祭りの始まりまで我慢できない子供達が、辺りをチョロチョロと彷徨いては叱られていた。




 一方、エルベ城の一室でもアマリー達の身支度には余念がなかった。

 侍女として力の見せ所だ。


「うちの王女様は、中ノ国の王女様よりずっとお美しいですからね!!」


 カーラは気合いを入れるかのようにそう宣言すると、力一杯アマリーのコルセットを締め上げた。

 うえっ、とアマリーの口から苦痛の声が漏れる。


「カーラ、急にどうしたの……?」

「だって、あの王女様に昨夜はしてやられたじゃないですか。グラスの山に自分から突っ込んで行ったりして!」


 飛んだ食わせ者ですよ、と不満をぶちまけるカーラの前で、アマリーは溜め息をついた。


「突っ込んで行ったところを見たわけでもないのに、滅多なことを言わないの」

「でもあのタイミングは出来過ぎですよ!」


 アマリーはマチューが倒したのではないか、と疑いを持っていた。だがこれこそ、見たわけでもない。アマリーの妄想でしかない。

 昨日のダンスは決して褒められたものではなかったが、今日またジュールと外出できるのだ。

 名誉挽回をするチャンスだ。


「ーー勝負に出るわよ、カーラ。二億バレンを狙いにいくわよ」


 仏頂面をしながらアマリーのドレスを持ち上げていたカーラは、主人の真剣な声に、真顔に戻る。


「私を最高の美女に仕上げて頂戴」

「お任せ下さい!」


 カーラはドレスごと自分の胸に手を当てて膝を揃えた。


 アマリーの顔に化粧を施していくカーラの顔は、気合いが入り過ぎて、いっそ怖いほどだった。

 絶対に崩れない下地を丁寧に塗り、アマリーの肌色に合わせた粉をムラなくはたいていく。

 アマリーの大きく魅力的な青い瞳は、アイラインによってより際立ち、その上にアイシャドウを乗せることで更にひき立った。


「アマリー様の瞳という青い海に、吸い込まれてしまいそうなくらいです」

「ーーありがと。これでこの国の王太子も吸い込めるかしら……?」

「吸い込んで閉じ込めちゃって下さい!!」


 唇に紅を乗せると、そこへ色っぽさが加わる。

 眉の流れと形を整え、健康的なチークを乗せてぼかすと、もはや芸術品の出来栄えであった。

 カーラは数歩下がり、少し離れてアマリーの全身をくまなく観察した。

 何もしなくとも充分に美しい黄金の髪は綺麗に結い上げたし、ドレスは本物のリリアナ王女所有の上等なものだ。身を飾り立てる宝石たちも、カーラがこれまでのパッとしない地味な人生の中では、一度たりとも見たことがないような、高価なものだ。ーーもしかして中ノ国の王女の方が良いものを持っているかもしれないが。

 アマリーはカーラが今まで見てきた中で、最も美しく見えた。


「ーー王女様です」

「えっ? 何、カーラ?」

「立派な王女様ですよ!!」


 おまけに締め上げたコルセットが功を奏し、アマリーの白く豊かな胸が、とてつもなく魅惑的な二つの丘陵を描いている。


「王太子様も悩殺間違いなしですよ……!」

 




 エルベの中央広場に向かう馬車の前に最初に現れたのは、エヴァだった。

 エヴァは紫色のドレスを身に纏い、先に待っていたジュール王太子と目が合うなり、にっこりと微笑んだ。

 その春の花が一斉に咲いたような愛らしい笑顔に、居合わせた兵士や外務大臣も、頰を緩める。


「ジュールお兄さま! お待たせしてごめんなさい」

「私が早く来過ぎただけだ。気にするな」


 エヴァはキョロキョロと可愛らしくクビを左右に振って視線を彷徨わせた。


「リリアナ様はまだいらしてないのね」

「遅いですねぇ、西の王女は」


 聞こえよがしにそう呟いたのは、馬車の後ろで騎馬に跨るマチューだった。


「あらっ、マチュー。貴方も行くのね。嬉しいわっ」

「こちらこそ、エヴァ様に我が国随一の祭りにご参加頂けて光栄です。ーー来年からは毎年ご参加頂くことになるかもしれませんがね。ふふふ」


 意味深にマチューがそう微笑むとエヴァはあらっ、と漏らして頰を赤らめた。

 エヴァの登場から少し経ってから、城の中からアマリーが現れると、馬車の周囲にいた人々は水を打ったように静まり返った。皆がアマリーを見つめていた。

 最高のタイミングだ。

 少し遅れて出て行って大正解だ。

 アマリーはドレスの裾に躓かないよう、しっかりと裾さばきをしながら、けれど美しく微笑みつつ、馬車へ歩いた。ジュールの瞳はアマリーが彼の目の前にやって来るまで、一度たりとも離されなかった。

 アマリーが近くまで来ると、ジュールは手を差し出し、彼女が馬車に乗り込むのを手伝った。

 三人が乗り込むと、閉められた馬車の扉の向こうからマチューがアマリーを見つめたまま、呟くのが聞こえた。


「エヴァ様とリリアナ様。まるでダイヤモンドとサファイアのよう」


 それはアマリーにしか聞こえなかったのかも知れない。いや、それ以外の者たちは聞き流したのかも知れなかった。

 だがアマリーはその一言に西ノ国の王女に対する棘を感じ取った。

 両者の宝石のどちらにより価値があるかは、明瞭だったからだ。マチューの失礼な発言を不快に思いながらも、平静を装い視線を決して下げなかった。反応する価値などないのだから。ニセモノなりの王女としての誇りがそれを許さなかった。


 エルベ城を出ると、馬車は中央広場を目指した。

 兵たちに前後を囲まれ、広場に通じる太い目抜き通りに到達すると、アマリー達は下車した。

 屋台の並びはそこから既に始まっており、売り子や客らで太い道もごった返していた。兵たちに周囲を警護されながらも、アマリーは祭りの賑わいを楽しんだ。アマリー達の登場に人々は本来の目的を束の間忘却し、普段なら有り得ない近さにいる王族たちに見入っていた。

 屋台では婦人向けの髪飾りや子ども用の玩具など、様々な物が並べられていた。だが目を輝かせて自分たちの欲しいものを物色していた群衆は、今や一様にアマリーたちを見つめていた。

 その注目を更に一手に集めたのは、誰あろうエヴァだった。

 エヴァは広場までの目抜き通りを歩きながら、いつの間にか肘から下げていた紙袋から、何やら赤い物体を取り出して、道すがら沿道の人々に配り始めたのだ。


「皆さんに、中ノ国の花の香りをお届けしますわ」


 同行していたエヴァの侍女たちも、各々同じく配布をしだす。


(ーーなにアレ!?)


 ゴクリと生唾を嚥下しつつ、エヴァの紙袋の中身を凝視する。

 どうやら丸めて花を模した小さな赤いタオルのようだった。丸めた端に緑色の葉の刺繍があり、遠目に見ると本物の花に見える。

 良い香りでも薫きしめられているのか、受け取った人々がタオルを鼻のそばにやると感激したように騒いでいる。

 隣国の可愛らしい王女からの、予期せぬ粋なお土産に、受け取った人々は歓喜の声を上げて、タオルをまるで財宝か何かのように両手で捧げ持っていた。

 一体何枚タオルを南ノ国まで持ち込んだのか、とアマリーは目を丸くした。

 中ノ国の一行は小さな荷馬車を引かせ、そこにタオルを山と積んでいたのだ。

 エヴァの周囲はたちまち歓声と笑顔に包まれ、通り過ぎる頃にはエヴァ王女を褒め称える声で溢れた。

 アマリーの少し後ろを歩いていたオデンは、後悔にギリギリと歯をくいしばった。


「リリアナ様、動じる必要はありませんよ……!」

「ええ……。でも私たち、何もあげられるような物を持ってきていないわね」


 盛り上がるエヴァコールの中で、猛烈に立場がない。今この場で注目を浴びる主役は紛れもなくエヴァであり、アマリーは脇役に過ぎなかった。


「民衆の人気をモノで得ようなどという真似は、恥ずべき行為です!」


 憤慨するオデンを尻目に、アマリーは近くにいた一人の老女に注目した。プレゼントを受け取った老女は、皺だらけの顔を更に皺だらけにして、タオルの香りを嗅ぐなりそれを幸せそうに頰に擦り寄せた。


(お婆さん、嬉しそう……)


 不意に熱心な視線を感じて目を上げると、ジュールがアマリーのそばを歩き、彼女の顔を見ていた。

 この騒ぎにもかかわらず、自分が見られていたことに少し恥ずかしくなったアマリーは、照れ隠しに笑った。


「手ぶらで来てしまって、ごめんなさい」


 アマリーがそう言うと、ジュールは豪快に笑った。


「私も同じく手ぶらで来てしまった。ーー今すぐ菓子屋にでも飛び込んで飴を買い占めて配るべきか悩んでいる」


 意外な返答にアマリーは一瞬驚いた後、笑った。


「抜け駆けはさせませんよ」


 ジュールは更に声を立てて笑った。

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