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王女の代役……?

 

「アマリー、ちょっと来てくれ!」


 台所で調理をしていたアマリーを、慌てた様子で侯爵が呼ぶ。


「お前に大事な話があるのだよ」


 現在ファバンク家にはほとんど使用人がいないので、今夜の夕食の準備中だったアマリーは、仕方なくオーブンからチキンを取り出した。

 焼き上がったばかりのパンを放り出して、侯爵についていく。侯爵はなぜか急いでいるようで、短い足を懸命に前後に動かして小走りで廊下を抜けた。

 客間に入るとそこには既に侯爵夫人もいた。


「座りなさい」


 居間の真ん中まで進むと、侯爵に言われて花柄の布張りのソファに腰を下ろす。

 正面のソファにも侯爵が座り、侯爵夫人は少し離れた窓辺に立ったままだった。

 侯爵に視線を戻すと、彼は妙にほくほくとした控えめな笑顔を見せてから、一度軽く頷いた。


(どうしたのかしら、お二人で改まって。何のお話……?)


 ややあってから侯爵は一度咳払いをすると口を開いた。


「アマリー。……お前ももう、十八になった」


 こくりと頷きながらも、ああ……ついにあの話がーー自分の結婚相手を父が決めたのだろう、と推察する。

 そうと分かると指先から緊張が走り、じわじわと汗が滲み出す。

 膝の上に行儀よく乗せていた手を、ぎゅっと握り締めた。

 それにしても侯爵は嬉しそうだった。持参金の減額をして貰えたのかも知れない。


(お父様は男爵と子爵のどちらを選んだのかしらーー?)


 正直なところ、アマリーはどちらも気に入っていなかった。

 男爵は初めて会った時から、アマリーにやたらと触りたがったし、育ちが悪いせいか視線も不躾で、アマリーの胸元ばかり見ていたからだ。

 自分の胸には密かに割と自信があったが、好きでもない異性から熱心に見られるのは、気持ちが悪かった。許可なく胸を見るな! と顔をはたいてやりたいくらいに。

 成金男爵は会話をしている間中、アマリーの目よりも胸を見ていたのだ。

 彼は多分、アマリーの胸と結婚しようとしていた。


 一方で子爵の方は年寄り過ぎた。アマリーより三十も年上なのだ。

 知性と気品を兼ね備えた人物ではあったが、十年後も連れ添える自信がない。

 出来れば二人を足して二で割りたかった。

 ……自分にも、まだ侯爵令嬢としての矜持が残っているらしい、と今更気づかされる。

 侯爵は続けた。


「実はさっき、国王陛下からあるお話を頂戴したのだ」


 ーー結婚の話ではないのだろうか?

 アマリーはおやっと心の中で首をかしげる。

 侯爵はとっておきの秘密を打ち明けるように、目を少し見開いて前のめりになった。


「実はお前に、王宮からとても高収入の仕事が舞い込んでいるのだ……!」

「私にですか? それはどのような……?」


 王宮から仕事とはどういうことだろう。

 アマリーの母は元々王女の生まれとはいえ、身分低い側妃の王女だったし、現在のファバンク家はすっかり凋落して久しかったので、あまり王宮との繋がりがなかった。

 国王の唯一の王女であるリリアナ王女はアマリーと同い年であったため、年の近い貴族の令嬢たちの中には、王女の侍女として働く者も多かったが、そもそもアマリーには今や王宮に着ていくようなドレスすらないので、考えたこともなかったし、縁もなかった。

 アマリーはむしろ家業の手伝いで十分満足していたのだ。

 侯爵には競馬の才能はなかったが、多少の商才はあった。彼は妻の名を冠したシエーナ商会という革製品を中核とした貿易業を営んでおり、アマリーはその手伝いをしていた。

 よその国へ運ばれていくのを待つ、倉庫に並ぶ艶々の革製品たちを眺めるのが、アマリーは好きだった。

 もっとも、シエーナ商会が上げる利益の大半は、侯爵と馬たちが走って築いた借金の返済に消えていた。


 侯爵は勿体ぶって咳払いをした。


「これがとっても美味しい話なんだ……!」


 嫌な予感がする。そもそも侯爵がほくほく顔をした時は、大抵ロクなことがなかった。

 美味しい話となれば、なおさらだ。


「アマリー、実はお前に南ノ国に行ってきて欲しい」

「えっ……? ごめんなさい、今なんと?」

「驚く気持ちは良く分かる。ーー南ノ国に行ってきてほしいんだ」


 ロクでもない予感が強烈にする。

 南ノ国といえば、周辺諸国の脅威に常に怯えながら存在するこの西ノ国とは違い、強大な軍事力を保持する大国ではないか。

 しかも竜などという、巨大で不思議な動物がいるとても特殊な国だ。

 王都を出たことすらないアマリーからすれば、遠過ぎて想像すらできない。


「我が西ノ国のリリアナ王女が、建国三百年記念祝典に参加される為に、今度南ノ国に行かれる」

「はい。そうらしいですね」


 リリアナ王女は西ノ国唯一の王女だ。

 とても大人しい王女で、王宮の外から殆ど出たことがないと言われていた。その王女がよその国に行くというのは結構な事件だから、使用人たちの間でも話題になっていた。

 だが、それと自分がどう関係するのか、分からない。


「我が国のリリアナ王女様と南ノ国のジュール王太子様のお二人にご縁談があるのを知っているな?」

「ええ。実現すれば、とてもおめでたいことです」


 聞きかじった話では、我が国の隣国である中ノ国も、自国の王女を南ノ国の王太子妃にと盛んに推しているらしい。

 南ノ国と繋がりを得たい我が国の外務大臣が、中ノ国に負けじとリリアナ王女をゴリ押しし、どうにかこぎつけようとしていると聞いている。


「建国三百年記念祝典が、お二人の初めての顔合わせとなるのだ。逃す手はない。絶対に成功させねばならんのだ」

「はぁ……」

「実はその祝典にお前にも行ってきて欲しいのだ」


 アマリーは激しく瞬きをした。

 だから、なぜ私が? とアマリーは頭を捻り、父の話を自分なりに整理しようとする。


「それは……もしやシエーナ商会の一社員としての出張ですか?」


 シエーナ商会は最近南ノ国への輸出に力を入れていた。だがまだまだ南ノ国内での効率的な物流や販路を築くのが難しく、開拓途上にある。もしや大物が一堂に会するであろう祝典に合わせて現地入りし、ツテを作って来いと言うのだろうか。


「違う違う。ーー商会絡みの仕事ではない。全然関係ない。……なんと、ジャジャーン!! お前が王女になるのだ……!!」

「……はい?」


 言われたことが理解出来ず、妙にテンションの高い侯爵の顔を凝視する。すると侯爵は力強く頷いてくれた。頷かれても困る。

 それまで沈黙を守って窓辺に立ち尽くしていた侯爵夫人は、落ち着かなげに窓の前を行き来しだした。

 現国王の腹違いの妹として生まれ、王宮で王女として育った彼女はいつも鷹揚としていて、夫である侯爵に意見や反論をしたことは、これまで一度たりともなかった。

 侯爵夫人は窓の前を何往復もしていた。その異様さに目が離せない。アマリーが母に声をかけようと、ソファから腰をあげると、侯爵はそれを制止した。


「アマリー、お母様はいいから座りなさい。お母様はまだちょっと、混乱しているのだ」


 アマリーも混乱していた。だが侯爵はそんなアマリーにはお構いなしに、(いささ)か興奮した面持ちのまま、盛大な爆弾を投げ落とした。


「お前はリリアナ王女として、王宮を出発して南ノ国に行くのだ」


 アマリーの眉根がぐっと寄る。

 侯爵の意図がまるで分からなかった。それはどういう意味なのか。話の点と点が繋がらない。

 もしや借金で首が回らなくなり、自分の父は頭がどうかしてしまったのではないだろうか。アマリーは侯爵が座るソファの後ろの壁にかけられた絵を睨んだ。一枚の白馬の絵を。


「お父様、仰る意味が分かりません」

「実はリリアナ様は一週間前から体調を崩されて離宮にいらっしゃるのだ」


 ーー離宮に?

 アマリーは子どもの頃に一度だけお会いしたリリアナ王女の姿を思い出そうとした。

 たしかに大層大人しく、繊細そうな少女だったと記憶している。どうやらお変わりないらしい。

 良くない意味で。


「快方を待っていたのだが、なんと今朝からお顔に発疹ができてしまったらしい」

「それは……一大事ですね」

「だが南ノ国の王太子様とお会い出来るこの機会を、逃すわけにはいかないのだ。なにせ中ノ国の奴らも、しつこくジュール王太子を狙っているのだから」

「それは聞き及んでいますけれど……」


 中ノ国と南ノ国は元々古くから縁戚関係にあった。今回のジュール王太子の結婚相手を決める際も、南ノ国内部からも中ノ国王女を望む声が少なくないとか……。


「おまけに中ノ国のエヴァ王女は、可憐で見目麗しい王女だとも聞きかじっている。リリアナ王女を披露して中ノ国を黙らせる貴重な機会を失うわけにはいかない。これは国家の存亡を賭けた縁談だからだ」


 我が国としては、南ノ国との血縁による結びつきをどうしても手に入れたいのだろう。


「リリアナ王女が祝典にいけなくなり、中ノ国の王女などに割り込まれては堪らない」

「……そうですね」

「祝典不参加は、あり得ないのだ」


 でも、どうしてその話の中に自分がいるのだろう。仕事とは何のことなのか。

 アマリーは父が何の話をしようとしているのかまだ良く分からなかった。ーーというよりはむしろ、理解したくなかった。


「お前は、リリアナ王女と瓜二つだ」

「……ええ。よく言われましたけれど……」


 だから、何なのだろう。

 アマリー・ファバンクとリリアナ王女が似ているから……?

 自分の背中を、汗が伝い落ちるのを感じた。


「お前は今晩、深夜に王宮に入り、明後日この国を出発して南ノ国へ向かうのだ。リリアナ王女の代役として」

「今晩!?」


 急すぎる。

 いや、急かどうかはこの際問題ではない。それよりもーーリリアナ王女として……?


 父から再度飛び出た言葉を、信じ難い思いで聞く。

 間違いであってくれと思いながらも、念の為確認をする。


「代役、というのは……まさかそれは、私が王女のフリをして南ノ国の祝典に行ってくるということですか?」

「その通りだ。良く分かってくれた! リリアナ様の代わりに祝典でその美しい顔を見せ、ジュール王太子殿下と一曲ダンスを踊りさえすれば任務完了だ!」


 侯爵が言うことが、アマリーの頭の中に上手く入ってこない。

 随分な時間、アマリーも侯爵も口を開こうとしなかった。いつの間にか荒れていた呼吸を落ち着かせてから、アマリーは侯爵に尋ねた。


「お断り出来ますか……?」


 老婆のような自分の声に、自分で驚く。けれどそんな声しかでなかった。


「何を言うのだ。そもそもこれは陛下からの命令なのだ」

「報酬は……いくら王宮から貰えるのですか?」

「一億バレンだ」

「一億っ!?」


 アマリーはソファから飛び上がった。

 驚愕のあまり、一億、一億!?と復唱してしまう。それに合わせて侯爵も逐一、大きく頷く。

 信じられないほどの大金だ。口止め料も含まれているのだろう。


「一億も……」

「そうだ! 祝典に参加するだけで一億だぞ! さらに、もし帰国後に王太子とリリアナ様のご結婚が決まれば、ボーナスとして更に一億。計二億バレンだ!」


 目も眩むような額と仕事内容に、アマリーの息が、しばし止まった。



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