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王太子のダンスを狙え

 オデンは最後のダンスに賭けるため、ジュールの周囲にひたすら張り付いた。

 そもそも王太子の一番最初のダンスの相手に、リリアナ王女を選んで欲しかったのに、失敗した。

 最後のダンスを踊るお相手には、絶対にリリアナ王女を選んで貰わねばーー!

 ーーこの足さえ、この状態でなければ。

 杖をついているものだから、馬の乗り降りやホールでの移動に時間を要した。

 そのせいで、大事なお役目を背負っている自国の王女をホールで待たせ、挙句に王女はよりによってマチュー・ガーランドに捕まっていた。

 マチューと言えば、南ノ国の中でリリアナ王女とジュール王太子の結婚に反対している急先鋒なのだ。

 出来れば両者に接触して欲しくない。


 出遅れを挽回すべく、オデンは一心不乱に王太子の金魚の糞に徹した。


「オデン、危ないわ。貴方の杖、さっきから色んな方々に蹴られているじゃないの」


 アマリーは堪らずオデンに声を掛けた。

 ジュールの周囲は人で溢れている。そこにオデンが食らいつくので、今にも転倒しそうだ。見ていられない。


「御心配なく。ーーよろしいですか? 今夜、皆の注目を集めるのはリリアナ様でなければ。その為にもこのオデン、何としましても、王太子様の最後のダンスを……!」


 気合いを入れて一歩大股で踏み出すと、杖が給仕の足にぶつかってしまい、オデンは見事に転倒した。

 大の大人が床に転ぶと、結構な音がしてホール中の注目を集めた。ジュールの周囲に集っていた貴婦人たちも、皆ダンスをやめて目を丸くしてオデンと、彼を助け起こそうとするアマリーを見ていた。


「まぁ、凄いわオデン。貴方の言う通り皆の注目を集められたわ」

「も、申し訳ありません!」


 オデンの腕の下に肩を入れるが、オデンは予想以上に重かった。おまけにヒールの高い靴がぐらつき、上手く足腰に力が入らない。


「靴を脱いだらもっとうまく貴方を担げそうなの」

「絶対におやめください」


 オデンはアマリーの肩を借りながら、杖の中ほどを持ち、なんとか力をそこにかけて立とうとする。

 自分でも思っている以上に足に力が入らない。そろそろ体力や筋力に、陰りが出て来ているようだ。気持ちだけ若くてもいけない。

 必死に杖を握るオデンの目の前に、サッと大きな手が差し出された。

 その逞しい腕をたどり、手の主がジュールだと気づくと、オデンは恐縮しきりながらもその腕に縋り付いた。


「王太子殿下……! ありがとうございます!」


 ジュールは軽い調子で笑った。


「お気をつけて。傷のためにも無理は禁物だ」


 オデンの隣に立つアマリーを見ると、彼女は手にプレゼントらしき物を持っていた。


「リリアナ王女。それは?」

「マチューに貰ったのよ。ドリモアの最新作らしいわ」

「マチューに?」


 その名を口にする時、ジュールは眉根を寄せた。


「……マチューは貴女に何か言っておりましたか?」

「いいえ、特に……」

「もしご不快なことがあれば、謝ろう。マチューの母親は中ノ国の王族で、彼は酷く中ノ国贔屓なのだ」


 それは嬉しくない情報だった。

 だとすればマチューはジュールにリリアナではなく、エヴァを妃として選んで欲しいはずだ。

 表情を曇らせるアマリーに向けて、ジュールは手を差し出して膝を軽くおった。


「その本は侍女に任せて……、私とダンスをお願い出来ますか?」


 少し悪戯っぽく見上げる鋼色の瞳に、アマリーの胸中に喜びが広がっていく。

 最低限のダンスは習ってはいたが、実は上手くはない。けれど王太子と踊れることが純粋に嬉しい。

 カーラに本を渡すと、アマリーはジュールの手を取った。握り返される手は白い布製の手袋をしてはいるが、手の温もりを感じられ、少しドキドキする。

 背中に腕が回されると、アマリーの鼓動が緊張で速くなった。

 二人が見つめあった矢先。

 ガラスが次々に割れる大きな音がして、驚いて振り向くとテーブルにピラミッドの如く高く積み重ねられていたグラスが、雪崩のように倒れていくのが目に入る。

 綺麗に積まれていたフルーツカクテル入りのグラスが次々と崩れていき、その前に立っていた人々の上に降りかかる。ほとんどの人が慌ててその場から離れて難を逃れた中、ひとりの女性が逃げ遅れた。

 高く積み上げられていたグラスが、その女性の上に止めようもなく落ちていく。

 アマリーとジュールは同時に息を呑み、それに続けてジュールが短く叫んだ。


「エヴァ……!」


 不幸にもグラスの下敷きになっているのは中ノ国の王女、エヴァだった。

 ジュールの手はアマリーから離され、彼は急いでエヴァのもとに駆け寄った。

 割れたグラスが、エヴァのふわふわとした蜂蜜色の髪に絡まり、ドレスにも数多の破片が散っている。

 周囲の人々がエヴァを気遣いながらグラスの破片をエヴァから取り除いていく中、ジュールもそれを手伝う。

 エヴァは大きな瞳に涙を溜め、ジュールを見上げた。


「エヴァ」

「……大丈夫ですわ。わたくしに構わず、皆さまパーティを続けて下さいな」

「怪我はないか? ーー俯かないで顔をよく見せてくれ」

「ジュールお兄さま……!」


 アマリーもエヴァの身体に飛び散ったガラスを取る手伝いをしたかった。いや、しなければと思った。

 だが身体が痺れたように、今立っている位置から動けない。

 ジュールがエヴァを案ずるのは至極当然の流れなのに、それを不快に感じる自分がいた。


(私ったら、なんてイヤな女かしら……)


 だが隣にいたカーラは違う方向に憤慨していた。


「あれは絶対に、誰かの不注意や事故なんかじゃありませんよ。誰かがリリアナ王女と王太子様のダンスを邪魔したんですよ!」

「カーラ、他の人に聞こえるわ。後にして頂戴」

「口は禍の元と申しますからね」


 背後からした声に驚愕して振り返ると、そこにはマチューがいた。

 彼は手にグラスを一つ、持っていた。カラフルな果物が炭酸水の中に浮かぶ、フルーツカクテルだった。

 グラスが倒れる前に取っていた一つだろうか……?

 アマリーはしばらくそのグラスに目を釘付けにした。


「いかがですか? おそらく最後の一つですよ?」

「ーー貴方がどうぞ」


 アマリーが遠慮するとマチューはふふふ、と笑った。

 エヴァを助け起こそうとするジュールの真摯な瞳を見ていると、アマリーは目眩がした。

 初対面の物珍しさからジュールは自分に構ってくれてはいるが、心は既にエヴァのところにあるんじゃないだろうか。そう思ってしまう。

 割って入ろうとしているのは、もしや自分の方なのだろうか?

 ーー悲しいし、予想以上に心痛い。


 そうしてしばらくたった頃、アマリーは困った事態に陥った。

 履いていた靴が、とんでもなく痛くなり始めたのである。

 最初は踵が痛んだ。そこで踵を庇うような体重の乗せ方をしていたところ、今度は爪先も痛んで仕方なくなった。爪が靴の内側にあたり、痛い。更に足の指同士が靴の中で妙に押し込められ、爪が隣の指に食い込む。

 元々リリアナ王女という、他人の靴を履いているから、足に合わないのだ。

 靴にまで「お前じゃない」と言われている気がして、切ない。

 カーラの手を借りて廊下へ出て、椅子に腰を下ろすと靴を脱いで足を確かめた。踵の上から、血が出ていた。

 立ち上がってホールに戻りたいが、全精力を痛みが駆逐していく。

 そこへオデンが見事な杖さばきを発揮して、猛烈な速度で駆けつけた。


「どうなさったのです?」

「ちょっと靴擦れをしてしまって」

「……なんと、このタイミングでですか!」


 オデンが情けない声を上げて地面に膝をついた。からん、と杖が転がる。アマリーとカーラはギョッとした顔でオデンを見つめた。

 タイミングといえば、フルーツカクテルが倒れたタイミングこそが、おかしなものだった。

 恐らくは自分に向けられていた悪意を不気味に、そして腹立たしく感じる。

 ーーもうすぐジュールとダンスを踊れそうだったのに。


(こんな分かりやすい嫌がらせに負けてたまるか……!)


 拳を握り締めながら、痛む足をリリアナ王女の可愛いばかりで役に立たない靴の中にねじ入れる。


「戻りましょう、ホールに。なんとしてもジュール様と踊るわよ」


 アマリーがそう言うと、カーラは素早く腕を差し出して彼女が立ち上がるのを補助した。


 グラスの清掃のためにホールは幾分妙な雰囲気になっていた。

 痛みを堪えて歩きながら、気力だけでアマリーが作り上げた笑顔はそれでも周囲がハッとするほど美しかった。足を痛がっていることを忘れさせるほどの、その見事な微笑みにオデンは感動すら覚えた。

 やがてダンスを頓挫させてしまった非礼を詫びに、ジュールがアマリーの前まで歩いて来た。

 オデンは杖を硬く両手で握り締め、祈るように胸元まで持ち上げ、無意識に両足だけで立っていた。

 ジュールは真っ直ぐにアマリーを見つめ、差し出された手に彼女がそっと手を重ねる。


 そうして結果的にオデンの悲願は達成された。

 だが足を庇って普段以上におかしな動きになったアマリーのダンスは、残念ながら決して褒められたものではなかった。

 固唾をのんで二人を見守ったオデンは、杖に(かじ)りつきたいくらい、悔しかった。




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