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離宮の夜会へ

 アマリーが硬直していると、ジュールは抱き寄せる彼女の顔に首を伸ばし、白い頰にそっと口づけた。


「ーーっ!!」


 まるで親しい者同士のような軽いキスではあったが、驚愕のあまり叫びたい衝動と、甘酸っぱい衝撃の二つがアマリーの中を駆け巡る。

 ーー王太子にキスをされてしまった。

 二億バレンに急激に近づいたのかもしれない。が、それとともに軽いショックもあった。

 胸の中を、表現し難いくすぐったい気持ちが、ふわふわと頼りなく漂う。

 黙り込むアマリーの反応を不安に思い、ジュールは彼女の顔を背後から覗き込む。余計に身体が密着し、アマリーは呼吸だけで精一杯になってしまう。


「 ーー怒らせたか……?」


 アマリーはただ、ブンブンと頭を左右に振った。

 言葉が出てこない。

 アマリーにとっては、もう自分が竜に跨っているとか、城の屋根の上にいる、なんていうことはすっかりどうでもよくなっていた。

 ジュールはアマリーを再び抱き寄せると、今度は彼女の反対側の頰にそっと自分の唇を押し当てた。


「貴女が、たまらなく可愛い……」

「あの……、」


 ジュールはアマリーの横顔を覗き込んだ。動揺してパチパチと瞬く青い瞳と、長い睫毛が途方もなく愛らしい。

 狼狽えているのか、桃色の唇が可愛らしく開いたり閉じたりする様が、胸をつく。手を伸ばしてそこに触れ、頰ではなくそこに口づけられたら、どれほど甘美だろうかーー?

 眼下に広がるエルベの自慢の景観など、最早どうでも良かった。

 だが、これ以上衝動の赴くまま触れてしまえば、嫌われてしまう気がした。おまけに竜に乗ってから肩にまでガチガチに力が入っていたアマリーは、更に身体を硬くさせてしまっていた。

 思わず苦笑する。


「ーー申し訳ない。余計に緊張をさせてしまったようだ」


 ジュールはアマリーを抱き締めていた腕から徐々に力を抜いた。


「少し、空を散歩しよう」


 アマリーから、するりと腕が解かれる。

 ジュールはアマリーにしっかりつかまるよう言った。

 竜笛が吹かれると、ダルタニアンはその勇壮な翼を広げ、城の頂点を蹴って空へと飛び出した。


 頰にキスをされた興奮が冷めないまま、アマリーはなんとか鞍にしがみついていた。両頰にまだ残るジュールの優しい唇の感覚が、なかなか消えない。


(だめだめ! ちゃんと竜に乗るのに集中しなくちや……!)


 大きく息を吐いて呼吸を整えると、鞍にきちんとつかまり直す。

 ジュールは片手でアマリーの身体を支えていたため、殆ど片手で竜を操っていた。

 その技術に感心し、アマリーは尋ねた。


「南では何歳から竜に乗り始めるの……?」

「六歳頃からが主流だ。ーーもっとも私は四歳の頃から訓練させられたが」

「だからこんなに上手に乗れるのね」


 ジュールは乾いた笑いを浮かべた。

 子どもの頃ーー竜の乗り方を習い始めた頃を思い起こせば、自分は乗竜訓練に真面目に取り組んでいたとは言い難かった。

 虚空に視線を投げたまま、ジュールはアマリーの耳元で語り始めた。


「私は六歳の時に、当時王太子だった兄を亡くしたのだ」


 突然始まった身の上話に、アマリーは少し驚きながらも耳を傾けた。

 兄が亡くなったその日のことを、とてもよく覚えている。

 これまで教育係くらいしか近くにいなかったジュールの周りに、突如として家臣たちが集まり、次々に首を垂れたのだ。

 その日から、今までは兄王子ばかりを讃えていた国王の重臣たちが、競ってジュールを褒めちぎるようになった。

 ジュールはそれがとても嫌だった。


「勉学も、剣も、竜も。私は何一つとしてまだ兄に秀でていたことなどなかった。それなのに周囲の者たちは口を揃えて私は生まれつきの王者だと世辞を憚らなかった」


 自分の周囲を飛び交うのは、嘘ばかりだと思った。ジュールは王宮で自分を取り巻く偽りの賛辞に辟易した。

 偽りを偽りでなくすには、それを事実にするしかない。ジュールはひたすら兄を超えようと努力をした。

 常に限界の一歩先まで行くことを心掛け、糧になりそうなものからは決して力を抜かなかった。

 彼に近づいて来る者は、女たちであっても同じようなものだった。

 作り込んだような笑顔とやたら聞き良い言葉ばかりを並べ立てた。

 ーーだからジェヴォールの森で差し出したジュールの手を、大仰なまでに振り払ったリリアナ王女の言動は、いたく新鮮に見えた。


「貴女は分かりやすいほど素直に感情を表に出すな。良いことも、悪いことも……」

「そうかしら」

「そうだ。ーー王宮は偽りにまみれている。嘘はもうたくさんなのだ」


 どこか投げやりなジュールのその言葉に、アマリーの心臓はぎくりと跳ねた。

 ジュールは嘘が嫌いだと言っているが、アマリーがリリアナのフリをしているこの現状を、彼がもしも知ってしまったら。

 その時ジュールは果たしてどんな態度を取るのだろう。

 そう考えると背筋を一瞬寒気が上った。





 その日の夕方、エルベ城では建国記念祝典に参加する為に内外から来た者たちに歓迎と感謝の意を表するために、パーティが開かれた。

 会場は城の森を挟んだ向こう側にある離宮だったため、参加者たちは用意された馬に乗って城から離宮へと向かった。

 馬はパーティの為に花々やガラスのビーズを縫い合わせた布地で飾り立てられており、貴人たちを乗せた馬を引く馬丁たちも揃いの真っ赤な衣装を着て、雰囲気を盛り上げていた。

 エヴァはアマリーの数騎先を行っており、その周囲だけ彼女を囲うように男性たちが集まり、森の中を通る狭い道を更に狭くしていた。

 幼い頃からこちらに遊びに来ているだけあって、どうやら既に取り巻きたちがいるらしい。

 その中の一人に、見覚えがある。赤い布地に金糸の刺繍がされた上着を纏ったその男性は、大変目を引いた。

 マチュー・ガーランドだ。

 アマリーは自分の隣にカーラしかいないのを、ふと寂しく思った。


 森の中の一本道を進んでいた時、不意にアマリーの腕に見たこともない大きな虫が止まった。


「虫っ!!やだっ!」


 慌てて腕を振り回し、馬上で暴れる。南にはこんなに大きな虫がいるのか……!

 縋り付いて離れないその黒光りする昆虫の大きさたるや、親指二本分はゆうにあった。

 勢い良く息を吸い、一気に虫目指してフーッと吹いて、吹き飛ばそうとするが、全く動じない。

 服の生地を振り、落とそうとしても、虫は頑固にアマリーの腕に居座った。

 猛烈に腹が立つが、触りたくない。

 助けを求めて視線をあげると、なんとエヴァにも虫が止まったらしく、彼女の馬の周りの男たちが団子になってざわついている。お陰で狭い道が完全に詰まってしまっている。

 エヴァの周りに集った男たちは騒ぎ立てた。


「なんと無礼な虫だ! 王女様に止まるとは!」

「直ぐに私がとります!」

「いえ、エヴァ様、この私が!」


 それこそ虫の様に集った男たちが、エヴァの肩に止まる小さな羽虫を我先にと奪い、エヴァは花の様な笑顔を見せた。


「みんな、ありがとう。とっても心強いわ」


 羽虫はプーン、と羽音を残してエヴァの肩から飛び去っていく。アマリーは虚ろな目でそれを追った。

 あんな小さい虫、どこにでもいるじゃないの。西ノ国にだっているわ、と思いながら。

 不快さと切なさがない交ぜになった傷心のアマリーは、腕の昆虫を乱暴に素手で払い落とした。

 払われた昆虫は鈍い羽音を立てて、前方にいるエヴァの方へ向かった。


(あ、しまった……)


 昆虫はそのまま放物線を描いてなんとエヴァの尻に止まった。

 中ノ国の王女を襲った次なる惨事に、男たちは騒いだ。


「なんてところに!!」

「エヴァ様、我らでは手が出せません!」


 アマリーは申し訳ないと思いながらも、思わず笑ってしまった。




 離宮は黄色い外壁の可愛らしい建物だった。

 既にホールは着飾った人々で溢れており、日が沈みかけた外の薄暗さとは対照的に、中は煌々と明かりが灯されていた。

 眩く輝くシャンデリアを見上げながら奥へと進むと、たくさんの人々がお喋りに興じている。

 ジュールを探すアマリーの前に現れたのは、ちっとも会いたくなどない人物だった。

 ーーマチュー・ガーランド……。

 頭の中でその名前を呟く。


「リリアナ様。またお目にかかれて光栄です」

「こちらこそ。お会い出来るとは思っていなかったわ」

「実は今日はリリアナ様に贈り物をお待ちしております」


 マチューがアマリーを見つめたまま、右手を少し上げてパチン、と指を鳴らすと近くに控えていた小間使いらしき少年がさっと進み出て、実に恭しい仕草で彼に金色の包装紙でくるまれた物を手渡した。

 それを片手で受け取り、マチューは両手に持ち直すと、アマリーに差し出した。


「私からの贈り物です。お気に召せば良いのですが」


 アマリーはシャンデリアの明かりを反射して輝く、腕の中の金色の包装紙を見つめた。固さと厚みから、中は本だろうと分かる。


「『竜狩りの川の先』の著者であるドリモアの最新作でございます。まだ南ノ国でしか販売されておりません。ーーそれとももしや既にお待ちでしたか?」


 ぎくりと顔が引きつりそうになるのを、どうにか踏ん張る。そんなことは、分かるはずがない。

 アマリーは敢えてその場で包みを開かなかった。


「どうかしら。後で開けるわ。どうもありがとう」


 その様子を見て、マチューは目を細め、微笑を浮かべた。


「……私の生家の公爵邸には、まだドリモアの仕事部屋が残されているのですよ。今度ぜひお越し下さいーー私はリリアナ様のことをもっと深く、知りたい……」


 この男は、私をどうしたいのだろう。

 アマリーは本を抱えたまま、両手の拳をぎゅっと握りしめた。


「ええ、よろしくてよ。機会があれば。ーードリモアはガーランド公爵家に長く滞在していたらしいわね」


 中性的な美を持つマチューが笑うと、妖しい雰囲気が漂う。その美にアマリーは逆に不審感を抱いた。


「リリアナ様はドリモアが新作を出版されるたびに、お手紙を出されていましたね。ーーよくドリモアから嬉しそうに聞かされましたよ」


 そう言うとマチューは一歩アマリーの方へ踏み込んだ。急に至近距離に来られて、胸騒ぎがする。

 マチューは歌うような滑らかさで言った。


「ですので、リリアナ様のことは色々と、存じ上げておりますよ」


 マチューは顔を傾けてアマリーに寄せると、彼女にだけ聞こえるように囁いた。


「しかし、実際の貴女は私の知るリリアナ様とは、まるで別人のようであらせられる」


 平静を装うのが精一杯だった。

 アマリーは首を左右に振り、小さな声で答えた。


「それはきっと、誰でもそうですわ」

「リリアナ様ぁ!」


 後ろから突然咎めるような声で名を呼ばれ、振り返るとオデンが杖をついてこちらに歩いてくるところだった。彼はアマリーに近づくと、長いため息を吐いた。


「こんな所にいらしたのですか。ジュール様の一番目のダンスのお相手をして頂きたかったのですが……!」


 広いホールの中でオデンがアマリーを探しているうちに、音楽隊の演奏が始まり、ジュールは踊り始めてしまった。

 弾かれるように顔を上げると、ホールの中ほどに人垣ができていた。皆が見守るその中心では、ジュールとエヴァ王女が向かい合って踊っていた。

 しまったーー大切な機会を逃してしまった。

 もうひとりの妃候補であるエヴァとジュールが踊る様子を遠巻きから眺めると、敗北感で脱力した。

 背中にジュールの手を回され、もう片方の手を互いに繋ぎ合うエヴァは、恍惚としていた。ジュールを見上げる瞳は輝いている。

 ふと強烈な視線を感じて振り向くと、マチューは口元に笑みをたたえてアマリーを見つめていた。その口元は穏やかだったが、目は怖いほど真剣だった。

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[気になる点] 両頰にまだ残るジュールの優しい唇の感覚が、なかなか消えない。 両頬にチューしたの??
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