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ダルタニアンの背の上で

 

「リリアナ王女。何をなさっている?」


 駆けつけたジュールが話しかけると、アマリーは一瞬驚いた後で、心底ホッとしたような顔になった。


「ピッチィが、木に絡まっているの」


 それはジュールには見慣れた光景だった。

 竜は夜間は長い鎖に繋いで休ませる。朝には外されるのだが、その時間がまちまちであった。待ちきれないのか、ピッチィはそれをつけたまま木に上り、木に絡まることがしばしばあった。

 それを知らないアマリーは、情けない顔でジュールに詫びた。


「私のせいなの。聞こえないと思って、バルコニーから呼んでしまったのよ」


 それを聞いてジュールは軽い驚きを感じた。

 だからといって、王女本人が何とかしようと木の根元まで来ていることが、意外だった。侍女のカーラに至っては、靴を脱いで既に木の枝に足を掛けている。

 西ノ国の女性は随分逞しいらしい。

 リリアナ王女がおしとやかだと伝えてきたのは、誰だったか。

 ジュールは二人に話しかけた。


「木から離れて」

「でも鎖をどうにかしてやらないと」

「私が登って鎖を解こう」

「ジュール様が? とんでもない。王太子様にそんなことさせられません」

「何を仰る。王女にこそ、そんなことはさせられない」


 鎖の一部を手に、アマリーは虚をつかれたようにジュールを振り返った。その反応を妙だと思いながらも、ジュールは彼女の肩にそっと手をかけ、木から遠ざけようとするが、アマリーは頑固に動かない。

 ジュールは仕方なく暗い声で苦情を言った。


「正直に言おう。ーーリリアナ王女、邪魔だ」


 アマリーは胸をグサリと刺されたようにショックだった。だが大人しく木から少し離れる。

 ジュールは肩についていたマントを外すと、地面に放った。そのまま木の枝を掴むと、するすると登り始める。


「お、お気をつけて……!」


 登っていくジュールを下で応援するしかないのが、申し訳ない。たくさんの葉や小枝にあちこちを刺されながら、木の枝に絡まる鎖を登りながら解いていくその姿に、頭が上がらない。

 アマリーは落ちていたジュールのマントを拾い上げると、布地についた芝や土を払い落とし、丁寧にたたんで自分の腕に掛けた。

 ジュールが近づくと、ピッチィは早く助けろとばかりに暴れた。だが木が余計に揺れ、高いところにいるジュールが今にも手を滑らせて落ちそうに見える。

 ジュールは片足を木から滑らせ、その拍子に靴が脱げて落ちて行く。


(ジュール様の靴が……!)


 慌てて駆けつけ、落ちてくる靴を受け止めようと両手を振り上げる。ジュールが落とした黒い革靴はアマリーの手をすり抜け、彼女の顔面にぶつかった。


「いたっ!!」


 それは想像以上の衝撃だった。

 鍋で殴られたような痛みが顔を襲ったのだ。思わず顔を抑えて屈み込みながらも、ジュールのマントを落とすまいと腕にかけ直す。


「リリアナ王女、申し訳ない!」


 木の上からジュールが謝罪をしてきたが、アマリーはただ無言で頭を振った。

 駆けつけたカーラがジュールの靴を拾い、アマリーの手を剥がして顔面を観察し、異状ないか確認する。


 ピッチィは空気を読むことなく、まだ暴れていた。


「ああ、どうしよう! 王太子様が……」


 アマリーはカーラにマントを押しつけると、木の反対側でぶら下がっているピッチィに近づいた。

 暴れる竜に向かうアマリーの身を案じ、カーラがリリアナ様、と声を上げる。

 アマリーはピッチィの真下に行くと、丸まった背中に手を伸ばして触れた。

 ピッチィはジタバタと動いていたが、背中は揺れているだけなので、怖くはない。というより、南ノ国の王太子が自分のせいで怪我をする恐怖の方が、遥かに勝った。


「ピッチィ、落ち着いて!」


 アマリーはピッチィの背を撫でた。

 それは岩のようにゴツゴツとしていた。

 木にしがみつくジュールはジュールで、アマリーの行動に瞠目した。


(あの王女は、何をやっているんだーー!)


 子どもとはいえ、竜は重い。万一鎖が切れるか、大枝が折れるかすれば、リリアナ王女はピッチィの下敷きになるだろう。落下する竜と、それに潰される王女の光景を思わず想像してしまい、目を閉じて頭を振った。


「ジュール様が助けてくれるから! 暴れないで。お願いよ」


 懸命に背伸びをしながら、竜の背を撫でるアマリーの目は必死だった。さらにその細い腕が微かに震えているのに気づくと、ジュールは時と場を忘れてアマリーに目を奪われた。


「ピッチィ。良い子だから。あなたの大事なジュール様が、木から落っこちちゃうわ」


 大事なジュール……。

 その台詞にはジュールの胸を射抜くような衝撃があった。それでいて、なんと心地良い言葉だろう。

 アマリーの声掛けが功を奏したのか、ピッチィは大人しくなった。木の揺れがやっとおさまると、ジュールは再び上へと登り始め、鎖を木から外し始めた。

 すかさずアマリーがピッチィの下から離れる。

 やがてズルズルと木の肌を鋼鉄の鎖が滑って行く音が響き、地を揺らしてピッチィが落ちてきた。


「ピッチィ、ごめんなさいね!」


 慌ててピッチィのもとに駆け寄り、アマリーが鎖を整える。その一生懸命な様子に、絡まってぶら下がるのはピッチィには良くあることだと敢えて教えるのが躊躇われる。

 近づいて見れば、ピッチィの大きな緑色の瞳の周りは濡れていた。泣いていたのだ。そのことに気づくとアマリーは胸を痛めた。


「ーー痛かったのね。かわいそうに。本当にごめんなさい……」


 子どもとはいえピッチィの肌は硬かったが、鎖が巻き付いていた部分には擦れたあとがついてしまっていた。アマリーはそこに恐る恐る手を伸ばすと、優しく撫でた。

 ピッチィは痛かったことを主張しようとグルグルと小さく唸った。

 カーラから靴を受け取り、履き直しながらジュールは靴を顔に落としてしまったことを、アマリーに謝った。

 かすり傷一つないから平気だ、とアマリーが苦笑するとジュールは彼女の真正面に立った。そのままアマリーをじっと見下ろす。

 自分を見つめる眼差しがあまりに真剣なので、アマリーはつい笑って適当にやり過ごそうとした。


「大丈夫よ! ちっとも痛くなかったわ」


 痛い、と思わず叫んだのを棚に上げ、アマリーはニッコリと笑った。

 だがその鼻は靴の衝撃で赤くなっていた。


「本当に申し訳ない」


 ジュールは手をゆっくりと上げると、アマリーの鼻に触れた。

 そのまま手を滑らせ、頰に触れる。

 アマリーはドキドキと胸が高鳴るのを感じながら、ジュールを見つめ返した。

 心臓が激しく打ちすぎて、痛い。痛いけれど、なぜか猛烈に嬉しい。もっと触れていて欲しいと思ってしまうのは、なぜだろう。


(きっと、二億バレンがかかっているからだ)


 アマリーはこんなにも胸高鳴るのは、お金のためだと自分を納得させた。

 ジュールはアマリーから離れると、既に立ち上がっていたピッチィの頭を撫でた。


「ピッチィはまだ子どもの竜なので、好奇心が旺盛なのだ。ーー竜騎士隊長にはお馬鹿竜だと言われているが」


 するとピッチィは頭を振りながら、抗議のような唸り声を上げた。

 それを聞いてアマリーは思わず噴き出す。


「怒ってるわ。馬鹿じゃないって」


 ピッチィが長い首を伸ばし、アマリーの方へ差し出す。皮膚はゴツゴツとしていて恐ろしいが、銀光りする緑色の瞳は、綺麗だと思える。

 そろそろと勇気をだして、アマリーはピッチィの頭に触れた。頭部は意外にも柔らかい。それに意外と温かかった。

 そんなアマリーの様子を眺めながら、ジュールはある提案をした。


「リリアナ王女。少し竜で遠乗りをしないか?」

「えっ……」


 まるで馬にでも乗るような気楽さでそう言われても困る。

 少し後ずさるとアマリーは側にいたピッチィの尾を踏んづけてしまった。

 竜の尾は長かった。まさかここまで達しているとは思ってもいなかったのだ。

 ピッチィがジロリとその緑色の目をアマリーに向け、不満そうに喉の奥で唸る。


「ご、ごめんなさい……!」


 なんだか竜に謝ってばかりだ。

 ジュールはアマリーの慌てふためく様子をほんの少し笑うと、手を伸ばしてピッチィの首の付け根を指でかいた。しばらくそうしていると、ピッチィは喉をゴロゴロといわせ、長い首を曲げてジュールの頭に自らの頭を押し付けた。


「凄い。よく慣れているのね」

「ピッチィが生まれた頃から、世話をしているからな。リリアナ王女も撫でてみるといい」


 撫でたらジュールのように頭を押し付けられるのだろうか。流石にそこまで、受け入れられる自信がない。


「……け、結構よ」


 するとジュールは竜の頭に手を乗せたまま、こちらをジロリと見た。その口角が僅かに上がっており、鋼の瞳が愉快そうな色を帯びていることに気づく。


「竜がやはり怖いのですか?」

「……に、西ノ国にはいないのよ。見慣れない大きな生き物を、警戒するのは当たり前ですわ」

「しかしここまで駆けつけられたことといい、リリアナ王女はなかなかにお気が強くてらっしゃる。ーー聞いていた話とは幾分異なるようだ」


 ぎくりとした。

 本物のリリアナ王女だったとしたら、震えて泣いていたところだったのかもしれない。

 若しくは、竜が怖くて卒倒していたところかもしれない。


「南の竜にご興味が出てこられたのなら、ぜひ私のダルタニアンをお見せしたい」


 だるたにあん?

 アマリーが何だそれは、と困惑している前で、ジュールは身を翻して森の奥へと進んで行った。


 颯爽とした足取りのジュールについていくと、森の奥の方には竜たちがたくさん集まって寝そべっていた。

 揃いの黒い軍服に身を包んだ男性たちが、何頭かの竜を鎖から解き放ち、世話をしている。

 竜騎士だろうか。

 その中にいた一頭に近づくと、ジュールはダルタニアン、と声を掛けた。

 その竜は青みがかった色をしていた。大きな瞳は精悍で、長い首から尾にかけての流線はなだらかで美しい。頭の後ろの角も形が整って長さも揃い、綺麗だ。


(たしかに、ピッチィより見応えがあるわ……)


 絵画に出てくるような、美しい竜だ。竜界でいう美形に違いない。


「ダルタニアンだ。私の一番のお気に入りだ」


 ジュールが誇らしげに言った。

 ダルタニアンの大きな耳には、これまた大きく立派な竜珠が鎮座していた。


「とても美しい竜ね」

「乗ってみたくなるでしょう?」


 どうだとばかりにジュールは言う。あまりに自信ありげなその表情に、断りにくい。


「そうね……す、少しだけなら……」


 ジュールはサッと手を差し出した。

 おずおずとそこに手を重ねると、握り返される。竜騎士が鞍を竜につけ終えると、ジュールはアマリーをダルタニアンの真横まで連れて行き、彼女を抱え上げた。竜にはまだ到底乗り馴れなかったが、その手つきは優しく、初めて会った日の粗暴な仕草との違いが嬉しい。

 竜に跨ると、アマリーはカーラを見下ろした。


「ちょっと、行ってくるわね」


 自分の発言もまるで散歩に行くような気軽さになってしまった。

 カーラは無言でただこくこくと頷いた。

 ジュールはアマリーの後ろに乗ると、首から下がる筒状の笛を一度、強く吹いた。

 するとダルタニアンは翼を力強く広げ、一度腰を落としたかと思うと、今度はふわりと上にジャンプし、そのまま翼を羽ばたかせ、飛び立った。


「ウあっ!!」


 突然のことに、品のない悲鳴が出てしまった。

 あっという間に物凄い高さの空に連れ出され、何度か瞬きをする間に、眼下にエルベの城下町が広がる。見下ろす地面の余りの遠さに、爪先から膝まで総毛立つ。

 竜の翼が風をきるせいか、整え直したばかりの髪が風に弄ばれ、視界を遮る。


「た、高いっ! 」


 後ろに乗って竜を操るジュールに訴えると、彼は声を立てて笑った。


「怖いか? すぐに慣れる。慣れれば、とても爽快な空の旅になる」


 叫ぶのにも力を消耗する。

 とにかくアマリーは渾身の力で鞍にしがみついた。

 景色をみる心のゆとりなどなく、真正面から吹き付ける風に目が乾くので、ついには目を閉じて鞍と一体化した。

 やがてお尻の下に感じていた竜の翼の羽ばたきがやみ、激しい向かい風がおさまった。

 竜の動きが止まったのが感じられる。


 ーーどこかに着いた?


 そろそろと目を開けると、信じられない所にいた。


(嘘でしょぉぉぉぉっ!?)


 竜はエルベ城にあるたくさんの塔のうちの、一番高い塔の天辺に止まっていたのだ。

 キツい傾斜を描く塔の屋根にダルタニアンは爪を立てていた。

 竜の重みで瓦に亀裂でも入ったのか、カラカラと何かが転がり落ちる音がする。

 上空高くにいるせいか、時折吹く強い風に竜の背が揺られ、それに合わせてアマリーたちも揺れる。

 どうしてこんな不安定な所に止まるのか。


「他に止まる所なかったの!?」

「リリアナ王女。あの山がご覧頂けるか?」


 焦るアマリーにお構いなしに、ジュールが前方はるか彼方に聳える山を指差した。

 濃い緑色の木々に覆われた、大きな山だ。

 鞍にしがみつくのに忙しいアマリーは、山を一瞥すると視線を手元に戻す。


「あの山は竜の生息地の一つだ。我々はあの山から子どもの竜を生け捕り、繁殖させて人に慣れた個体を育てる」


 普段なら興味を持って聞けた情報かも知れないが、今この状況では全く頭の中に入ってこない。

 ジュールの言ったことはアマリーの耳から耳にただ抜けていく。


「竜はこの大陸の限られた地域にしかいない。だからこそ、竜は貴重な輸出品だ」

「ええ、そうでしょうね……」


 西ノ国も竜を欲しがっている。

 竜騎士がいれば北に勝てる、と。


「……南ノ国では、女性でも、竜に乗り慣れているものなのかしら?」

「そうだな。竜騎士には女性もいる。それに王族ならば性別に関わらず皆自分の竜を持っている」


 それを聞くとアマリーは勇気を奮い起こした。

 みっともなくしがみついていた身体を竜の背から起こし、綺麗に座り直す。その後でもう一度鞍につかまった。

 ジュールはそのアマリーの分かりやすい行動に一種の感動を覚えた。竜の鞍に伸ばされた彼女の両腕は、震えている。小刻みに揺れるその細い肩を後ろから見つめていると、つい抱きしめてやりたい衝動にかられる。必死に慣れようとしている様子が、可愛いく思えた。

 この王女は最初からこんなにも可愛らしかっただろうかーー?

 自分は何を見ていたのだろう。

 ーーリリアナ王女は、王太子である自分の婚約者候補の一人だ。その身に触れることを、躊躇う必要があるだろうか。

 ジュールは衝動の赴くまま、アマリーを背後からそっと抱きしめた。

 突然回された腕にアマリーは呼吸が止まるほど驚いた。

 これはどういう風の吹きまわしだろう、と狼狽するも、ジュールは何も言わずにただアマリーを両腕で自分の方へ引き寄せている。

 何か言ってくれる方が余程気が楽な気がした。だがジュールは無言を貫き、抱き寄せる腕に更に力を入れた。





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