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第二の都、エルベ

 エルベを目指す移動が再び始まってしばらくすると、王太子は馬車を出て馬にのりかえた。

 馬車の中で窮屈な思いをしていたアマリーは、その機会を逃さなかった。後に続けとばかりに彼女も馬に乗ることを主張したのだ。

 ところがアマリーに続いてエヴァも馬車から飛び出してきた。

 王太子とアマリーの二人に仲間外れにされるとでも思ったのかもしれない。

 結局三人で馬を並べて走る羽目になった。

 エヴァは王太子の隣を譲る気は一切ないらしく、道幅が狭くなっても、頑として後列にずれなかった。

 ーー譲ったら負けだ。

 どちらからともなく、それを悟ったアマリーとエヴァは、王太子の両端に食らいつくように馬を進め、時折馬の脇腹同士がぶつかり合うほどだった。

 王太子はその度に表情を曇らせた。


 途中からは二人とも意固地になり過ぎて、気力の張り合いのようなものだった。

 お互いに敵対心を燃やしてくる相手に対し、自分が気圧されて引き下がるのが悔しかった。

 ある意味、彼女たちの中でこれは国対国の闘いの様相を見せていた。


 両者一歩も譲らず乗馬をしていると、やがて前方に大きな湖が見えてきた。ようやく変わりばえした景色に、アマリーは少し嬉しくなった。


「あの湖、海みたいに広いのね」


 王太子に話しかけると、彼は言った。


「スカール湖だ」


 照りつける日差しの中、輝く湖面には、漁をしているらしきたくさんのボートが出ていた。

 男たちがボートの中から、水の中に網をゆっくりと下ろしていく。

 岸の近くでは、子供たちが楽しそうに泳いだり、水を掛け合ったりしていた。その飛沫が空中にキラキラと舞い、光の粒のよう。

 額に流れる汗を拭いながら、アマリーは呟いた。


「気持ち良さそう。泳ぎたくなってしまうわね」

「…………あの湖で泳げば、死ぬ」

「えっ、なんですって?」

「スカール湖。別名、死の湖だ。知識のある旅人は、どんなに暑くても、近寄らない」

「どうして? 長閑な湖にしか見えないけど」

「湖には、目に見えない悪魔がいる」


 悪魔?

 アマリーは何かの冗談かと思い、笑い飛ばそうとしたが、王太子は至って真面目だった。


「この村の人々は短命だ。皆同じ様な症状を訴えて、死を迎える」


 えっ、とアマリーは押し黙った。

 王太子は暗い目付きで湖の方角を睨んだ。


「風土病だな。その原因が、あの湖にあると我々は考えている」


 にわかにアマリーはゾッとした。

 エヴァはレースのハンカチを口元に当てると、可愛らしい顔を歪ませた。


「嫌だわ! 私たちが風下にいるわ。何か運ばれてきやしないかしら?」


 アマリーは呆然と湖を眺めた。

 無邪気に笑顔で遊ぶ子供たちや、ボートから湖に網を下ろす大人たちに、視線を戻す。中には胸まで湖に浸かり切って泳ぐ者までいる。

 彼らに、教えなければ。今すぐにだ。


「そんな! 早くあの子たちに、知らせなきゃ!」


 だが王太子は自分の馬をそのまま走らせた。


「岸から叫んでも、彼等は変えられない。国王陛下も手をこまねいていたわけじゃない。もう、何度も彼等に警告をしている」

「じゃあ、どうして……」

「彼等も生活がかかっているんだ。知識を与えるだけでは、伝統や習慣をやめさせることは出来ない」


 湖を馬が通り過ぎようとしていた。

 アマリーは、もう一度だけ、その湖面を振り返った。

 何事も無かったかの様に、人々はまだそこにいる。そして、明日もいるのだろう。


「無力。なんか、凄く無力…………」

「無力だ。そしてこの悔しさを、ここを通るたびに噛み締めている」


 アマリーはゆっくりと視線を湖から王太子へ移した。王太子の威勢の良さの綻びから、彼の弱音を垣間見た気がした。そんな彼の一面がとても意外な気がして、じっと見つめる。

 王太子はただ前に視線をやり、変わらず馬を進めていた。だがその手綱を握る手の甲が一層硬くなり、力強く握り締められていると気づいた。


(ジュール様も悔しいんだ……)


「私の代で、必ず変えてみせる」


 王太子がそう呟いたのをアマリーは聞き逃さなかった。


「きっとできるわ」


 自分の独り言を拾われていたとは思わず、王太子ははっとアマリーを振り返る。

 花のように優しい笑顔が隣にあった。


「貴方ならきっと、できると思うわ」


 王太子はしばしその笑顔を見つめた。

 不思議とアマリーにそう言われると、理想の実現に至る険しい道のりが、急速に明瞭なものになっていく気がした。




 エルベまでの道のりは遠かった。

 国境に近い、という触れ込みだったが、そもそも国土の小さな西ノ国と大きな南ノ国とでは、距離の感覚が違うのだろう。

 何もない平原や深い山沿いの狭い道を抜け、座り続けた腰がおかしくなるのではないかと思われた頃、オデンが目を輝かせて言った。


「見えてきました! エルベでございます!」


 大きな川を渡った橋の先に、エルベの町並みは広がっていた。

 なんて大きいの、と感嘆の声がアマリーから漏れる。

 夕暮れ時で全貌は視界に収められないものの、目の前に広がるエルベの町並みは、西ノ国の王都よりも大きい。

 白い壁に灰色の屋根を持つ建物が連なり、広いエルベ全体に統一感を持たせている。道路は同じ大きさの石畳が綺麗に敷き詰められ、馬車も無駄に揺れることがない。

 ひしめく街並みの先、エルベの丁度中ほどに、家並みを見下ろす形で大きな城が建っていた。


「ご覧頂けますか? あれがエルベ城です。南ノ国の国王陛下は、一年の三分の一をこちらの城で過ごされます」


 遠くに聳える城を指して窓をつつくオデンの説明を聞く。

 エルベは南ノ国の最初の王都だった場所で、南ノ国の国境からもそれほど離れてはいないため、物流の拠点でもあるのだという。

 なるほど、通り沿いから眺める店には物が豊富に溢れ、街全体に活気があった。

 特筆すべきは建物の建築様式だった。

 窓や扉といった開口部は全て四角や長方形ではなく、そのほとんどが上部にアーチ型を持っているのだ。

 繊細な装飾を好むのか、掃き出し口に敷かれたタイルには緻密で優美な絵が描かれ、窓につけられた格子も花の模様を成していて、可愛らしい。

 第二の都ですらこの規模なら、王都はどれほど巨大なのだろうか。

 アマリーは目に映る圧巻の景色に、ひたすら見入った。







 いざ馬車を降りると、もうアマリーの心臓はこれ以上はないというほど盛大にばくばくと鳴り続けた。


(呑まれちゃだめよ。リリアナ王女になり切らなきゃ)


 私は西ノ国の王女、王女なのよ、と自分に言い聞かせる。出来れば本気でそう思い込んでしまえるように。

 エルベ城の正門には正面入口に至るまで衛兵や女官、出迎えの貴人たちが勢揃いしており、それが一層アマリーを緊張させる。

 ちらりとエヴァを見れば、慣れた様子を通り越して、さも楽しそうに可憐な笑顔を振りまいている。

 手まで振っているその姿に、アマリーは衝撃を受けた。


(ま、負けられないわ……! ーーというか完全に負けているわね)


 並んでこちらを見ている貴婦人たちに、どうにか笑顔を返す。

 エルベ城は外観は勿論のこと、中も素晴らしかった。

 西ノ国の城を、城と呼ぶのが滑稽に思えるほどだ。

 初めて足を踏み入れる南ノ国の城という場に圧倒され、アマリーの緊張感はむしろ何処かへと軽く押しやられて、妙に頭が痺れた浮遊感の様なものだけが残っていた。


 アマリーたちを案内してくれたのはシシィだった。


「どうぞ、こちらへ」


 アマリーはこっそりと目を四方に巡らせ、王宮の内部を観察した。

 天井は高く、廊下は馬車が通れそうなくらい広かった。中を先に、奥にと進むにつれ、内装が豪華になっていった。

 膨大な量の絵画や刺繍、彫刻といったものか、建物内部を飾りたて、絢爛にしていた。

 アマリーは歩きながら、長い感嘆の溜め息を吐いた。

 ーーー凄い。凄すぎる。

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