騒つくピクニック
シュノンからエルベまでの道中、アマリーはジュール王太子やエヴァと同じ馬車に乗ることになった。
王太子はこれから向かうエルベや、南ノ国についてせっせとアマリーに色んな話をしてくれるのだが、それに対して魅力的な返事が出来ないのが辛かった。
なにせ、リリアナらしく振る舞おうとすると、「そうですの」くらいしか言えないのだから。
(これじゃあ、気の利かない女だと思われてしまう……)
アマリーは必死に考えた。ーーリリアナはこれでどうやってアーネストと恋人になったのだろうか、と。
それとも愛があれば言葉は不要なのだろうか。
(そもそもその愛が言葉なしには育めなさそうなのよ……!)
それに親切にも話しかけてくれている王太子に申し訳なくて、心の中で彼に謝罪するしかない。
やがて王太子もアマリーと楽しく会話をするのを諦めたのか、溜め息を一つつくと目を彷徨わせてから馬車の背もたれに寄りかかり、口を噤んでしまった。そのままもうアマリーの存在に気を使うのをやめたかのように、窓の外に視線を投げた。
その様子にアマリーは酷く焦った。
(だめよ、だめ。これじゃあ、とても気に入って貰えない……)
二億バレンの札束に羽が生えて、アマリーの側から飛び去っていく光景が頭の中で見える。
このままでは、ファバンク家に今見える唯一の希望の光ーー臨時爆収入が、失われてしまう。
膝の上のドレスの布地を、ぎゅっと握り締める。
(リリアナに徹している場合じゃないわ。ーーもっと努力しなきゃ、私も西ノ国の国防も困るんだわ)
そのうち王太子はエヴァと話し始め、二人の楽しそうな会話は全く途切れることなく続いた。
アマリーの焦りに更に拍車がかかる。
王太子と目が合うこともなく、アマリーは罪悪感と焦燥感でいっぱいになった。
このままでは妃として選んで貰えない。
それにいくら他人のフリをしているとはいえ、目の前にいる王太子に嫌われたかもしれないと思うと、少し傷つく。
いたたまれない思いで窓の外を見る。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、車窓の斜め前方に、一頭の竜が見えた。
隊列の動きに合わせてのろのろと走っている。
その首元にある赤い模様をみとめると、アマリーは呟いた。
「あ、ピッチィだわ……!」
何ですの、とエヴァが目を上げ、アマリーの視線の先を辿る。
「あの首の赤い子は、ピッチィと言うのよ。ちょっと間抜けな竜なの」
ピッチィが頭に藻を乗せていた様子を思い出し、思わずふふっと笑ってしまう。
「リリアナ様、西に竜はいないのにお詳しいのね」
驚くエヴァをよそに、アマリーは窓の外に向かってピッチィ、と呼んでみた。するとピッチィはハッと頭を動かし、走る速度を落として馬車に並走した。
窓のすぐそばまで急にやって来た竜に怯えたのか、エヴァが椅子から腰を浮かせて、窓から距離を取る。
ピッチィはアマリーと目が合うと、グエー、と小さく鳴いた。
「凄いわ。私を覚えてくれたのかしら?」
王太子の方を何気なく見ると、彼はアマリーをじっと見ていた。妙に大人しくしていた先ほどまでのアマリーが、急に打って変わって活き活きとしだした為に、驚いたのだ。
ピッチィは走りながら大きな口を開け、窓をペロリと舐めた。
窓にベッタリとピッチィの唾液がつき、隣にいたエヴァが叫ぶ。
「お腹が空いているのかしら?」
「エヴァ様、大丈夫です。竜は人を食べたりしないのですって」
南ノ国に昔から遊びに来ていたエヴァですら、竜に多少の恐怖心を抱くらしい、と思ったアマリーは内心少し胸を撫でおろした。
向かいに座る王太子をちらりと見てしまう。
彼はアマリーとエヴァの会話を黙って聞いていた。
「ほら、見てエヴァ様。竜の歯は、意外と鋭利ではないわ。……やっぱりこんな姿形でも草食なのね」
そう言ってから王太子を見ると、彼もアマリーを見つめ、目が合うと頷いて同意してくれた。
アマリーはそのことを嬉しく感じた。
並走するピッチィを眺めていると、王太子が口を開いた。
「リリアナ王女。ピッチィを気に入ったのなら、後でピッチィに乗せてもらうと良い」
「えっ!? ピッチィに?」
「ピッチィも貴女を気に入ったようだ」
「そうかしら……」
そう言われるのは、意外にもちょっと嬉しかった。例えそれが落ちこぼれ気味な竜であっても。
エルベまでの途中でアマリーたちは昼食を取るために、草原で休憩を取った。
天気も良く、見渡す限り青々と広がる鮮やかな緑の絨毯が、とても綺麗だ。
時折吹き渡る風が、草原を波のように揺らし、ただ眺めているだけで飽きない。
シシィはそこに軽食や茶器を並べ、キルトの敷物とクッションを敷いて心地よい席をこしらえてくれた。
野外で食事をする為に特注されたと思しき茶器のセットは、室内で使うものよりも少し小ぶりではあるが、皿には美しい絵が描かれ、銀のカップにも精緻な彫刻が施され、溜め息がでるような代物だった。
パンやパイに、お約束のトース、更には豊富な種類の果物が用意されていたが、アマリーはあまり食べられなかった。
向かいに座るエヴァ王女と王太子が先ほどからずっと楽しそうに話しており、アマリーはその中に入れなかったのだ。エヴァ王女は王太子のすぐ隣に座り、盛んに王太子に話しかけていた。
「ほら、ジュールお兄さまが好きなアニス味のトースよ! 取って差し上げるわ」
丁度食べかけのトースを片手に持っていたアマリーは、半ば呆然と二人の様子を見つめた。ーートース表面にまぶした砂糖まみれの手で、食べかけのトースを握りながら。
王太子の好物を取ってやるエヴァはまるで、恋人気取りではないか。
「ねぇ、ジュールお兄さま。覚えてらして? わたくしが八歳の頃だったかしら。ご兄弟で中ノ国に遊びにいらして、城で隠れんぼをしたわ」
王太子は少し視線を彷徨わせてから、答えた。
「ああ、そんなこともあったな」
「あの時わたくしの兄が鬼になって、わたくしとジュールお兄さまの二人で、夜会の準備中の会場に忍び込んだわ」
王太子は子どもの頃のことを思い出し、ふっと笑った。
「……あの時は確かエヴァが言い出したのだ。素敵な隠れ場所がある、と」
「まあっ、違うわ。言い出したのはジュールお兄さまよっ」
どっちでもいいでしょーが、とアマリーは内心毒づいた。
王太子が脚付きグラスを片手に取り、ワインを飲む。
嚥下に合わせて動く喉仏を、エヴァが澄んだ緑色の瞳で見つめている。
その恍惚とした眼差しに、アマリーははっきりと悟った。ーーエヴァ王女は幼い頃から、ジュール王太子に好意を抱いているに違いない。
「夜会の準備会場には、たくさんのお菓子が並べられていて、わたくしたち隠れんぼを忘れて頬張ってしまったわ」
「ああ、そうだったな」
二人は思い出し笑いをすると、楽しそうに見つめ合った。
笑いを収めると王太子はアマリーに言った。
「その後で私の弟も混ざり、食べ散らかして女官にこっ酷く叱られたのだ」
「まぁ、そうでしたの」
アマリーは引きつる笑いを浮かべた。
お義理で「ほほほほ」と笑ってあげるが、何も面白くない。
対するエヴァはそんなアマリーを一瞥してから、席の端の方に置かれていたオリーブの乗る皿を取り、王太子の前に差し出した。
「ジュールお兄さま、オリーブよ」
礼を言いながらオリーブを取る王太子に可愛らしく微笑み返し、そのすぐ後でエヴァはアマリーに言った。
「ジュールお兄さまはオリーブがお好きなの」
王太子の食の好みをアマリーに教えるエヴァは、どこか勝ち誇ったような表情をしており、アマリーは少なからずムッとした。
他の人には分からない二人だけの共通の思い出話をくどくど続けようとするエヴァをやんわりと牽制すると、王太子はアマリーにもオリーブの皿を差し出した。
「我が国は良質のオリーブの産地として有名なのだ」
「ええ。ーーそして私の国、西ノ国はそのオリーブの主要輸出先です」
「西ノ国の国王陛下は、アンチョビを詰めたオリーブの塩漬けがお好きだとか」
(そ、そうなの!?)
せっかく王太子がアマリーも入れる話題を振ってくれているのに、アマリーは焦った。
西ノ国王の好物など、知りもしなかった。
そもそも王太子はどこからそんな小ネタを仕入れたのか。
「え、ええ。お父様は、しょっぱい物がお好きなの……」
仕方なくどうにか誤魔化した。
たぶん中高年の男性は概して皆、味の濃い物が好きに違いないから。
エヴァ王女は食事を上品に平らげていたが、アマリーはそうではなかった。
目の前でエヴァと王太子の仲の良さを見せつけられ、更に他人のフリをしているこの状況では、流石に食事が喉を通らなかった。
この状況を、国王とイリア王太子に見せてやりたい。リリアナ王女がジュール王太子の妃に選ばれるいう野望は、かなり実現が難しいように思える。
カーラは食事の手が進まないアマリーを心配して、せっせと食べ物を勧めた。
「リリアナ様のお好きなパイですよ? ーーもう少し召し上がって下さい」
「そうね。そうしたいんだけれど……」
いつもならたくさん食べられるのに、今日は食べる気が湧かない。
アマリーはなんとか紅茶を流し込むと、気分を変えようと席を立った。
敷物をおりて草原を歩くと、風が心地良かった。そのまま少し歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「リリアナ王女。少し私の散歩に付き合わないか?」
振り返ると王太子がいた。
彼は一頭の馬を引いていた。
散歩というか、乗馬だろうか?
怪訝な顔でアマリーが馬を見ていると、王太子は言った。
「竜に乗るのはまだ怖いのだろう? 馬の方がお好きかと」
実を言えば馬は嫌いだ。
ファバンク家の転落の象徴だから。
だがそんなことを言うわけには勿論いかず、アマリーは思わぬ展開に少し緊張しながら答えた。
「よろしくてよ」
王太子はアマリーに手を差し伸べた。
恐る恐るその手を取ると、馬の背の上に誘導される。
アマリーに続いて王太子が騎乗すると、馬は走り出した。
「ルシアンは竜だけではなくて乗馬もお好きなの?」
「扱い易いのは馬の方だな」
そう答えてから、王太子は破顔一笑した。
「貴女は、いつまで私をルシアンと呼ぶ気だ? 私が言うのもなんだが」
「えっ!? あ、そうね。殿下。王太子殿下」
「ーージュールで構わぬ」
「ええ、ジュール様」
アマリーがそう言うと、王太子は小さく笑い、首を左右に振った。




