子竜のピッチィ
アマリー扮するリリアナ王女がこの詰所に急遽泊まることになってしまったので、下働きの女性たちは大忙しだった。
食事作りや王女のための部屋の支度に駆り出され、皆大わらわになっていた。
カーラも彼女たちの仕事を手伝いだし、アマリーは何もない詰所の一室でひたすら大人しくしている他なかった。
皆を手伝おうかとも思ったが、流石にそんなことをしては王女ではない。
アマリーは無駄に気を遣わせて申し訳ない思いでいっぱいになり、忙しそうな彼女たちの邪魔をしないよう、夕方になると詰所の外に出て小さな裏庭のベンチに座って時間が過ぎるのを待った。
彼女の頭の中は、今後の舵取りをどうするかでごちゃごちゃになっていた。
リリアナに徹して尚且つ、王太子に嫌われないように振る舞わねばならない。
(それがまた、難しいのよねぇ……)
詰所の裏には池があり、竜騎士が連れてきた竜たちがその周りに座り込んでいた。
全部で7頭ほどだろうか。
夕日を浴びて赤く染まる池の水面に見とれていると、竜たちの間に人が一人混じっていると気がついた。
(あそこにいるのは、誰?)
赤く焼ける池の反射でよく見えない。
ベンチから離れ、瞬きをしながら池の方へ近づく。
池のほとりにいる長身の人物の薄茶の髪と、精悍な体格が確認できるなり、それが誰なのかすぐに分かった。
ーー王太子だ。
竜が余程好きなのだろう。王太子の生まれでなければ、彼にとって竜騎士という職業は天職だったに違いない。
王太子は寝そべる竜の間を歩き、何やら竜たちに話しかけていた。
思えば王太子と竜には危ないところを助けて貰ったのに彼を怖がったり、竜を「あんなものには乗れない」などと言ってしまった。
(あまり褒められた態度ではなかったわね……)
非常事態に焦っていたとはいえ、思い返せば失礼なことをしてしまった。
それにアマリーの態度のせいでリリアナ王女のイメージを悪くしてしまっていたら、よろしくない。
アマリーは今更ながら態度を改めようと王太子に近づいた。
王太子はアマリーが外を一人で歩いていることに少し驚いた様子だった。軽く会釈をしてきた王太子に向かって、おずおずと笑顔を見せてみる。
お互いの距離が縮まると、王太子は口を開いた。
「お泊りいただく支度が遅くて、申し訳ない」
「とんでもない。オデンを待ってくれてありがとう」
池の方に目を向けると、竜たちが水を飲んでいる。遠目には一見長閑な光景だが、接近して見るとやはり恐ろしさに身がすくむ。ゴツゴツとして硬そうな皮膚と、大きな爪の生えた足がやはり身をすくませる。
だが緑色の瞳だけは銀光して綺麗な色合いだと思える。
「ーー竜の目はどんな宝石より不思議な色ね」
すると王太子は実に嬉しそうに頷いた。
「巨匠と言われる画家でさえ、描写出来ない色だと言われている」
「綺麗だわ」
ありがとう、と返した王太子に対して、アマリーは思わずくすりと笑った。王太子を褒めた訳ではないのに、我が事のように礼を言っている。
本当に竜が好きなのだろうーーそう思うと王太子が少し可愛らしく見えた。
アマリーは池の端を歩く王太子をじっと見つめた。
(ぶっきらぼうな人だけど、可愛いところが少しはあるのね……。少しは)
リリアナ王女に伝えたら喜ぶかもしれない。
その人の人となりを少しでも知らなければ、そもそも興味を持つことすらないものだ。
実際に話してみなければ分からないことや、見えないことはたくさんあるのだ。
逆を言えば王太子がリリアナ王女を見ているだけでは、彼の心を掴むことなど出来はしないだろう。
詰所を振り返ると、下働きの女たちがバタバタと玄関から出たり入ったりを繰り返していた。
まだ忙しそうだ。
アマリーは少し王太子と話をすることにした。
「……この詰所は、竜を休ませるのに丁度良いのね」
すると王太子は説明を始めた。
「竜は泥を多く含む池の水が好きなのだ。下に沈殿した泥を栄養源の一つにしている」
なるほど、言われてみれば竜は舌先で水面をかなり揺らしながら、水を飲んでいた。泥を巻き上げているのだろう。
それは面白い。
つまり竜は濁った水がないと生きてはいけないのだ。
「不思議ねぇ。泥水が好きだなんて、まるで蓮の花みたいだわ」
見た目は全然違うのに。
「だがこう見えて、竜はとても綺麗好きなのだ。毎日綺麗な水での水浴びも欠かせない」
「まぁ!? 本当? 結構手がかかるのね」
アマリーが驚いている先から、一頭の身体の小さな竜が池のほとりでバシャバシャと水を跳ね飛ばし、池に入ると中に頭を突っ込んで、今度は勢いよく顔を上げて池の水を辺り構わず飛び散らせた。
何やら池の藻みたいな物体が、その竜の頭に乗っかっている。汚らしいカツラのようだ。
「……あまり綺麗好きには見えないのだけれど」
「あの竜は、少々変わり者なのだ」
頭から藻を下げた竜は、やっと頭上のゴミに気がついたらしく、カクカクと頭を振って藻を振るい落とそうとしていた。だが、頭の角に長く細い藻が絡み、うまくいかない。
よく見ると首の周りに赤い模様が入っており、同じように大きく怖いだけの竜も、実は少しずつ個体差があるのだと今更気づく。
「竜にも、ーー名前があったりするのかしら?」
「ええ。勿論。あの藻を被った子はピッチィという名だ」
(ピッチィーー!?)
驚愕に目を開いて、聞き直してしまう。その直後、おかしくなって笑いだしてしまった。
そんなアマリーを王太子が訝しげに見ている。
「何か面白かっただろうか?」
「だって……あんなに大きな生き物に、小鳥のような名前をつけるのね!」
今度は王太子が目を瞬く。
アマリーは楽しげに笑いながら続けた。
「名付け親はきっと変わり者ね」
「私だが……」
「えっ?」
「ピッチィと名付けたのは私なのだが」
ーー王太子様が、名付け親?
しまった。気まずいことを言ってしまった。せっかく印象を改善しようと話しかけているのに。
ネーミングセンスを笑ってしまうなんて。
アマリーはとりあえず純粋に驚いたフリをしてみた。リリアナ王女専売の台詞だ。困ったらコレしかない。
「まぁ、……そうでしたの」
「リリアナ様なら、竜に例えばどのような名を?」
「ええと、そうねぇ……」
アマリーは少し考えてから言ってみた。いかにも強そうな響きを持つ名前を。
「例えば、バルーダとか、ダーガとか……」
すると今度は王太子が笑った。
(ああ、良かった。怒ってはいないのね)
王太子が笑ってくれたので、確認するようにその笑顔をじっくりと見入ってしまう。
彼は笑うと、武人然とした堅い印象がとても柔らかくなり、更に素敵だった。
「察するに、リリアナ様は濁音がお好きらしい」
「まぁ。ーー言われてみれば本当ね!」
アマリーたちは二人でおかしくなって笑った。
「では、次に竜騎士隊の所有する竜に子どもが産まれたら、名前はバルーダとしましょう」
「まぁ! ほんとに? 気に入ってくれるとは思わなかったわ」
パッと笑顔になるリリアナを見た途端、王太子は束の間その嬉しそうな表情に見惚れた。
そうしてなんとなく、西ノ国の王女はすぐに喜ぶのだな、と感じた。
ザバッと音と水飛沫を上げて、ピッチィが池から出てきた。
ピッチィは頭を左右に大きく振り、どうにか藻を落とそうとしていた。
それが自力では無理だと悟ると、ピッチィは突然方向を変えてアマリー達の方へやってきて、彼女の目の前に頭を突き出した。
思わず全身に緊張が走る。つい弾かれるように王太子の背に隠れてしまう。
竜はその緑色の瞳で、はっきりとアマリーをみていた。
そのまま頭を軽く振りながら、アマリーの方へ突き出してくる。
その距離の近さに怖くなり、咄嗟に目の前の王太子の腕に両手でしがみ付いてしまう。
王太子が少し驚いたように身体をこちらに向ける。
はしたないことをしただろうか。
慌てて彼の腕から手を離す。
「あの……、ピッチィはきっと頭の上の藻を取ってほしいのよ。ルシアン、取ってあげて」
王太子に隠れるようにしてそう言うと、彼はなんなく腕を伸ばしてピッチィの角に絡まる藻を取り去った。
池に向けて投げると小さな水飛沫と共に藻はあっさりと水の中に沈んでいった。
頭が軽くなったのか、ピッチィはグエー、と軽く鳴きながら口角を上げてアマリーたちを見た。まるで笑っているみたいな顔だ。はしゃいで尾の先を左右に激しく振っている。
「ねぇ、嬉しそうね。竜にも表情があるのね。知らなかったわ」
アマリーが感心してそう言うと、王太子は鋼色の目を細めた。
「勿論だ。よく観察すれば表情豊かでしょう?」
「ええ! 今分かったわ」
二人は顔を見合わせると、殆ど同時に互いに笑顔を見せた。




