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不穏

「藤田さん、レンチをこっちに。それとワッシャーを六枚ください」


 頭上から降ってきた村神社長の低い声を受けて、私は腰に巻いた工具差しからモンキーレンチを一本取り出し、続いて作業ズボンのポケットから、薄く小さなステンレス製の輪っかを六枚手に取った。

 それらを落とさぬよう気を遣いながら、安全靴に包まれた足でしっかりと架台を登る。

 頂上部まで辿り着くと、狭い足場を陣地にして、組み上げ中のガラス装置と格闘している社長の大きな背中が目に入った。

 私は、工場内の騒音に負けないくらいの大声で声をかけた。


「持ってきました! どうぞ!」


「助かります」


 振り返った村神社長は私の手から道具一式を受け取ると、ほどよく日焼けした顔に笑みを乗せて口にした。


「このぶんだと、予備日は使わずに済みそうですよ」


「そうですか。それは良かったです」


「藤田さんの工程表が完璧だからですよ」


 円筒形のガラス製冷却筒を挟んで、社長と向かい合う形で作業をしていた高宮さんが、額の汗を首に巻いたタオルで拭いながら朗らかに言った。


「昼前にはコイツの組み上げも終わりそうだし。時間に余裕があるから、我々もやりやすいですよ。ね、社長」


「まぁこっちとしては、予備日も使って作業費をがっぽり頂きたいところなんですけどね」


 社長が人懐っこそうな笑みを浮かべた。釣られて、私も小さく笑った。

 他人の冗談に乗りにくい性分の私ではあるが、この人相手だと自然にそんな表情も出来る。

 信頼できる相手だからだ。

 彼が率いる『株式会社村神ガラスプラント』の手並みは、そんじょそこらの下請けには真似できない。


「それじゃあ、私は先に担当者さんのところに行って、進捗状況を報告してきますので。コイツを組み立て終わったら休憩にしてください」


「分かりました」


「よっしゃー、あと一息だな」


 気分を奮い立たせるように喝を入れた高宮さんを横目に見ながら、私は架台を下り、両足が地面についたのを確認してから、小さく息を吐いた。

 工場内は空調が効いているとはいえ、揮発した薬品が屋内に溜まるのを防止するためにシャッターを開けているから、効果は薄い。

 シャツ越しに粘ついた汗を感じながら、さっきまで自分がいた場所へ視線を向ける。


 こうして見上げると、さすがに巨大感が身に迫ってきて、威圧感すら覚える。

 ジャングルジムを彷彿とさせる、ステンレス製の架台。

 それに囲まれているのは、全長十メートル以上の高さを有するガラス製合成反応装置。いま社長たちがいるのはその頂上部だ。


 合成反応装置の仕組みは、いたってシンプルだ。

 最下部にある五百リットルフラスコに嵌っているマントル・ヒーターで、フラスコ内に投入された原料に高熱を加えて化学反応を促進。

 蒸気と化した目的物を頂上部の冷却筒で凝縮させて、管を伝わせながら回収用の受器に送る。


 その一連の工程で最も重要となるパーツが冷却筒と言っても、過言ではない。

 コイツを組み上げる時の扱いには、慎重に気を配らなくてはならない。

 冷却筒内部の造りが複雑であるのに加えて、ガラスのくせして非常に重いからだ。

 さらには口径が一メートル近くあり、しっかりとした体勢で持ち上げなければ、腰がやられる。


 冷却筒の設置はその性質上、高所になることがほとんどだ。その為、どうしても作業時には足場が悪くなる。

 素人が一人で持ち上げようものなら、バランスを崩してオシャカにする可能性大だ。

 最悪、持ち上げた本人が架台に躓いて落下、なんて事故も時たま耳にする。

 一歩間違えれば大惨事。そんな危険と隣り合わせの作業に従事しているにも関わらず、社長と高宮さんの動きは実にスムーズだった。

 互いに息を合わせて、冷却筒のつばにフランジを噛ませて再び持ち上げ、先に組み上げておいたガラス管の上に設置。その間、一分と掛かっていない。


 口に出して説明すると簡単な作業のように思えるが、実際は慣れていないと中々こなせない。

 監督役の私は、少し離れたところから社長たちの作業を眺めていたが、実に鮮やかなコンビネーションだった。

 さすがに十年近くこの業界に従事しているだけのことはある。


 社長が慣れた手つきで、フランジにボルトを挿し込んでいく。

 ボルトの先端部に、さっき私が渡したワッシャーを嵌め、ナットを手で軽く締めてから、社長と高宮さんはレンチを手に取った。

 そこまで見届けてから、ようやく私は、工場責任者の部屋へと続く階段を降りていった。









 私が大学を卒業して今の会社に入ってから、すでに三年の月日が流れていた。

 勤め先の大浜科学株式会社は、科学実験で使われるガラス器具の製造と販売を行っている。

 上場はしていないが、科学機器業界における中小企業の中では、それなりの地位にある会社だ。


 私が配属されているのは、第三営業部技術営業課。

 化学工場で利用される、大型のガラス製プラント装置。

 それの設計をし、部品をかき集め、現地で組み立てを行う。それが主な仕事である。

 単価あたりが数百万から数千万と高額なため、受注数は少なくともそれなりの売り上げにはなる。


 設計と部品集めに関しては、私一人でも可能なぐらいには仕事に慣れてきた。

 だが、現場での組み立て作業となると話は別だ。まだ練度の低さが目につくと、自覚する。

 先輩にやり方を教わるというのもありだが、あいにくと、技術営業課は私を含めてたったの六人しかいない。

 その全員が、それぞれにお客様を抱えており、過密スケジュールの下で働いているから、手助けは期待できない。

 言い方は悪いが、組み立て作業を手伝ってもらうということは、その人が営業活動に使うはずだった時間を奪う事になるからだ。


 そうなると、自然と下請け業者を雇うという選択肢を選ばざるをえない。

 だが、金属製プラントの組み立てに従事する下請けは掃いて捨てるほどあれ、ガラスとなると事情が違う。

 うちの課長の話では、ガラスは金属とは勝手が違うぶん、扱い方に多少のコツがいるのだという。

 なので、ガラス製プラント装置の組み立てを専門とする業者は、おのずと限られてくる。


 そういう時、私は他の営業マンがそうするように、村神ガラスプラントに助力を乞う事にしている。

 今回の案件もその一つだ。


 村神さんは、私よりも五歳年上の三十一歳という若さで、社長業をこなしている。

 名刺交換をした際に、その事実を同席していた上司から知らされた時には、とても驚いたものだ。


『自分とそう変わらない年代なのに、凄いなぁ……』


 当時、会社に入りたての私は呑気にもそう思ったものだが、彼が社長に就くまでの間には、色々と込み入った事情があったらしい。


 これは、私が入社して二年目に上司から聞かされた話だが、父親である先代が急死したのが、そもそもの始まりだったという。

 それだけならよくある話として済まされるだろうが、その死因が問題だった。


『どうも親父さん、腹上死しちゃったらしいんだよ。それも当時付き合っていた愛人の家で』


 その愛人と目される女性が非常に腹黒いというか、狡猾な人物だったのが最悪だった。

 不義を働いていたのを棚に上げて、先代の奥さんに慰謝料を請求してきたのだという。

 おたくの旦那が腹上死なんて馬鹿げた死に方をしたせいで、近所からおかしな目で見られている。名誉棄損だ、とかなんとか。

 ついには無言電話を筆頭に、自宅の庭に猫の死骸を投げ込むなど、嫌がらせの数々を行ってきたという。


 愛人の支離滅裂な論理にまったく開いた口が塞がらないが、先代の奥さんは気が弱い性格の方だったようで、事態を深刻に捉え過ぎたところがあった。

 夫が余所で女を作っていたという事実だけでもショックなのに、そこに加えての愛人からのしつこ過ぎる嫌がらせだ。二重の責め苦に耐え兼ねて、ついに自宅で首を吊った。


 会社は、一人息子だった村神さんが跡を継ぐことになった。

 当時の年齢は二十一歳。彼は高校を卒業して以降、先代の下で仕事をしていた過去がある。

 その経験のおかげか、ガラス装置の組み立てに関するノウハウは、元々それなりに持ち合わせていたようだ。


 でも、決して穏やかとは言えない複雑な環境に取り囲まれて、よく社長になろうと決意したものだ。

 自分だったら、とっとと逃げ出しているかもしれない。

 その胆力に、私は感心を通り越して、尊敬の念すら抱いていた。


 日焼けした肌と女ウケしそうなスタイルも相まって、村神社長に対する私の第一印象は、あまり良いものではなかった。

 なぜなら、私が正反対な存在であったせいだ。

 彼と顔を合わせる度に、胸の奥底から濁った泥のような感情が湧き上がってくることもあった。

 自分が日陰者であることを、自覚させられているようで辛かった。


 それが、ちょっとしたきっかけで話してみると、意外にも人当たりがよく、浮ついた言動など一切しないものだから、拍子抜けしてしまった。

 一番びっくりしたのが、私みたいな若輩者に対しても、下請け業者としての立場ゆえか、常に敬語で接してくる点だ。


『私、社長より年下なんですから、敬語なんてよしてくださいよ』


 いつだったか、酒の席でそんなことを口走った時があった。

 すると、社長はあの人懐っこい笑みを浮かべて、


『藤田さん、それはできません。私は下請けですからね。そこの分別は、しっかりとしておきたいんです』


 なんて言ってきた。その言葉を耳にした途端、私は急に、自分が狭量な心の持ち主であるように思えてきた。

 けれども、そこに卑屈さなどは欠片もなく、逆に彼の人柄に惹かれる一方だった。

 なにより、あの人には技術がある。代えの効かない組み立て技術が。

 その仕事振りを眺めているだけでも勉強になる。

 加えて、上司から聞かされた社長就任までの流れを総合した結果、私は村神社長に全幅の信頼を置くようになっていた。


 定時を迎え、その日の仕事を切り上げた私たちは、工場責任者への挨拶を済ませると、各々の車に乗り込み、駅前近くのビジネスホテルへと移動した。

 時刻は夜の六時を回っていて、それでも夏の陽は沈むのが遅く、積乱雲を不気味なくらいに紅色に染め上げていた。


 工期は予備日も含めてあと五日。

 三日目の今日で組み立てが終わったから、明日から試験運転に入る。

 問題なく順調に進めば、あとは完成版の設計図を工場責任者に渡して終了。

 社長の言葉通り、予備日は使わずに済みそうだ。

 手前味噌になるが、入社三年目で一千万の案件を単独で検収まで持っていけるだけ、上出来じゃないだろうか。無論、村神社長の助力があってこそだが。


 ホテル併設のレストランで、そこそこの夕飯を済ませ、各々の部屋に戻る。

 私と社長、高宮さんの部屋は五階に揃えられていた。

 明日の予定を社長と確認し合ってから、自室に入る。

 狭っこい浴室でシャワーを浴び、一日の垢と疲労感を落とす。

 寝巻用のジャージに着替えてから、何気なくテレビを点ける。

 チャンネルを次々に変えてみるも、特に興味を引くような番組はやっていない。

 壁に掛けられているアナログ時計を見ると、夜の九時を過ぎたところだった。


「(明日も早いし、今日は早めに寝るか)」


 テレビを消してからベッドに入る。

 スタンドの電気を消し、さぁ寝るぞと瞼を閉じる。

 だが、どうも眠くならない。

 シャワーを浴びた事で、逆に目が冴えてしまったようだ。


「(酒でも飲むか……)」


 ベッドから抜け出し、財布片手に一階の売店へ向かおうと、ドアを半分ほど開けた時だった。

 廊下を挟んだ向かいの部屋。

 そのドアの前に、こちらに背中を向ける形で人が立っていた。


 背中をこっちに向けているわけだから、どんな顔をしているかなんて、当然確認できない。

 それなのに、(くだん)の人物が視界に入った瞬間、やけに陰鬱で重い視線を浴びせられているような気がして、私は思わず恐怖を覚え、「ひっ」と小さく息を呑んだ。


 冷房の効いた廊下が苦手なのだろう。

 それにしたって、鼠色の長袖セーターの上にカーディガンを羽織り、厚手のジーパンを履いた姿は、七月という時期を考えればかなり奇異に映る。

 それに、良い身なりとも言い難い。

 服の手入れを疎かにしているせいか、セーターはどこもかしこも虫食い状態で、白い肌着がまだらに覗いている。

 ジーパンは丈のサイズが合っていないせいで、裾の部分がナイフで切り裂かれたように、ボロボロになっている有様だった。

 私は、気づけば息を殺して、その謎めいた人物から目が離せないでいた。


「(女性……か?)」


 腰まで垂れているワンレングスの髪を見てそう判断したが、まるで陰毛のように縮れているせいで、相当汚い印象を抱いてしまう。

 毛先が傷んでいるどころの話ではない。白髪染めも中途半端なせいで、白と黒の毛髪がつぎはぎに繋がっているように見える。

 言い方は悪いが、不潔極まるホームレスがうっかり迷い込んでしまったのだと、今この場で誰かから説明を受けたとしても、私の胸の内には妙な納得が生じるだけだろう。


 とそこまで考えたところで、彼女の陰気な佇まいに視線を奪われていた私は、遅れて悟った。

 それに気づいた途端、心臓の鼓動が少し早くなったような気がした。

 つまりは、この謎めいた女性が、誰の部屋の前に立っているかについて。


「(あの人……社長の部屋の前で、何やってんだ?)」


 私がそんな疑問を抱いている間、女性は何か動きを見せたかというと、特に何もしなかった。

 ドアをノックする気配もなかった。

 まるで枯木のように黙して、社長が泊っている部屋のドアの前で、直立不動の体勢を取り続けていた。


「あの」


 よせばいいのに、私はその女性に声を掛けてしまった。

 口の中が変に乾いていたせいで、上手く声が出なかった。

 女性は振り向かない。

 私は少し大声を上げる感じを意識しながら、


「あの!」


 と、再び呼びかけた。

 ぴくりと、女性の細い肩が揺れた。

 壊れかけのブリキ人形のように、ゆらりとこちらを振り返る。


 女性の顔を見た途端、氷の塊を口の中に突っ込まれたような感覚に襲われた。

 なんと声を掛けて良いものか、判断に迷った。


 真夜中の森に潜む廃寺。

 そんなビジョンが脳裡に浮かぶほど、女は不気味な容貌をしていた。


 目の周囲が酷く落ち窪んでいて、それなに、やけにギラギラと瞳が輝いていた。

 頬はげっそりとこけ落ち、不健康極まる蒼白い肌色。

 顔にも細い首にも、カッターナイフで傷つけたような細かくて深い皺が刻まれている。


「え、えっと……」


 なんと言葉を切り出して良いか分からず、混迷に陥っている時だった。

 女性の腕がゆっくりと持ち上がり、そのまま、社長の部屋の方を指差して、


「足」


 青白い喉をひくつかせて、女は(しゃが)れ声を出した。


「足が萎える」


「は?」


 発言の意図が分からず首を傾げた私を無視して、その女性は、キューッと口角を鋭く上げると、正面へ向き直り、エレベーターとは反対の方向へ大股で去っていった。


 訳が分からなかった。

 足が萎える。確かにそう聞こえた気がする。

 だが、意味が分からない。誰の足が萎えるって?


「頭のおかしな人だったのかな……」


 女性は廊下の突き当りまで行くと、そのまま角を曲がって消えていった。

 その歩き方も、不自然に体を左右に揺らしていて、本当に壊れかけの人形のように見えた。


 女性の正体が何なのか。気になったのは事実だ。

 社長に何か用があったのか。

 追いかけて聞き出す術もあったろうが、あんな不気味な女性に進んで自分から関わろうと思うほど、酔狂な性格はしていない。

 酒を買う気も失せてしまった。

 結局、その日は悶々とした気分のまま、無理矢理眠りについた。


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