12:決着
「敵わないなぁ……」
荒い呼吸の中、マイクス君が小さく呟いた。
溜息とも聞こえる諦めの色が強い声。その反面、口元は笑っている。
次いでゆっくりと片手を上げると雑に前髪を掻きあげた。諦めの境地に達しすぎて逆に吹っ切れたとでも言いたげな仕草と表情だ。
さすがにこれを殴る気にはならず、俺も殴る手を止めて彼の横に座り込んだ。
お嬢様のおかげで回復したとはいえまだ体のあちこちが痛み、終わった実感と共に疲労が一気に襲ってくる。座っているのがやっとなぐらいだ。
そんな俺と、そして一向に起き上がろうともしないマイクス君から終結の気配を感じたのか、お嬢様が「そまり!」と俺を呼んで駆け寄ると同時に抱き着いてきた。
俺の肩に顔を埋め、震える声で「そまりの馬鹿」と訴えてくる。その声は震え、ぎゅっと強く抱き着いてくる腕の力もいつもより強い。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、ちゃんと勝ちましたよ。……ちょっと格好悪いところをお見せしましたけど」
「……格好悪いかどうかなんて、どうでも良いのよ」
「そうはいきません。俺は『詩音お嬢様のそまり』ですから、いつだって格好よくありたいんです」
それは譲れないと告げれば、お嬢様がゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた目元を細い指先で拭うと「意地っ張りね」と笑う。その表情も声色も咎める様子はなく、愛で溢れている。
そのうえじっと俺を見つめ、ゆっくりと目を瞑った。
これはどういう意味か。
……なんて、考えるまでもない。
お嬢様の望みを叶えるべく、彼女の頬にそっと手を添えた。小さく震えるのが手に伝わってきたが、お嬢様が目を開ける様子はない。それどころか頬がほんのりと染まっていく。
そんなお嬢様を見つめ、俺も目を細めるとゆっくりと顔を寄せる。
そうして唇が触れるまであと僅かというところまで近付き……、
「さすがにこれは邪魔しますよ」
というマイクス君の冷ややかな声と、
「はいはい、おつかれさん」
というベイガルさんの淡々とした声に邪魔をされた。
正確にいうのであれば、マイクス君は弱々しいながらも俺の脇腹を殴り、ベイガルさんは俺の頭を掴んでグイと強引にお嬢様から引き離した。
あまりに酷い妨害ではないか。これには俺も思わず「あと少しだったのに!」と声をあげてしまう。
「何するんですか。マイクス君、きみは俺に負けたんだから大人しくしていてください」
「馬乗りで殴られた挙句にキスシーンまで見せつけられるとなれば、さすがに負けた身分でも邪魔しますよ」
「ベイガルさんも、どうして良い所で邪魔をするんですか。功労賞としてキスぐらいしたっていいじゃないですか」
「俺を囮にしたこと忘れてないからな」
俺の訴えを二人が一刀両断してくる。なんて酷い話だろうか。
ちなみにお嬢様はといえば、邪魔が入ったことで我にかえったのか、ほんのり程度に染まっていた頬を赤くさせ、いまだ呆けている西部さんのもとへと逃げていった。
ペンライトを握りしめたままの西部さんの肩を揺らし、恐る恐る様子見しながら近付いてきた犬童さんにも終結を告げている。その姿は愛らしく、見ているだけで癒される。
お嬢様は戦いの終結を司り平和と平穏をもたらす天使だ。
邪魔さえ入らなければ、今頃そんな愛らしい天使を抱きしめて麗しい唇に……。
恨めしいと唸れば、マイクス君とベイガルさんが揃えたように溜息を吐いた。
「この期に及んで馬鹿なことをと呆れるべきか、こんな状況でも変わらぬことを安心するべきか……」
まったくと言いたげに肩を竦め、ベイガルさんが手を差し伸べてくる。
立ち上がれという事なのだろう。文句を言いつつもこうやって助けを出すあたりがなんとも彼らしい。
その手を取り、引かれるままに立ち上がった。体中が痛みを訴え、疲労が足元をふらつかせる。
「今日はもうお開きで良いですか? さすがの俺も疲労困憊です」
「そうだな。悪いが明日ギルドに来てくれ」
「かしこまりました。お嬢様、もう帰りましょう」
お嬢様を呼ぶ俺の声は、我ながら疲労が漂っている。情けなささえ感じさせるほどだ。
それを察してかお嬢様がパタパタと駆け寄り、俺の隣に寄り添うとグイと腕を掴んできた。身長差から叶わないが、俺を支えようとしているのだろう。
「もたれかかっても良いのよ!」と俺を見上げてくるお嬢様のなんと優しいことか。
「さすがはお嬢様。ぜひもたれかからせて頂きます。あわよくばそのまま押し倒して……」
冗談めかして徐々に体重をかけていけば、お嬢様が耐えきれなくなったのか悲鳴をあげた。
楽しそうに笑って俺を押し返そうとし、そのうえスルリと腕の中からすり抜けてしまう。「まったくそまりってば」と言葉でこそ俺の行動を咎めているが、その声色は随分と甘い。
いつものお嬢様だ。優しくて甘くて、そして愛らしい。
ようやく彼女の笑顔が戻ったと、俺の胸に安堵が湧く。
「では、そろそろ俺達はお暇いたしましょう。ベイガルさん、明日の昼までにはギルドに行きますんで」
「おう、頼む」
よろしくな、とベイガルさんが片手をあげる。
労う気配がまったくない、それどころか挨拶としても杜撰な態度だ。
俺もそれにお座なりに返し、次いでマイクス君へと視線を向けた。
彼も身を起こす程度には回復したようで、今は地面に座り込んでいる。もっとも回復したとはいえ再戦を仕掛けてくる様子はない。顔には殴打の跡が残っており、目元は青く腫れ、ズッと啜った鼻も血の跡がある。
それを見せまいとしたのか、俺の視線に気付くとふいと顔をそらしてしまった。
「ではこれで失礼します。マイクス君も、また明日」
「……は?」
俺が挨拶をすれば、他所を向いていたマイクス君がぱっとこちらを向いた。
殴打の跡が残る顔。だが今はその痛みどころではないのか、これでもかと目を丸くさせ、信じられないと言いたげに俺を見つめてくる。
そのうえヒクと頬を引きつらせ、嫌悪すら漂わせた声色で「正気ですか?」と尋ねてきた。
以前の爽やかさはどこへやら、かなり歪んだ表情だ。思わず素が出たと言ったところか。
「俺としては正気のつもりですけど」
「……さっきまで、僕はそまりさんを殺そうとしていたんですよ?」
「えぇ、そうですね」
「それなのに、『また明日』って、よく言えますね……。僕がやったこと分かってるんですか」
怪訝な声色で尋ねてくるマイクス君に、俺は肩を竦めて返した。
「だから俺は君の復讐心なんてどうでも良いんですよ。俺の目的は、お嬢様を巻き込んだ落とし前をつけて、お嬢様に格好いいところを見せる、それだけです。そして無事に目的は完遂しました」
「……僕のこと、恨んではいないんですか?」
「別に、どうとも思ってませんよ」
お嬢様も別段マイクス君に対して恨みを抱いている様子はなさそうだし、となれば俺もこれといった感情を抱く必要はない。
すべては終わったこと。
依然として、俺はお嬢様のこと以外はどうでもいいのだ。
そうはっきりと断言して、その証拠を見せるようにマイクス君へと手を差し伸べた。
彼はひときわ顔を歪ませると怪訝な顔をし、しばらく俺の手をじっと見つめてきた。睨みつけるとさえ言えそうな鋭い目つきである。
だがしばらく睨みつけると俺に他意はないと察したのか、盛大に肩を落として俺の手を取った。グイと引っ張れば大人しく立ち上がる。もちろんその後に殴り掛かったり切りかかってくることもない。
「……本当に、僕のことを恨んでないんですね」
「だからそう言ってるじゃないですか。なんだったら、明日のお昼でもご馳走しましょうか?」
今の俺にはマイクス君の事などうでもよくて、雑談交じりの昼食だって出来る。意欲的に奢ってやるほどの好意もないが、そこそこ程度の食事なら年上として財布を開くことも厭わない。
本当にどうでも良いのだ。
だってお嬢様じゃないし。
「そもそも、こういう俺だからこそ選んだんじゃありませんか。それなのにまるでおかしい奴を見るような顔をして、失礼ですよ」
文句を言えば、マイクス君が唖然とし……、
「本当に、そまりさんには敵わないや」
と、どこか吹っ切れたように笑った。




