09:ギルドの試験Ⅰ
「ギルドの試験を受けるの?」
「えぇ、ギルドに登録するには試験が必要で、その試験をもとにランク付けされるらしいんです。ランクによって請け負える仕事の幅が違うんですって」
「私も試験を受けるの?」
「仕事の試験ですから、俺だけ受けますよ。お嬢様は美味しいものを食べて待っていてください」
そう説明すれば、お嬢様が返事をしようとし……クルルとお腹を鳴らした。
思い返せば昨夜は夕食を取る間もなく眠ってしまい、朝も何も用意が無く出先で食べようと家を出た。俺もお嬢様も昨日の昼から今まで何も口にしていないのだ。
それどころではなく食事など忘れていたが、一晩経って落ち着くと共に空腹を思い出し、そして俺の『美味しいもの』という言葉に反応してしまったのだろう。
お嬢様が慌てて己のお腹を押さえ、誰かに聞かれやしなかったかと慌てて周囲を見回す。次いで俺を見上げてきた。
「そまり……今の、聞こえた?」
「いいえ、お嬢様のお腹に住む可愛らしい小鳥のさえずりなんて一切聞こえてませんよ。さぁ早くギルドに行って何か食べ物を調達しましょう、急がないとお嬢様のお腹に住む小鳥がダチョウになってしまう」
「もう、そまりの意地悪!」
赤くなった頬をプクッと膨らませてお嬢様が抗議してくる。なんて可愛らしい怒り方だろうか。そのうえ再びクルルとお腹を鳴らしてしまうのだから、いくらお嬢様が睨んできても愛しさだけが募っていく。
これは早く美味しいものを差し出してご機嫌を直して頂かなければ……と、そう考えても生憎と今は一文無しだ。
いや、あるにはあるのだが、俺の財布の中は当然だが日本円。異世界で使えるとは思えず、昨夜試しにベイガルさんに見せたところ、
「え、お前なんでおっさんの肖像画持ち歩いてるんだ? ……まさか、このおっさんのことが好きなのか?」
と怪訝な表情で俺と諭吉を交互に見てきた――ちょっと俺から離れよう身を仰け反らせたところが腹立たしい――。
とんでもない勘違いだ。慌てて訂正したのは言うまでもない。
その後も財布に入っている異国の金を片っ端から見せてみたが、どれも使えないという。となれば改めてこの世界で金を稼ぐしかない。
「登録すればあのワニも換金してくれるらしいので、まずは食料調達してその後はお嬢様の洋服を買いに行きましょう。可愛らしい服と、シンプルな服と、一張羅と、動き易い服、それにお洒落なストールも欲しいですね。あとはパジャマも買いましょう」
「そまりは?」
「俺はこれと似たような服が数着あれば良いです。寝る時はパンツ一丁で寝るんで」
パジャマは不要だと答えれば、お嬢様が「まぁ」と頬を押さえた。
次いでツンツンと俺の脇腹を突っつきながら「一つ屋根の下なのよ」と自重を促してくる。
なんて可愛いのか……。確かにこんな可愛いお嬢様と一つ屋根の下となれば、パンツ一丁なんてだらしない姿では眠れない。
これは寝間着が必要だ。
いや鍵が必要だ。むしろ拘束具くらい用意しておくべきかもしれない。
……まぁ、いざとなったら拘束具なんて破壊するけど。
今後のことを話しつつお嬢様と共にギルドを訪れる。
受付嬢に声を掛ければ、ベイガルさんから聞いているとギルドの奥に案内してくれた。その際にあちこちから「ワニの……」と聞こえてくるのが気になるところだ。
昨日の一件が既に知れ渡っているのだろう。
なんとも居心地の悪さを感じてしまう。元々目立つのは好きではなく、とりわけここは勝手の分からぬ異世界なのだから、不用意に目立つのはよろしくない。身の上も素性も下手に明かさぬ方が良いだろう。
「ギルド長は昨夜遅くまで仕事をされ、仮眠室に泊まっていたようです」
「ギルドの管理ってのは大変なんですね」
「いえ、普段はそこまで遅くならないんですが……。昨日は何かあったようで、夜間の警備に『馬鹿を拾って無駄な時間を過ごした』と話していたようです」
「ほぉ、それは興味深いですね……」
受付嬢には爽やかに微笑んで返しつつ、内心ではベイガルさんに悪態をついておく。もちろん「言ってくれたなおっさん」と。
ちなみにお嬢様は何のことか分かっていないようで、「何を拾ったのかしら?」と首を傾げている。なんて無垢で愛らしいのだろうか。
そうしてベイガルさんの執務室前で受付嬢が足を止めた。
コンコンと数度ノックすれば「入れ」と返事が返ってくる。
「ギルド長、そまり様と詩音様をお連れしました」
「あぁ悪いな、仕事に戻ってくれ」
「はい」
受付嬢が室内に一礼し、俺達にも頭を下げると元来た道を戻っていく。
それを見届け、俺は改めて扉へと向き直った。ゆっくりと扉を開き……、
「おはようございます、昨日拾われた馬鹿です」
と、堂々と室内に入った。
書類の詰まれていた机に座っていたベイガルさんが分かりやすく頬を引きつらせる。「……おはよう」と返す彼の言葉のなんと白々しいことか。
ちなみにお嬢様はここでようやく彼の言う『馬鹿』が俺達のことだと気付き、プクッと頬を膨らませた。
だが膨らんだ頬からすぐさまプフゥと息を漏らしてしまうのは、再びお嬢様のお腹がクルルと鳴ったからだ。それを聞き、ベイガルさんが「腹が減ってるのか!」と声をあげた。
まるで俺が何かを言う前にと遮るように。
「朝飯食ってないんだな、よし今すぐに用意させる!」
「……これ幸いと逃げましたね」
「何の事だか」
しれっとそっぽを向きつつ、ベイガルさんが部屋を出て受付嬢に声を掛ける。
その姿の白々しさと言ったらなく、無理にでも問い詰めてやりたくなる。だがお嬢様のお腹が再びクルルと空腹を訴えてきたので、ここは黙って食事を用意してもらおうと口を噤んだ。
しばらくすると先程の受付嬢が食事を持ってきてくれた。
チーズとハムを挟んだパンと、野菜の入ったスープ。どうやらわざわざ買いに出てくれたらしく、ベイガルさんが労いの言葉を掛けつつそれらをテーブルに並べていく。
シンプルな食事だが、それゆえに元いた世界と似通っていて安堵が湧く。食器もフォークとスプーンだ。
異世界らしく、わけの分からない材料をわけの分からない調理方法で仕上げたものを出され、わけの分からない食器で食えと言われたらどうしようかと思った。過去何度かその状況に陥った事があるが、わけの分からないものが並ぶテーブルとさえ言えない台を見た時の絶望はいまだに忘れられない。
そんな懐かしさに耽っていると、スープに口をつけたお嬢様がパァッと表情を明るくさせて俺を呼んできた。
「ねぇそまり、これ美味しい。こっちのパンも、チーズの味が濃くてパンの香ばしさに合ってるわ!」
「お嬢様、せめて俺が毒見をするまで待ってください。一見普通のパンとはいえ、異世界なんだから何が入ってるか……トマト、これトマトが入ってる! お嬢様、気を付けて!」
トマトが! と訴えれば、お嬢様が俺の手にしているパンからスライスされたトマトをスルリと抜き取ってパクンと食べてしまった。
その際の「トマトが嫌いなんてそまりは子供ねぇ」という言葉は普段の愛らしさを感じさせつつ、包み込むような母性も漂わせている。なんて尊い……と拝みたいのをぐっと答えつつ、もう一切れ入っていたトマトをそっと抜き取って皿の隅に避ける。
そんな中、ベイガルさんが話を改めるようにコホンを一つ咳払いをした。
「食事の最中に悪いが、話をさせてもらう。食べながらで良いから聞いてくれ。ギルドって言うのは仕事の仲介のことでだな」
「それよりも『昨日拾った馬鹿』について詳しく聞きたいんですが、それは俺のことだけですか? それともお嬢様も含めて?」
「前者だった場合は」
「己が奇怪な思考回路してるのは自覚してるので認めます」
「……後者だった場合は」
「殺します」
「お前のことだけだ」
きっぱりとベイガルさんが告げてくる。俺の目を見つめながら、真剣な瞳で……。
その視線を真っ向から受け、俺はそれなら良かったと頷いて返した。お嬢様を馬鹿呼ばわりするなら例え良い人であろうと許すまいと考えていたが、俺だけなら問題ない。
そう告げれば、お嬢様が「そまりは私馬鹿なのよね」と俺の袖をついと引っ張ってきた。堪らない可愛らしさ。その通り、俺はお嬢様馬鹿です。
そんな俺達の様子に、怒りはなんとか逸らせたと考えたのかベイガルさんがほっと安堵の息を吐き、改めて手元の書類を見るように促してきた。
「これは?」
「ギルドの登録書類だ。まぁ試験を受けるための仮登録だけどな。とりあえずこれを読んで……と言いたいところだが、文字は駄目なんだったか」
「喋ることは支障ないんですが、文字はさっぱりですね」
諸外国あれこれと言語は覚えたが、今目の前の書類に書かれている文字はさっぱり覚えがない。今この状況下で出されているからこそ文字と判断しているが、これが適当な紙に書かれていたら赤子の落書と勘違いしかねないほどだ。
ミミズがぐねぐねと畝って、時々変な点がついている。そうとしか見えない。
お嬢様も同様、不思議そうに書類を見つめている。
そんな俺達を見兼ねたのか、ベイガルさんが仕方ないと言いたげに書類を手に取った。代わりに読んでくれるのか、上から下へと一瞥する。
「『仕事はギルドで受ける、仕事が終わったらギルドに戻ってくる、受付で金に換える』そう書いてある」
「ちょっと要約しすぎじゃないですか?」
「安心しろ、冒険者になるような奴は書類なんて真面目に読まない。それじゃここにサインを……いや、書けないよな。それなら俺が代筆してやろう。セッシュウソマリ……変な名前」
「杜撰な管理な上に愚弄してくる」
責任者がそれでいいんですか? と俺が問うも、ベイガルさんは何食わぬ顔で俺の名前らしき綴りを書類に書き込み、次いで己の名前らしきものを書くと印鑑を押してしまった。
詐称だ。これは間違いなく書類詐称だ。
だが正直なところ代筆はありがたいので、文句は言うまいと出掛けた言葉を飲むこみようにパンに齧りついた。