08:俺とお嬢様のマイホーム
案内された小屋は町の外れにあり不便ではあるが、手入れはきちんとされており必要なライフラインは整っている。
リビングダイニング風の一室に、個室がニ部屋、水周りも揃っており、小屋というよりコテージと言った方が適しているか。といっても当然だが日本の諾ノ森家のような快適さは無く、あくまでこの世界でのライフラインが揃っているに過ぎない。
だが用意してもらった以上文句は言うまい。雨風に晒され虹色に光るワニを常に警戒しなければならない森の中での野営に比べたら、屋根壁がありベッドで眠れるのだから感謝してもしたりないほどだ。
……だけど、
「ちっ、ベッドは二部屋それぞれにあるのか。寝室が一つなら大義名分のもと毎日お嬢様と一つの布団に入れるのに……」
「欲望丸出しの文句をつけるな」
思わずぽろっと出てしまった俺の本音に、ベイガルさんが心の底から呆れたと言いたげに返してきた。
ちなみにお嬢様はいまだ俺がお姫様抱っこで運んでいる。どうやらよっぽど疲れていたようで、運んでいる最中も時折もぞと身じろぐ程度でずっと眠り続けている。
そんなお嬢様を一室のベッドにそっと下ろす。布団を掛けてやればもぞもぞと動いて寝心地を整え、安堵したと言いたげに深く息を吐いて表情を和らげた。
添い寝したい。
いや、添い寝で我慢できるか分からないけど。
そういう意味では寝室が別で良かった。そう崩壊寸前の己の理性で小屋の作りに感謝していると、察したのかベイガルさんが冷ややかな表情で俺を見ていた。
「鍵……」とポツリと彼が呟いたのは、寝室を分ける程度では俺の理性がもたないと考えたのだろうか。
馬鹿を言わないでほしい。俺の理性が崩壊した暁には、どんな南京錠だって破壊してお嬢様に手を出すはずだ。
「それじゃ、明日はギルドのテスト受けてもらうから、行動しやすい恰好で……と言いたいところだが、その服しかないか」
「これ一着です。でもこれで十分動けますよ?」
「そんな服でか?」
怪訝そうにベイガルさんが俺を見てくる。
燕尾のジャケットにベストという今の俺の服装は、執事らしさはあるものの動きやすさは皆無である。
だがお嬢様が「そまり格好良い、似合ってるわ」と褒めてくださった服装だ。俺にとっては一張羅でもあり普段着でもあり、ワニの仕留め方を学んだ時も、大海原に乗り出した――目が覚めたら大海原に乗り出していた――時も、常にこの恰好だった。
動きやすいわけではないが支障はない。慣れもある。
そう話すも、ベイガルさんは今一つ納得できないと言いたげだ。
「大丈夫ですよ。捕まえた先からフックに引っ掛ける系の殺人鬼と鬼ごっこした時もこの恰好で動き回りましたし」
「……そうか」
それならいいや……とベイガルさんが頷く。……いや、頷くと見せかけて視線をそらす。
そうして明日の朝ギルドに来るように告げると、簡素な別れの挨拶と共に去っていった。
「……そまり?」
とお嬢様の声が聞こえてきたのは、ちょうど彼を見送った直後だ。
彼女の部屋へと行けば、ベッドのうえで上半身だけを起こしている。
起きたら知らぬ場所で不安だったのだろうか。俺の顔を見るとほっと安堵したように表情を和らげた。
「そまり、ここは?」
「ベイガルさんが管理してる家です。しばらくここをお借りすることにしました」
「そうなのね。ベイガルさんはとても親切だわ、いつかお礼を……。元の世界に戻れたら……」
まだ眠いのだろう、お嬢様が話の最中にふわと欠伸を漏らす。
うとうととしながら目を擦り「戻れたら」ともう一度口にする。自分が喋っていることもよく分からぬほどなのだろう、その睡魔に従うよう、彼女の布団を軽く叩いて促す。
「突然こんな事になり、不安だと思います。ですがお嬢様は必ず俺がお守りしますので、どうかご安心を」
そう宥めつつ布団を掛け直して眠るよう促せば、お嬢様がもぞもぞと寝心地を正すと共に俺を見上げてきた。
「皆に会えないのは寂しいけど、そまりがいるから不安は無いわ」
微睡みのなかでお嬢様が微笑む。柔らかく瞳を細め……そしてそのまま瞳を閉じると、再び夢の中へと戻っていってしまった。
その表情は穏やかで、不安も恐怖も感じられない。諾ノ森家にいる時の、あの家で俺の隣にいる時と同じものだ。
「必ず貴女を守るよ、詩音」
そう小声で告げて、お嬢様の額にキスをする。
寒くないように布団を首元までかけてやり、明かりを消すと共に部屋を後にした。
そうしてもう一室へと向かい、ベッドに横になる。
胸元から懐中時計を取り出せば、時刻は既に就寝時間になっていた。これならしばらく考え事をしていれば眠れるだろう。
「しかし、まさかこんな事になるなんて……」
溜息混じり呟く。
とんでもない事になったが、こうやって人並みの寝床を得られたのは不幸中の幸いというやつだろう。
かといってこれで安心というわけでもない。
元いた世界に戻る術を探さなければ。もちろんお嬢様を守りつつ、お嬢様の生活を優先しながら。異世界だろうが何だろうが彼女に不便を強いるわけにはいかない。
「そのためには、まずはギルドとやらに入っておくか」
なんにせよ生活には金がかかる。
まずはギルドとやらで生活の基盤を築き、行動に移すのはその後からだ。
世界の違いとやらはかなり在りそうだが、ベイガルさんに聞けば問題無いだろう。幸い彼はギルド長という身分もあり、この国はおろか世界に関しても通じていそうだし……。
「よし、全力でベイガルさんに寄りかかろう。お嬢様の為、恥も外聞もかなぐり捨てて、共倒れしかねないレベルまで寄りかかり頼りまくろう」
そう決意し、もぞと布団に潜り込む。
お嬢様はベイガルさんのことを『良い人』と言っていた。
事実彼は良い人だ。異世界から来た等と怪しまれても仕方ない俺の話をきちんと聞き、そのうえ住む場所を与えてくれてギルドにも誘ってくれた。
ギルド長という立場があってのことなのかもしれないが、それでも話しただけで彼の人となりは分かる。
面倒見の良い人だ。
……だけど、
「俺は良い人じゃないからなぁ……」
クツクツと笑えば、俺の中の天使と悪魔とニャルラトホテプが揃って「骨の髄までしゃぶりつくせ!」と訴えてきた。