06:闘技場と賞品
階段は緩い下り坂の通路に繋がっていた。
通気性の悪さからカビ臭く、等間隔に置かれている明かりも心許なく薄暗い通路だ。
まさに『地下』といった雰囲気。それも、あまり好ましくない雰囲気である。
そんな通路を歩いていると、お嬢様の胸ポケットからふわりと一つの光が飛び上がった。コラットさんだ。
「無理、私これ以上進めないわ。なんだか嫌な空気が漂ってる」
「ベープでも炊いてるんですかね。それともキンチョールでしょうか」
「その二つが何なのか分からないけど、虫扱いされてるのは分かるわ。とにかく、私はここから先には行かない。先にギルドに戻ってるから」
じゃぁね、と一言告げ、ひゅんとコラットさんが来た道を戻っていく。
彼女の離脱を寂しく感じたのか、それとも『嫌な空気』という言葉に不安を覚えたのか、お嬢様がきゅっと俺の服を掴んできた。西部さん達も怯えを隠しきれずに身を寄せ合っている。
そんな怯えようが面白かったのだろう、最後尾を歩く男がクツクツと笑った。
「安心しろよお嬢さん方、血の気の多いやつばかりだが、闘技会以外での争いは禁止されてる。女子供に手を出すような奴はここには居ないさ」
「ですって、お嬢様。のんびり観光気分で行きましょう。お腹いっぱいだし、ちょっとお昼寝タイムをとっても良いかもしれませんね」
「そこまでくつろげとも言ってない」
そう話し、男が最後に「着いたぞ」と告げた。
地下通路を随分と歩いただろうか、目の前には大きな扉。開ければ隙間からまばゆい光が射し込み、さぁと風が抜けていく。
湿気た通路の空気とは違った新鮮な風。外に繋がっていると一瞬で分かる。
だけど地下へと続く階段をくだり、更にここまで歩いてきた通路は下り坂。その間も日の光が差し込む事など一度とて無かった。
だというのにどうして……と疑問を抱きつつ、伺うようにゆっくりと扉を押し開け……、
「なるほど、崖ですか」
と呟いた。
開けた先は確かに外だ。晴れ渡った空、ゆっくりと流れていく雲、吹き抜ける風は心地よい。
眼前には立ち並ぶ廃墟。そして背後にそり立つのは岩肌。見上げれば崖上に建物の影が見える。
曰く、ここは街の外れに面する崖下。
数十年前は居住地だったらしいが、行き来の不便さと悪天候時の危険性から住民全員が崖上へと引き払い今に至る。
当時は先程の通路以外にも行き来する手段があったが、それも維持する必要がなくなり、一つまた一つと潰れていったという。そうして唯一残ったのが今俺達が歩いてきた通路。
つまり廃墟だ。これは不正を働くにはちょうど良い。
栄えた街から距離も無く、それでいて国の目にも止まりにくい隠れた場所。行き来を制限出きるとなれば、後ろ暗い事をするには最適である。
「ステージみたいなのがありますね。あれが闘技場ですか」
男に案内されつつ歩けば、石畳のステージへと辿り着いた。
どうやらここで闘技会が行われるらしい。といっても、いかに周囲が廃墟だろうと崖下だろうと、日の光が降り注ぐステージからは『地下闘技場』などいう物騒さは感じられない。
今一つ、というよりだいぶムードに欠ける。
「なんか健全な雰囲気しか感じられないんですが、もしかして皆で仲良く和気藹々と戦うような感じですか?」
「そんなわけあるか。闘技会が行われるのは日が落ちてからだ」
「日が落ちてから、ねぇ……」
ぐるりと一度周囲を見回してみる。
住民に捨て置かれた建物は老朽化が進み、居住が不可能なものが殆どだ。そのうえ一角は崖に面している。
となれば、日が落ちれば直ぐに周囲は真っ暗になるだろう。なるほど、日が落ちれば雰囲気が出そうだ。
「登録所がこっちにある。目当ての賞品もそこに居るだろう」
着いてこい、と男が歩き出す。――「本当に着いてこいよ」と念を押してくるのは今までの事があったからだろう――
俺も今回ばかりは大人しく彼に着いていくしかなく、物珍しそうに周囲を見回すお嬢様の肩に優しく触れて歩くように促した。
……まぁ、途中でお嬢様が「綺麗な鳥がいるわ」と立ち止まったり、「ここはお店だったのかしら」と廃墟を覗き込んだりするので、次第に先導して歩く男との距離が出来始めるのだが。
だってお嬢様のわき上がる探求心を押さえ込むなんて出来るわけがない。
大丈夫、どれだけ小さかろうと背中さえ見えていれば後を着いて歩いた事になるから。
という俺の理論のもと、男のだいぶ後を歩いて登録の場へと辿り着いた。
老朽化した建物の一つ。以前はバーを営んでいたのか、建物の作りはどことなく開放的な店を彷彿とさせる。
曰く、この建物の奥が闘技会の登録所となっているらしい。荒廃した居住地の更に入り組んだ場所にあり、そのうえ外からでは分からない建物の奥……。
「これは確かに案内が無ければ辿りつけませんね。徹底的に一見さんお断りって事ですか」
「誰彼構わず歓迎なんてやってたら面白くねぇだろ。それに、素性を隠し通した方が有利になる事もある」
「地下通路を抜けて崖の下、登録場所も隠されているし、おまけに闘技会は夜に開催……。随分とお天道様が嫌いなようで」
「さすがに賞金首まではいないが、日の目を嫌う輩も混じってるってことだ」
俺の言わんとしている事を察し、男があくどい笑みを浮かべて建物へと入っていった。
建物の奥も変わらず老朽化している。
用途と蔓延る人種を考えれば掃除などしているわけがなく、空き瓶がそこかしこに転がり、喧噪の後さえ見える。治安の悪さを突き詰めたような場所だ。
そこに居たのは三人の男。一人は小柄でフードを目深に被り不自然に顔を背け、一人は傷跡の残る屈強な体躯をしており鋭い眼光で俺を睨みつけてくる。両極端な対応だが、どちらもあまり声を掛けたくないタイプだ。
そしてもう一人は、風貌こそそこいらの一般人と変わりはないが……、
足下に、手足を拘束され目隠しと猿轡までされた二人の少年を跪かせていた。
俺の背後で息を呑む声が聞こえる。
西部さん達が顔色を一瞬にして青ざめさせ、声を上げようとし……、
俺はそれを遮るように、一度コホンと咳払いをした。
次いで、彼女達の視線が俺に向けられているのを横目で確認し、人差し指をたてて己の口元に添える。
静かに、と、そう仕草で伝えれば、意図を察した西部さんが息を呑んだ。
良かった、彼等の名前なんて呼ばれて仲間だと思われたら面倒な事になるところだった。
「あの二人の少年が今回の賞品とやらですか」
「あぁ、前回までは賞金も賞品もそこそこ程度だったんだが、今回は提供者が出てな。おかげでどこで聞きつけたのか柄の悪い奴が集まったが、まぁ俺は戦えりゃ問題ない」
あっさりと言い切り、次いで男が「ほら、見てみろよ」と視線で賞品の二人を見るように促してきた。
少年二人を従えた男が体躯の良い男となにやら話し、おもむろにナイフを取り出し……、
そしてそのナイフを、足下にいる少年の片方へと振り下ろした。
鋭利な刃が少年の肩に食い込む。
悲鳴が周囲に響く。猿轡で邪魔されているためか、唸るような、まさに断末魔の悲鳴だ。
あれは相当な激痛だろう。手足を拘束されているため悶える事も許されず、出来るのは苦痛に呻くだけだ。
だが……。
「傷が直ぐに治った……?」
少年の肩口に出来たばかりの傷が目に見える速度で治っていく。そうして瞬く間に血の跡だけが残った。
元より傷など無かったことのようだ。まるで魔法ではないか。
だが本人は青ざめ苦しそうに喘いでおり、その隣では今回は免れたもう一人が次は自分の番かと青ざめ震えている。
傷跡は無かった事のように消え去ったが、痛覚は残り、なにより彼等の心理的な傷が都度深く刻まれているのだろう。
「凄いだろ、どんな怪我を負わせても直ぐに治るらしい。……当人達からしたら地獄だろうけどな」
「見せられて気分の良いものじゃありませんね。俺が咄嗟にラベンダーの香りがするふかふかのコットンでお嬢様の頭を包まなければ、お嬢様に陰惨な光景をお見せしてしまうところでしたよ」
まったく、と不満を訴えつつ、ふかふかのコットンで頭を包まれたお嬢様を抱きしめる。
咄嗟に鞄から圧縮したコットンを取り出してお嬢様を包んだ俺の判断はナイスと言わざるを得ないだろう。万が一の事を考えて持ってきて良かった。
おかげでお嬢様は何も見ず、少年達の悲鳴もその愛らしい耳にはとどいていない。
……まぁ、ちょっとラベンダーの香りが強いのか、お嬢様が「気持ち悪くなってきたのよ……」とコットンの中で呻いているのだが。
「お嬢様、今この場所は陰惨な空気が漂っていますから、もう外に出ましょう」
「外の空気が……吸いたいのよ……」
「そうですね、こんな怖い場所に長居は不要です。では俺達はこれで失礼します」
別れの挨拶を告げ、さっさと建物の外へと向かう。
去り際に男が一度「気が変わったら参加しろよ」と告げてくるあたり、無理強いは不可能と判断したのだろう。それに対して俺は片手をヒラヒラと振ることで返事とした。
今はお嬢様を外にお連れする事が最優先。チラと横目で見れば、青ざめた西部さん達も覚束ない足取りながらに着いてくる。
体躯の良い男が「逃げるのか」と煽ってくる。
少年二人はいまだ呻いたり怯えたりと言葉にならない声を漏らしており、彼等を従える男は自分の提供品に得意気だ。
部屋の隅に陣取っていた小柄な男は話しかけてくることもましてや反応すらせず、目深に被ったフードのせいで俺達を見ているのかさえ分からない。
あまり気分の良い場所じゃない。
そう心の中で呟いて、俺は「肺がラベンダー畑……うっ……」と限界を迎えそうなお嬢様を抱えて慌てて建物を出た。
建物の外に出れば、相変わらずの晴天が迎えてくれた。
まるで先程までの陰惨な一幕が嘘のように空は晴れ渡っており、チチと鳥の鳴き声まで聞こえてくる。
一転した光景に緊張の糸が切れたのか、西部さん達が疲労を感じさせる息を吐き、保城さんに至っては恐怖のあまり泣き出してしまった。
お嬢様がガバッと勢いよくコットンをはずし、慌てて保城さんの元へと駆け寄る。
「雪ちゃん泣かないで」
「……でも、あれ……は……上津君達で……」
辿々しい言葉で保城さんが少年達の名前を呼ぶ。
上津哲弥と柴崎賢壱。それが囚われている少年二人の名前。案の定彼等もまた小津戸高校の生徒であり、一年生の時のクラスメイトだという。
ちなみにナイフで刺された方が上津君だという。
彼等も霧須君のいじめに荷担していたのだろうか。それを問えば、犬童さんがもとより青くなった顔を俯かせた。
「はっきりとした虐めには加担してませんでした。でも授業中に騒いだり、嫌がらせはしてて……。私も彼等には嫌がらせを受けました……」
言い掛け、犬童さんが顔を背ける。
どうやら上津君達は直接的な虐めには荷担していないものの、かといって無害な生徒というわけでもなかったらしい。曰く、霧須君への虐めに便乗して彼をからかったり、そして犬童さんを始めとする所謂オタクという層を馬鹿にする言動が目立ったという。
不良や虐めの加害者達には恐怖を抱き迎合しきれないが、彼等に便乗して弱者に対しては大きく出て加害する。
なんとも情けない話ではないか。
「私、上津君達に……大事なものを台無しにされたんです……あのときはショックで……」
当時を思い出したのか、犬童さんが悲痛そうな声で話す。
顔を背け、自分の身を守るように己の腕を掴む。その姿は普段の彼女らしくない。
保城さんを慰めていたお嬢様がそれに気付き、今度は犬童さんの元へと駆け寄るとその腕をさすり始めた。お嬢様はなんて優しいのだろうか。お嬢様が動くたびにラベンダーの香りがふわりと漂う。――相当しみこんでいるみたいなので、次回からもう少し香料を減らそう――
「あの日の事は忘れられません……。目の前で……大事な……入校直前の完成原稿を破かれて……!」
「お嬢様、さっさと帰りましょう」
「新刊の早割入稿だったのに! 結局新刊は出せなくて、新刊が落ちた告知をするあの悔しさは……今思い出しても涙が……!」
「熱く語らないでください」
「でも、大丈夫です。ギリギリ18禁にならない作品でした」
「いったい何に対してのフォローなんですか」
当時の辛さを訴える犬童さんに、思わず俺も冷ややかな声を出してしまう。
聞けば――というか一方的に語っているので無理に聞かされているのだが――当時犬童さんは部活動で完成させた原稿を上津君と柴崎君に奪われ、馬鹿にされ、目の前で破かれてしまったらしい。ギリギリ18禁云々の話は聞かなかったことにして、なんとも幼稚な嫌がらせではないか。
その時の事を思い出したのか、犬童さんが何か決意したかのように俺をじっと見据えてきた。
「そまりさん、闘技会に出て優勝してください。ここで出会ったのも、私に因縁を果たせと原稿の神様が仰ってるんです!」
「嫌です」
きっぱりと断れば、犬童さんが更に強い意志を感じさせる瞳で俺を見つめてくる。――俺の中で天使と悪魔とニャルラトホテプが原稿の神様は邪神だと訴えている――
断られた犬童さんがしばらく考え込み、
「それなら、私が出場します」
と宣言した。この発言に西部さん達がぎょっとする。
いかにドラゴンや巨大な猫を従えさせる能力を持っていても、犬童さん自体は普通の少女。闘技会等という明らかに怪しい場でまともに戦えるわけがない。
そんなこと当人が誰より分かっているはずだ。現に犬童さんの体は小さく震え、強い意志の奥には怯えが見える。彼女なりの虚勢だろう。
もっとも、そんな彼女の怯えと覚悟を見て取っても俺の返事はただ一つ。
「頑張ってください」
これである。
「……本当に非情な人ですね。普通か弱い女子高生が覚悟を決めて危険な場に行くとなれば、変わりに立ち上がるのが男でしょう」
「残念ですが、現役女子高生だろうが何だろうが関係ありません」
きっぱり断れば、犬童さんが冷めた視線を俺に向けてきた。
先程までの怯えと覚悟の表情が一瞬にして消え去るのだから、いったい彼女のどこが『か弱い少女』だというのか。
あの発言は俺に発破をかけただけだ。そして俺はそんな策に引っかかって奮闘するような男ではない。
そう断言する俺に、犬童さんが一度考え込み、腕をさするお嬢様へと視線を向けた。純粋なお嬢様は先程のやりとりを信じており、「秋奈ちゃん、危険よ考え直して!」と必死訴えている。
嫌な予感がする。
具体的に言うなら、定番の流れがまた起こりそうな予感。
そうはさせまいと慌てて俺がふかふかのコットンをお嬢様の頭に被せようとするも、サッと横から割り込んできた西部さんに邪魔をされてしまった。西部さんがふかふかのコットンを被り、「肺がラベンダー畑……!」と悲鳴をあげる。
しまった、なんという連携プレー。これではお嬢様が犬童さんに誑かされてしまう。
これが現役女子高生のなせる技なのか。
「お嬢様、ダメですその話を聞いてはいけません……!」
「肺の中でラベンダーが咲き誇る……!」
「ねぇ詩音ちゃん、詩音ちゃんってアイドルとか好き? イベントとか行ったことある?」
「ライブ? 私、あまりそういうのは……。でも時々テレビでは見るわ」
「お嬢様、その愛らしい耳を塞いでください。それは悪魔の甘言です……!」
「ラベ……うぅ……吸うもラベンダー、吐くもラベンダー、呼吸全てがラベンダー……!」
「私、声優とかアニメのイベントに行くことが多いんだよね。ほら、そういう時って応援グッズを自作するんだけどさ」
「それならテレビで見たことがあるわ! うちわに名前とメッセージを書いて、それに応えてもらうのを『ふぁんさーびす』って呼ぶのよね!」
わざとらしい犬童さんの話に、返すお嬢様の瞳が次第に輝いていく。
これは、この流れは……。
「私もうちわを作って応援したいわ! ふぁんさーびすが欲しい!」
お嬢様が輝かんばかりの表情で告げた瞬間、俺が闘技会登録のために建物へと走り出したのは言うまでもない。
犬童さんがしてやったりと笑い、保城さんと大場さんがこの展開に困惑している。今までの流れであればフォローを入れそうな西部さんは「ラベッ……ラベンダッ……」とコットンを被って痙攣している。
そんな中、どんなうちわを作ろうかとはしゃぐお嬢様のなんて愛らしいことか。
お嬢様の応援を受けていいのは世界で俺一人。
お嬢様にファンサービスをしていいのは世界で俺一人。
……ほらみろやっぱり良い話なんてろくなもんじゃない。




