04:小津戸高校一年三組
霧須武人。
その名前を聞いた瞬間、西部さん達の表情が強張った。
不自然に視線をそらし悲痛な色を浮かべる。一瞬にして重苦しくなった空気に耐え切れなくなったのか、犬童さんが「どうしてその名前を……」と尋ねてきた。
普段はきっぱりと言い切る彼女らしくない、歯切れの悪い喋り方だ。
「以前に不穏な噂を聞いて調べたんです。無関係とはいえ小津戸高校は諾ノ森家の近所、そのうえお嬢様と同年代ですから、把握しておいた方が良いと思いまして」
「そうですか……」
「学校側は随分と隠し通したかったようですけど、調べるのは苦ではありませんでしたね」
人の口に戸は立てられぬ、とはよくいったものだ。それに昨今はインターネットが盛んで、人の口に戸を立てるだけでは留まらない。
どれだけ学校側が隠そうとしても噂話は広がっていく。とりわけそれが、
『いじめを苦にして生徒が自殺をした』
などという不穏なものであれば、否定する学校側の意思などどこへやら瞬く間に広がっていく。調べれば詳細を知るのも容易い。
となれば、該当する生徒の名前や周囲の人間関係を調べ上げるのも無理な話ではない。少なくとも俺にとっては造作ないことだ。
「俺はお嬢様のためとあれば何だって調べますからね」
「そまりさんの『何でも』ってやばい所まで調べそうですね……」
「いまのところ法の範囲内ですの安心してください。とにかく今は俺の話より霧須君の事です」
話が脱線していたと改めれば、犬童さんが小さく溜息を吐いた。
俺に対して隠し事は不可能と判断したのか、了承を得るように西部さん達に視線を向ける。頷き返す彼女達の表情も暗い。
「霧須君は私達が一年生の時に同じクラスだったんです。大人しくて、ちょっと気が弱くて……ぽっちゃりしてて……。勉強は得意だけど運動が苦手で……」
亡くなった学友を悪く言うのは気が引けるのだろう、犬童さんが言葉を濁しフォローを入れつつ話す。
霧須豪斗という生徒はいわゆる地味系の大人しい生徒で、自己紹介の際にも小さな声と気弱そうな態度が印象的だったという。その性格と太めの外見、それに運動音痴という三点があわさって、入学直後から揶揄われるポジションにいたという。
所謂いじられ系、というものだ。
それでも最初はクラスメイトとも友好関係を築けており、周囲も体育の時間では失敗する彼を揶揄いつつ、座学では彼の優秀さを褒めて時には頼りにしていたという。
「でも、次第にクラスが荒れ始めて……。霧須君に対しても暴力的な事とかする子が出てきたんです。一部の子が授業中も騒いだり先生の邪魔をしだして、六月頃にはまともに授業が出来る状態じゃありませんでした」
「学級崩壊というものですか」
「はい……」
犬童さんが溜息交じりに返事をする。
最初は教師たちも対処をしていたが、質の悪い生徒が集まってしまったことで手に負えず、彼女達のクラスは授業どころではない状況まで陥ったという。
教師が必死に授業をしようとしても邪魔をし、時には音楽を鳴らし、他学校の友人を呼び寄せて騒ぎ続ける。果てには若い女性教師を泣かせたら勝利宣言……と、聞いているだけでうんざりとしてしまう。
それでもと教師達は無害な生徒のために別室での授業を試みたが、『授業を邪魔する』という事にゲーム感覚の楽しさでも見出したのか、質の悪い生徒が乗り込んできて授業にならなかったのだという。
「学校側も諦めたのか、特例としてうちのクラスだけ必要な出席日数とテストの点数を取れば良いって言われたんです。だからみんな塾や家庭教師とかで自力で勉強することにして、私も従兄弟がいるので教えてもらってました」
「かなり大変な状況だったみたいですね」
学級崩壊の事は以前から噂程度には聞いていたが、俺の想像をはるかに超える惨状のようだ。
聞けば西部さんは教室での勉強を諦め塾に通い出し、保城さんと大場さんも家庭教師と図書室での自習を併用していたという。
「でも、霧須君は最後まで教室に通ってました」
ポツリと犬童さんが呟く。彼が教室に通う光景を思い出したのか、その声色は随分と心苦し気なものだ。
霧須君はいじめのターゲットだった。無法地帯となった教室に通えばどうなることか……。そもそも彼は誰より先に通学を諦めてもおかしくないはずなのに、なぜ通い続けたのか。
「そういえば霧須君のご両親は教育関係の方でしたっけ」
「はい。霧須君の両親は厳しくて、無理に学校に行かされてたみたいなんです。他の教室で自習も許してもらえないって……。それで、冬休み前に屋上から……」
言いかけ、犬童さんが口を噤んだ。さすがにこれ以上は話せないのだろう。
俺もその先は求めるまいと「そうでしたか」とだけ返しておいた。無理に聞き出すのは野暮というもの。
それにその先は嫌というほどテレビで報じられていた。
歳若い少年の飛び降り自殺。
幸い一命を取り留め、意識を戻した少年は高校でのいじめを訴えた。
だが学校側はそれを否認。教育関係に務める親は毎日テレビに出突っ張りで、苛めを訴えるでも非難するでもなく、昨今の教育環境の在り方や政治云々を熱烈に語り、自分の息子が世間を騒がせた事を詫びていた。
そうして、いつしかこの事件は報じられなくなった。結論はつけられぬまま、苛めは憶測の粋を出ず。
「確か、霧須君は治療のあとにメンタルの方で入院したんですよね」
「……そこまで調べてるんですね。私達も詳しくは教えて貰ってないんですけど、先生達が話してるのを聞いた子がそう言ってました」
犬童さんの返事を聞き、俺は合点がいったと小さく息を吐いた。
自殺未遂をはかった霧須君はその後も情緒が安定せず、怪我が治るや精神病院に入れられた。
きっと再発を防ぐためなのだろう。
だけど防ぎきれなかった。
「それで霧須君は病院で、もう一度……」
その先を濁すように告げると、犬童さんも具体的な言葉を口にしたくないのか小さく頷いて返してきた。
「霧須君を虐めていたというのは、鈴原君や遠藤君ですか?」
「鈴原君ですか? 最初の頃は霧須君にちょっかいをかけてましたが、苛めるよりも前に、鈴原君も遠藤君も学校に来なくなってました」
「サボりってやつですか。学校側からしたら授業の邪魔をするより有難いですね。では、菅谷君達は?」
俺の問いに、西部さんがビクリと肩を震わせた。
名前を聞いたことでダンジョンでの彼等の振る舞いを思い出して恐怖心を甦らしたのだろう。それでも正解のようで頷いて返してくれた。
鈴原と遠藤はエルフの墓地で争った少年達だ。
片や遺体を操る能力を持ち、片や身体能力を倍増させていた。その後エルフと獣人に引き渡してどうなったかは知らないが、今頃元気でやっているのだろう。多分、きっと。まったくそんな気はしないけれど。――だって興味無いし――
次に尋ねたのは菅谷というのは、ダンジョン内で学友を支配していた少年達である。
彼等は西部さん達の共同生活に割って入ってきて、暴力で支配した。友人を助けようとする西部さんに獣をけしかけて楽しんだり、なによりお嬢様を攫ったりと随分と質の悪い少年達だった。
その後は……行方不明である。俺がダンジョン内でこれでもかと痛めつけたのに、回収役が来た頃には姿がなかったという。
彼等はどうだったのかと問えば、西部さんが弱々しく頷いた。
とうやら菅原達は霧須君の虐めに加担していたようだ。
「他にも、たとえば西部さんが一緒に生活していた学友は苛めには?」
「いえ、彼等は霧須君には……。私も含めて、何も出来ませんでした」
苛めに加担もせず、かと言って助けることも出来ず。見て見ぬふりをしていた事に罪悪感を覚えているのか、西部さんの声色が沈む。
いや、彼女だけではない。犬童さんも同様に表情を暗くさせ、保城さんと大場さんも不安を露わに寄り添っている。ただでさえ思い出したくない記憶、保城さん達に至っては初対面の男からあれこれ聞き出される事への不安もあるのだろう。
彼女達の様子を見るに、ここで終いにすべきだろう。
「辛い事を思い出させて申し訳ありません。話してくださって感謝します」
「あの、どうして霧須君のことを?」
不安そうに尋ねてくる西部さんに、俺は一瞬間をあけたのち、穏やかに微笑んだ。
「皆さんが同じクラスだと知って、少し気になっただけです。お気になさらず」
「そう、ですか……」
「空気を悪くしてしまって申し訳ありません。お詫びにここの代金はお出ししますよ、せっかくですからデザートでもどうですか?」
場の空気を変えるために提案すれば、西部さん達が僅かに表情を緩めた。ようやく重い苦しい話題を終えられると安堵したのか、まだどことなく悲痛そうだが笑むぐらいの余裕は出来たようだ。
もっともデザートを提案したもののこの店のメニューにデザートは無いらしく、保城さんからそれを聞いたお嬢様が「他のお店に繰り出すのよ!」と立ち上がった。
「お店が落ち着いているなら瑠璃ちゃんと雪ちゃんも行きましょう!」
「え、で、でも、奢ってもらうなんて悪いし……」
「大丈夫よ。だからここらへんで一番美味しいデザートを教えてちょうだい!」
デザートを食べられると察してお嬢様の瞳がキラキラと輝きだす。それどころか早く早くと皆を急かし出すのだ。
静かに話を聞いていた反動かお嬢様は随分とはしゃいでおり、コラットさんまで当てられてクルクルとお嬢様の周りを回っている。
これには先程まで沈んだ声色で話していた西部さん達も苦笑を浮かべ、お嬢様に促されるまま立ち上がった。大場さんと保城さんが店員に外出を告げ、エプロンを外して戻ってくる。
「美味しいオムライスのあとに美味しいデザート、これこそ至高よ! そまり、お財布の準備は出来てるわね!」
「えぇ、もちろんです」
お任せを、と告げれば、お嬢様が出発の合図を告げる。
その何とも言えない陽気さに、誰もが自然と笑顔を取り戻し店を後にした。
……小さくお嬢様が呟いた、
「そまりってば嘘つきね」
という言葉は、幸い俺にだけ届いた。




