03:料理の能力
オムライスの卵は程良くとろけており、スプーンで突っつくと黄身と白身が混ざり合ってトロリとこぼれる。ふわとろ系というものだ。
さすがに一級のレストラン並とはいえないが、素人の高校生が作ったと考えれば上出来と言えるだろう。それも異世界の材料・調理器具で……と考えると、素直に関心してしまう。
なかでもケチャップライスは見事なものだ。この世界には米はなく、現にケチャップライスも米ではない。それでもしっかりと米を再現している。
今後のお嬢様の快適な食生活のため、この米っぽいものの正体は後で必ず聞いておかねばなるまい。
そう俺が話せば、お嬢様もうんと頷く。
ついで何かを思いついたのか、パッと表情を明るくさせた。……明るくさせついでに一口オムライスを頬張る姿が愛らしい。
「杏里ちゃん、私達もオムライスを作ってマチカさん達に振る舞いましょう!」
「そうだね。ベイガルさんも気になってたみたいだから、作ってあげたらきっと喜ぶね」
オムライスは異国どころか異世界の料理だ。当然ながらマチカさんもベイガルさんも食べたことはない。現にベイガルさんはオムライスが何なのかわからず、その名称もうろ覚えだった。
振る舞えば二人とも喜ぶだろう。その時を想像し楽しみだと笑い合うお嬢様と西部さんの姿はなんて微笑ましいのだろうか。
「お嬢様、西部さん、その際は是非俺にも手伝わせてください」
「そまりも手伝ってくれるのね」
「えぇ、ベイガルさんのオムライスをケチャップで見事に飾ってみせます」
穏やかに微笑んで名乗りをあげれば、お嬢様が嬉しそうに「任せたわ」と頷いて返してくれた。
ちなみに西部さんと犬童さんは「マチカさんの分は死守しよう」だの「ベイガルさんの分を囮にしよう」だのと話している。
失礼じゃなかろうか、俺だってマチカさんの分にまで手を出すつもりはない。鶏の怨念を描いたオムライスは老婆には刺激が強すぎる。
そんな話をしていると、次第に客の数が減っていった。
残った客もゆっくりとお茶をする程度で、慌ただしく店内を行き来していた店員もようやく落ち着いたと言いたげだ。
昼のピークが終わり一段落ついたのだろう。エプロン姿の大場さんが保城さんが厨房から出てくると俺達のテーブルに着いた。
「あの、さっきは突然で挨拶しなくてすみませんでした。私、大場瑠璃といいます」
大場さんが俺達に対して頭を下げる。
続いて保城さんも頭を下げ随分と小さい声で名乗った。どうやら保城さんの方が気後れする性格のようで、一瞬俺と目が合うとすぐさま反らしてしまった。
そんな二人に対して、今度は西部さんが俺達を紹介しだした。それ自体は手っ取り早くていいのだが……。
「そまりさんはちょっと変わった人だけど、とっても強いんだよ。ちょっと変わってるけど特に害はないよ。変わってるのはちょっとだけだし」
と、やたらと俺についてフォローを入れるのはどういう事だろうか。
そのうえ逐一犬童さんも同意を示してくる。マイクス君については「働き者の情報屋さん」と説明しているのに、この差はいったい何なのだろうか。
だが色々と思うところがあるので、俺は西部さんの紹介にあわせて頭を下げるだけに止めておいた。以前に諾ノ森家の同僚達に言われた「お前は黙っていれば良い男なのに」という一言が脳裏に過ぎる。
そうして長閑な自己紹介と雑談を挟み、さて……となったところで、マイクス君が上着から時計を取り出した。
曰く、日が暮れる前に行きつけの店を数件回っておきたいらしい。そこで情報を仕入れ、時には伝言を頼まれ、また移動する……。そうして金を得るのが彼の主な仕事だ。
別件で立ち寄った町とはいえ仕事を探す、あちこち旅しながら働く情報屋ならではと言える。
「相変わらず働き者ですね」
「いえ、そんな。それにそまりさん達と同郷という事なら、積もる話もあるでしょうし」
「気を使って頂いて申し訳ない。ではまた」
近くギルド『猫の手』にも寄る予定らしく、別れは簡素なものだ。
お嬢様がにこやかにマイクス君に手を振り、「次は是非ウィンナーコーヒーを」と誘っている。
「い、いや僕はあれは……」
「お嬢様、マイクス君はきっとソーセージ派なんですよ。ソーセージをコーヒーにぶちこみましょう」
「違います、やめてください。詩音さんも『そうだったのね』みたいな顔で見ないでください」
「ソーセージ派でもない……。なるほど、つまりウィンナーはタコさんじゃないと認めない派ですね。タコさん以外のウィンナーは食べるに値しない、滅びてしまえ、と」
「そんな過激な派閥に入った覚えはありません。そ、それじゃ……」
マイクス君がそそくさと店を後にする。
それを見届け、俺達は改めるように向き直った。
大場さん達に聞きたい事はいくつかある。まずは米を再現するこの材料についてだ。
それを聞けば厨房から材料を持ってきてくれた。
見たところ米とは似ても似つかない、真っ赤な実。だがこれを蒸すと米に似た食感と味になるという。色は変わらないらしく、なるほどだからケチャップライスにしたのかと納得してしまう。
これといって珍しい食材でも無いようで、お嬢様がじっと見つめた後「八百屋さんでよく見るわ」と呟いた。そこいらで売っている、いわゆる一般家庭のありふれた食材だという。
基本的にはスープ等に少量入れる程度で、メイン食材にはならないらしい。
「よくこれを蒸すと米の代わりになると分かりましたね」
「雪ちゃんに不思議な能力があるんです。どんな食べ物かとか、今まで食べたことのある食材に似てるとか、そういうのが食材を見てると浮かんでくるって。ねぇ雪ちゃん」
大場さんに促され、保城さんが頷く。
彼女が授かった能力は、食材を見極めるもの。有毒なものはもちろん、自分の知る『元いた世界の食材』との相違も分かるという。
それに対して、大場さんが授かったのが調理に関するもの。異文化どころか異世界、電子レンジも圧力鍋もレミパンも無いこの世界において、適した調理方法を瞬時に判断出来るのだという。
「なるほど、お二人には料理に関する能力ですか。二人ともバスの中で気を失ったんですよね。気付いた時に他にご学友はいましたか?」
「いえ、誰もいませんでした。私と瑠璃ちゃんだけで……」
当時の事を思い出して不安になったか、保城さんと大場さんが互いの手を握り合う。
曰く、気がついた時には二人きりで、そこを運良く親切な老夫婦に拾われたという。しばらく世話になりながらこの世界の事を学び、二人の以前からの願いであったレストランを開いて今に至る。
全ては授かった能力のおかげだと二人が話す。
「きっと二人が料理を愛しているから、料理の神様が手を差し伸べてくださったのよ」
お嬢様がうっとりと保城さん達の話に聞き入る。
俺としては色々と言いたいところではあるものの、まぁ今は口を挟むまいと大人しく同意を示しておくことにした。真相が分からない現状、美談で片付けておいてもいいだろう。
そうして自分達の能力を説明し終え、保城さんが「杏里ちゃん達も?」と伺ってきた。この流れから、俺達にも能力があると考えたのだろう。ならばと俺が代表して話す事にした。
「お察しの通り、俺達にも特殊な能力があります。西部さんは物探し、犬童さんは特定の動物を従える事が可能です。お嬢様は……」
チラとお嬢様に視線を向ける。
まだお嬢様の能力は判明していない。それを自覚しているからだろうか、不安気な表情で俺を見つめ返してきた。
手にしているコップにはいつの間にかお馴染みの水色の液体がゆらゆらと揺れている。もちろんこの店のメニューにはない。なにせお嬢様は紅茶を頼み、先程のみ干していたのだ。
もっとも今はお嬢様の水色の液体を気にしている場合ではない。今回も水色の液体については後回しだ。
そう考え、俺は再び大場さん達に向き直った。
「お嬢様は、存在している事が尊い能力と言えるでしょう」
「嫌だわそまりってば、大袈裟なんだから」
「お嬢様自身が『尊き人物が存在する』という能力なんです。お嬢様が存在している、お嬢様が大地を踏みしめ、風を感じる、それだけで世界が潤うのです。なんて素晴らしい!」
拳を握りしめて力説すれば、保城さんと大場さんが唖然としたままコクコクと頷いて返してきた。どうやら言葉を失っているようだが、お嬢様の尊さに口を挟まれても面倒なので失ったままでちょうどいい。
それでもはたと気付いた保城さんが「そまりさんは?」と尋ねてきた。
「俺ですか? 俺が授かった能力はちん」
「破廉恥なのはオムなのよ!」
「おっと、失礼しました。俺の能力は、お嬢様に対する欲望が下半身にたまりドロドロに煮詰まって力になる……というものです」
言葉を濁して説明すれば、保城さんと大場さんが再び唖然とした。
西部さんが「でも私を助けてくれたんだよ!凄く強いんだよ!」と必死にフォローを入れている。
「ふ、不思議な能力ですね……。その……とても、変わっていて……」
「だいぶとんちきな能力だとは自覚していますが、これでも案外と使い勝手がいいんです。お嬢様への欲望は尽きないので無限に力が湧くわけですし。ところで、もう一つ教えて頂きたい事があるんですが」
話を改めるように告げれば、大場さんと保城さんが不思議そうにそれでも頷いて返してきた。
何を問われるか分からないが、応える気ではいるのだろう。有難い限りだ。
彼女達の返答を確認し、次いで視線を向ければ西部さんがきょとんと目を丸くさせた。犬童さんも「私達にも?」と怪訝そうにしている。
そんな彼女達に、俺は単刀直入に聞くことにした。
それが彼女達の嫌な記憶を蘇らせるとしても、この穏やかな空気をぶち壊す事になるとしても。俺はお嬢様以外の人を気遣うなんて出来ないのだから。
だから……。
「ニ年前、皆さんが小津戸高校一年の頃になにがあったかを……。いえ、霧須武人君について、教えてください」
そうはっきりと告げれば、先程まで穏やかな表情を浮かべていた西部さん達が顔色を青ざめさせて息をのんだ。




