07:異世界
「そうしてベイガルさんに拾われて今に至るわけです」
そう俺が話を終いにしたのは、話し出してからちょうど四時間が経過した時。既に日は落ち、窓の外が薄暗くなっている。
話し終えた俺に対し、ベイガルさんが「……うん」とだけ返した。随分と疲労いっぱいと言いたげな反応だ。
「悉くお前のお嬢様語りで話がそれてこんな時間だが、要約すると『帰宅中に気を失い、気が付いたら森に居て、変な力があって、さっぱりわけが分からない』ということか」
「そうです」
「長々と語ってくれやがって、返せ俺の4時間! このあとまだ仕事が残ってるんだぞ!」
「そんなこと言われましても、随所随所で愛らしい仕草を見せるお嬢様のことを語らずに説明なんて出来るわけがないじゃないですか。ねぇ、お嬢様?」
「……すやぁ」
「おや、ぐっすり」
見れば、お嬢様は俺にもたれ掛かり眠っている。ゆっくりとした呼吸のたび小さく細い肩が上下し、桜色の唇からはスゥ……と微かな寝息が漏れる。閉じられた目元には長い睫毛の影が掛かり、なんて愛らしいのだろうか。
さながら天使の休息。仮にこの世界に美の女神が居たとしても、眠るお嬢様を見れば白旗を上げると共にそっと毛布を掛けてやることだろう。ここがどんな世界かは分からないが、今この世界にある万物全てはお嬢様の眠りを守ることに徹するべきだ。
「これは至急最高レベルのホテルのベッドに運んでさしあげなければ……!」
「おい待て、話はまだ済んでないぞ」
「お嬢様の眠りを妨げる者は殺します」
「物騒にもほどがある……。そっちに俺の仮眠室があるから、お嬢さんはそこに寝かせておけ」
「おっさんの加齢臭漂うベッドにお嬢様を寝かせるなんて出来ません!」
「23歳! まだ臭わない!」
ベイガルさんが声を荒らげれば、俺達の会話が煩かったのだろうお嬢様が「んぅ……」と小さな声をあげた。
二人で慌てて口を噤む。どうやら起きはしなかったようで、お嬢様はムニャムニャと言葉ともならない言葉を続け……、
「おじさんのベッドより、そまりの膝枕が良い……」
と、可愛らしい寝言を訴えてきた。
なんという天使。お嬢様のためならば、喜んで枕にもベッドにもなりましょう。――この際「だから23歳……」と訴えるベイガルさんは無視しておく――
そうして俺の膝に置いたクッションに頭を乗せ、お嬢様がすやすやと眠る。
熟睡するのは俺に全幅の信頼を寄せている証だ。これ以上なく愛おしい。目元にかかる前髪をそっと指先で払ってやれば、くすぐったいのだろう微笑んでくれた。
こんなお嬢様の寝顔を眺めていられるなんて幸せだ、ずっとこうやって居たい。あぁ、なんて暖かな時間だろうか……。
「おい、戻ってこい」
「おっとこれは失礼しました。では本題に戻りましょう。お嬢様、夢の中でも良いのでちょっと話を聞いていてくださいね。あぁ、なんて愛らしい寝顔、尊い……」
「……だから戻ってこい。つまりお前とそこのお嬢さんは、他の学生共々別の世界から来たってことなんだな?」
「ここまで色々揃ってくるとそう考えざるを得ませんね。俺一人なら、くそ爺がまたしょうもないこと思いついて孫を死地に送りやがった可能性も考えられますが、お嬢様が一緒だとそれは在り得ませんし」
「お前、祖父に何されてるんだよ……。とにかく、話を聞いてもにわかには信じられないな。嘘をついてなくても、記憶や地名が混同している可能性がある。お前が覚えてる世界とニホンって国のことを話してくれ」
「そうですねぇ。ひとまず虹色のワニはいませんね。それに会話は通じても文字は違うようですし、日本には冒険者という仕事もギルドもないし……」
建物や服装、あれこれと違いをあげていく。というか違いだらけだ。
やはりというか案の定、俺のあげるものの殆どがこの世界とは違うようで、ベイガルさんが怪訝そうな表情を浮かべつつ聞いている。曰く、俺の話はどれ一つとして、そしてどこの国にも当てはまらないのだという。
これはもう確定だろう。
ここは日本ではない。それどころか元いた世界ですらないのだ。
「お前の話を聞いた限り、確かに地名の混同ってわけじゃなさそうだ。お前の言うニホンって国はこの世界には存在しない」
きっぱりとベイガルさんが断言する。
それを聞き思わず落胆してしまう。僅かながら、ほんの少し、小指の爪先程度に残っていた「もしかしたら」という気持ちが一刀両断されてしまったのだ。
ここは俺の知る世界ではない。俺とお嬢様が育った日本ではない……。俺はまだしも、突然こんな状況に置かれてお嬢様はなんて可哀想なのだろうか。悲劇のヒロイン、悲しみに暮れる天使、きっと世界がお嬢様の愛らしさに嫉妬したに違いない……!
「しかしインターネットだの電話だの、お前のいた世界は発展してるんだな。それに巨大なカエルに乗った忍っていう集団がいたり、チバっていう土地はネズミの獣人が支配してたりするんだろ」
……ちょっと過剰報告してしまった気がする。
「それにニホンが危機的状態に陥ったら巨大なロボットが出てきて戦うとは、技術面でも太刀打ちできないな」
これは盛り過ぎたかな。
いや、だってベイガルさんってば俺が何を話しても真面目に聞いてくれるし、良いリアクションくれるし。つまり面白かったわけだ。
それにほら、真っ赤な嘘とはいえ日本らしさは散りばめているわけで、仮に彼が別の日本人に遭遇したとして、今の話をしてもちゃんと日本だと分かるだろう。
間違いを正すか増長させるかはその日本人次第だ。前者だった場合、間違いなくベイガルさんは俺を殴るだろうけど。
「それで、ここが全く知らない別世界だとして、これからどうするんだ?」
「まずはお嬢様のために衣食住の確保ですね。俺だけなら森の中でも根城を構えて狩猟生活を送れますけど、お嬢様にそんな生活はさせられません」
「そういうことなら、居住地くらいは用意してやるよ」
「良いんですか?」
「あぁ、ちょうど町の外れに空き家がある。うちのギルドで管理を任されてるんだが、人の住まない家は傷みが早くて困ってたんだ。うちに登録すれば仕事も斡旋してやる」
「ベイガルさん、何から何まで本当にありがとうございます」
「気にするな。しっかりギルドで働いて功績あげてくれればいいさ」
「ここに来て初めて声をかけてくれたのが貴方で良かった。もし良からぬ輩に捕まっていたら……」
そこまで言いかけ、ふと考えを巡らせる。
右も左も分からない俺達は、良からぬことを企む者達からしてみれば良い獲物。カモがネギ背負ってどころか、カモがワニ肉担いでネギを連れてくるようなものだ。
とりわけお嬢様はこの愛らしさなのだから、目を付けられないわけが無い。舌先三寸で騙して、無垢なお嬢様に……。
「まぁ、そうなった場合、全員もれなくペンライトで殴り殺して、そんな輩をのさばらせてるこの町も同罪だと老若男女問わず捕まえて地中に首まで埋めて周囲一帯を焼き払ったあと、俺とお嬢様の愛の城を建築するだけですけどね」
そう俺が爽やかに笑って告げる。――でもたぶん目は笑ってないと思う。たまにこの表情で笑ってしまうのだ。そういう場合、きまって同僚達に気を失わされて精神病院にぶちこまれる――
そんな俺の笑顔を前に、ベイガルさんがヒクと頬を引きつらせた。次いでさっそく小屋に向かおうと立ち上がってしまう。
「良かった、俺が声かけて本当に良かった……!」
という彼の小さな呟きは聞かなかったことにして、俺はお嬢様を起こさないようそっと抱きかかえた。
もちろん、お姫様抱っこである。わぉ、お嬢様ってば羽のように軽い!