番外編:雪洲そまりとペンライト
目を覚ますと部屋の天井……ではなく、満天の星空。
細かな星は散りばめられたように輝き、その中央では満月が煌々と君臨している。街灯の無いこの場所で、暗闇を感じないほどの星のあかるさだ。
都会の夜景とは違い、遮るもの何一つないまさに大自然の夜だ。
たとえばこれがキャンプの夜であったなら素晴らしいと言えるだろう。
十四歳にして周囲から「枯れてる」と言われる俺でも、この美しさにはさすがに息を呑んでしまう。キャンプに来たかいがあったと、そんならしくもない感動すら覚えただろう。
あくまでこれがキャンプの夜だったらの話。
……実際にはキャンプの夜ではないので、俺は頭を抱えてその場でしゃがみ込んだ。
「あの爺……!!」
夜景の美しさに似合わぬ口汚い言葉を吐いてしまう。
だがそれも仕方ないだろう。なにせ俺は昨夜確かに自室で眠ったのだ。そもそも居たのだって都会にある諾ノ森の家に並立している従業員寮だった。
少なくともこんな大自然の中じゃないし、見た限り夢遊病で来られる場所でもない。
ならば何故こんなところに居るのかと言えば、考えるまでもなく俺の祖父ーー雪州源十郎ーーのせいである。
なにを考えているのか、あの爺は俺を引き取って以降あれこれ教え込み、そしてこうやって本人の気づかぬ間に日本各地に送り込むようになった。資金も何も持たせず、つまり自力で戻ってこいということだ。
おかげで爺に引き取られてから学校には一度たりとて行っていない。……まぁ、行きたくないからそれは良いけど。
「くそ、先週沖縄の離島から帰ってきたから当分ないと思って油断してた……」
離島帰りなんだから多少休ませてくれるだろう……なんて思っていたのが間違いだった。そう己の甘さを悔やむ。
だが悔やんでいても始まらない。あの爺が関与している限り諾ノ森家からの救助も望めないのだ。ボーっとしているだけ無駄である。
ならば行動あるのみ、と立ち上がり、まずは身なりを確認した。
寝ている間にーー寝ていた、というよりは気絶させられていた可能性が高いがーー着替えさせられていたようで、服装は寝間着ではなく執事服。財布……は無い、携帯電話も勿論無い。
あるのは毎度おなじみ『イラストで分かることわざ辞典』だけである。これを持たされる意味が分からない。
「相変わらず孫を送り出す荷物じゃないな……。まぁでもぼやいてても仕方ないし、ひとまずここが何処かを探るか」
居場所が分からない事には帰りようもない。
どこかに住所の書かれた電柱や看板があれば分かるし、理想を言えば誰か人が居れば直接聞いて……。
と、そう考えて周囲を見回すも、電柱の影一つ無い。
本当に大自然だ。家も、車も、何もない。ただ遠くに辛うじて車が通れる程度に整備された道があるだけ。まさに広大。
……嫌な予感がする。
本当にここは日本だろうか。
日本のど田舎では済まされない広大な大自然を感じるんだけど。
「いや、でも流石にあの爺もそこまでしないだろ……。そもそも俺はパスポートもないし……。あの爺ならパスポートの一枚や二枚、さくっと偽装しそうだけど」
でも流石に孫を海外送りは人として有り得ない……と、考える俺の目の前を、びょんと茶色い動物が飛び跳ねて横切っていった。
茶色い体毛、後ろ足で跳ねる珍しい移動方法、腹部にある袋からは小さな子供が顔を覗かせ……。
カンガルー!
「いや、あの大きさはワラビー! 違う、気にするべきはそこじゃない!」
自分でも分けが分からなくなり声を荒らげれば、驚いたカンガルーもといワラビーが飛び跳ねながら逃げていった。
その後ろ姿は可愛らしい、ここにお嬢様が居ればきっと可愛さに歓喜し声をあげていただろう。ワラビーを真似てぴょんぴょんと飛び跳ねたかもしれない。
ここにお嬢様が居れば……。
ここに…………。
日本ではない、ワラビー生息地であるオーストラリアであろうここに。
「あの爺……ついに孫を海外に……!」
俺の脳内で何故か爺が満面の笑みで笑う。
これは殴ろう、帰ったら絶対に一撃食らわせてやろう。いや、せっかくワラビーを見たのだから蹴りにしよう。
今この瞬間、爺へのお土産はドロップキックに決定した。
その光景を想像すると僅かだが気分が和らぐ。
地に伏せ呻く爺、「また雪州家が喧嘩してる」と止めもしない同僚達、唯一平和主義で鳩より平和の象徴たるお嬢様が「喧嘩は駄目なのよー」と慌てている。
あぁお嬢様のなんて愛らしい事か。ワラビーよりお嬢様の方が愛らしい。
「……よし、お嬢様の事を考えたらだいぶ落ち着いた。さっさと帰って、爺を半殺しにして、息も絶え絶えな爺を十字架に飾った教会でお嬢様と結婚式を挙げよう」
そのためにまずは人を捜さなきゃ……と歩き出す俺の背後で、また一匹ワラビーがびょんびょんと飛び跳ねていった。
車の通れる道を歩けば一台くらい……と考えて歩きだし、三時間ほど経っただろうか。
途方もない大自然を前に、いっそワラビーを捕まえて乗りこなしてしまおうかとそんな案すら浮かんでいた時だ。
ブロロロ……とエンジン音をあげて一台の小型トラクターが背後から走ってきた。見れば、運転席と助手席、それに荷台と、計三人の若い男が乗っている。
試しにと片手をあげるとゆっくりとトラクターが止まった。
「夜分遅くに申し訳ありません。道に迷っているんですが、ここが何処か教えていただけませんか?」
怪しまれないようーーこんな大自然の真夜中、荷物一つ持たずに歩いている時点ですでに怪しいがーー極力丁寧に男達に声をかける。
だが彼等は俺の言葉に対し青い瞳をきょとんと丸くさせた。顔を見合わせ何やら話し合う……。俺の分からない言葉で。
「しまった、日本語が通じないか……。それなら英語は分かりますよね?」
今度は英語で話しかけてみる。
ここがオーストラリアならば、主な言語は英語だ。俺も英語ならばできる……と考えるも、彼等は再び分けが分からないと言いたげに顔を見合わせてしまった。
どうやら誰も英語を話せないらしい。困ったと言いたげな表情で話しているのは響きから考えるにイタリア語だろうか。少数だがオーストラリアには英語以外の言語を喋る者もいる、だが生憎と俺はイタリア語は未修得だ。
「しまったなぁ、会話が出来なきゃここの場所どころじゃない」
どうしたものかと困り果てて頭を掻く。
せっかく人と出会えたのだ、せめて一つくらい情報がほしいところだ。だが言葉が通じないのならどうしようもない。
彼等の時間をとるの申し訳なく、言葉が通じないなら仕方ないとジェスチャーで伝えようとし……。
まるで「これで話せ!」と言わんばかりの勢いで携帯電話を押しつけられた。
「……携帯電話?」
いったい何だと思いつつ、押し付けられる携帯電話の画面を見る。
誰かの名前だ。もちろん俺の知る人名なわけがない。
意味が分からないと携帯電話と青年達を交互に見れば、携帯を耳に当てろとジェスチャーで訴えてきた。
ならばと彼等に従い、携帯電話を耳に当てれば……。
「聞こえるか、日本のバックパッカーさん。英語は分かるんだよな」
と、俺も理解出来る英語が聞こえてきた。
「そまりの靴が欲しい」
と言われたのは、俺が爺によりオーストラリアのど田舎に送り込まれて二週間後のこと。
場所はど田舎にある一軒家。その家の屋根裏部屋が今の俺の仮住まいである。
あの時出会った青年達の伝手で、彼等の親戚の家に厄介になる事が出来た。どこにでもいる家族、幸い父親は片言ながら英語が話せる人で、彼に教わりつつ畑仕事を手伝って今に至る。
そうしてようやく帰る目処がつき、明日にはこの家を経つことになった。
そんな夜に、あの時出会った青年の一人に言われたのだ。
彼は俺より一つ年下。この家の主人の甥っ子であり、日本に興味があるらしく俺と同じようにこの家に泊まり、言葉が通じなくても何かと声をかけてくる。四六時中彼や家族の話を聞いていたおかげで、俺も不自由なくイタリア語を話せるようになった。
とりわけ生活と帰国、むしろ生存が掛かっているのだから習得の速さは尋常ではない。習うより慣れろ、さもなくば死ね。という具合だ。そりゃ必死にもなる。
「俺の靴? なんで靴なんて欲しいんだ」
彼の指差すまま、自分の靴を見る。
畑仕事を手伝う時は別の靴を借りているが、普段は俺が日本から履いてきたーー連れてこられたので履いて来た、という表現は些かおかしいがーー革靴である。
「日本の靴は良い靴だから欲しい。学校で自慢出来る。代わりに俺のこの靴やるよ、サイズも同じだから問題無いだろ」
「履き潰した靴なんていらない。それに、どう見ても俺の靴の方が高いだろ、交換するメリットが無い」
「悪いな、日本語も英語も分からないんだ」
「イタリア語だよ!」
しらばっくれるな! と訴えるも、彼は楽しそうに笑いながらさっさと靴を脱いでしまった。随分と履き潰したスニーカーだ。それを革靴と交換しろとは横暴である。
だがこちらの訴えに対しては「日本語は難しい」だのと無視してくる。もちろん俺はイタリア語で話しているのに。
なんて腹立たしいのか……。
だが彼には恩がある、そう自分に言い聞かせ、革靴を脱いで投げつけると履き潰されたスニーカーに足を突っ込んだ。人肌が気持ち悪い。
「母さんが、心配だから無事に日本に帰れたら手紙をくれって言ってた」
「手紙かぁ……。多分書くよ、多分」
「でも父さんは『そまりの性格だから、日本に帰って『お嬢様』に再会したら俺達のことなんて一瞬で忘れるだろ』って」
「よく分かってらっしゃる」
「だからハガキを事前に用意しておいた。うちの住所も書いてある。そまりは日本に着いたらこれをポストに投函してくれ。これが日本の消印で戻ってきたら、お前が無事帰国したって分かるだろ」
「話が早くて助かる」
感謝と共にハガキを受け取る。
見れば既にこの家の住所が宛名として書かれ、ご丁寧に切手まで貼られている。俺がすべきことは日本のポストに投函するだけだ。
手紙を書くのは億劫だが、ポストに投函するぐらいならば俺も出来る。
世話になってるのに億劫とはと言うなかれ。今日で最後だと分かってもいまだ俺の胸には別れの悲しさは無く、きっと明日実際に別れても何も思わないだろう。
それを分かっていて嘆くでも非難するでもないこの対応。
この国ゆえのおおらかさなのか、それともこの家族ならではなのか。
なんにせよ、さすが『祖父に無一文で海外に追いやられた』等と話す日本人を保護するだけある。
「明日は父さんが車出してくれるって。畑仕事の前に出たいから早く寝ろってさ」
そう最後に話して部屋に戻るため立ち上がる彼に、俺も就寝の言葉を返して見送る。
一人になった屋根裏部屋で小窓を開ければ、そこには一面の星空。この地で初めて目を醒ました時に見たのと同じ光景だ。
あれから二週間……。言葉を覚え、畑仕事を覚え、生活するのに必死であっという間だった。もちろん、お嬢様のことは片時も忘れてはいないが。
「まぁ、悪い経験じゃなかったよな」
そう呟き、窓を閉めると二週間世話になった寝床に横になった。
大変だったが面白い経験ではあった。帰国の目処がつくまでという付かず離れずな関係も心地良い。
少なくとも中学校に通うよりは有意義な時間だろう。ここでも俺は教われば何でも出来たが、それをとやかく言う者は居ないのだ。
「……でも確実に爺は蹴り飛ばす」
そんな決意を宿し、ゆっくりと眠りについた。
・・・・・・・・・・・
それ以降も俺は爺の手によって多種多様な場所に送り出された。
まさに世界中あちこち。知名度のある場所から、地図に乗っているのか定かではない場所まで。それどころか森のど真ん中や、山の八合目もあった。
そのたびに俺は爺への恨みを募らせ、出会った人々の助けを借り、働き口を見つけ、自力で帰る……と繰り返していた。
そんな生活を五年も続ければ、ほとんどの主要言語は喋れるようになる。むしろ爺の趣味なのか悪ふざけなのか時折とんでもない所に行かされ、おおよそ日本人の人生には必要なさそうな言語や技術も取得していた。
「……ただいま戻りました」
と、諾ノ森家に戻ってきたのは、もう何度目か数える気にもならない国外放置から帰還した時である。
迎えてくれた同僚も慣れたもので、ぐったりと座り込む俺に対して「お疲れさん」だの「お前ちょっと焼けたな」だのと雑談程度だ。
数週間行方を眩ませていた者に対して掛ける言葉ではない。もっとも、行方を眩ませていた原因もここで働いているのだけど。
「ジジイドコダ……殺サネバ……」
「お前なぁ、帰ってきて直ぐにそれかよ」
「ジジイ……殺ス……」
「で、今回はどこに行ってたんだ?」
「……コロス……ジジイコロス……」
恨みを込めて呟きつつ、鞄から一枚の絵ハガキを取り出してバンと床に叩きつけた。
真っ青な海と空、その狭間には白い建物。清涼感漂うその光景は美しく、このまま旅行パンフレットの表紙にでも使えそうなほどだ。旅行好きならば、いや、旅行に興味のないものでも焦がれる景色だろう。
ちなみにすでに宛先が書かれており、後はこれをポストに投函するだけ。初めて国外放置をくらった時から続く、お手軽な帰国報告である。
「今回はスペインに居たのか。なら結構楽だったんじゃないか?」
「スミワタル空、見渡スカギリノ海……マジデ見渡スカギリノ海……」
「なるほど、海のど真ん中スタートだったんだな」
「当分魚ハ見タクナイ……。ジジイ……コロス……諾ノ森家ニ雪州ハ俺ヒトリデジュウブン……」
「はいはい。お、噂をすれば源十郎さんが来たぞ」
ほら、という同僚の言葉に、俺はガバと顔を上げて通路の奥を見た。
諾ノ森家の使いが日頃綺麗に磨いている通路に、一人の老人の姿。年の割には鍛えられており、同年代の老人と並べば若々しく見えるかもしれない。
雪州源十郎、俺の祖父であり、諸悪の根源。
俺の憎悪など気にもかけず、爺は俺の目の前で立ち止まると、感慨深いと言いたげな震える声で俺を呼んだ。
「そまり……よくぞ戻ってきた……。お前ならこの試練を乗り越えられると信じていたぞ」
「てめぇが追いやったんだろうが……」
「何を言う。お前だけを辛い目には遭わせられないと、お前が一回り成長して帰ってきた時のためにと儂も頑張っていたんだ。……ほら、これを受け取ると良い」
やたらと仰々しい口調で、爺が俺に何かを差し出してくる。
棒状で、半分が持ち手、上半分が半透明の代物。底がスイッチになっているらしく、爺に言われるままに押すと上半分がパッと赤く光った。何度かスイッチを押すと光の色が切り替わる。
これはあれだ、ペンライトというやつだ。
名前は知っていたが実物ははじめて見る。
「そまり、無事儂のもとへと戻ってきたお前にこれを授けよう」
「爺……」
爺が俺の肩をポンと叩いてくる。
真剣な瞳で見つめ、改めるように「よく帰ってきたな」と微笑んだ。
なんて感動的な再会だろうか。……傍目には感動的な再会、である。
「……てめぇまた地下アイドル追っかけてたのか」
「孫のような年の娘達がひたすらに働く、これを応援せずに何を応援しろというのか」
「お前が孫のような年の娘達を追っかけてる間に、リアルの孫が死にかけてるんだよ!」
「見ろこの最推しとのチェキ、よく撮れてない?」
「それを貴様の遺影にしてくれる!」
殴る、むしろ殺す!
殺意たっぷりに貰ったペンライトで爺の頭部を殴打……したはずが、俺の目の前から爺がスルリと消えた。ほんの一瞬でペンライトが届かない場所まで退いたのだ。
それも推しとのチェキを見ながら。あぁ、腹立たしい。
そのうえチェキに映ってるアイドルに猫なで声で話しかけている。殺意を通り越して純粋に気持ち悪い。
「最近は顔を覚えられてな、おじいちゃんなんて呼ばれてるんだ」
「爺、表に出ろ。今日こそ息の根を止めて……」
言い掛けたところで、俺はふと言葉を止めた。
何か聞こえてくる。
パタパタと小鳥の羽音のような軽やかな足音。それに「そまりぃー、そまりぃー」という愛らしい鈴の音。もはや音だけでも神々しいそれが、じょじょに俺のもとへと近づき……。
「そまり、おかえりなさい!」
天使が現れ、俺にぎゅっと抱きついてきた。
もちろんお嬢様である。
あぁ、数日ぶりのお嬢様はなんて愛らしい。ちょっと見ない間に魅力が更に増している。もとより完成系だというのにその上をいくなんて、お嬢様の魅力は留まるところを知らない。まさに無限の可能性だ。
「お嬢様、ただいま戻りました」
「おかえりなさいそまり、元気そうで良かったわ!」
「えぇ、元気です。久方ぶりのお嬢様からの包容、ふわりと漂う甘い香り……元気ですし、元気になります。どことは言いませんが」
「帰宅早々に破廉恥な話はダメなのよ!」
お嬢様が声をあげ、ぎゅっと俺の体を締め付けて咎めてくる。
なんて愛らしい咎め方なのか。逆効果である。よけい元気になりそうだーーどことは言わないけどーー。
そんな甘い抱擁を堪能していると、お嬢様のお腹に住む小鳥がクルルと鳴った。
「ねぇそまり、私さっきテレビで美味しそうな料理を見て、それを食べたいの……。一緒に食べに行かない?」
「もちろん同行致します、お嬢様と一緒ならどんな料理だって俺の大好物です」
「海鮮パエリア!」
お嬢様が瞳を輝かせて俺を見上げてくる。
この愛らしいお嬢様が海鮮パエリアを望んでいるというのなら、それを叶えてやらないわけがない。
たとえ海のど真ん中で目を覚まして以降、うんざりするほど海鮮まみれだったとして、命辛々陸地にあがって以降も海鮮パエリア三昧だったとしても、諾ノ森家に戻る途中通りかかった魚屋の臭いに「パエッ……!?」と声をあげてしまうほどに追いつめられていたとしても。
お嬢様が望むなら別問題である。
あぁ、久方ぶりに会うお嬢様と一緒に食べるパエリアはきっと最高なのだろう……。
「出来るだけ本場の味に近いお店が良いわ」だなんて、お嬢様ってば本格思考!
「さっそく行きましょう! お嬢様、お出かけの準備は出来ましたか?」
「もちろんよ!」
俺の問いかけに、お嬢様がぴょんと跳ねて元気よく答える。
そうしてお嬢様と二人で歩き出せば、背後から同僚の溜息と、
「そまり、儂もひとの事を言えないのは自覚してるが、お前のその性格もどうかと思うぞ」
という爺の声が聞こえてきた。
ちなみに俺はそれに対し、後ろ手で中指を立てることで返事とした。もちろん、お嬢様には見えないように。
・・・・・・・・・・・・・・・
「……という事がありまして、うやむやに受け取ったのがこのペンライトです」
そう俺が手にしたペンライトの色を変えつつ話せば、向かいでそれを聞いていたベイガルさんの眉間の皺が寄り深まった。ーー彼の眉間の皺は話し始めた直後あたりから刻まれ、次第に深くなっていったーー
場所はギルドの、定番の一角。雑談の最中に俺のペンライトの話になり今に至る。
怪訝そうなベイガルさんの表情には呆れも込められているのだろう、全身から「聞かなきゃ良かった」という重いが溢れ出ている。それでもひとしきり俺が話し終えるのを待つあたりが彼らしい。
「なるほど、それで譲り受けたわけか」
「えぇ、爺の遺品です」
「死んでないよな?」
ベイガルさんの問いかけを無視して、ペンライトをぎゅっと握りしめる。
日本にいた時はただ光るだけの代物で、俺も警棒程度の感覚で持っていた。だが異世界に来てからはこのペンライトは立派な武器である。むしろ世界に二つとない武器と言える。
灯らせれば、明かり越しに見慣れた爺の顔が浮かぶ。
「爺も、最期に孫の力になるなんて粋な事をしてくれますよね」
「だから死んでないよな」
「きっと空の上から俺とお嬢様を見守ってくれているんでしょう……」
俺が故人を尊ぶように空を――といっても室内なので天井を――見上げれば、ベイガルさんが盛大に溜息を吐いて席を立った。
どうやらこれ以上は付き合いきれないと考えたらしい。
残された俺はと言えば、特にやるべきこともなく、クルクルとペンライトを回し……。
「……まぁ、ちょっとぐらいは感謝してやってもいいかもな」
と、小さく呟いた。




