12:少女の保護と帰還
犬童さんのギラギラとした瞳から逃れるため、手早く帰宅の準備を進める。
だがその最中にふと我に返り、ベイガルさんと顔を見合わせた。この旅の目的、依頼のことを思い出したのだ。
「……すっごい嫌で今すぐに帰りたいんだが、ギルドと国に報告するために保護する姿勢は見せておかないと駄目だよな」
「……俺もドラゴンの髭と鱗を入手しない限り帰れません」
お互いにうんざりとした声色で確認し合う。
そうして改めて犬童さんに向き直れば、さすがに彼女も自分の行動を省みたのか、コホンとわざとらしい咳払いで自分が落ち着いたことをアピールしてきた。「はしたない真似を」と取り繕った声色で謝罪をしてくるあたり、先程のことを恥とは思っているのだろう。
……手元にいつの間にかメモ帳があるのが気になるのだが。
「ひとまず絵だの趣味だのは置いておくとして……。かなり遠くに置いておくとして、俺達は国からの要請で君を保護しに来た。出来れば保護されてほしい」
「……保護、ですか」
「正直な話、この国では君が授かった能力は異質なものだ。使い方によっては脅威にも成り得るから、国の監視下に置きたいんだ」
率直なベイガルさんの話に、犬童さんが真剣な表情で頷く。
事実、ドラゴンや巨大な猫と意思の疎通が出来るという事は、やりようによっては攻撃をけしかけるのも可能ということだ。ドラゴンの強さを考えれば、仮に犬童さんが敵に回った場合かなりの脅威になるだろう。
彼女にその意思が無いとしても、今後彼女の能力が知れ渡った場合、それを利用する者が出ないとは限らない。
犬童さんもそれは理解しているのか、考え込むような表情でチラと俺を見てきた。
きっとこの話をしているベイガルさんの事も疑っているのだろう。高校生という若さにしてはなかなか慎重である。
だが俺に対しては少し違うようだ。
彼女はこの世界に来た時から一人で、今までずっとこの湿地帯でドラゴン達と暮らしてきたという。その間に出合ったのは国やギルドから派遣されてきた者達のみ。
つまり、俺がこの世界で初めて出会った日本人というわけだ。『同郷』それだけで多少は信頼されているのだろう。
「こちらには俺の他にも日本人がいます。西部杏里さんをご存知ですか?」
「西部ちゃん? 西部ちゃんがいるんですか?」
犬童さんの表情がパッと明るくなる。
この状況下で聞く級友の名前は安堵に繋がるのだろう。曰く、西部さんとは高校一年の時に同じクラスだったという。
やはり、というべきか。
「西部さんも我々のギルドで保護しています。それと諸事情があって別の場所に居ますが、満田さんも一緒です」
「満田ちゃんもですか?」
「えぇ、もしも犬童さんが顔を見せれば、お二人共きっと喜ぶでしょう。もちろん猫やドラゴン達は小さくすれば連れてきて構いませんよ」
穏やかに微笑みつつ級友の名を出して、犬童さんの保護を促す。
ようやく出合った同郷の日本人、そのうえギルドには級友がいる。今まで一人で生活出来ていたとはいえ、彼女がこの提案に心揺るがないわけがない。
あと一押し……と俺が考えていると、ふと横から視線を感じた。
ベイガルさんだ。
ベイガルさんが物凄い怪訝そうな表情で俺を見つめている。
その瞳の疑り深さと言ったら無く、詐欺師を見るかのようではないか。
というか犬童さんが俺を信頼しつつあるのに、なんであんたが俺を疑い出すんだ。
「ひとのことジロジロ見て、何が言いたいんですか」
「お前が積極的に他人を保護しようとしているのが信じられない」
「あと一言二言で犬童さんが首を縦に振りそうなんで、不要な発言は控えて貰えません? それに、俺だって考えがあっての事です」
「考え? お前が?」
理解出来ないと言いたげなベイガルさんに――失礼すぎやしないか――、どうやら犬童さんも話が聞きたいのか俺を見つめてくる。
そんな二人分の視線を受け、俺は仕方ないと溜息を吐いた。この際、俺の考えを話してしまった方が犬童さんも保護される決意をするだろう。
……俺の考え、とは。
「猫とドラゴンを小さくして連れて帰れば、お嬢様は可愛い生き物に歓喜します。そしてそんな歓喜は可愛い生き物を連れてきた俺への感謝に繋がる。つまり『可愛い生き物に囲まれて嬉しい→連れてきてくれたそまりありがとう→そまり大好き!』となるわけです! 全てはお嬢様の笑顔のため、はっきり言って犬童さんはおまけですらありません!」
「だよな、お前がお嬢さん以外の人間のために動くなんてあり得ないもんな。お前の安定した薄情非人道ぶりに心の底から安堵した」
「話させておいてその扱いって酷くありません?」
ベイガルさんのあんまりな暴言に文句を言いつつ――文句は言うが否定は出来ない―ー、それでも俺の考えはこれしかないと断言する。
ふかふかの猫はもちろん、ドラゴンも小さくなれば見た目は可愛い。お嬢様はきっと喜ぶはずだ。
全てはお嬢様のため。お嬢様のためだけ、である。
「という具合にこいつは頭がおかしいが、腕も確かだし、なにより君と同じ日本人だ。まともとは決して言えないが信じて損は無いと思う」
「あんたは俺を信用させたいのかさせたくないのか、どっちなんですか」
「快適なこの環境を手放すのは惜しいかもしれないが、出来る限りの要望は聞こう」
真剣な声色で諭すように話すベイガルさんに、犬童さんがふと視線を周囲に居る猫やドラゴン達に向けた。
彼らと一緒ならば、という事なのだろう。次いで彼女は深く一度頷くと「お願いします」と保護を申し出てきた。
帰路はドラゴンの背に乗って湿地帯を飛んで……となったのだが、その前に俺にはやるべきことがある。
ドラゴンの髭と鰓だ。王都に戻れば当然だがドラゴンは小さくしておかねばならず、その状態では髭も鱗もアクセサリーを作るほどの大きさにはならないだろう。加工ができないならば乱獲の心配は減るが、その前に1セット貰っておかねばならない。元々俺はこのために来たのだ。
話を聞いた犬童さんがドラゴン達に話しかけ、一匹がズイと彼女の前に歩み寄った。どうやら髭と鱗を提供してくれるらしい。
「アクセサリーを贈ればお嬢様は……お嬢様の唇に……おっといけない、これ以上考えると滾ってしまう。やばい、よだれが止まらない」
「……あの、この人ほんとうに信用して良いんですか?」
「八割がた大丈夫だ」
そんな話をしつつ、巨大化したドラゴンの髭を一本抜き、鱗を一枚剥がす。
その際にあがる鳴き声は痛々し気なものたが、俺の心はまったくもって揺るがない。可哀想とか思わない。流石によだれは止まったけど。
対してベイガルさんは痛々し気な鳴き声に胸を痛めたようで、犬童さんに「ベイガルさんも要ります?」と聞かれ、凄い速さで首を横に振っている。
「犬童さんの許可も出てるんだから、ベイガルさんも貰っておけば良いのに」
「……お前、あの鳴き声を聞いてよくそんなこと言えるな」
「俺の耳に届くのはお嬢様の愛らしいお声だけですからね。それなら、ネックレスに加工して余りが出たらさしあげます」
俺も目的がーー下心たっぷりの目的がーーあるから来たわけで、道中ベイガルさんの力も借りたのだから、俺だけ報酬を得るのは後味が悪い。
そう髭と鱗を眺めつつ話す。
髭はしっかりとした質感だが軽く、太陽に翳せば透けて見える。繊細な見た目でありながら触れてみるとしなやかで強く、これならば加工にも耐えられるだろう。
鱗も同様に軽く、うっすらと赤みがかっている。魚や爬虫類の鱗というよりはガラス製品に似ており、角度を変えると日の光を受けて輝きだした。
なるほど、これは確かに宝石以上の価値があってもおかしくない。とりわけドラゴンという稀少な生き物から、難解な採取方法の果てにとなれば、国宝扱いなのも納得だ。
「あとは王都に戻って、これを加工してくれる職人を探して……」
「職人を探すのか? お前のことだ、てっきり自分でやると思ってたけど」
「そりゃ出来るならやりたいところですが、初めて触れる素材ですし、試すほど量があるわけじゃありませんからね」
「それなら王都に知り合いの職人がいるから紹介してやる」
ベイガルさんが鞄から簡素な便箋を取り出し、手早く一筆認める。
それを封筒に入れ「これを報告ついでに王宮に持っていけ」と渡してきた。
しれっと今回も俺に王宮への報告を押し付けてきたのだが、職人を紹介してくれるのなら文句は言わないでおこう。文句を言ったところでどうせ「王宮に近付くと腹が痛くなる」と分けの分からない言い訳をされるのがオチだ。
そうして荷造りを終えた犬童さんの指揮のもと、巨大化したドラゴンの背に乗る。
簡易的な手綱しか無いが案外に座り心地は安定しており、ドラゴンも振り落とさないよう気遣って飛んでくれるのだという。
確かにふわりと飛び上がってもバランスを崩すことなく、振動もなければ浮遊感もあまり感じない。森を遥か下に見えるほどに浮き上がっても恐怖感は湧かず、むしろ風が心地好くさえあった。
これならばお嬢様も空の旅を楽しめるだろう。もちろん安定と安全は強化し、座り心地も改良せねばならないが。
「ドラゴンの背に乗り、風を感じるお嬢様……。空を飛ぶ姿はまるで天使のよう……いや、お嬢様こそ天使! お嬢様が青空に姿を表せばその眩しさに太陽は嫉妬し光を失い、夜空に手を翳せば月は己を恥じて姿を消し……なんてこった、お嬢様の麗しさでついに天変地異が!」
「……この人、ほんとうに……ほんっとうに信用して良いんですか?」
「五分五分だな」
そんな会話を交わしつつ空を飛び、王都の付近で人目に着かない場所を探してドラゴンから降りる。
ドラゴンが上空に現れればさぞや騒ぎになるかと危惧したが、姿を消せるドラゴンやら気配を消せるドラゴンやらと、それぞれの特色の合わせ技で問題は無いのだという。
犬童さんはこの方法で何度も王都に足を運んでおり、たまたまドラゴンがへまをした時に見つかってしまったらしい。
「私一人じゃ王都には来れなかったと思います。そもそも、あの湿地帯を抜けるのも私じゃ無理です」
「あの場所で暮らしつつ、王都にも来れる……。便利な環境ですね」
「はい。この子達がいてくれてよかった」
小柄になったドラゴンや猫達に視線をやり、犬童さんが穏やかに微笑む。
バスの中で気を失い、目覚めれば一人あの湿地帯に居て、周囲には便利なドラゴンや猫。つまり、この地に来てから数ヶ月、ずっと一緒だったというわけだ。
「なるほど。それは確かに感謝と友情が湧く……の、かも、しれないですね。多分、湧くものなんじゃないかなぁ、とは思います。よく分かりませんけど」
「かなりあやふやですね」
「元々俺は友情とか感謝とかに疎いし、本来それらを抱くべき対象の人物は王都に入るなり落ち合う時間を決めてどっか行っちゃいましたし」
「凄い速さでどっか行きましたね」
「王宮に近付くとお腹痛くなるらしいです」
うんざりした表情で話しながら、犬童さんと共に王宮へと向かう。
彼女の今後の事とか、彼女の要望のもと俺達と同じギルドで保護する事とか、ドラゴンの事とか……それらに関する話をベイガルさんは全て俺に一任してきた。というかぶん投げてきた。
真に報告すべきはあの職務怠慢さではなかろうか。
だがそれを犬童さんに訴えても仕方ない。
そう考え、王宮に報告し、ベイガルさんの一筆と共にアクセサリーの加工を頼み、指定された馬車の乗り場へと向かった。
ようやく村へと戻るのだ。
待っていてくださいね、俺のお嬢様!
……ちなみに、ベイガルさんの一筆で紹介された職人は王宮専属の職人だった。
そのうえ、指定の場所に着いたベイガルさんは当然のように例のシフォンケーキやら有名店の――もちろん限定で容易には手に入らない――高級菓子やらを買っている。
「……色々と気になるところなんですが」
「西部達に土産を買ったんだが、ついでにお嬢さんの分の菓子も買っておいた」
「さぁ帰りましょう!」
まぁとにかく、ひとまずお嬢様の元に帰れるので良しとしよう。




