11:湿地帯の少女
現れた少女は、両腕に数匹の猫と、それと同じくらいのサイズのドラゴンを抱いたまま、唖然とするようにこちらを見ていた。
白いシャツにプリーツの入ったスカート、茶色のローファー。黒い髪をポニーテールに縛ったその姿は、まさに女子学生だ。俺にとっては見慣れたものである。
彼女もまた俺やお嬢様と同じ日本人、それも小津戸高校の生徒で間違いないだろう。
泥まみれになったーーというか俺が泥まみれにしたーーベイガルさんがはたと我に返り、改めて少女へと向きなおった。
「みっともないところを見せて申し訳ない。俺はベイガル・ラドグール、国からの依頼で君を助けにきたギルドの者だ。怪しい者じゃない」
「ギルド……?」
ベイガルさんの言葉に、少女が怪訝そうな表情を浮かべる。
きっと彼女がこの世界の人間であったなら、今の言葉に安心したのだろう。
だが生憎と彼女は日本人、ギルドという聞きなれぬ単語は疑問を抱かせるだけだ。とりわけベイガルさんは銀の髪に碧色の瞳という日本人には馴染みの薄い外見をしており、そのうえ横文字の名前。彼女が身構えるのは仕方ない。
ならば俺が仲介をした方がいいだろう。そう考え、ベイガルさんにここは任せてくれと目配せをし、警戒の視線を向けてくる彼女に声を掛けた。
「突然失礼します。俺は雪州そまり、日本人です。えぇっと貴女は……」
「あ、私……犬童 秋菜です」
『日本人』という言葉に警戒心を説いたのか、犬童さんの表情が僅かに和らぐ。
次いで彼女は俺達をじっと見つめた後、「二人だけですか?」と尋ねてきた。他にも大勢引き連れてきたらと案じているのだろうか。
確かに、たとえそこに救助の意図があったとしても、数十に至る男の大群は年端もいかない少女には恐ろしいはずだ。
とりわけそれが異世界の素性も分からない者達とくれば、国の救助に対して犬童さんが応じなかったのも頷ける。
「今回は俺達二人だけですよ」
「……二人きり、ですか」
「えぇ、そうです」
「遠いところから……になるんですよね。この子たちに乗って周囲を行き来してますが、人の足だとかなり掛かるはずです」
「野営で一泊しましたね」
俺が肯定すれば、犬童さんが再び見つめてきた。
何かを探るようなその視線。熱いとさえ言える視線が、俺とベイガルさんを行き来する。
値踏みされているわけでは無さそうだが、妙な居心地の悪さを覚えてしまう視線だ。なんというか……悪寒がするとでも言うべきか。
だからこそ話題を変えようと声を掛ければ、それとほぼ同時に犬童さんが家に来るように誘ってきた。ここから少し歩くと彼女の居住地があり、そこでドラゴンや猫達と生活していたのだという。
ならばお邪魔しようと歩きだそうとした瞬間「ンニャー」と間延びした声が聞こえてきた。
ベイガルさんの足元を一匹の猫がすり抜けていく。見たところサイズもなにもかも普通の猫だ。
……だけど、
「オ、オシー!? お前、いつの間にこんなに小さく……!」
ベイガルさんが驚愕の声をあげる。だがそれに対してオシーはチラと振り返るだけで、犬童さんの元までスタスタと歩いていってしまった。彼女の足に体を擦り寄せ抱っこを強請る姿は、まさに猫そのものだ。
次いで俺達の隣からスッと姿を現し、パタパタと羽で浮遊しながら犬童さんのもとへと向かうのは、先ほど俺が倒したばかりの巨大なドラゴンだ。これまたオシー同様、標準の猫サイズになっている。
唖然とする俺達を余所に、犬童さんが当然のようにドラゴンに大丈夫だったかと訪ねる。それに対してドラゴンが可愛らしい鳴き声で答えた。
小柄な猫とドラゴンが犬童さんの周囲にまとわりついて抱っこを強請る。その光景はほのぼのとしており、一目で救助が不要だと分かるだろう。
ちなみに、既に犬童さんは数匹の猫とドラゴンを抱き抱えており、彼女の腕の中は満員である。これ以上は抱えられないと察したのか、ドラゴンは諦めたように犬童さんの顔の横あたりをふわふわと浮遊し、対してオシーは未だンニャンニャと強請っている。
小柄さと相まってか可愛くさえ見え、先程まで俺達を威圧していた迫力や凶暴性は皆無だ。
「……ベイガルさん、こっちの世界のドラゴンや猫って、自由にサイズを変えられるんですか?」
「そんな話聞いた事がない」
「となると、これが犬童さんの能力か……」
はたして詳細はどんな能力なのか。
そんな事を考えつつ、犬童さんの後を追うように歩き出した。
……この際なので「オシー、ほらこっちに来い。俺ならだっこしてやるから」と謎の対抗心を燃やしてオシーを呼んでいるベイガルさんは放っておく。
そうして犬童さんに案内されたのは、湿地帯の奥。比較的地盤は堅く、けだるさも「まだマシ」と言える程度の場所だ。
そこに一件だけポツンと小屋が建つ様は異様に見えるが、犬童さん曰く、ライフラインは揃っており、この不快しかない土地柄とは思えぬほど快適に過ごせているのだという。
さすがに泥まみれではあがれないと、外の井戸をお借りして泥を落として小屋の中へと入れば、なるほど確かにヒンヤリとした涼しい空気が出迎えてくれた。一瞬にして不快感が取り払われ、心地良い。
「ドラゴンっぽい子達の中に冷気を出せる子がいるんです。あと炎を出す子もいるので、温度管理はこの子たちにお願いしてます。食事も、みんなが狩ってきてくれるし」
「なるほど、そうやって生活してたんですか」
「時々は物を買いに人のいる場所まで行くこともあったんですが、言葉は通じても文字は読めないし、誰を信用して良いのかも分からないし」
それならばいっそ、ここでドラゴンや猫達と暮らした方が安全だろう。そう考えたのだと話す犬童さんに、俺も頷いて返した。
出会った人間が必ずしも善人とは限らない、となれば、リスクを負って他人を頼るよりも自活を目指す方が得策だろう。人との交流は生活の地盤を固めてからでも支障はない。
とりわけ犬童さんの能力は動物相手に特化しているようで、ドラゴンや猫達とは言葉こそ交わせないが意志の疎通が出来るという。サイズ変更もその能力の一環だろう。
「元々共同生活とか苦手だから、ここで一人で暮らしてたんです」
「不自由は無かったということですね」
なるほど、と頷く。
どうやらここでの生活は犬童さんにとっては快適、むしろ単独行動を好む彼女からしてみれば、名も知らぬ異世界の他者に救助されたり共同生活を強いられるより良いようだ。そのうえ、生活はドラゴンや猫達が支えてくれるのだ。
単独でありつつも孤独ではなく、彼女に適した環境と言える。
これが儚く繊細なお嬢様であったなら、いくら猫やドラゴンに囲まれても自分一人という状況に不安を覚えただろう。マチカさんと一緒に暮らす西部さんも同様、きっと孤独と不安を抱いたはずだ。
運良く、犬童さんがこの環境に置かれたというべきか。
もしくは、犬童さんだからこの環境に置かれたというべきか。
むしろ、犬童さんのために整えられた環境というべきか。
そのどれかは今の俺には判断出来かねる。
だからこそ今は彼女の今後と依頼のことを……と考えると、余所を向いていたベイガルさんが「絵を描くのか?」と呟くように尋ねた。
ベイガルさんの視線を追えば、机の上にペンやらインクやらが置かれている。それに絵の具……と、その机の上でゴロンと横になっているオシー。
「ちゃんと習ってるわけじゃないんですけど、趣味というか……。以前から好き勝手に描いてるんです。いつ戻れるか分からないけど、戻った時のために描きためておこうかなって」
「趣味があるのは良いことだ。ニホンの絵がどんなものかは分からないが、こっちでも通じれば金を稼ぐ手段になるかもしれないからな。見せてもらっても良いか?」
ベイガルさんが犬童さんに一言告げ、立ち上がると机へと向かう。
どうやらニホンの絵に興味があるようで、オシーを抱き上げてその下にある絵を覗いた。
……瞬間、ビシリと堅い音が走った気がする。
いや、きっと音自体は空耳だろう。だがそれほどまでにベイガルさんが見て分かるほどに硬直したのだ。
次いでギチギチと音がしそうなほどぎこちなくこちらを向き、「これが……ニホンの絵か?」と震える声で尋ねてくる。その表情はこれでもかとひきつっており、犬童さんが頷くのを見ると掠れる声で「異世界の文化は理解出来ない」と呟いた。
どうやら犬童さんの描く絵は、こちらの世界ではあり得ない部類に入るものらしい。
だが見たところ犬童さんは普通の少女だ。どちらかと言えば真面目そうな印象を受ける。
あまり奇抜な絵を描くとは思えないが、いまだベイガルさんの表情は引きつったまま。そのうえ横目で絵を見る姿には、一種の嫌悪さえ見て取れる。
人の創作物に対して失礼な態度と言えるが、逆にそれほどまでに酷いものなのだろうかと興味がわく。
俺もと立ち上がり、ベイガルさんに続くように机へと向かい、そこに置かれた書き掛けらしき一枚を覗き込み……。
ビシリと音がしそうなほどに固まった。
一枚の白い紙の上、黒いインクで描かれてるのは、裸で絡み合う……、
男と男。
そう、男同士の濡れ場だ。それも結構ドギツイもので、なまじっか絵が上手いだけにいかがわしさも一入。さすがに俺も頬をひきつらせてしまう。
だというのに犬童さんは恥じることも焦ることもなく、それどころかベイガルさんの反応に「この世界に……BLは存在しないの……!?」とショックを受けている。
自作の絵、それも濡れ場を見られたというのにこの態度、なるほどこれほどにメンタルが強いならば一人でも生活していける。
「……俺は詳しくはありませんが、犬童さんはいわゆるオタクというやつですか」
「はい、そうです。詳しく言うならオタクの中でも腐女子かつ夢女子かつ、絵描きでありサークル主。むしろ百合もいけるオールラウンダーです」
「どうしよう、日本語なのに何一つ分からない」
「こっちの世界に印刷会社は無くても、原稿は書けます。今のうちに描きためておいて、ニホンに戻ったら早割入校で複数新刊を出そうと狙ってます」
迷いの無い瞳で犬童さんが語る。
それに対して、再び席に戻った俺達は返事もろくに出来ず、俺は先程の濡れ場をなんとか記憶から消そうと軽く頭を降り、ベイガルさんはひたすらオシーを撫でている。
犬童さんの絵は上手く、まるでプロの漫画家のようだった……からこそ、脳裏にこびりついて離れてくれない。
「ですがまぁ……趣味があり、目的をもって生活出来るのは良いことですね。……良いことにしておきましょう。それで、犬童さんの趣味はさておいて、今後の事ですが」
「あ、その前に聞きたいことがあります」
俺の話を犬童さんが遮る。
次いで彼女は真剣な瞳でじっと俺達を見つめてきた。
はたして聞きたい事とは、この世界の事か、もしくはこの世界に連れてこられた理由か、己に与えられた能力についてか、それともギルドの事か。もしかしたら、改めて俺達の身分を確認したいのかもしれない。
今までドラゴンと猫達と暮らしてきた彼女にとって、いまだこの世界は未知でしかないのだ。今後について話すより先に、理解したい事が山のようにあるのだろう。
そう考え、俺は促すように犬童さんを見つめ返した。
彼女が意を決するようにゆっくりと口を開き……。
「二人でこの湿地帯で一泊したんですよね。そこのところ、今後の参考のために詳しく話してください。一緒に寝たんですか? お風呂は? トイレはどうしたんですか? 夜に何か一夜の過ち的なものは?」
と、瞳をキラキラと……もとい、ギラギラと輝かせて尋ねてきた。
俺とベイガルさんが揃って帰宅を口にし、ほぼ同時に勢いよく立ち上がったのは言うまでもない。




