08:宇宙飛行士
嫌な夢を見た。いや、今も見ている。まだ夢の中だ。
はっきりと夢と分かっているが、かといって抜け出す術は分からない。出来ることと言えば、分割されたような意識で自分の視界を見続けるだけだ。
そんな俺が……正確に言えば夢の中の俺が見ているのは、天体望遠鏡。
青をベースにした色合いは美しく、身長を越える高さと立派な三脚は迫力を覚えた。今まで扱っていた玩具とは違う本格的な鏡筒とレンズ、ファインダー、一目で見惚れてしまった代物だ。
これが欲しい、これで宇宙を見るんだ! そんな子供らしい願いを抱いた。
小学二年生、当時の俺はまだ物欲や夢があった。
だがその天体望遠鏡は子供が手を出せる値段ではない。むしろ大人でも躊躇うだろう。
まだ稼ぐ術のない俺には目眩を覚えそうな金額で、たとえばクリスマスや誕生日に強請れるような額ですらなかった。
だけど安物で代用するのも嫌で、結果俺は小学生らしい『お年玉やお小遣いをためる』だの『手伝いをして小遣いを貰う』だのといった手段に出た。
何も買わず、色々なものを我慢した。誕生日もクリスマスプレゼントも、天体望遠鏡を買うための資金を貰ったのを覚えている。
なんて健気な子供だろうか。
コツコツと少額から地道に、机の上に貯金箱を置いて小銭をちまちま入れていた。図書館で天体の本を借りては思いを馳せていた。
反吐が出そうになる。……実際に夢から覚めて吐いていたら嫌だな。
そうして約二年ほど掛かったが、俺は見事天体望遠鏡を買う事が出来た。
嬉しかった。手にした瞬間、チープな表現だが輝いて見えた。あの瞬間の事はまだ覚えている。……その後の事も。
『ずるい』
と、何度も聞いた言葉をその時も聞いた。
発したのは二つ上の兄だ。当時から既に何でも出来た俺と違い、得手不得手のある人並みの少年だった。
『そまりだけずるい、俺も欲しい、ずるい』
と、そう訴える兄に、俺は初めて自分に向けられる『ずるい』という言葉に反論した。初めての反論、そしてこれが最後の反論になる。
兄はお年玉や小遣いを自由に使った、漫画や玩具を買い、友達と遊びに行った。ーーまぁ俺には遊びに行く友達が居なかったという点もあるけどーー
貯金とは真逆な生活だ。子供らしいと言えば子供らしい。娯楽優先で、母や父の手伝いも積極的には行わなかった。
だから兄は天体望遠鏡を買えなくても仕方ない。当然だ。これは自分がお金を貯めて買ったのだ。他に欲しいものもあったが、それら全てを我慢した結果だ。
そう反論する俺に対し、兄はひたすら『ずるい』を繰り返し……、
そして父は、俺よりもグレートの高い天体望遠鏡を兄に買い与えた。
同じものじゃなかったのは、当時店頭に在庫が無かったからか。グレートを上げたのは、きっと自分に似て平凡な兄への可愛さからだろう。もしくは、自分に似ず非凡な俺への嫌悪か。
このあんまりな結果に、高価な天体望遠鏡を喜ぶ兄を前に、俺は自分の手の中にある天体望遠鏡が色あせていくのを感じた。あれほど輝いて見えたのに。
それでもと俺は、ならば自分だってと『ずるい』と口にした。今でもこれは正論だと思う。
だが返ってきたのは父の一喝だった。
『我が儘を言うな! 誰もがお前みたいに何でも出来るわけじゃないんだ!』
この言葉を最後に、俺の中で全てのものが色を失った。
俺自身も含めて。
「……そまり、おい、そまり起きろ。うるせぇ!」
という怒声と、同時にボンと俺の腹に何かが乗ってくる。
それでゆっくりと意識が戻れば、言いようのない嫌悪感が湧く。夢見が悪いとはまさにこのこと、吐きそうだ。むしろ吐かなかっただけマシか。
そんな事を考えつつ木の枝から降りれば、怪訝な表情でベイガルさんが待ち構えていた。朝食の途中だったのか、小さめのコンロには鍋が置かれて湯気が上がっている。ちなみに俺の腹に乗ってきたのは彼の水筒である。
「……おはようございます。うるさいって何ですか」
「お前うなされてたんだ。飯食ってるのにうるせぇし、黙らせようと木を蹴っても静かにならねぇし。仕方ないから水筒を投げた」
「うなされている俺を心配する気は皆無ですか」
ベイガルさんの横暴な話を聞きつつ、水筒を彼に返す。
聞けば俺は日が昇ったあたりから魘されていたという。ベイガルさんはその声に起こされ、仕方ないから早めの朝食にし、そして終始うなされ続ける俺に痺れを切らして水筒を投げたのだという。
『ひとを早く起こしておいて、てめぇはのうのうとうなされてるのかと思ったら腹が立った』
という一言に気遣いの欠片は無い。ベイガルさんらしいと言えばらしいが、のうのうとうなされるとはどういう意味だろうか。矛盾してやいないだろうか。
「寝てはいましたが悪夢にうなされていたんですけど」
「お前でも悪夢を見るんだな」
「失礼極まりない。俺だって悪夢ぐらい見ますよ」
朝食を再開するベイガルさんを眺めつつ、俺も準備をする。
まだ食事の時間には早いが、用意するだけならば可能だ。ベイガルさんの気遣い皆無ぶりを見ると自分が食べ終えれば出発しそうだし、歩きながら食べても良いだろう。
ちなみに俺の朝食は相変わらずパンと水だけ、最早用意するとさえ言えないメニューである。ベイガルさんがそれを見て、無言で奪うと茹でた野菜をパンに挟みだした。
「お前がいくらアホのように頑丈だろうと、この状況下で体調を崩す可能性はある。『パンと水しか摂取してなかったら脱水症状になりました』なんて馬鹿げた話になったら他のギルドに笑われるだろ」
「別にまだ不調は出ていないので結構です。人に借りを作るのは嫌なんで返してください」
「ちなみにトマトもあるんだが」
「大人しく食べるんでトマトはやめてください!」
恐ろしい脅しを前に、俺は無抵抗を示して具沢山になったパンを受け取った。
それを再び紙に包み直して、ベイガルさんの食事が終わるのを待つ。
そんな最中、ベイガルさんが呟くように「何の夢を見てたんだ」と聞いてきた。
視線は手元の皿に落としたまま。呟くような声量は、俺が聞かなかったふりが出来るようにだろうか。変なところで気遣いをしてくる人だ。
「子供の頃の夢ですよ。まだ俺が健全で健やかで瞳を輝かせて夢を語っていた頃の事です」
「え、お前が瞳を輝かせて……? なにそれ怖い、確かに悪夢だ」
「さっさと食べてもらえます!? 早く出発したいんですけど!」
「冗談だ、怒るな」
煽ってきたかと思えばさっさと食事を再開するベイガルさんに、俺は本気で話をしても無駄だと考え直した。
といっても、本気で聞き入って同情なんてされても迷惑極まりなく、ただの他愛もない雑談として聞いてもらうのが一番なのだが。
「小さい頃は俺だってまともだったんですよ。人並みに夢があって……。あのままなら宇宙飛行士になってたかもしれませんね」
「宇宙飛行士?」
「えぇ、元いた世界では宇宙に行く技術も開発されてたんです。月にも行ってましたよ」
今は出ていないが空を指さしながら話せば、ベイガルさんが「月に……」と上を向いた。快晴の空が広がっているが、夜になれば月が昇る。
そこにどうやっていくのか? と言いたげにベイガルさんが俺に視線を向けてくる。
だけど、こちらの世界のベイガルさんに宇宙飛行だの宇宙船だのと説明して理解出来るだろうか? こちらの世界には飛行機も無いのだ。
あまりに技術が違い過ぎる。それを一から……とても面倒くさい。
「なんかこう、凄いのがバーン!って打ちあがって月に行くんです」
「よし、さっぱり分からん。だがお前が説明を面倒くさがっているのは分かった」
「それが理解して頂ければ十分です。こっちの世界は月に行ったりとかの研究はされていないんですか?」
「婆さんが八百屋に行ってくれないこの世界だぞ、月なんて行ってられるか」
「婆さんが八百屋に行ってくれないのはうちのギルドだけでしょう」
どうやらこの世界はあまり宇宙に関しての研究はされていないらしい。
そこまで発展していないのか、そもそも興味が無いのか、必要とされていないのか。なんにせよ、こちらの世界にはあまり優れた天体望遠鏡も無いのだという。
それを聞いて、俺はなんとなく空を仰いだ。
快晴だが、昨夜は星が見えていた。こちらの世界は日本よりも夜空が綺麗で、無数の星が輝いて見える。――たまにお嬢様と星を眺めたりするのだが、夜空を眺めるお嬢様は宇宙一の美しさ――
「月も宇宙も、こっちの世界の人達はあまり興味が無いんですね」
「お前が研究したら第一人者になれるんじゃないか?」
「……そうですねぇ」
ベイガルさんの言葉に、俺は空を仰いだままぼんやりと考える。
今の俺なら、この世界の道具だけで天体望遠鏡を作れるだろう。幼い頃に必死で金を貯めて買ったあの天体望遠鏡よりも、もっと優れたものだって作れるはずだ。
……だけど、
「興味がありませんね」
そうあっさりと言い切り、ちょうどベイガルさんが食事を終えたので出発の準備に取り掛かった。
熱帯地をひたすら歩くのは中々に労力が掛かる。
気候と足場の悪さで体力が削られ、ひたすら同じ景色が続くことで気が滅入る。途中で小休憩を入れても気は休まらず、べったりと服が張り付いて不快だ。
「お嬢様に会いたいお嬢様に会いたいお嬢様に会いたい……」
「ついに壊れたか。……いや、ついにじゃないな、常に壊れてるな。つまりデフォルトか、よし問題無い」
「酷い話だ。……あれ、何か聞こえませんか?」
ズン……と響くような音を聞き、立ち止まって周囲を探る。
何かが歩いているような音だ。それがこちらに近付いているのか、そ次第に大きくなる。ベイガルさんも聞きとったようで、身構えつつ周囲を伺いだした。
俺もペンライトを手にし、赤く灯らせておく。何が来るのか分からないが、とりあえず赤にしておけば間違いないだろう。必要とあれば燃やせるし、善良なものだったら直前でペンライトを消せばいい。
「……そまり、改めて言うが俺を戦力として考えるなよ」
「後方支援ですよね。後ろの方でガンバッテーって言うんでしたっけ」
「言ってほしいのなら言ってやろう」
「言ったが最後、俺の最優先攻撃対象がベイガルさんになります」
そんな会話を、音のする方向を睨み付けながら交わす。
木々が鬱蒼と茂った中、ズンと響く振動と共に草木が揺れ出す。
近付いている。
だが何が近付いているのか?
普段通り気の抜けた会話をしながら、それでも警戒しつつ揺れる草木の先を睨み付ける。
そうして響く音と振動が最大になると、大きな影と共にガサッと草が揺れ、
そして3メートルは優に超える巨大な猫……らしきものが現れた。
全身を黒毛に包み、スラリと伸びたしなやかな四つ足。スリムな体の延長線で長い尻尾が揺れている。
丸い瞳が獲物を見つけたと言いたげにこちらをジッと見つめており、匂いを嗅いで様子を窺っているのか黒く固そうな鼻がスンと揺れる。そのたびに震える髭はピンと張り詰めて立派だ。
頭部には黒毛の三角耳がぴょこんと立っており、背後で小さな物音がすると小さく揺れた。
「……ベイガルさん、これは……猫ですかね」
「いや、でもデカいだろ……さすがに、こんな大きさは……」
「猫だったら不味いですよ。もしも、もしもこの動物が猫で、ニャーと鳴いてしまったら……」
「な、鳴いてしまったら……?」
猫っぽいやたらと大きな生き物に視線をとどめたまま、ベイガルさんが俺に尋ねてくる。
猫っぽいやたらと大きな生き物は俺達の目の前で止まっているが、今この瞬間にも襲い掛かってきてもおかしくない。
俺の脳裏に、かつてお嬢様と交わした約束が過ぎる。
お嬢様以外の人にも動物にも、何の情も湧かない俺を気遣ってお嬢様が提案してくれた約束……。じっと俺を見つめて「約束ね」と可愛い声で俺に告げてきたのだ。
『そまり、ふかふかしてニャーって鳴く生き物は優しく可愛がってあげてね』
……と。
「というわけで、俺はふかふかしてニャーって鳴く生き物には一切攻撃が出来ないんです!」
そう俺が宣言した瞬間、目の前の猫っぽいやたらと大きな生き物がカッと口を開き、
ンニャャァアア!!
と、轟音のような、それでも猫らしい鳴き声を上げた。
あまりの声量に木々が揺れ、小さな鳥が逃げるように飛び立ち……、
そして俺とベイガルさんは揃えたように踵を返して走り出した。




