17:シフォンケーキタイム
西部さんの今後については、昨夜の内に軽くだが話しておいた。
お嬢様の友達なので放り出すことはしないし、多少なら支援もするつもりだ。だが俺は西部さんを養う気はない。出来るだけ早めに自立してほしい。そうはっきりと告げれば、彼女も悲観することなく頷いて返してくれた。
そうしてこの世界で彼女に何が出来るのかと考えた末、ギルドで働けるかもしれないと思い至ったのだ。
幸い彼女の能力は『物捜し』。実際に外に出なくとも、安全なギルド内で対象物がどこにあるのか探れる。使いようによっては依頼をこなす際の役に立つだろう。
それを説明すれば、ベイガルさんも前向きに検討してくれた。
「物以外にも人や生き物も探せるのか?」
「はい」
「それなら、この地図上で『マチカ』という女性を探してくれ。大まかな場所でも構わない」
そう話しながらベイガルさんが地図を広げる。
ここいら一帯の地図だ。現在地の町はもちろん、森に海、他の町もいくつか書き込まれている。むしろ王都や他の町が目立っており、今いる町はおまけ程度だ。
この町にいるマチカさんを指定しつつ、あえて広範囲の地図を出す。
なんて意地の悪い……。
そうは思いつつ、俺もあえて口を挟まずにいた。
これで俺達の助言なく西部さんがマチカさんの居場所を言い当てれば、彼女の能力は本物ということだ。ベイガルさんも正当な評価を下し、相応の賃金で雇ってくれるだろう。
「マチカさん……。年齢と外見は?」
西部さんの質問にベイガルさんが答える。だが教えるのは『人探しの依頼にありそうな情報』程度だ。
フルネームと、性別と年齢、それにおおまかな身長。もちろん居住地は教えない。これではぼんやりとした人物像も描けまい。
だが西部さんはその情報を真剣な表情で聞き、次いでじっと地図に視線を落とした。緊張しているのだろう表情が強張っている。
その緊張が伝わったのか、お嬢様までもが固唾を呑んで西部さんを見つめている。
「杏里ちゃん、頑張って……!」
「お嬢様、俺のティーカップから水色の液体が溢れちゃってるんで、ちょっと抑えてください」
「大丈夫、杏里ちゃんなら出来る……。絶対に出来るわ、私信じてる!」
「うわ、ティーポットからも」
緊迫した空気の中、俺一人だけティーカップとポットから湧きだす水色の液体を拭く。今日も淡く光っており、拭いたタオルまでもが光りだしている。
それどころか俺の指まで。どうやら付着していたようで、ブラックライトの元にいるかのように光っている。さっさと拭いてしまおう……と思いつつ、濡れて光る指先を見つめる。
「お嬢様はいつも飲んでるよな……。それにお嬢様が出している液体なら、俺にとって害なわけがない」
謎を解明するため、ちょっと味わってみるのも有効かもしれない。
なによりこれは『お嬢様が出す液体』なのだ。そう考えれば卑猥な魅力を感じさせる……。思わず指先から視線を外せなくなり、そんな俺の心の中で天使と悪魔とニャルラトホテプがホストクラブ並みの飲めコールで煽ってくる。いつも楽しそうだなこいつらは。
そんな欲望トリオはさておき、意を決して指先についた少量を舐めてみれば、まるでジュースのような甘さが口の中に広がった。普通に美味しい。
「お嬢様が出す液体と考えれば納得の甘さ。……お嬢様から出た液体。やばい、興奮して漲ってきた」
一口どころか一舐めしただけだというのに、『お嬢様が出す液体』を舐めたという事実が俺の鋭気を昂らせていく。昨日の一件での疲労など一瞬にして吹き飛んでしまった。
それをお嬢様達に報告しようとした瞬間、ふとダンジョン内での事を思い出した。
仲違いをしていた菅谷達が、何か言っていたような気がする。
確か、何かを売って金を稼ぐとか、そのためにお嬢様を浚ったかのような口調だった。
もしかして、お嬢様のこの水色の液体と何か関係あるのだろうか。
だが何と言っていたか思い出せない。ト……ロー……ポ……? ポー……ポーショ……。
「マチカさんの居場所、分かりました!」
俺が思い出しかけた瞬間、まるで思い出した言葉を掻き消すように西部さんが声を上げた。なんというタイミングだろうか。
おかげで俺の頭の中に蘇りかけていた言葉は勢いよく四散してしまった。だがそれを悔やめども、俺以外は真剣な表情で西部さんと地図に視線をやっている。仕方ないので今回も後回しだ。
「マチカさんはこの場所に居るはずです。あれ、でも凄い近い……?」
「それも分かるのか?」
「はい。離れているとだいたいの場所だけですが、近くに居れば場所と大まかな距離も分かります。マチカさんは直ぐ近くに居て、こっちに向かっています」
「なるほど、近いぶん鮮明に分かるのか。確かにこれは使えるな」
感心したようにベイガルさんが話す。
お嬢様は西部さんを見守っており、当の本人である西部さんは不思議そうに地図の一点を指さしている。彼女の細い指がさすのは、この世界の文字で記されたこの村だ。
現在地であるここにマチカさんが居ると西部さんが断言すれば、ベイガルさんがそれを聞いて満足そうに頷いた。
どことなく楽しそうな表情を浮かべ、念のためにと西部さんにこの場所の文字が読めるのかを聞く。返事は勿論ノーだ。
生活のため、そして今までの経験と異常な適応力――認めざるを得ない――でこの世界の文字を覚えた俺と違い、西部さんは極普通の女子高生。それも今まで接したのは善悪の差はあれど皆級友、あとはたらい回しにされたギルド……となれば、彼女に文字を学ぶ余裕もあるわけがない。
現に彼女は能力のおかげで場所こそ分かれど、地図に書かれているものは文字と記号の区別すらつかないという。
「その能力で働くなら、地図を読めるようになってもらわなきゃな。町の地図ならこっちだ」
ベイガルさんが別の地図を広げる。
この村の地図だ。現在地であるギルドも書かれている。
「マチカがどこらへんに居るかも分かるか?」
「はい、この距離ならだいたい分かります。マチカさんは、今この道のあたりにいます」
西部さんの指が地図の一点をさす。マチカさんの家からギルドまでの道程だ。
――それを見てベイガルさんが両手で顔を覆ったのは、今日も今日とてマチカさんが八百屋を通り過ぎたからだ。小さな声で「婆さんに八百屋の場所を覚えさせる能力……」と呟いているが、多分そんな能力を授かった者はいないだろう――
対してお嬢様が嬉しそうな表情を浮かべるのは、あと少しでマチカさんがギルドに来ると分かったからだ。出迎えるためにとパタパタと部屋を出て行く。
そうしてしばらくするとお嬢様の嬉しそうな声が聞こえ、その声がゆっくりと近付いてきた。
「ベイガルさん、マチカさんが来ましたよ! 杏里ちゃんは合格ですね!」
マチカさんの腕を掴み、お嬢様が嬉しそうに告げてくる。
ベイガルさんが頷けば、今度は歓喜の声をあげて西部さんに抱き着いた。西部さんも安堵の表情を浮かべ、お嬢様の背に腕を回す。
マチカさんも、事態が分かっていないが良いことが起こっているのは察したのだろう、年若い少女が喜びあっているのを愛でるように見つめている。
平和な光景だ。そんな中、西部さんの合格を祝うお嬢様のなんて可愛いらしいことか。
西部さんの能力がなんだろうと、俺はお嬢様の居場所だけ分かればいい。むしろお嬢様の居場所はいつだって俺の腕の中であってほしい。
いや、いっそ布団に入った俺の腕の中……。
「おいそまり、よだれ」
「おっと失礼しました。それで、西部さんの働き口が見つかったのは良いとして、あとは住む場所ですね。さすがにギルドの手伝いだけで衣食住全て稼ぐのは難しいでしょう」
「それならマチカのところはどうだ。最近手伝いがないと不便だって言ってたからな。しばらくはそまりの家と行き来して、気が合うようならマチカの家に移ればいい」
どうだろう、と提案するベイガルさんに、西部さんがマチカさんに対して頭を下げた。孫とさえ言える年代の少女に、マチカさんも微笑まし気に返している。互いの印象は良さそうだ。
俺としても、西部さんがマチカさんのところに身を寄せてくれるのは有難い。近くに住んでいればお嬢様が暇な時に遊び相手になってくれるだろう。
「後は今回の報告についてですね。あらかた俺が説明しておいたので、西部さんは補足程度で大丈夫ですよ」
「はい!」
「お嬢様はマチカさんの依頼をお願いします。昨日帰ってきたばかりでお疲れでしたら、後で俺が行きますけど」
「大丈夫よ! さぁ行きましょうマチカさん!」
お嬢様が立ち上がり、マチカさんの手を引いて部屋を去っていく。その後ろ姿はまさに孫と祖母だ。
そうして扉が閉められると、ベイガルさんが報告書を片手に西部さんに質問しだした。
或る程度の話をし終えたあたりで、お嬢様が依頼から帰ってきた。
いつの間にかコラットさんを連れており、彼女は部屋に入るなりお嬢様の頭上からひゅんと飛び上がって西部さんの頬に突撃した。つんつんと突っつかれ、西部さんがくすぐったそうに笑う。
説明をしていた最中はダンジョン内での事を思い出して表情を暗くさせていたが、お嬢様とコラットさんを見て安堵したようだ。それどころか、お嬢様に「終わったの?」案じられると、微笑んで頷いている。
「終わったのね。それなら……」
「詩音ちゃん?」
「シフォンケーキタイムよー!」
嬉しそうにお嬢様が飛び跳ねる。
その瞬間にお嬢様のお腹の小鳥が待ってましたと鳴き声をあげるが、今のお嬢様に恥ずかしがる様子は無い。シフォンケーキを受け取りにパタパタと部屋を出ていってしまう。
その活発さ、愛らしさ、先程の昂った欲望が再び熱を増す。お嬢様は初代紅茶リーダーでありマシュマロリーダーであり、そして抱擁メッセンジャーをこなしてシフォンケーキリーダーにもなったのだ。
なんという多才、まさに無限の可能性を秘めている。計り知れない。お嬢様は生まれながらにして『尊い』という能力を持っている。
……いや、待てよ能力と言えば。
「そういえば、ダンジョンでお嬢様が捕まった時に、菅谷達が何かを売るって言ってたんですが……」
いったい何だったのか思い出せない、そう俺がベイガルさんと西部さんに声を掛ける。
だがそれとほぼ同時に、お嬢様がひょこと扉から顔を覗かせ、
「そまりとベイガルさんも、おかわりいかが?」
と可愛らしく尋ねてきた。
自分も空腹なのに俺達の事まで気遣ってくれる、なんという優しさの権化。
これを断れるわけが無い。むしろ俺も手伝わなくて。能力については今回も後回しにしておこう。
「お嬢様、俺もお手伝いしますよ。お嬢様の分のシフォンケーキは是非俺に切らせてください。生クリームも俺が添えます。なんでしたら、俺が食べさせてさしあげます」
「もう、シフォンケーキをどれだけ甘くするつもりなの。それならそまりのシフォンケーキは私が切ってあげる」
お嬢様が愛しそうに俺を見つめてくる。
そうしてシフォンケーキを取りに行くお嬢様を追おうとすれば、ベイガルさんが「そうだ」と待ったをかけてきた。
執務用の机に戻り、引き出しから何かを取り出す。白いハンカチだ。何かを包んでいるようで、こちらに近付きつつゆっくりとそれを捲る。
「お前の時計、修理終わったから朝取りに行ったんだ」
「もう直ったんですか?」
「あぁ、ちょうど破損してたパーツの在庫があったらしい。時間はこっちの時間に合わせておいたが、大丈夫か?」
ほら、とベイガルさんが懐中時計を渡してきた。
受け取れば、確かに止まっていたはずの秒針が時間を刻んでいる。透かしの部分を覗けば、細かなパーツが忙しなく動き、耳を当てると聞きなれた稼働音がする。
時刻はこちらの世界の時間だ。壁に掛けられている執務室の時計と見比べても合っている。
「もしも元いた世界の時間を気にしてたなら、残せなくて残念だったな」
「俺がそんなセンシンティブな人間だと思います?」
「いやまったく。言ってみただけだ」
あっさりと言い切られ、俺もそれ以上言及できなくなってしまう。俺達のやりとりが面白かったのか、西部さんがクスクスと笑っている。
さっさとお嬢様を追いかけよう。そう判断し、最後に一度時計を見た。長針が天辺を指している。
それを見て、冷え切った紅茶を飲み干してからお嬢様を追いかけた。
微妙に謎を残しつつ、第3章終了です。
次話から第4章。今度はドラゴン探しの冒険に出発です。
ポイント、感想、いつもありがとうございます。レビューも頂きました、本当にありがとうございます。
一つ一つお返事出来ず申し訳ありませんが、感謝を更新という形に変えてお返ししたいと思います!




