05:能力と糧について
「そりゃ全力で殴りましたよ。俺の中の天使と悪魔とニャルラトホテプが揃って「殺せ」と訴えてきましたからね。でもさすがにあそこまで吹っ飛ぶのはおかしいですよ」
そう怪訝そうに俺が話せば、隣を歩くお嬢様がコクコクと頷いて返してきた。
現在地はいまだ森の中、先程のワニは俺が尻尾を掴んで引きずりながら運んでいる。……そう、運んでいるのだ。
3メートルは優にあるワニを、それも片手で。かといってこのワニが見掛け倒しで軽いというわけではない。サイズに見合った相当な重量だ。
だけど運ぶのは苦ではなく、そして全く疲れない。
「そまり、大丈夫?」
「えぇ、不思議とさっぱり疲れません」
「でも大きくて持ちにくそうよ。もし疲れたら言ってね、私も運ぶわ!」
「そんな! お嬢様のシルクより滑らかな肌が傷ついてしまいます!」
「でも、そまりは私を守ってくれたのよ。そのうえワニを運ばせるなんて……。私もそまりの為に何かしたいの!」
「お嬢様、なんて崇高なお考え! それなら俺を応援してください」
「そまり、頑張れ! そまり、頑張れ!! ワニを運ぶそまりも……好きっ!」
「3分に1度お願いします」
「結構な頻度ね!」
お嬢様が「任せて!」と意気込む。この愛らしい声で応援されると、俺の中で色々なものが滾るのだ。そのうえ「好き」なんて言葉付き、これは堪らない。
今が日中のどこか分からない場所ではなく俺の自室だったなら、理性が崩壊して俺の欲望がワニより凶暴化し……と、そこまで考え、俺の中でふと考えが浮かんだ。
「もしかして、これが俺が授かった能力……」
そう俺が己の下半身に視線をやれば、お嬢様がつられるように俺の視線を追い……「きゃっ!」と声をあげつつパッと両手で顔を覆った。
だが指の隙間からチラと俺の下半身を見ている。その慎ましさ、プライスレス。
「どういうことなの? そまりの……その、能力が……その……もう、言わせないで!」
ぷいとお嬢様がそっぽを向く。
なんて愛らしい恥じらい方なのだろうか。慎ましさと恥じらいを混ぜ合わせつつ、それでいてチラと横目をこちらに視線をやって欲望を掻き立ててくる。
高度な駆け引き、これを無自覚で行っているのだからお嬢様は天使であり小悪魔。傾国の美女ならぬ傾国の美少女だ。なんだったらお嬢様の為に俺が国を傾ける。
……いや、違う、今は興奮してる場合じゃない。心のペンライトを七色に光らせている場合ではない。
「えっと、つまりですね、俺の下半身に宿った能力が、あの瞬間に発揮されたのではと考えたんです」
「能力が?」
「多分、俺の欲望とか煩悩とかそういったものが増幅されて力になったんでしょう」
元々ワニは仕留められるが、流石に一撃は無理だ。ペンライトしか武器が無いなら尚更、長期戦になることは覚悟していた。
だというのに一撃だった。それも巨体を吹っ飛ばしての一撃。
これは何かしらが作用したと考えるべきだろう。となれば何か……あの学生たちが見せた『能力』とやらが絡んでいる可能性は高い。
突飛な話ではあるが、そもそも虹色に輝くワニ自体があり得ない話なのだ。
そしてその能力とやらが俺の下半身に関与している、むしろ下半身の欲望を糧に力になっている……。
拗らせた二十代の欲望となれば、どんな巨体なワニだろうが一撃なのも納得だ。
「というわけで、俺の能力は下半身の拗らせパワーと推測しました。己が欲望の権化であるのは自覚しています」
「……むぅ」
「もちろんお嬢様に対する欲望です」
「やーん」
一瞬嫉妬の表情を見せたものの、俺の欲望が自分限定と知るやお嬢様がパッと表情を明るくさせた。そのうえツンツンと俺を突っついてくる。
その仕草もまた愛らしく、俺の欲望は刺激されっぱなしだ。
そんなお嬢様と共に――時にツンツン突っつかれつつ――歩くことしばらく、獣道は次第に補整された道に変わり、森の先に明かりが見え始めた。
どうやら森から抜け出すことが出来るらしく、良かったとお嬢様と顔を見合わせる。
「ですが油断は出来ませんね。森の先に何があるのか……」
「そまり、怖いわ」
「大丈夫ですよ。何があっても、ワニが出ても、お嬢様は俺が守ります。下半身の欲望を糧にするち〇こ能力を授かった俺に勝てる者はいません!」
下手に炎だの土だのと馴染みのない能力を貰うより、己のどろどろに煮詰め拗らせまくった欲望を利用する方が威力は信頼できる。とりわけ下半身なら尚更である。
そう俺が語れば、お嬢様がチラと俺の下半身に視線をやり……、
「発散しきっちゃ嫌よ」
と甘い声で呟いた。
大丈夫です、発散してもすぐにチャージされますので。
そうして話を進めながら森を抜ければ、そこには見慣れた日本の景色が広がって……いない。だだっ広い野原と砂利道、そして遠目には町。どう見ても元いた場所ではない。
だが落胆も驚愕もしないのは、薄々どころか予想通りだからである。
というか、これで森を抜けたら元の場所でも困る。虹色の巨大ワニを引きずる俺は通報待ったなしだ。
「そまり、向こうに町が見えるわ。何か分かるかもしれないわね、行ってみましょ!」
「そうですね。このワニも引き取ってもらえるかもしれませんし。もし引き取り手がなければどこかで厨房を借りましょう」
「このワニ食べるの?」
「ワニの仕留め方を学んでる時に捌き方と美味しく頂く方法も学びました。しかし虹色のワニとなると、お嬢様のお口に合うかどうか……」
「そまりが作ってくれる料理なら、なんだって好きよ」
「なんてお優しく愛らしい……! ワニもお嬢様に食べて貰えるなら本望でしょう。そうだ、町まで距離がありますのでワニに乗ったら如何ですか?」
上着からハンカチを取り出し、そっとワニの背に掛ける。もちろんお嬢様が座るためだ。
手を差し伸べてエスコートすれば、お嬢様が嬉しそうに微笑んで俺の手を取った。
ちょこんと座るこの愛らしさ!一瞬にしてワニの背が高価なものに変わる。
たとえ虹色のワニの背中でも『お嬢様が座っている』それだけで価値がつくのだ。なにせ数枚の布を隔てて、お嬢様のお尻が触れている……!ーーという理屈からお嬢様が座った椅子は全て国宝にすべきである。……と諾ノ森に仕える同僚に熱く語ったところ、気絶させられたうえ精神病院にぶちこまれた。懐かしい。ーー
「それじゃお嬢様、あの町まで行きますので落ちないでくださいね」
「出発よー!」
どうやらワニの背中が気に入ったようで、お嬢様が楽しそうに片手を上げる。
そうして俺がワニの尻尾を掴んで引きずり始めれば、お嬢様が吹き抜ける風を堪能するようになびく髪を押さえた。
その姿、なんて優雅なのだろうか。さながら避暑地で乗馬を楽しむが如く。さすが現代のプリンセス。
そうお嬢様の優雅さを褒め称えつつもちょっと湧いた悪戯心でワニの尾を揺らせば、お嬢様が楽しそうな悲鳴をあげてワニにしがみついた。