15:療養の森
「詩音、そまり、貴方達がこの森に歩みを向かわせ木々の狭間に身を寄せること、大地に感謝いたします」
「お邪魔します」
「ごゆっくり」
あっさりと俺が返せば、リコルさんが頷いてくる。
エルフ特有の長ったらしい話し方も幾度か交わせば慣れるもので、こちらが一刀両断短く応えれば、向こうもつられて手短に返してくると分かった。
もっともお嬢様はエルフ特有の長ったらしい詩的な話し方がお気に入りで、リコルさんの歓迎らしき言葉に「私も大地に感謝します」と返している。なんというフェアリー。最高に愛らしい。
そんな俺達の元へパタパタと駆け寄ってくるのはシマエさんだ。
相変わらず見た目はふわふわの白猫。それでいて身の丈は十歳児程度、そのうえ二足歩行。空色のワンピースを着ており、まさに獣人だ。
彼女の登場に、エルフの美しさに言葉を失い見惚れていた西部さんが「もふぅ……」と不思議な吐息を漏らした。
「詩音、いらっしゃい!」
シマエさんがお嬢様に抱きつく。
お嬢様もまた彼女を抱きしめ、ふかふか具合を堪能するように肩口に顔を埋めた。
「お嬢様、シルバニアファミリーの世界に迷い込んだフェアリーのように愛らしい。シマエさんの猫の毛が口に入って拭ってる姿、最高にセクシー」
「ベイガルから『万が一にそまりがよだれを垂らしたら、迷いなく右足を狙え』って言われてるんだけど」
「まだです、まだ出てません、セーフです」
慌ててフォローを入れ、身の潔白を証明する。あんな衝撃と激痛二度と御免だ。
そうして改めてお嬢様達へと向き直り、お嬢様の隣に立つ満田さんの様子を窺う。
森に来た直後こそ怯えの様子を見せていた満田さんだが、リコルさんを前にするとその美しさに見惚れ、今はシマエさんのふかふかの手と握手している。
リコルさんの背後には男のエルフが控え、俺達の来訪を聞いてラナーさんも来た。だが満田さんが彼等を見ても怯えている様子は無い。
どうやらエルフの男も獣人の雄も、満田さんの中では恐怖の対象にはならないらしい。
なにせエルフの男達は、同じ男なのかと疑ってしまうほどに中性的で美しい。エルフの女性同様に芸術品のように整っており、凛々しくはあるが男らしさはあまり感じない。声も涼やか。
対してラナーさんをはじめとする獣人の雄は、男らしくはあるがいかんせん見た目が動物である。
現に満田さんも、ラナーさんの声を聞くとビクリと肩を震わせているが、姿を見ると安堵の息を漏らしている。男の声は怖いが、それが獣人であれば恐怖も和らぐのだろう。
「頼みたいことがあるんですが、リコルさんとシマエさん……リコルさんとラナーさん、少し話を聞いて貰えますか?」
「なぜ俺に言い直した?」
「シマエさんはお嬢様にもふもふされるという重要な仕事の真っ只中だからです」
「そうか」
分かった、とラナーさんが頷く。
シマエさんがお嬢様にもふもふされつつ「頼んだわ、ラナー」と告げているが、そこに族長らしい威厳は無い。ちょっと偉そうなでかいシルバニアファミリーだ。
そうして俺とリコルさん、そして族長代理ラナーさんの三人で、少し離れた場所へと向かう。
コラットさんがふわりと俺の胸ポケットに入ってきたのは、きっとギルド代理として話に加わるためだろう。
「頼みというのは、今お嬢様と一緒に居る女性の一人をここで保護してほしいんです」
「保護? それならギルドの方が良いんじゃないか?」
「それが、ちょっと込み入った事情がありまして……。彼女、人間の男性が怖いんです」
そう俺が説明すれば、リコルさんとラナーさんが怪訝そうな表情を浮かべた。
清廉潔白なエルフと、獣らしく単純明快ゆえに邪心の無いという獣人では、濁した俺の言葉の真意は伝わらなかったようだ。
現に、素肌に男物の上着だけを纏う満田さんと、ボロボロとはいえ衣服一式を纏っている西部さんを見比べ、「どちらが?」と不思議そうにしている。
この状況で満田さんを預けるのは、いささか無責任というものか……。
そう考え、俺は今回の依頼について話しだした。
元よりリコルさんもラナーさんも、『異世界から来た不思議な能力を持つ少年少女』についての知識はある。今更初歩的な動揺はしない。
だが遠藤達がしでかした事に対する嫌悪がある。遠藤達は彼等の神聖な墓地を荒し、亡骸を操り、あろうことか同士討ちさせようとしたのだ。種族への冒涜、人間全般を敵視しなかっただけ有難いくらいである。
そんな状況なのだ、満田さんを同じ『異世界から来た者』として説明すれば同類と見なされかねない。かといって、今の満田さんが身元を偽って生活出来るとも思えない。
ここはひとつ、彼等のお嬢様への好意に賭けてみるか……。
「この際なのでお話しますが、俺とお嬢様も同じです。満田さんや、墓地を荒した遠藤達同様、異世界の日本という国から来ました」
「そんな……!」
俺の説明に、リコルさんとラナーさんの表情に驚愕の色が浮かぶ。
だがその表情は次第に和らぎ、リコルさんがそっと俺の手を握ってきた。白く陶器のような細い指だ。
「そまり、貴方は私達の同胞を再び眠りに着かせ、この森を覆いつくさんとしていた悲しみを払ってくれました。たとえ貴方の出自が彼等悪しき者と同じであろうと、心の輝きは違います」
「長ったらしくて良く分からないんですが、大丈夫ってことですかね」
「えぇ、そまりの出自を知っても我々エルフが抱く感謝と友情に変わりはありません。これからも、毎夜そまりを想って歌を紡ぎます」
「それやめてくださいって言いましたよね」
改めて俺が中止を訴えるも、リコルさんは「そまりは謙虚ね」と褒めてきた。違うのに。
だが今はエルフ式感謝について話している場合ではない。そう考えラナーさんに視線をやれば、彼は俺の瞳をジッと見据え……、
「俺の咆哮が一番大きい」
と、得意気に頷いてきた。
「この森の生き物、ひとの話まったく聞きませんね」
「最近では、そまりへの感謝の咆哮を聞いて年若い獣人達が寝床へ帰る」
「就寝の合図扱いですか」
「我々エルフも、そまりへの感謝の歌を紡ぎ幼き同胞達を眠らせます」
「それは子守唄ですね」
兼用とは、感謝の割には扱いが杜撰ではないか。それならいっそ俺への感謝は無くして、普通に就寝の合図と子守唄にしてほしい。
そう訴えるも、リコルさんもラナーさんも聞く耳持たずだ。自分達種族は感謝を忘れないだの、心からの感謝の表し方だのと説明してくる。
そんな彼等の言葉に裏は無さそうで、優雅に微笑むリコルさんの表情にも偽っている色は無い。ラナーさんに至っては、偽るも何も先程からずっと尻尾が上を立っている。
「安心してください。我々の感謝を示すため、彼女をこの森で保護します。きっとこの森が傷を癒し、そして私達の友情をより深いものとしてくれるでしょう」
「はぁ……。とりあえず保護してくれるならそれで良いです。よろしくお願いします」
「こちらも、雌の獣人をつけるよう手配する。シマエもきっと喜んで引き受けるはずだ」
エルフの族長であるリコルさんと、族長代理のラナーさんがここまで言ってくれるのだ、任せても問題ないだろう。
そうして話を終え、お嬢様達の元へと戻る。
シマエさんに抱き着いたことでワンピースについた猫の毛を払っていたお嬢様が、話を聞いて帰宅の時間と知ると再びシマエさんに抱き着いた。
お嬢様の隣に居た西部さんも、同じように別れを告げる。……満田さんに。
「れいちゃん、私また会いにくるから」
「……ごめんね、杏里ちゃん」
「良いの。いつか元気になったら、また一緒に遊ぼうね」
西部さんが満田さんの手を握る。それに対して満田さんは俯いて頷くだけだ。涙が彼女の手に落ちていく。
二人がゆっくりと手を離せば、西部さんの手をお嬢様が、満田さんの手をシマエさんが握った。まるで自分が支えてあげると、だから安心してくれと、そう訴えているようだ。
そうして彼等に見送られ森を出れば、西部さんが呟くように「れいちゃんが……」と話し出した。
曰く、ここに来た時点で西部さんも満田さんも俺の考えを察していたらしい。
満田さんは恐怖の対象が居ないこの地に安堵し、そして西部さんは……迷った。このまま彼女のそばに居て良いのかと。
「れいちゃん、私がいると菅谷君たちのこと思い出しちゃうって……」
きっと西部さんは満田さんと一緒に居たいのだろう。なにせ命がけで助けたのだ。片時も離れたくないと思って当然である。
だが満田さんが、彼女の心の奥底まで根深くついた傷が、それを良しとしない。助けてくれたと分かっていても、西部さんに非は一切無いと分かっていても、西部さんの存在が悲惨な記憶をフラッシュバックさせる。
だからこそ離れる事にしたのだと西部さんが掠れる声で話せば、お嬢様が受けいれるように彼女を抱きしめた。
「大丈夫、もう杏里ちゃんもれいちゃんも大丈夫よ」
「詩音ちゃん……」
「今日はもうギルドに寄らずに帰りましょう。温かいお風呂に入って、美味しいご飯を食べて、ぐっすり眠るの。ねぇそまり」
同意を求めてくるお嬢様に、俺も頷いて返す。
今の西部さんの状態を見るに、ギルドに寄ったところで碌に説明も出来ないだろう。それなら一晩休ませ、多少なり落ち着きを取り戻させた方が良い。
「コラットさん、ベイガルさんに伝えてくれますか?」
「分かった。それじゃ詩音、また明日ね。杏里もゆっくり休みなさい」
お嬢様の頭の上に留まっていたコラットさんが軽やかに飛び上がった。別れの挨拶がてらお嬢様の鼻先を突っつき、西部さんの頬を擦る。
そうしてコラットさんが去ろうとした瞬間、俺はある事を思い出し、
「あ、待ってください」
と、右手で鷲掴みにした。
手の中からコラットさんの悲鳴があがる。
「なによ!」
「忘れてました。ベイガルさんに伝える際に、お願いがあるんですが」
「お願い? まだ伝言があるの?」
「いえ、伝言ではなく、全力で右足の脛にぶつかっていってください」
「……相当恨んでるわね」
呆れたようなコラットさんの声を聞きつつそっと手を放せば、光の玉が勢いよく飛び上がった。
そうしてまるで矢が放たれたかのように飛んでいく。あの速さで当たっていたのか……と考えれば、右足の鈍痛が蘇りそうだ。
「オッサンモドキめ、俺がやられっぱなしで終わると思うなよ……」
思わず笑みを浮かべれば、お嬢様が「悪い顔のそまりも好きよ!」と俺に抱き着き、西部さんが「23歳オッサンモドキのギルド長さぁん……!」とベイガルさんを案じて切ない声をあげた。
・・・・・・・・・・
カタン、と音が響いたのは、そまり達がダンジョンを離れてすぐ。
残された菅谷達が呻き声と嗚咽を繰り返す中、榎本だけがその音に気付き顔をあげた。
もっとも、顔を上げて音の出所を探ったところで見えるわけが無い。眼球は氷塊にされ割られ、いまだ脳まで響くような激痛を与えてくる。視界は暗く、光一つ差し込まない。
それでも反射的に顔を上げ、暗闇の中で探ってしまう。
「……だ、誰かいるのか」
「うわ、あの人すごいな。普通ここまでやらないよ」
呻き声が続く中、その声だけは妙に淡々としている。
一人一人の有様を見て回っているのか、「げぇ」だの「ぐろ」だのと口にしているが、それら全てまるで他人事のような口調だ。助けを求める声には一切返そうとしない。
楽し気とさえ言え、妙に明るくて薄ら寒さを覚える。
場違いな少年の声に、散々もがいた事で早鐘を打っていた榎本の心臓が更に早まっていく。
視力どころか眼球そのものを奪われたからか、聴覚に意識が集中する。聞こえてくる声が脳に響く。
若い少年の声だ。
同い年くらいだろうか。
どこかで聞いたことがある。
この世界に来る前。
どこかで、その時はもっと弱々しく、震えて、怯えを含み、虚ろで今にも事切れそうで……。
記憶にある声と、今まさに耳に届いた抑揚のない声が重なり、榎本が悲鳴をあげた。
凍り付いた足を無理に動かし、逃げようともがく。
「なんで! なんでお前が居るんだよ!」
「おい榎本、なんだよ、どうした。こいつ知り合いなのか!」
「違う、なんでみんな気付かないんだ。だってこいつは……!」
悲鳴じみた声で榎本がとある人物の名を口にする。
そうして鈍い殴打の音が続き、何かを引きずる音を最後にダンジョン内が静まり返った。




