3:荷造り
厄介な依頼には準備が必要。ということで、今日はダンジョンがある場所とそこまでの道程を確認し、情報収集と準備に止めることにした。
お嬢様がマチカさんと野菜を買いに行くのを見届け、俺も必要なものを揃える。――たまにお嬢様はお使いだけではなく、マチカさんと共に八百屋に行く。それどころか他の買い物の手伝いもするのだ。なんという臨機応変なフォロー体勢、素晴らしい――
もっとも、俺の方は準備といっても報酬が微々たるものなので下手に買えば赤字になりかねない。お嬢様のものならばなんだって最高級の品で揃えるが、俺のものなんてどうでもいい。最低限でも金をかけたくない。
「というわけで、ベイガルさんの部屋を漁って良いですか?」
「嫌だと言いたいところだが、そうしたら報酬もっと上げろって言うだろ」
「言いますね。というか今回の依頼、殆どベイガルさんのポケットマネーなんですね」
「俺も気になる案件だからな。それにマイクスは年下だし、流石にあいつには金は集れない。つまり俺が報酬金だしてギルドに仲介料払ってその仲介料をギルド長として俺が受け取って計算してそこから俺の分を取る……」
「うわ、損と苦労しかしてない」
憐れみの視線を向けつつ、ベイガルさんの執務室へと向かう。
そうして必要なものを見繕うが、その間も話を聞いた冒険者達が執務室に足を運び、あれこれと貸してくれた。
その際の「ただ働きご苦労さん」だの「どうせ嬢ちゃん絡みで弱み握られたんだろ」だのという憐れみ満載の言葉と視線は些か気になるが、貸してくれるのは有難い。これならば何も買わずに済みそうだ。
そうして荷を借りて明日はギルドに寄らず馬車を拾って出発……と手筈を確認していると、布を被っていたお嬢様が布の中でコテンと首を傾げた。――なぜお嬢様が布を被っているのかと言えば、先程コラットさんを布で捉えようとし失敗し逆襲にあったのだ。たまらなく可愛い――
「そまり、私の分は?」
「お嬢様の分? 行くのは俺だけですよ。朝コラットさんが迎えに来てくれますから、お嬢様はギルドで待っていてください」
「いやよ、私もそまりと行く」
「ですが危険ですよ。怖いものが出てくるかもしれません」
「そまりが一緒なら怖いものも怖くないわ。それに懐中時計が無いならそまりを一人でなんて行かせない」
「……お嬢様」
じっと俺を見上げてくるお嬢様の瞳には堅い意志が見える。これは俺がどれだけ言っても折れてはくれないだろう。そもそも、俺を案じて俺の為に訴えてくれているのだ。
これは無下には出来ない。
仕方ないと小さく息を吐くことで俺が了承を示せば、お嬢様が「冒険よ!」とぴょんと跳ねた。
「そまり、私も荷物を持つわ! 誰かに借りてこなきゃ!」
「買いましょう」
「驚きの即決。でもそまり、今回の報酬は少ないって」
「買いましょう! お嬢様に野郎共が使った道具など使わせられません! 清らかなお嬢様が汚れてしまう!」
俺が断言すれば、お嬢様が「そまり!」と俺を見つめてくる。
周囲にいた者達――俺に道具を貸してくれた人達――は呆れた表情を浮かべ……はせず、いつものことだと一瞥すらしてこない。
俺とお嬢様がこの異世界生活に慣れたように、ギルドの人達も俺とお嬢様のいちゃつきに慣れてくれた。むしろ慣れというか無の境地で放置してくる。有事の際にはベイガルさんがえげつないローキックを放つだけだ。
「それじゃお嬢様、可愛らしいリュックと、手に優しい散策用具を買いに行きましょう。美味しいお弁当も作りますね」
お嬢様の初めての外での依頼だ、これは飾り立てなければならない。お弁当も豪華にして、途中でティータイムを挟めるように紅茶とお菓子の用意もしなくては。レジャーシート変わりにどこかで布を用意して……もちろんお嬢様が座るのだから上質で華やかな布だ。
赤字? なにそれ。
報酬が雀の涙? 雀なんて泣かせておけ。
たとえ報酬額よりお嬢様の準備代が掛かろうと、お嬢様が愛らしく快適に冒険出来ることが最優先だ。
そもそも、今回の報酬もお嬢様の生活と娯楽のための資金になるのだから、これはつまりお嬢様が自らお嬢様の為の費用を稼いでいるのであって、お嬢様はお嬢様のための依頼のためにお嬢様のものを買う事で経済を回して……。
お嬢様が、お嬢様の、お嬢様に……。
「なんか訳が分からなくなってきました」
「一人で暴走して一人で錯乱するな。とにかく、二人で行くならそれで良いから、なにか分かったら連絡してくれ」
ベイガルさんが何か棒状のものを手渡してくる。発煙筒に似ており、聞けば用途も仕組みも元いた世界の発煙筒と酷似している。こちらの世界に電話やメールは無く、急を要する際には発煙筒を焚くらしい。
これなら扱える、そう考えて一本をお嬢様に手渡す。だがお嬢様は受け取っても今一つピンとこないと言いたげな表情を浮かべ、発煙筒を眺めたり振ったりしている。
「そまり、これ使い方が分からないわ」
「発煙筒ですよ? 近接航空支援の時に使うじゃありませんか」
「そまり、日本人はあまり発煙筒を焚かないし、近接航空支援も求めないわ」
「……爽やか三組?」
「三組も近接航空支援は求めないの」
お嬢様がぺちぺちと俺の頬を叩いて俺の記憶を正そうとしてくる。俺は一連のことが落ち着いたら自分の記憶を整理する必要があるかもしれない。
だが今は発煙筒や近接航空支援よりもダンジョンだ。そう考えて使い方をお嬢様に教えれば、有事の際には駆けつけるとコラットさんがお嬢様の周りをくるくると飛んだ。ふだんはふわふわと飛んでいるコラットさんだが、いざとなればその速度は馬をも超えるという。これは頼もしい。
そうしてベイガルさん達に別れを告げ、必要なものを買いつつ家に帰った。
報酬が丸々消えたとか、むしろ報酬の倍以上使ったとか、そんなことは些細なことである。
可愛らしい赤いケープを羽織り、新しいリュックを背負って俺の目の前でクルリとまわって見せるお嬢様の愛らしさの前では、脳内の収支計算なんて吹っ飛んでしまう。頭の中の算盤はシャーッと遠くに滑らせておく。
「お嬢様、明日は頑張りましょうね」
「えぇ、ダンジョンで冒険よ! 儚い女の子が私達の助けを待ってるわ!」
お嬢様が意気込みながら俺の隣を歩く。
初めての外での依頼で興奮しているのだろう。瞳は輝き英気に満ち、サイドポケットに入れておいた発煙筒を引き抜くと歩みに合わせて振る。
色々と買いこんだが、どうやら発煙筒が一番気に入ったようだ。
「発煙筒を焚く機会があると良いですね」
「そうね、せっかくだし……だ、駄目よ、これは緊急事態に使うのよ!」
「おっとそうでした。それなら、万事全て平穏に解決したら、追加報酬として焚かせてもらうのはどうでしょう」
きっとベイガルさんなら強引に押せば渋々でも承知してくれるだろう。
そう俺が提案すれば、お嬢様がむにっと表情を緩めた。きっと楽しみなのだろう。「でも緊急時じゃないと駄目なのよぉ」という声は随分と間延びしていて、瞳は発煙筒に釘付け。これはきっと焚きたいのだろう。
なんて分かりやすく可愛らしいお嬢様だろうか。そんなお嬢様と話しつつ、家へと向かった。




