07:森の異変にまつわる新たな依頼
ウィンナーが浮かぶコーヒーを飲みつつ――とても美味しい――マイクス君に視線をやって話を待つ。
彼は俺の手元にあるコーヒーを引きつった表情で見つめていたが、俺の視線に気付くとコホンと咳払いをして改めるように話し出した。
「最近、ここ近辺の森に不穏な空気が漂ってるんです。友人のエルフから聞いた話なんですけど、それに人間が関与してるらしくて……」
「エルフ?」
「はい、エルフです」
当然のようにマイクス君が返す。
ベイガルさんもさして気に掛ける様子はなく、それどころか俺がエルフに対して疑問を抱いたことに対して不思議そうにしている。むしろ話の腰を折るなとでも言いたげだ。
どうやらこの世界にはエルフが居て、そして対して驚くほどの存在でもないらしい。相変わらず異世界ではないか。
現実味など欠片もないこの話、お嬢様はどこかうっとりするように「エルフ……」と呟いている。その瞳がキラキラと輝いているのは気のせいではないだろう。
お嬢様は幼い頃からファンタジー作品を好んでいた。
お姫様と王子様が出会い恋に落ちる物語、謎めいた騎士がお姫様を守る物語、魔法と剣と恋の物語……そういった作品には頻繁にエルフが登場していたようで、読み終えた直後はよく俺に興奮気味に話をしてくれた。
そんなエルフと獣人が森の奥で暮らしているらしい。
蛇がいた洞窟とはまた別方向。不可侵というわけではないが、あまり人は寄りつかないのだという。確かに、思い返してみれば同じ森と言ってもそちら方面の仕事は今まで見かけなかった。
聞けば、他種族が住処とする森での仕事はギルドでは扱わないらしい。よっぽどの事があれば国が動くのだという。
互いのテリトリーというものだろう。といっても知らずに立ち寄ったところで問題は無いらしく、あくまで友好的な関係を保つための線引きというものか。
……少なくとも、以前まではそうだったという。
「最近になってエルフや獣人達の中で人間に対して不信感を募らせるようになって……」
「何かあったんですか?」
「数ヶ月前に見慣れぬ格好の人間が現れて、森の一部に根城を構えたらしいんです」
その人間とやらは不思議な力を持っており、本来であれば人間では適うはずのないエルフや獣人を打ち倒してしまったらしい。そのうえ彼等の墓を荒らした……と。
その淀みが森に満ち、小動物やゴブリンといった生き物までもが影響を受けているという。
なるほどこれは一大事。
今までは暗黙の了解で距離を保ち、付かず離れず関係を築いていたのに、それが一気に崩れてしまったのだ。
だがそこまで分かっても、俺が今その話を聞いている理由が分からない。
なぜわざわざ夕食時にまで押し掛け、お嬢様の夕食を止めてまで話をしてくるのか。
「仕事をさせるにしても、俺はエルフも獣人も見たことないし、関係が拗れているなら俺よりもっと適任が居るんじゃないですか?」
「獣人を見たことがない? だってお前、チバってところはネズミの獣人が支配してて、最近は海側から熊が制圧しに掛かってるって言ってただろ」
「何言って……。いえ、そうでした。でもほら、獣人に詳しいわけではないですし、エルフに至っては本当に見たことがありませんから」
「なるほど、エルフは居なかったのか」
納得したと言いたげにベイガルさんが頷く。
……危なかった。一瞬「何バカなこと言ってるんですか」って言い掛けてしまった。俺だよ言い出したの。
「ま、まぁ獣人はともかくエルフは一度たりとて見たことがありません。なのになんで俺に話を?」
「それが、その不思議な力を使う人間っていうのが、見たこともない服を着て、存在しない国の話をしているらしいんです。その話をベイガルにしたところ……
『マジかよ、俺も同じようなもの拾ったぞ』
って、そまりさんの話をしてきて……」
「おいオッサンモドキ、守秘義務も個人情報も何も無いなあんた」
普通そこは匿ってくれるものでは? と問うも、ベイガルさんは悪びれる様子無くコーヒーを呑んでいる。なんという腹立たしさ。やっぱり墨汁を飲ませれば良かった。
拾ったなどと失礼な。俺はともかく、お嬢様に対してその表現は無礼極まりない。
仮にお嬢様が拾われるような状態にあったとしても、そこは『麗しい少女が地に舞い降りたところに光栄にも居合わせ、掬い上げさせていただいた』という方が正しい。
「というわけで、ベイガルさんの表現には些か不満が残りますが我慢しましょう」
「お前のその勝手に暴走して勝手に帰ってくるところ嫌いじゃない」
「そりゃどうも。でも、そういうわけで俺に話を持ってきたんですね」
そういうことかと一人ごちれば、マイクス君が小さく頷いて返してきた。
「これ以上問題が大きくなると、種族間のいざこざを招きかねません。そこでエルフや獣人に顔が利く僕が間に入って調べることになったんです。でも僕はあくまで情報屋ですから……」
マイクス君が溜息混じりに肩を落とす。
曰く、旅をするため己の身を守る程度には鍛えてはいるが、あくまで護身の粋を出ないのだという。人より強いとされているエルフや獣人すらも適わないのだから、それらを倒した『不思議な力を持つ人間』に勝てるわけがない。
かといって、その素性が分からない以上、下手にギルドの冒険者を向かわせるわけにもいかない。
なるほど、それで俺にお鉢が回ってきたということか。
マイクス君を見れば、はっきりと口にはしないがじっと俺を見つめている。その瞳に期待の色が宿っているのは気のせいではないだろう。
だけど俺は無関係だ。
あくまで俺はお嬢様の生活のために仕事をしているのであって、エルフや獣人なんて興味がなければ、彼らを助ける理由もない。種族間のいざこざと言われても、そこまで俺が面倒を見る義理はない。
なにより、仮にその『不思議な力を持つ人間』が小津戸高校の生徒達だった場合、下手に関わったら俺達まで一括りにされて周囲に変な目で見られる恐れがある。
ここは断り、無関係を装うのが吉だろう。
「申し訳ないんですが、この仕事は」
「そまり、エルフに会えるのね。楽しみ!」
「受けましょう。おおいに受けましょう!」
俺が胸を張って答えれば、マイクス君が安堵の表情を浮かべる。手を差し出してくるのは握手を求めているのだろうか。断る理由もないので俺も手を差し出す。
少年らしい手だ。節も細くて手のひらも薄い。なるほど、これは戦力としては心許ない。
「早速で申し訳ないんですが、明日の午後からエルフと獣人の代表者に話を聞くことになってるんです。同席してもらっても良いでしょうか?」
「えぇ、構いませんよ。お嬢様も宜しいですよね?」
俺が同意を求めれば、お嬢様がコクコクと頷く。
その瞳はこれでもかと輝いており、頬が少し赤くなっている。ほぅと吐息を漏らし、己を落ち着かせようとしているのかマグカップを手に取るが、その表情もまだ夢心地だ。
表面張力いっぱいに注がれている水色の液体ーーよく光るーーをコクリと飲み込み、また吐息を漏らし、再び一口飲み……。と、憧れのエルフに会えることを噛みしめている。
なんて愛らしいのだろうか。……いや、でも流石に確認しようか。
「お嬢様、毎回思ってるんですが、お嬢様はいったいなにを」
「ねぇそまり、エルフと獣人の代表者に会うんだもの、おめかししなくちゃいけないわね!」
「……そう……ですね。では午前中は服を買いに行きましょう」
「楽しみ!」
よっぽどエルフに会えるのが嬉しいのか、お嬢様は今すぐにでも飛び跳ねそうなくらいではないか。そんなお嬢様の姿にマイクス君とベイガルも苦笑を浮かべている。
そうしてどちらとも無く立ち上がった。
「飯時に邪魔して悪かったな」
「いえこちらこそ、何のお構いもせずむしろ罠に掛けて」
「……思い出した。だが仕事を受けるなら水に流してやる、それじゃ明日な」
ベイガルさんがお座なりな挨拶を告げてくる。その隣ではマイクス君が深々と頭を下げ、「よろしくお願い致します」と改めて告げてきた。やはり律儀な子だ。
そうして二人を見送り、お嬢様と顔を見合わせる。
「面倒な仕事になりそうですね」
「でもエルフと獣人に会えるのよ。きっと素敵だわ」
期待に瞳を輝かせ、嬉しそうにお嬢様が話す。
この笑顔を見れるなら仕事を引き受けたかいがあるというもの。
そう俺が告げれば、お嬢様がさらに嬉しそうに俺を見つめ……
カランカラン、
と鳴り響いた音にはたと顔を上げた。
室内に吊しておいた鐘の一つだ。それが揺れて音を鳴らしている。
何か? そんなこと言うまでもない。なにせつい数十分前に同じように鐘が鳴ったのだ。といっても今鳴っている鐘は先程の罠のものではなく、別の箇所に仕掛けたもの。
「そまり、あの鐘はどこの罠かしら」
「玄関から出て少し行ったところに仕掛けたものですね。位置的には、ちょうどベイガルさん達が歩いていった先です」
これはまさか……と罠を仕掛けた方へと歩き出せば、お嬢様もちょこちょこと俺の隣を着いてくる。
微かに聞こえてくるのは、覚えのある声。しきりに俺を呼び、怒りたっぷり……。
「ねぇそまり、ニャーって鳴くかしら?」
お嬢様がこてんと首を傾げる。
やっぱり飼うおつもりですか?




