04:ギルドの仕事はピンからキリまで
ギルドに入ってきたそのお婆さんは、周囲を見回すとこちらに気付いてゆっくりと歩み寄ってきた。見たところ極普通の年配の女性だ。だからこそギルド内では浮いている。
仕事柄ギルドを出入りする人は品が良いとは言えず、とりわけ今日は他所からの者が多い。――ベイガルさん曰く、登録さえすればどこのギルドでも仕事は受けられるらしい。手堅い資格のようなものなのだろう――。
長期の仕事で立ち寄っているのか旅の途中で日銭を稼ぎに来たか、そういった者は総じて警戒心が強くギルド内に張り詰めるような空気を纏っている。
だがそんな空気に気付いているのかいないのか、お婆さんは真っすぐにこちらに歩いてきた。
「ベイガルさん、あの方は?」
「……また来たか」
「ベイガルさん?」
杖を突きながらこちらに向かってくるお婆さんを見るベイガルさんの表情は、随分と渋い。
それほどまでに厄介な人なのだろうか?
ギルドの登録者とは思えないが、面倒な依頼をしてくるとかだろうか?
そんなお婆さんは俺達の前まで来ると、まるでここまでの道程が辛かったと言いたげに息を吐いた。腰を擦っているあたり、やはり歩くのが困難なのだろう。
俺とベイガルさんが揃えたように立ち上がり、ほぼ同時に席を譲る。
「どうも悪いねぇ。おや随分と若くていい男だ。ここじゃ見ない顔だけど、旅の人かい?」
「そまりと申します。一月ほどまえに主人と共にこちらに来て、今はギルドで世話になっております。以後お見知りおきを」
「身目も良ければ品も良い。やだねぇ、年甲斐もなく胸が高鳴っちまうよ。私があと十年若ければねぇ」
「十年どころでどうにかなるもんじゃねぇだろ、婆さん。そまり、この婆さんはマチカだ、一か月ほど孫と旅行に行ってた。婆さん、こいつはそまり、縁あって町はずれの家で暮らしてる」
手早く紹介を済ませ、ベイガルさんがそれでと言いたげにマチカさんに対して話を急かす。
ご老体に対して随分と横暴な態度ではないか。なんとも彼らしくない。
「悪いねぇ、また仕事を頼みたいんだよ」
「だから何度も言ってるだろ。婆さんの仕事は受けない」
きっぱりとベイガルさんが断る。これもまた珍しい話ではないか。
ギルドの仕事はピンからキリまで。命がけで挑まなければならない仕事もあれば、山や森にいって草花や果物を取ってくるだけの仕事もある。
台風がくる地域のギルドでは、戸や窓に打ち付ける板の入手までもが依頼されるという。
一カ所のギルドでは手に負えない仕事であっても、他に回したり周囲のギルドに協力を煽ったりもするらしい。
一口に『仕事斡旋』と言っても様々だ。共通して言えることは違法でない仕事、といったところか。
だからこそ、内容も禄に聞かずにベイガルさんが断った理由が分からない。
「ベイガルさん、マチカさんはそんなに危ない仕事を依頼をしてくるんですか?」
「いや、違う。婆さんの依頼は……やめろ、メモを押し付けないでくれ、だから受けないって」
「ならなんで断るんですか。どんな仕事でも一応受けておけば誰かやってくれるかもしれないじゃないですか」
「婆さんのはそういうのじゃなくて……。だからやめろ、無理にメモを……ベルトを引っ張るな、隙間に捻じ込んでくるな! やめっ……パンツ……婆さん旅行でストリップでも見てきたのか!?」
「お困りのようですし、ひとまず聞くだけでも聞いてさしあげたらどうですか」
「……せめてズボン……! あぁ、もう!」
自棄になったと言いたげにベイガルさんが声を荒らげ、ねじこまれかけていたメモを引っ掴むと共に俺の目の前に突きつけてきた。
書かれているのは当然異世界の文字である。ご年配らしい筆圧の薄い流れるような字体は、習得したての俺には些か難しい。
「えぇっと……これは……にん、じん……ジャガイモ、たまねぎ……?」
「婆さん、今夜はシチューか?」
「なんですかこれ、買い物メモ?」
なんでこんなメモを、わざわざギルドに持ってきてベイガルさんに渡すのか。そう問うようにマチカさんを見る。
……が、既にそこに彼女の姿はなく、いつのまにかギルドの出入り口にその後ろ姿があった。「任せたよぉ」という声と共に去っていく。
「あぁくそ、早い! 今回だけだらかな! 本当に、これで最後だからな!」
ベイガルさんが喚く。
その台詞から、この依頼を今まで幾度となく押し付けられていること、そしてきっとこれが最後にはならないであろうことが分かる。
そのうえマチカさんが居なくなると、まったくと言いたげにメモを見つつ「待てよ、ポトフかもな」とメニューの予想をしだすのだ。
良かった、やっぱり俺の知るベイガルさんだ。
詳しく言うのなら、俺の知る、お人好しで押しに弱くて世話焼きで、好いように使えるベイガルさん、である。
俺の中で、『チョ』のうちわを持った天使と、『ロ』のうちわを持った悪魔と、『い』のうちわを持ったニャルラトホテプが揃って大喜びだ。
「……なんだか、今すごく嫌な感じがしたんだが」
「気のせいですよ。それで、そのメモはなんですか?」
「これは……」
溜息まじりにベイガルさんが話し出す。
曰く、マチカさんはギルドというものを今ひとつ理解しておらず、二日に一度訪れては決まって野菜の買い出しを頼んでいくという。
報酬などあるわけがなく、賃金……とも言えない、子供のお小遣い程度である。
当然そんなものをギルドの依頼として受けられるわけがない。そのうえ『夕飯の支度前に持ってきて』という時間制限まであるのだ。
「いつもギルドじゃ受け付けないから近所の子供にでも頼めって言ってるんだが、どうにも聞いてくれなくてな……」
「それはまぁ、なんと言いますか。しかしマチカさんは見たところ足腰が悪いようですから、八百屋に行くのがお辛いんでしょう」
「……間にある」
「何が?」
「八百屋が」
「どことどこの間に?」
「婆さんの家とギルドの間に」
呻くようなベイガルさんの言葉に、俺は言葉を失ってしまう。
つまり、まぁそういうことなのだろう。なるほどベイガルさんがあれほど拒否し、そして押し付けられるや嘆くのも頷ける。
「婆さんはいつも八百屋を素通りしてギルドに来る。何回も何十回も何百回も言ってるのに! 八百屋に連れてったこともある!」
「荒れてますねぇ」
「荒れもする! こんな仕事だれにも投げれないから、俺がいつも仕事の合間に行ってるんだぞ! もう三年以上も!」
「三年、予想以上に長い……」
「他の店どころか町の外にだって行くのに、八百屋にだけはギルドに頼む……! ……って嘆いても仕方ないな、行ってくる」
「どこに?」
「……八百屋と婆さんち」
聞いてくれるなと言いたげなベイガルさんの声には、疲労の色が滲み出ている。
ギルドの管理者として、かつては冒険者としてギルドで仕事を受けた身として、むしろ単なる大人として、この仕事未満のお使いが不服なのだろう。
マチカさんの家とギルドの線上に八百屋があるから尚更だ。
たかが二日に一度、されど二日に一度。
メモを確認する姿には哀愁が漂っている。
だがそんなベイガルさんが、それどころか俺までもが顔を上げたのは、
「その仕事、私に任せてはくださいませんか?」
と鈴の音のような可憐な声が割って入ってきたからだ。
言わずもがな、お嬢様である。




